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『オーレリア戦記』  作者: りあと
『オーレリア戦記』帝国歴303年
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第57章『サンブリア沖海戦』

春の風は湿気を帯び、海の匂いを運んでいた。 アルヴェリアの艦船と同じ志を持つ海の義賊達。その中央には

『蓮の花』の軍旗を掲げた旗艦『水龍』が出撃を洋上で待っていた。 「姉様」 セシリアは海を見つめたまま、低く呟

いた。

「見えましたか?ノバージェが南端の港町サンブリアを落としました。そのまま北上されてはクムソニアのウォンソ

ン城が危ういです」

「ですがセシリア。アルヴェリアの兵をサンブリアへ動かすには、殿下にお願いして許可を貰わねば」 「時がない

です」

セシリアはリゼリアの言葉を短く遮った。その声には何の迷いもなかった。

「姉様から殿下にお願いして下さい。私達だけでサンブリアへ向かいましょう!」

セシリアは振り返ると、副官のベルナデットに鋭い視線を向けた。

「出陣する。アルヴェリア艦10隻海賊船30を選抜して下さい。私達は敵を求めてサンブリアへ向かう」

ベルナデットは胸の奥が熱く煮え立つような感覚を感じ、「はっ!」と強く答えると、急ぎ伝令へと走った。

1 時間後、ビガンテの沖合から、四十隻の艦隊が静かに滑り出した。 夜明け前の海は濃い霧に包まれていた。

「セシリア。敵は無数、サンブリアから沖合の島まで海を埋め尽くしています」

リゼリアは冷静を装っていたが、見えた光景に困惑しているようであった。 旗艦の将校たちも、露骨な不安の色が

走った。連れて来た味方の数が圧倒的に少なかったからである。 だが、セシリアだけは表情一つ変わらなかった。

「艦隊の後方の艦数隻遊撃に当てるわ。『水龍』が先陣を切る」 冷徹なまでの冷静さ。それが、全軍の空気を一瞬

で引き締めた。セシリアは陣図を広げ、各将に命を下していった。 「エミーナ3番艦で前方左翼。ロゼッタ2番艦

で右翼。私たちは一列の陣を組み、敵の隙を逃さず叩く。良い?、決して深追いはしてはだめ!私達の強みは船の

頑丈さと、火砲の遠戦能力にあるから」

そしてセシリアは、リゼリアの目を見つめて言った。

「姉様、旗の合図を完璧にお願いします。一瞬の遅れが全軍の生死を分けます。姉様が頼りです」

「わかったわ。任せて下さい」

正午頃。初夏の太陽が真上に昇り、眩しい光が海面を照らし出していた。艦隊がサンブリアの入江に差し掛かった

その時―― 偵察にあたっていた海賊船から、鋭い煙信号が上がった。

「敵船発見! 敵船発見!」

見張りの兵が叫んだ。サンブリアの港内に、大小あわせて五十隻余りのノバージェの艦隊が停泊しているのが目

に入った。 ベルナデットは望遠鏡を覗き込んだ。敵の船は、大型のガレー船に加えて、コック船(円胴型帆船)であ

る。船体には黒い漆が塗られ、色とりどりの家紋を描いた軍旗が風になびいていた。

「セシリア様! 敵はサンブリアの村を襲撃中! 陸上に多数の煙が上がっております!」

見張りの報告通り、港の奥にある村からは黒煙が立ち上り、民家に火が放たれているのが見えた。敵兵たちは陸に

上がり、掠奪に夢中になっているようだった。こちらの接近にまったく気づいていない。

「千載一遇の好機……!」

セシリアは呟き、静かに剣の柄に手をかけた。その瞳に、青白い炎のような光が宿っていた。 村が焼かれ、民が踏

みにじられている光景に、セシリアの胸中で激しい怒りが燃え上がっているのだ。しかし、その声はどこまでも冷や

やかだった。

「全軍、陣形を整えよ。『鶴翼の陣』をとる!」

「鶴翼の陣!」

ベルナデットはすぐさま信号旗を掲げ、太鼓を打ち鳴らした。ドンドンと響く太鼓の音に合わせ、四十隻の船が左

右に翼を広げるように美しく展開していく。サンブリアの狭い湾口を塞ぐように、アルヴェリア艦隊が立ち塞がった。

「ベルナデット、軽はずみな行動は禁物だ」

セシリアは静かに言い渡した。

「『山のように重々しく落ち着き、慎重に行動せよ』兵たちにそう伝えて」

「山のように重々しく落ち着き、慎重に行動せよ……!」

ベルナデットはその言葉を全船に伝えるべく、旗を振った。武者震いしていた兵たちの顔から雑念が消え、静かな

覚悟が宿っていくのが分かった。 ついに、港内のノバージェ軍がアルヴェリア艦隊の存在に気づいた。

「帝国の水軍だ!」

「挟み撃ちにされるぞ!」

遠くから狼狽する叫び声が聞こえてくるようだった。陸にいた敵兵たちが慌てて船に飛び乗り、錨を揚げようと混

乱に陥っている。

「敵船、出港を試みております!」

「来させて」

セシリアは静かに言った。

「港の狭い出口に重なったところを叩くわ。火砲の準備を急いで!」

アルヴェリア艦隊の側面に配された砲門が一斉に開かれた。重厚な青銅の砲身が、ギラギラと日光を反射して敵

船に向けられる。 ノバージェのガレー船が数隻、我々の陣形を突き破ろうと、必死に櫂を漕いで突進してきた。船

首には弩弓を構えた兵たちが密に並んでいる。

「距離、二百歩!」

ベルナデットが叫んだ。

「百五十歩!」

「放て!」

セシリアの剣が、一閃した。

「ドンッ! ドドドドーーーン!」

雷鳴のような大砲の轟音が、サンブリアの海を揺らした。旗艦をはじめ、二十四隻の船から一斉に放たれた砲弾

が、空を切り裂いて敵船に降り注いだ。 敵の船首を木っ端微塵に粉砕する。乾いた木片が飛び散り、悲鳴が海上

に響き渡る。

「当たった! 直撃です!」

甲板の兵たちが歓声を上げた。 ノバージェの船は松の木で作られており、構造が軽量で速力は出るが、衝撃には

脆い。これに対し、アルヴェリアの艦は頑丈なクヌギやエストロの木で造られており、大砲の反動にも耐え得る要塞

のような船体を持っている。 敵は必死に弩弓を撃ち返してきた。タタンッ! タタンッ! 甲板の防楯に弩弓の矢が

激しく当たる音が響く。しかし、厚い木板に遮られ、我が兵に大きな被害は出ない。

「怯むな! 砲弾を再装填せよ! 次の斉射用意!」

ベルナデットは叫びながら、矢の雨の中を駆け回った。 敵の将と思われる豪華なガレーが、アルヴェリア艦隊の隙

を突いて湾の外へ逃れようとしていた。

「セシリア様! 敵の旗艦が逃走を図っております!」

「エミーナに命じよ。斜め前から塞ぎ、側撃を加えよ」

侍女エミーナが艦長となった3番艦が素早く旋回し、逃走を図るガレー船の側面に割り込んだ。

「ぶ、ぶ、つかれですって!?」

エミーナは甲板で恐れ慄いて涙を流した。

「うわぁ〜〜ん。ぴぃ〜〜」

ひとしきり泣く事10数秒。 心を決めたようであった。

「こうなったら破れかぶれよ!行くわよー!突っ込んで!!」

エミーナ船長の叫び声とともに、頑丈な3番艦の船首が、敵ガレーの脇腹に激しく激突した。

**ガガガガッ!**という凄まじい破壊音が響き、敵船の脇腹が大きくへこみ、浸水が始まった。そこへ至近距離

から散弾砲が打ち込まれる。敵船は真っ二つに裂け、炎を上げて傾いていった。

「見事だわ……!」

リゼリアは思わず息をのんだ。 セシリアの戦法は、徹底して『自軍の被害をゼロに抑え、一方的に敵を粉砕する』

ことに徹していた。無謀な突撃や、敵の得意とする船上での白兵戦には絶対に付き合わない。徹底した火力の優

位と、船体の強度を生かした距離の保持。 湾内に取り残された敵船は、アルヴェリア水軍の「鶴翼の陣」によって

完全に包囲されていた。逃げ場を失った敵船同士が衝突し、港内は大混乱に陥っていた。そこへ、天から降る矢

と、海を誇る砲弾が容赦なく襲いかかる。 黒煙が空を覆い、海面は燃えあがる船の破片と、真っ赤な血で染まって

いった。

「セシリア様、敵船の半数以上が沈没または炎上! 陸に逃げ延びる兵が多数おります!」

ベルナデットが報告に走ってきた。

「深追いは不要よ」

セシリアは冷徹に言い放った。

「陸の敵を追えば、我が兵に無用な損害が出る。我らの目的は海の制圧にある。燃える敵船を掃討し、戦利品を回

収して」

「はっ!」

戦闘が始まってからわずか数時間。かつて半島の民が恐れていたノバージェの水軍は、跡形もなく打ち破れてい

た。 海の海面に漂うのは、燃え盛る敵船の煙と、勝鬨をあげる我が兵たちの歓声だけだった。この戦いで、我が軍

が破壊・焼失させた敵船は二十六隻。対して、我が水軍の被害は――戦死者ゼロ、負傷者がわずか数名という、

信じられないほどの完勝であった。 夕刻。赤く染まる海を背に、艦隊はサンブリアの港からゆっくりと離れていっ

た。 甲板に立つセシリアの元へ、エミーナとロゼッタは一通の戦勝報告の草案を持って向かった。

「セシリア様、朝廷へ送る報告の控えでございます。このサンブリア海戦の大勝利、必ずや親王殿下も、皇帝陛下

もお喜びの事と思います。」 エミーナは興奮を抑えきれずに語りかけた。このサンブリア海戦の勝利は、自分達だ

けの軍功であった。しかし、セシリアは静かに水平線を見つめたまま、首を振った。

「エミーナこれはまだ初戦でしかないわ」

「え……?」

「敵の海軍は今この瞬間も、半島を目指して北上している。この海で我々が勝利したとて、半島の危機が去ったわ

けではないのよ」

セシリアの声には、勝利の余韻すら漂っていなかった。すでにその心は、次なる戦い、そしてこの凄惨な戦争の行く

末を見据えていた。

「敵は必ず、水軍の補給ルートを確保しようと、より大きな艦隊を送り込んでくるでしょう。私達は一刻も早く補給を

整え、次の戦いに備えねば」

セシリアはエミーナの差し出した書状に目を落とすと、短く「よく書けている」と言い、彼女の肩をポンと優しく叩い

た。その手の温もりに、エミーナは胸が締め付けられるような思いがした。 このお方は、勝利の喜びすら己に許さ

ず、国のすべての重荷をその背中に背負おうとしている。

「エミーナ、ロゼッタ」

「はい!」

「日が暮れる。明日の航路の確認と、各船の弾薬の残り具合を改めて。私達の戦いは、今始まったばかりよ」

「畏まりました!」

エミーナとロゼッタは深く頭を下げ、セシリアの前を辞した。 振り返ると、夕闇が迫る海の上に、セシリアのシルエ

ットがくっきりと浮かび上がっていた。その姿は、荒波を突いて進む巨艦の船首像のように、強く、気高く、そしてどこ

までも孤独に見えた。 エミーナとロゼッタは心の中で誓った。このお方が率いる限り、私達の水軍が敗れることは

絶対にない。たとえどんな困難が待ち受けていようとも、私達はこのお方の側近として、この背中をどこまでも追い

続けよう、と。 サンブリアの海に響き渡った砲声は、アルヴェリア水軍の激闘の火蓋を切る、その始まりに過ぎな

かったのであった。

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