『オーロラ・レリーフの残響』
12月の帝都オクタヴィアは、静謐な白に包まれようとしていた。
そのほぼ中央に聳え立つ『真理の光教団』の大聖堂。その重厚な石造りの屋根には、いつの間にかうっすらと雪が積もり始めている。窓の外を眺めれば、チラチラと粉のような美しい白の小片が、舞い散るようにして今年の終わりを静かに告げていた。
その大聖堂の一室。高い天井とステンドグラスから差し込む淡い光に満ちた部屋には、張り詰めた、しかしどこか知的な熱を帯びた空気が流れていた。
集まっているのは5名。大司教の座に就いたカシアン・ヴァロア。気品を纏う貴妃セシリア、思慮深げな四つ葉堂の巫女ココロギ、そして若き皇女シンシア。最後に、かつて滅亡したアジール半島のダラーン王国において『至高の頭脳』とまで称えられた男――枢機卿スライロ・ハスラが、古都ラーナへの派遣から戻り、席に着いていた。
スライロは、ラーナの大聖堂地下に眠る古文書庫の調査で苦戦している同僚、枢機卿ヴォルフラムの応援のために現地に滞在していたが、現段階で紐解かれた驚くべき歴史の真実を報告するため、一時的に帰国したのである。
スライロは机の上に古い写本の断片を広げると、眼鏡の奥の鋭い瞳を一同に向け、静かに口を開いた。
「まず、錦族の成り立ちについてです」
彼の低く落ち着いた声が、静かな部屋に響く。
「従来、彼らの発祥はアスクアルブ周辺と考えられていましたが、解読を進めるうちに、ゲンドラス教国からこの大陸へと渡ってきた形跡が見つかりました。彼らはアスクアルブに達したのち、その卓越した技術で絹の錦織を盛んに行ったようです。その全盛期、現在のオーレリラと呼ばれる地域は、まさに錦族が中心の地でした。古い記述を推測するに、オーレリアという名の語源は、間違いなく『錦織』を織りなす民、という意味の解釈で相違ありません」
スライロは一度言葉を切り、深く息を吸うと、さらに衝撃的な事実を告げた。
「そして……古都ラーナについてです。結論から申し上げれば、現在のラーナは偽物――つまり、後世に複製された都市に過ぎません」
「偽物……?」
シンシアが小さく息を呑む。スライロは頷き、地図の一点に指を置いた。
「本当のラーナは、アルヴェリアのアクアパレス付近で地中に埋もれている可能性が極めて高い。巷で噂されるアシュウェストの水没都市は、歴史の根幹においてはさほど重要ではないのです。実際、あの禍々しい『黒山羊の儀式』もアシュウェストではなく、アルヴェリアのアクアパレス寄りの場所で行われたと聞いています」
彼は指を動かしながら、歴史の因果を紐解いていく。
「順序を整理しましょう。かつて錦族のオーレリアのただ中にラーナという都市が興り、彼らは『偉大なるラーナ人の国』という意味を込めて『アルストラーナ』と名乗りました。しかし、何らかの理由によって、初代ラーナは容赦ない土砂崩れか何かに巻き込まれ、文字通り埋められてしまった。そして、その報復として……今度はオーレリアが激しい水攻めに遭い、水没させられたのです。これこそが、現在のアルヴェリアが広大な湿地帯となった理由です」
スライロの語る凄惨な過去の報復劇に、部屋の空気が一段と冷え込む。
「その大災害の中で、燕国と東海諸島付近の錦族は辛うじて生き残りました。また、遥か西へと逃れた者たち、あるいは西へ赴いた者たちが、かつてのラーナの威光を懐かしみ、それを模倣して新たなラーナとアルストラーナを築いたのです。東西で同じ『天信教』を掲げながらも、教会が二つに分断されていた理由がここにあります。西の教会は、皇帝に宝冠を被せる儀式を執り行う権力を持っていました。つまり、東の天信教が西へと移動し、模倣のラーナを作ることで、教会を国家よりも上の権威へと押し上げたのでしょう。
そして、アルベリアのラーナ人とは、すなわち『リヴィエール』の血統ではないかと推測されます。土砂に埋もれながらも生き残った一部の者たちが、怒りのままに報復としてオーレリアを水没させた……。当時のオーレリアの首都はアンチアルマでしたが、彼らは財宝を逃がす余裕すらなく、一瞬にして全滅したのだと思われます。その後、ラーナの生存者の子孫は、自らの正体を隠すように『リヴィエール家』を名乗り、アルヴェリアの地でひっそりと暮らしてきたのでしょう。また、問題の『紫災石』ですが、やはりアシュウェスト付近での材料の流通や動きが顕著ですから、あの地域で独自に開発されたものと見て間違いありません」
一通りの報告を終えたスライロが言葉を収めると、それまで静かに耳を傾けていたセシリアが、ふっと物憂げに視線を落とした。彼女の白い指先が、自身の胸元にそっと触れる。
「リヴィエールの血統……やはり、気になりますわね」
セシリアは、どこか遠くを見るような目で呟いた。
「我が一族に伝わる伝承では、私たちは古くからこの地に漂流してきた『異国の民の末裔』とされてきました。ですが、アルヴェリアは沿岸部ではありません。幼い頃から、その矛盾がずっと気になっていたのです。他の一族と交じり合って血が薄まることもなく、奇妙なほど近い血統を守り続けてきたのも不思議でした。何より……本家よりも、私たちルミナリア・リヴィエールの血筋の方が、なぜか引き継ぐ力が強いのです。最近では、錦族の者と婚姻を結んで生まれた子供に、より高い能力が発現する傾向があります。元々、我が家系で突出して特殊だったのはルシアとシェルランテですが……ルシアを産んだ私でさえ、なぜこれほど特別な力を持つ子が生まれたのか、理由が分からないのです」
セシリアの告白に、スライロは深く頷き、励ますように言葉を返した。
「『黒山羊結社』が、何としてもリヴィエールの血を抹殺しようと躍起になっているのは、これで確実となりましたね。ですが、ルシア様が新たに教国を建国されたのは、まさに妙案、至高の一手でした。いかに結社といえど、二つの巨大な拠点を同時に相手にするのは極めて困難ですから」
その時、これまで黙って思考を巡らせていたココロギが、ふと顔を上げた。
「……紫災石を、過去にそれほど大々的に使ったのだとすれば」
ココロギの声には、確かな確信が混じっていた。
「それはやはり、原初のラーナを土砂で埋め尽くすためだったのではないでしょうか。結社側が何かを封じるためにラーナを生き埋めにした。しかし、そこから生き残ったリヴィエールの先祖が、激しい怒りとともに報復に転じた……。それこそ、やられたことの『3倍返し』と言わんばかりの苛烈な水攻めです。当時のオーレリアにも異能を操る者がいて、土砂を操って都市を埋めた。一方で、特別な力は持たずとも、ただその血脈だけを受け継いで生き延びた人たちもいる。だからこそ今、錦族とリヴィエール――かつて仇敵同士だった二つの血が交わることで、眠っていた強力な異能が再び発現する場合があるのではないでしょうか?」
ココロギは少し声音を和らげ、はにかむように自身の両親のことを口にした。
「私の母はリヴィエールの血を引き、父は錦族です。ですが、家での二人は、どこにでもいるような普通のおじさんとおばさんですよ?」
その言葉に、セシリアは思わず口元を綻ばせ、小さく苦笑した。
それもそのはず、ココロギの母親は、目の前にいるセシリアよりもさらに年下なのだから。張り詰めていた部屋の空気が、一瞬だけ和らぐ。
ここで、大司教カシアンが、自身の顎に手を当てながら、深く重みのある声で会話に加わった。
「ふむ……となると、あの伝説の『黄金の獅子剣』と『聖剣アウレリアス』も、ちょうどその激動の時代に制作され、戦場で振るわれたものと考えられますな」
カシアンの瞳に、聖職者でありながらも元宦官として歴史の謎を追う者としての光が宿る。
「その名から推測するに、聖剣アウレリアスはラーナ人の手によるもの、そして黄金の獅子剣は錦族の手によって作られたものではないでしょうか。特に聖剣アウレリアスについては面白い逸話があります。現在の聖都クリスタルヘイムの傍らに聳える、あの険しい山の頂に突き刺さっていたものを、商売上手なノバージェの商人が見つけ出し、当時のオーレリアの皇帝に売りつけたのだそうです。いくら聖剣とは言え、いささか見栄を張って大金で購入したものらしいのですが……元会儀礼の凄惨な惨劇の最中、その刃が禍々しくも蒼い光を放っていたと聞いています。それほど強力な『聖なる剣』が作れる時代だったのなら、その対極にある『紫災石』のような恐るべき結晶が作られていたとしても、何ら不思議ではありませんね」
カシアンの言葉を受け、ココロギの表情が再び引き締まった。
「……実は、10月の水明宮の襲撃の際、敵が展開した結界は、いつもの不気味な紫ではなく、『赤紫』の光を放っていました。彼ら黒山羊結社も、こちらの対策や動きを敏感に察知し、術を工夫してきているのです。……次は、これまでの方法では結界の破壊が困難になるかもしれません」
その言葉に、それまでずっと気になっていた様子のシンシアが、身を乗り出すようにして尋ねた。
「あの、ココロギ……。あなたが最近、四つ葉堂にこもって熱心に新しい飴を工夫して作っているのって……ひょっとして、それと関係があるのですか?」
「ええ、その通りです」
ココロギは小さく頷き、懐から色とりどりの手作りの飴を取り出した。
それは、彼らの大切な仲間であるシェルランテの大好物――牛乳飴だった。しかし、いつもの真っ白なものではなく、いちごミルクの淡い赤や、オレンジミルクのみずみずしい色が、綺麗なマーブル模様を描いて混ざり合っている。
「黒山羊結社の結界の色が変わるのなら、こちらの術もそれに適応させなければなりません。異なる性質の力を『混ぜて作る』ことで、新たな結界破壊の触媒にできないか、試行錯誤を繰り返していたのです」
ココロギの真剣な眼差しを見て、シンシアは内心で激しくうろたえ、そして深く反省した。
(私ったら……ただシェルランテを甘やかして太らせるための、悪魔の罠だとばかり思っていたなんて……!)
窓の外では、変わらず静かに雪が降り続いている。しかし、大聖堂の分厚い壁に守られた一室で交わされる言葉の数々は、遠い過去の因縁を呼び覚まし、来たるべき結社との決戦に向けて、静かに、しかし確実に牙を研ぎ澄ましていた。




