『秋風と栗のタルト』
10月の大収穫祭を間近に控え、熱気と混乱が渦巻く宮殿。
親王妃リゼリアを支える「無慈悲のナデット」ことベルナデットの前に、この日、親王側室セシリアの侍女であり、同じリヴィエール家の血を引く二人の少女が姿を現した。
セシリアの4歳年下――すなわちベルナデットの2歳年下にあたる、金髪の超天然少女エミーナと、黒髪の冷静沈着な優等生ロゼッタである。
「うぅ……ナデットお姉様ぁ、大収穫祭の準備が過酷すぎて、私、もう今日中に干からびて死んでしまう哀れな運命なんですぅ……!」
部屋に入るなり、ハンカチを握りしめて大粒の涙をこぼしたのはエミーナだった。彼女は毎日「自分はなんて不幸な少女なのだろう」という悲劇のヒロインを演じ、それに満足して眠るという奇妙な悪癖を持っている。
「静かにしなさい、エミーナ」
ベルナデットは眼鏡の奥の瞳を冷酷に光らせ、手元の統計書類から目を離さずに言い放った。
「その涙が分泌されることによる水分損失、および泣き言による私の作業効率の低下は、大収穫祭のタイムスケジュールを0.8秒遅延させます。あと3秒以内に泣き止まない場合、あなたの悪癖をロジカルに糾弾します」
「ひゃんっ!? ご、ごめんなさいぃ!」
怯えるエミーナの横で、黒髪のロゼッタはすんと澄ました顔で立っていた。彼女はリヴィエール家の中でも「予知」や「念視」の能力に特化しており、宮廷の出来事をすべてお見通しにするのがスタイルだ。
ベルナデットは、山積みの収穫祭用チェックリストをロゼッタに差し出そうとした。
「ロゼッタ、あなたにはセシリア様の御所に届く予定の、特産品の検品を――」
「終わっています」
ロゼッタはベルナデットが言葉を濁す前に、完璧に判が押された検品書を差し出した。
「ナデット様がその命令を下す3分前、私の念視により、10分後に届く馬車の荷物の中身をすべて確認し、書類を作成しておきました。私の辞書に『遅れ』の文字はありません」
「ふん、相変わらず小癪な処理速度ですね」
ベルナデットはフッと鼻で笑った。有能な妹分への、彼女なりの最高の賛辞だった。
その時、部屋の扉が開き、セシリアがひょっこりと顔を出した。
「あら、みんな集まってるわね。ロゼッタ、ちょうど良かったわ。あのお願いしていた収穫祭の――」
「セシリア様、そちらの衣装の修繕でしたら、すでに1時間前に終わらせてクローゼットに納めてあります」
ロゼッタが勝ち誇ったように胸を張る。
しかし、セシリアはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「いいえ? 私が頼みたかったのは、中庭のリンゴの収穫数チェックよ? 引っかかったわね、ロゼッタ」
「……えっ!?」
すべてを見通しているはずのロゼッタが、滅多に見せない狼狽の表情を浮かべる。セシリアやリゼリアは、こうして予知を逆手にとったフェイントで、真面目な優等生のロゼッタをからかうのを至上の喜びとしていた。
「うぅ……ロゼッタちゃんがセシリア様にいじめられてる……! なんて可哀想な空間なの……。あ、そうだ! こんな悲惨な時には、甘いもので心を癒やすしかありませんっ!」
エミーナが涙を拭い、ふわりと手をかざす。リヴィエール家の「食べ物調達能力」が発動した瞬間だった。何もない空間から、大収穫祭用に試作されたばかりの、香ばしい焼き立ての栗のタルトが次々と現れる。
「さあセシリア様、ロゼッタちゃん、ナデットお姉様もどうぞぉ!」
「おいしそうね!」とセシリアが手を伸ばしかけた瞬間、ベルナデットの鋭い声が響いた。
「待ちなさい、エミーナ。セシリア様、お忘れですか? 側室としての美貌を維持するための今月の摂取カロリー許容量は、すでに大収穫祭の試食データによって上限に達しています。エミーナ、あなたが主の管理を怠り、これ以上セシリア様を太らせるつもりなら、私からセシリア様へ『お仕置き(バツ)』の執行をロジカルに提案いたしますが?」
「ひいいいっ! セシリア様、ダメです! タルトは没収ですぉ!」
エミーナは慌ててタルトを引っ込めた。セシリアから太った罰を与えられるのは、彼女にとって本当に「不幸な少女」になってしまう恐怖の瞬間だからだ。
「ちぇ、ナデットは相変わらず融通が利かないわね」
セシリアはつまらなそうに唇を尖らせ、からかわれたロゼッタは真っ赤になってそっぽを向いている。
「さあ、お喋りはここまでです。大収穫祭の開幕まで時間がありません。エミーナ、泣いている暇があるなら、その過酷(に見えるだけ)な労働を、あなたの得意の瞬時片付け能力で3秒以内に終わらせなさい」
ベルナデットの容赦ない指揮が飛ぶ。
「は、はいぃーっ! 私、世界一過酷な労働に立ち向かう薄幸の美少女として頑張りますぅ!」
エミーナは悲劇のヒロインになりきりながら、凄まじい神速で部屋の片付けと書類整理を文字通り「一瞬」で終わらせていく。
10月の冷たい夜風が吹く宮殿の裏側で、完璧主義のベルナデット、すべてをお見通しのロゼッタ、そして瞬時に仕事を終わらせて不幸に浸るエミーナ。
リヴィエール家の風変わりで優秀すぎる侍女たちの喧騒と共に、大収穫祭へのカウントダウンは完璧な理論通りに刻まれていくのだった。




