『月と風の使命』
極彩色のステンドグラスを通じて差し込む光が、静寂に包まれた大礼拝堂の大理石の床に幾何学的な影を落としていた。高天窓から降り注ぐ光輪は、漂う微細な塵さえも神秘的な輝きへと変えている。
奥の重厚な扉が滑るように開くと、静寂を纏った『神託の聖母』エミーナが姿を現した。
ココロギとシンシアは打ち合わせたように滑らかな動作で片膝をつき、深く頭を垂れた。頭上で反響する二人の声は、清廉な誓いのように礼拝堂へ溶けていく。
「我が敬愛する『神託の聖母』様。神の御心をお伝え願います」
「お立ち下さい、ココロギ、シンシア。よくいらっしゃいましたね」
エミーナの歌うような透き通った声が流れた。彼女は優しい微笑みをたたえながら、二人へ近づく。
「今日はここに私達しかいません。堅苦しいお芝居はやめましょう。こちらへ」
エミーナの細くしなやかな指先に導かれ、二人は用意された木彫りの椅子へと進んだ。若き二人は恭しく一礼を捧げ、浅く腰を下ろす。
エミーナは二人の目元を包み込むような温かな視線で見つめ、緩やかに口を開いた。
「私はあなた達くらいの年頃の時、アルヴェリア親王家に仕えていました。本来ならば私の方が片膝をついて首を垂れるべきですね? シンシア」
「いいえ。そのようなことはあってはなりません」
シンシアは驚きに胸を小さく上下させ、首を横に振った。エミーナは優しく首を傾げ、言葉を重ねる。
「私は神と、とある高貴な方の導きによって今ここであなた達と顔を合わせています。私もまだ学びが足りない身。もし間違いがあれば指摘してほしいのです。心に刻みますから」
「恐縮にございます……」
「シンシア」
「はい」
「なぜ今日、あなたにここへ来てもらったのかをお話しすべきですね」
「はい。教えを請いたいと思います」
エミーナは椅子の背にゆったりと身体を預け、悠久の時を見据えるような眼差しで語り始めた。
「先程も申した通り、私はとある高貴な方に導かれました。それはゲンドラスも、ヴォルフラムも同じです。そして私達は皆、今に満足し、やる気に溢れ、幸福感に満たされています。だからこそ、多くの人々に同じように幸福を感じてほしいと願っている……なぜそう思うのか、分かりますか?」
「至らぬ故、教えを請いたいです」
シンシアが小さな声で答えると、エミーナは頷き、その表情にふっと深い慈愛を宿した。
「使命を知り、使命を果たしているからです。人には生まれ持った役割があります。一番簡単な例でお話ししましょうね」
「はい」
「子の役割は、親に自我への満足を与えることです。『自分が産んだ子供は素晴らしい』『自分を頼っている』『自分が生み育てたから立派に成長した』『感謝してくれている』……これを与えることで、親は本当の幸福感を得られるのです。——シンシア。それなのに、あなたはどうでしたか?」
その言葉が落ちた瞬間、シンシアの身体が大きく跳ねた。 彼女の大きな瞳からふつふつと溢れ出した涙が、頬を伝って膝の上へポロポロと落ちていく。
「親と会わない。親と会話しない。親に笑顔を見せない。親に感謝の気持ちを伝えない……そうして生きて来ましたね?」
「はい……そうです……っ。私は、ダメな子です……」
息を詰まらせ、両手で顔を覆うシンシアの肩が激しく震える。エミーナは静かに立ち上がり、静寂の中にその透き通る声を響かせた。
「私は先程、使命を知り、使命を果たしなさいと言いましたね。あなたの使命を教えましょう」
涙に濡れた顔を上げたシンシアに、エミーナは力強く、けれどどこまでも優しい眼差しを向けた。
「シンシア。あなたは『月の光纏いし風の妖精』です。月と風の役割を持って生まれて来ました。月は太陽無き時に世界を優しく照らし、風は木々の種子を運び、果実を実らせます。あなたの横にいるココロギは世界樹です。新たな世界樹の種を蒔き、果実を実らせ、太陽の無い暗闇を退けて優しく照らす……これこそが、あなたの使命なのです」
答えのない問いに惑わされていた少女の心に、真実の言葉が染み渡っていく。 静まり返った大礼拝堂にはただ、シンシアの切ない嗚咽の音だけが幾重にも反響していた。
エミーナはそっと胸元から、時を経て琥珀色に褪せた古びた羊皮紙を取り出した。
「ここにとある高貴な方の、あなたへの手紙があります。13年前……あなたが産まれる前に書き記され、あなたがここへ来た時に渡してほしいと私に託された手紙です。そして、この聖ゲンドラス教国と聖都クリスタルヘイムは、あなたの為に用意された国であり、聖なる都なのです」
「え……? わ、私の、為に……?」
驚きに息をのむシンシアの手へ、エミーナの手から羊皮紙が滑り込む。震える指先で羊皮紙を開くと、そこには気品溢れる美しい筆致で、未来の妹への愛が綴られていた。
『私が愛する大切な妹シンシアへ。クリスタルヘイムに来た暁には『真光の巫女』の称号を与えます。あなたの姉。ルシア・フォン・アルヴェリア』
「あっ……あああっ……!」
手紙を胸に抱きしめ、シンシアはその場に崩れ落ちるように号泣した。横で見守っていたココロギも、そして同行していたセシリアも、溢れ出る涙を止めることができなかった。
13年前、未だ見ぬ妹の誕生を予見し、この地に『真理の光教団』を打ち立て、教国と聖都クリスタルヘイムを創り上げたルシア。時を超えて届いた姉の深い愛が、今、迷い子だったシンシアに生きる意味と真の役割を授けたのだった。
「うぁぁぁっ……あぁっ……!」
泣き続けるシンシアの身体の奥底、その魂の深淵から、まるでマグマのような熱く熾烈なエネルギーがふつふつと沸き上がってくるのを彼女自身が感じていた。暗闇の中で凍えていた心が熱を帯び、全身の血が脈打つ。
己が何者であるかを知り、愛されていた記憶を呼び覚ました少女は今、真の覚醒を迎え、全身に満ち打つ不可侵の力を解き放とうとしていた。




