↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『~オーレリア戦記~』チートな嫁は神の末裔  作者: りあと
『〜オーレリア戦記〜』
27/65

第27章『 凍てつく回廊と孤高の玉座』

二月。

大河アシェロンから吹きつける寒風が、オーレリア帝国の首都オクタヴィアを白く染め上げていた。重厚な石造りの白銀宮は、まるで凍てついた巨大な檻のように冬の雲の下で静まり返っている。

旧第二皇子アラリックが、父なる先帝ヴィンセントの急逝と、それに伴う第一皇子ヴァルハルトの反乱——世にいう「ヴァルハルトの乱」——を経て至高の玉座に即位してから、ちょうど一年が経過していた。二十四歳という若さで帝国の頂点に立った皇帝の頭上に戴く冠は、いまや耐えがたい重圧となってその肩にのしかかっている。

「陛下、本日の政務の資料でございます」

恭しく頭を下げる侍従の差し出した羊皮紙を、アラリックは無言で受け取った。執務室の暖炉には太い薪がくべられ、橙色の炎がパチパチと爆ぜているというのに、彼の背筋を寒気が走り抜ける。この広大な宮廷の中で、温もりを感じられる場所などどこにもなかった。

一年前の流血劇の記憶が、まぶたの裏に鮮明に蘇る。長兄ヴァルハルトの裏切り、血で塗られた玉座の間。その混沌の最中、わずかな手勢を率いて南東の大湿地帯アルヴェリアから疾風の如く帝都へ駆けつけ、近衛軍と皇帝親衛隊を速やかに掌握して自らの即位を決定づけた異母弟、アルヴェリア親王イリアードの姿が脳裏をよぎる。

当時わずか十八歳であったイリアードは、乱の平定後、皇帝元帥の位すら辞退し、まるで政治の泥沼を嫌うかのように早々に自領へと去っていった。去り際に彼が残した静かな眼差しを、アラリックは忘れることができない。純粋なる武功と忠誠を示して立ち去った弟の影と比べ、自分はいま、この泥濘のような宮廷政治の渦中で泥に塗れている。

「尚書令ジョヴァンニ卿、ならびに司徒リヒャルト卿がお見えです」

侍従の声に、アラリックは小さく溜息をつき、表情を鉄の仮面へと切り替えた。



扉が開き、ふたりの人物が入室してきた。一人は老練な雰囲気を漂わせた老翁、三公の一角であり民政・内政を統括する司徒リヒャルト・フォン・シュタインベルク。そしてもう一人は、尚書省の長官であり、リヒャルトの息子であるジョヴァンニ・フォン・シュタインベルクである。

「陛下。本年の農村部における減税の件、尚書省にて協議いたしましたが……承服いたしかねますな」

尚書令ジョヴァンニが、どこか見下すような不躾さを隠しもせず、冷ややかな声を響かせた。ジョヴァンニはアラリックの叔父であり、そして皇后ロザリアの父でもある。血縁の絆は、この宮廷においては忠誠の証ではなく、権力を貪るための太い鎖に過ぎなかった。

「昨年の乱の戦後処理、ならびに辺境の防備強化により、国庫は余裕がございません。下々に慈悲を施すなど、時期尚早というもの」

「……しかしジョヴァンニ卿、昨年の長雨と戦乱で、地方の民は困窮している。今ここで減税を行わねば、春の作付けすら危うくなるのではないか」

アラリックが静かに反論すると、後ろに控えていた老司徒リヒャルトがゆるやかに首を振った。

「陛下。国家の根幹は秩序でございます。民草の多少の困窮よりも、帝都の財政の安定こそが先決。太皇太后様、ならびに皇太后様も同じご意見でございます」

リヒャルトの言葉には、抗いようのない重圧がこもっていた。太皇太后アデレードはリヒャルトの妹であり、アラリックの祖母。皇太后ジュリエットはリヒャルトの娘であり、アラリックの母。そして皇后ロザリアはジュリエットの姪。帝国の後宮と政権の核心は、完全にシュタインベルク一門によって固められていた。

アラリックは自身もシュタインベルクの血を引く。彼らが自分を擁立したのは、扱いやすい幼君としての傀儡に仕立て上げるためであった。だが、アラリックが自らの意志で政治を行おうとするたび、こうして外戚の巨大な壁が立ちはだかるのだった。

「……解った。再考しよう」

アラリックは拳を握りしめながら、苦い敗北感を噛み締めて呟いた。ジョヴァンニは満足げに口元を歪め、うやうやしく一礼して去っていった。



シュタインベルク家の独権に対する不満は、当然ながら他の勢力にも渦巻いていた。

その日の午後、アラリックは中書令マートル・フォン・ブライトクロイツと侍中ゲオルグ・フォン・フェルゼンを召見した。マートルは旧貴妃ソフィアの弟であり、かつて皇位を争った旧第4皇子ロデリック(現ソブリナ親王)の叔父にあたる名門の当主である。

「陛下、シュタインベルク家のお振る舞いは過度でございます」

マートルは周囲を憚るように声を潜め、熱を込めて語りかけた。「政務の根幹を尚書省だけで握り、我ら中書省や門下省の奏上をことごとく握り潰している。これでは帝国の政治ではなく、シュタインベルク家の家政でございます。どうか、太尉ヴァレリオ卿や我らにお命じください。シュタインベルクの増長を抑える術はございます」

マートルの言葉は魅力的だった。だが、アラリックはその背後に潜む野心を見逃さなかった。マートルが狙っているのは、シュタインベルク家を失脚させ、姪のソフィアやその子ロデリックの復権、ひいてはブライトクロイツ家による権力の独占に他ならない。

一方、老獪な政治家として知られる侍中のゲオルグ・フォン・フェルゼンは、ただ静かに微笑みを浮かべているだけだった。

「フェルゼン卿、其方はどう思うか」アラリックが問いかけると、ゲオルグは深々と頭を下げた。

「老臣には、ただ『風が冷たい』としか感じられませぬ。風向きが変われば、木々は倒れ、あるいは折れる。陛下におかれましては、どの木にも寄りかかられぬのが賢明かと存じます」

誰も信じられない。外戚シュタインベルク家、旧勢力のブライトクロイツ家、そして日和見を決め込むゲオルグのような老臣たち。全員がアラリックという若き皇帝を利用し、自らの権益を拡大することしか考えていないのだ。

さらに軍事の要である太尉ヴァレリオ・フォン・ボルゲーゼの存在もアラリックを苛ませていた。ヴァレリオはかつてヴァルハルトの乱を平定した大功臣であり、旧第3皇子イザークの叔父である。アラリックは彼から軍権を取り上げるため、名誉職である太尉へと押し上げ、イザークには西南の肥沃なボルゲーゼ親王領を与えて帝都から遠ざけた。しかし、軍部に絶大な影響力を持つヴァレリオが、いつ裏切って甥のイザークを担ぎ出すか、その疑心暗鬼は消えることがなかった。



夜。重苦しい政務を終えたアラリックは、皇后ロザリアの宮殿を訪れた。しかし、そこにも休息の場はなかった。

「陛下、お顔色が優れませんわ」

美しく着飾った皇后ロザリアは、優雅に茶を淹れながら微笑んだ。だが、その瞳には慈愛ではなく、実家シュタインベルク家の意向を伺う冷たい計算が宿っている。

ジョヴァンニから伺いました。減税の件をお引き下げになられたとか。賢明なご判断ですわ。お若い陛下が独断で動かれますと、宮廷の調和が乱れますもの」

「……ロザリア。其方は私とシュタインベルク家、どちらの味方なのだ」

思わず漏れ出たアラリックの言葉に、ロザリアは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに艶やかな微笑を戻した。

「お戯れを、陛下。シュタインベルク家があるからこそ、陛下も、私もこの頂におられるのですわ。私たちは一つでございます」

宮殿を抜け出したアラリックは、冷気漂うバルコニーに一人たたずんでいた。眼下には、暗闇に沈む巨都オクタヴィアの街並みが広がっている。その遙か南東の先——大河アシェロンの河口を越えた大湿地帯に想いを馳せた。

アルヴェリア。

かつては不毛の地と見捨てられていたその場所に、異母弟イリアードが作り上げたという「アクアパレス」の噂が帝都にも届いていた。製塩の一大拠点「ソルトラグーン」を整備し、貿易拠点フルヴィアルトや対岸の直轄都市フローラブルグとの取引で、アルヴェリアは独自の豊かな発展を遂げているという。

権謀術数に明け暮れる帝都をあっさりと捨て、自らの力で荒野を開拓し、民を富ませている十九歳の弟。

「イリアード……お前はこの孤独を知っていたのか。だから、帝国元帥の座すら投げ捨てて去ったのか」

アラリックは夜空に浮かぶ孤月を見上げた。皇帝となって一年。手に入れたはずの絶大な権力は、自分を縛りつける透明な鎖に過ぎなかった。味方は誰もいない。血のつながった家族でさえも、牙を隠した狼なのだ。

吹き抜ける二月の寒風が、若い皇帝の頬を刺した。アラリックは身震いし、静かにマントを羽織り直した。明日もまた、裏切りと欺瞞に満ちた宮廷の朝がやってくる。この暗闇の中で、自らが真の皇帝として立ち上がる日が来るのか、それとも傀儡のまま歴史の闇に消えるのか——孤独な葛藤は、果てしなく続いていくのだった。

◯オーレリア帝国


◯帝都オクタヴィア


◯太皇太后

アデレード・フォン・シュタインベルク

皇太后の叔母

皇帝の祖母。


◯皇太后

ジュリエット・フォン・シュタインベルク

皇后の叔母。

皇帝の母。


◯皇后

ロザリア・フォン・シュタインベルク

皇太后の姪。

皇帝の従妹。 


◯皇帝アラリック

旧第二皇子。

皇后の従兄。24歳。

ジョヴァンニの甥。

リヒャルトの孫。


◯リヒャルト・フォン・シュタインベルク

三公、司徒(民政・内政を統括)。

太皇太后の兄。皇太后の父。皇后の祖父

皇帝の祖父。


◯ ヴァレリオ・フォン・ボルゲーゼ

三公、太尉(軍事を統括)。

旧第三皇子イザークの叔父。

皇位継承時のヴァルハルト乱にて、第1皇子ヴァルハルト軍を撃破。その功により大将軍から太尉のなった。(実質、軍権のとり上げ)


◯旧第三皇子イザーク

皇帝アラリックの異母弟。

皇位継承時のヴァルハルト乱にて、第1皇子ヴァルハルト軍を撃破。その功により旧第一皇子の所領。西南へ百二十キロメートル。実り豊かな領地を当たれあれ、ボルゲーゼ親王領とした。現地を統治している。


◯ ベアトリクス・フォン・オルデンブルク

三公、司空(土木・国家事業を統括 )。


◯ マートル・フォン・ブライトクロイツ

中書令

旧第4皇子の叔父。

ブライトクロイツは名家。

貴妃ソフィアの弟


◯ ゲオルグ・フォン・フェルゼン

侍中

老獪な政治家。



◯ジョヴァンニ・フォン・シュタインベルク

尚書令しょうじょれい。尚書省の長官。

リヒャルトの息子。皇太后の兄。皇后の父

皇帝の叔父。


◯アルヴェリア親王イリアード19歳。

アラリックの異母弟。

帝都の南東に百五十キロメートル離れた大湿地帯。アルヴェリア領を現地にて統治している。

昨年の、皇位継承の際。少数の手勢のみ率いて迅速に帝都に入り、近衛軍と皇帝親衛隊を掌握して、アラリックの即位を支持した。その功績により、アラリックより帝国元帥の位を打診されたが、低調に辞退しアルヴェリアに戻った。


◯ ソフィア・フォン・ブライトクロイツ

旧貴妃。ソブリナ王太妃。旧第4皇子の母。

ソブリナ親王の母。

中書令マートル・フォン・ブライトクロイツの姉。


◯旧第4皇子ロデリック

ソブリナ親王。生まれながらの貴公子。


〇アルヴェリア

主に大運河の重要都市ベラグランデの対岸にある小さい町の名前であった。

東部に広がり、東海までの広大な湿地帯は不毛の地として放置されており、

これらすべて含んだ地域を総括してアルヴェリアと呼ばれるようになっていた。

現在は親王領となっている。


〇アクアパレス

アルヴェリア湿地帯の中央付近に突如出現した。流麗華美な水の都。

アルヴェリア親王府が置かれ、アルヴェリア全体の行政の中心地となっている。


〇ソルトラグーン

アルヴェリア北東部にて細々と干潟で製塩が行われていた名もなき集落の集まりであったが、

親王の統治が開始されて以来、水門と堤防で囲んだ塩水湖が作られた。

その一帯をソルトラグーン名付けられ製塩の一大拠点として変貌した。


〇先帝ヴィンセント

帝国前皇帝。アラリックの父。イリアードの父。イリアードの母フレデリカは彼の側室である。



〇帝都オクタヴィア

帝国の首都。


〇大河アシェロン

帝国南部と中央を東西に走る雄大な河川。


〇フルヴィアルト

アルヴェリア南部の町。大河アシェロンの河口近くにあり、南の対岸には帝国直轄領の都市、フローラブルグがある。


〇フローラブルグ

大河アシェロンと東海を交差する位置にある。帝国直轄領の都市。

交易の重要拠点であり、古代の国の首都となる事が多い重要地域として帝国直轄領となっている


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。