第56章『海風にたなびく蓮の花』
3月。今年もまた東海の海原をおびただしい数の船団が北上していた。 波を蹴立てて進む船々の帆が、春の眩い陽光を受けて白く膨らんでいる。その数、2百余隻。オーレリア帝国水軍を中心とした、整った陣容であるのは、昨年とは大きく異なっている。それゆえに凄まじい統率感から垣間見える、威圧感を放っていた。
船団の後方、ほぼ中央をゆく一際巨大な黒塗りの大型軍船。そのメインマストには、漆黒の生地に銀糸で繊細かつ力強く刺繍された「蓮の花」の紋章――アルヴェリア軍の軍旗が、潮風を受けて誇らしくたなびいていた。 アルヴェリア水軍旗艦「水龍ウォータードラゴン」。
その船首付近、砕ける白波を眼下に見下ろす位置に、一人の女性が立っていた。革製の胸当てに身を包み、腰には曲刀シミターを吊るした、まさに女海賊そのものの凄艶ないでたち。しかし、その肌は雪のように白く、風に舞う髪は艶やかであった。彼女の名はセシリア。アルヴェリア親王イリアードの側室である。
セシリアは今春もまた満足げな笑みを浮かべると、しなやかな片足を船首の縁に引っ掛け、腰に手を当てて振り向いた。 「姉様! 今年も気持ちの良い海が見れましたね!」
その視線の先にいたのは、軍船という血と汗の匂う場にはおよそ不似合いな、うら若き極上の貴婦人であった。 華麗な刺繍が施されたドレスの裾を潮風になびかせ、日傘を優雅に挿しているのは、アルヴェリア親王イリアードの正妻――アルヴェリア親王妃リゼリアである。 「そうね!セシリア。でもほら!危ないから気をつけてね」
塩くささが充満する甲板の上でありながら、リゼリアの口調はまるで帝都の夜会で紅茶を嗜んでいるかのように優雅であった。セシリアは「えへへ」と微笑み、手に持った望遠鏡を掲げてみせた。
「私たちがドカンと一発、ダラーン王国をぶん殴って差し上げたら、殿下は喜んでくれるかしら?」「ええ。きっと目を丸くして、呆れながらも褒めてくださるわ」
リゼリアは優美に微笑んだ。 二人の貴婦人が率いるこの破天荒な大艦隊。その正体は、軍律に縛られた正規の帝国水軍などではなく、東海の海域を荒らし回り、各国の商船を震え上がらせていた「海賊船団」そのものであった。乗組みの兵数、およそ一万三千。アルヴェリア親王イリアードは帝国正規軍を率いて彼女達より前に航行している。
今回、同盟国であるラシル王国が強大なダラーン王国の侵略を受け、過酷な戦いを強いられているという報が届いた時、動いたのはイリアードだけではなかった。 『今年も海賊の荒くれどもを集めなさい。「ダラーン王国を一つ落としに行くぞ。奪った宝は好きに分取れ」と誘えば、喜んでついてきますわ』 そう言って笑った正妻リゼリアと、自ら海賊の装束に身を包んで旗艦に乗り込んだ側室セシリア。二人の女性の手によって今年も立ち上げられた、この大襲撃作戦こそが、いま北上を続ける「水龍」艦隊の全貌であった。
目指すは、ラシル王国を脅かす猛悪なる敵対国・ダラーン王国の王都『ビガンテ』。 ビガンテは港湾を近くに備えた都市である。海からすぐに敵王都の喉元まで一気に肉薄できる。
「野郎どもーっ! 聞こえてるかい!?」 セシリアが船首から甲板へ向かって振り返り、腰の曲刀を突き上げた。 「あたしたちを雇ってくれた親王殿下と、美しく気品あふれるリゼリア様に良い格好を見せたいなら、出し惜しみするんじゃないよ! ラシル王国を脅かすダラーン王国の首を取って、金銀財宝を山分けにするんだ!」
甲板を埋め尽くす荒くれ海賊たちが、野獣のような歓声を爆発させた。 「「「オオーーーッ!!!」」」 「任せときな、セシリアの姐さん!」 「ダラーンの野郎どもから、蔵の宝を根こそぎ奪ってやるぜーっ!」
リゼリアは小さく扇子を広げ、口元を隠しながらセシリアに歩み寄った。 「ふふ、すっかり女海賊の貫禄ね、セシリア」 「もう、姉様までからかわないでください! でも、こういう荒仕事は私に任せてください。姉様は後方で安全になさっていてくださればいいのですから」 「いいえ、私も親王妃として、この目に焼き付けますわ。殿下がラシル王国を助け、救援の戦術を広げていらっしゃるのですもの。妻である私たちが、その背中を護り、後顧の憂いを絶つのです」
「はい、姉様! …………」
艦隊の前衛は目的地を捉えようとしていた。
アルヴェリア親王軍の士気は高かった。




