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『オーレリア戦記』  作者: りあと
外伝『月の光纏いし風の妖精』
245/287

『真夏の後宮と光の神秘札』

真夏の陽光が降り注ぐ後宮の一角。クローバーの青葉に優しく埋もれる小さな礼拝堂――通称「四つ葉堂」では、いつものようにうさぎたちが愛らしく庭草をはんでいた。 しかし今日ばかりは、食べることに余念がないうさぎたちでさえふっと口を動かすのをやめ、心配そうに堂内を覗き込んでいる。

それもそのはず、皇孫女シェルランテが、この上なく不機嫌に大きな泣き声を響かせていたからだ。 お世話係のココロギには、生後七ヶ月になるこの赤子がなぜこれほど憤っているのか、よく分かっていた。昨日の聖ゲンドラス教国で行われた記念式典に、自分だけ連れて行ってもらえなかったからである。自力で空間転移ができるほどの特別な力を持つ幼子でありながら、セシリアとココロギからその計画をすっかり伏せられていたのだ。「この裏切り者め!」――シェルランテの涙の底には、そんな幼い呪詛すら透けて見えるようだった。

「よし、よし、シェルランテ様。どうかお泣きにならないでくださいな。皇太子妃様がお見えになって、私、叱られてしまいますわ」

泣きやまぬ赤子をなだめるように、ココロギはあたたかな声をかける。

「さあ、四つ葉牛乳ですよ。とっても美味しいですよ」

竹筒で作った特製の哺乳瓶を口元へ運ぶと、シェルランテの感情がどうあれ、その小さなお口はしっかりと塞がれた。途端に、四つ葉堂へ穏やかな静寂が戻ってくる。様子を窺いに近寄っていた牛や山羊たちも、胸を撫でおろすようにそれぞれの持ち場へと戻っていった。

シェルランテはすっかり機嫌を直し、満足そうに両手で竹筒を支えながらゴクゴクと牛乳を飲んでいる。

「わぁ……ココロギは、シェルランテをあやすのが本当に上手ですね」

そっと覗き込んだ皇女シンシアが、感心したように吐息をもらした。

「ねぇ、ココロギ。私もシェルランテを抱いてみてもいいかしら?」 「もちろんでございます、シンシア様。では、バトンタッチいたしますね」

ココロギの手から、柔らかく温かな温もりがそっとシンシアの腕へと委ねられる。

「シェルランテ、おばちゃまですよ。美味しいですか?」

語りかけると、シェルランテは竹筒を両手でしっかりと押さえたまま、キャッとお顔をほころばせた。

「ココロギ! シェルランテが笑いましたわ! 可愛い……なんて愛らしいのでしょう!」

これまで人との関わりに心を閉ざし、鬱屈とした思いを抱えていたシンシアの中で、その瞬間、何かが弾けて消えた。胸の奥底から込み上げる、命そのものの愛おしさ――それを確かに実感したのである。

その様子を見つめながら、ココロギはそっと手を合わせ、静かに目を閉じた。シンシアのための「神秘札」を紡ぎ出すために。

シンシアが所持する札の数は、いまや四百枚に達しようとしていた。彼女はこの札の最多保有者である。そしてこれは、ココロギが『至高の光巫女(ハイ・プリエステス)』という高貴な称号を授かってから、初めて作製する特別な神秘札でもあった。

やがて完成した札を、赤子を抱いて手が塞がっているシンシアの目の前へそっと提示する。

「ありがとうございます、ココロギ。今日の札は……とても心に響きますわ」 「私も拝見してよろしいでしょうか?」 「ええ、もちろんです」

現れた神秘札には、大人の女性に背後から優しく抱きしめられている少女の姿が描かれていた。きっと、皇后リゼリアに抱かれた幼き日のシンシアなのだろう。 絵の傍らには、美しい文字でこう刻まれていた。

――『愛し、愛されている事を知るべし。すべての願いは叶わん』

「なんだか、とても素敵な札ですね……」

ココロギがしみじみと眺めていると、シンシアがくすりと微笑んだ。

「ふふ、それはココロギ、あなたが作った札でしょう?」 「あっ、そうでしたわ! 私ったら、なんだか変ですね」

二人の若々しく澄んだ笑い声が、光の差し込む堂内に心地よく響き渡る。 かつて人に心を開かず、ただ内に篭ってばかりいたシンシアが、いま花がほころぶように笑っている。

(シンシア様が、あんなにも楽しそうに笑っていらっしゃる……)

その笑顔を見つめるココロギの心の中にも、これまではただの名ばかりであった『至高の光巫女』から、真に人々の心を照らす本物の巫女になりたいという、強い願いと情熱がふつふつと湧き上がってくるのだった。


登場人物一覧表

エミーナ・リヴィエール: セシリアの元侍女で、ルミナリア・リヴィエールの血脈を引き異能の力を持つ人物。アルヴェリア親王軍の水明艦隊特攻隊長として戦功を挙げ「東海の鬼女」と恐れられた。アレスと結婚し、ツルギとミタマの母となる。後に新たな「神託の聖母」となる。

アレス・マクウェン (アレス・サイリュン / 崔亜無): 航海長や艦隊副長を歴任した優秀で勤勉な人物。エミーナの夫であり、ツルギとミタマの父。教皇ゲンドラス(崔厳)の長男で、ココロギの異母兄。司教兼新たな聖騎士団長に就任する。

ツルギ・マクウェン (ツルギ・サイリュン / 崔剣): アレスとエミーナの息子(12歳)で、ミタマの双子の兄。男子としては珍しく異能力を発現させた戦士。崔厳の孫。

ミタマ・マクウェン (ミタマ・サイリュン / 崔御玉): アレスとエミーナの娘(12歳)で、ツルギの双子の妹。リヴィエールの血を引き、高度な水術や「新星爆発」などの技を扱う。崔厳の孫。

ルシア・フォン・アルヴェリア: アルヴェリア親王国王女で、「四つ葉の錫杖」を振るう圧倒的な強さを持った騎士・戦士・巫女。戦死後、皇太子の幼い皇女「シェルランテ」として転生・復活を果たした。

ココロギ・サイリュン (崔心木): 「真理の光教団」の巫女で、教皇ゲンドラスの実娘。後宮の「四つ葉堂」に住まう。空間跳躍や神秘札の作成などの異能を持つ。後に「至高の光巫女(ハイ・プリエステス)」の称号を授かる。

セシリア (セシリア・リヴィエール): 帝国後宮の「貴妃」で、水明宮に居住するルシアの実母。古琴の名手で、気品と冷徹さを併せ持つ傑物。リゼリア皇后とは従姉妹であり親友。

シェルランテ: 皇太子夫婦の間に生まれた皇孫女(中身はルシアの復活体)。「白鷺姫」と呼ばれ、宝物や巨大なマグロを出現させる能力、千里眼、空間跳躍などの異能を持つ。

イリアード: 第15代皇帝で、ルシアの実父。かつて「軍神」と称されたが、現在は孫のシェルランテを溺愛している。

リゼリア (リゼリア・リヴィエール): 帝国後宮の最高権力者である「皇后」で、水鏡宮に座す。冷静沈着な頭脳と高い威厳を持つ。セシリアの従姉妹。

シルヴィア: 春宮(白鷺宮)に住まう若き皇太子妃で、シェルランテの母。夫の不始末に悩みつつ二人目を妊娠中。配下の宮女たちに優しい気品ある人物。

ゲンドラス・サイリュン (崔厳): 聖ゲンドラス教国の教皇で、ココロギとアレスの実父。超常的な力は持たないが、高い政治統治能力を持つ一流の政治家・元宰相。

ヴィオ: ルシアに鍛え上げられた側近・従者で、仕込み錫杖による二刀流の使い手。紫の儀式で憑依を受け、ルシアを刺した後にリアムに斬られ絶命した。

ビー・スー: ルシアに付き従う側近で、南部の孤島の王国末裔。「真理の光教団」の司教を務める。

ヴォルフラム: 「真理の光教団」の枢機卿で、切れ者の元・吟遊詩人・達人の剣士。

アルル: 水鏡宮(水明宮)の女官で、伝言役を担う。

ベルトト: 皇后付き女官長を務める優秀な女性で、ベルナデットの妹。

リアム: 皇帝イリアードと皇后リゼリアの息子の皇太子で、武芸に長ける。女官エレノアに手を出したことで家族や周囲から冷遇・疎外されている。

エレノア: リアムと関係を持った元平民出身の女官。芙蓉宮に住まい、昭訓へ昇格・懐妊した。

レオン・リヴィエール: リヴィエール商会・リヴィエール銀行を統括する財団の理事長。

ベルナデット: レオン・リヴィエールの妻で、ベルトトの姉。財団の実務と情報網を支える。

フレデリカ: かつて翡翠宮で過ごした皇太后。

ロザリア: 昨年の元会儀礼で紫の憑依を受けた人物。

ルネッタ: セシリアの妹。

シンシア: 人との関わりに心を閉ざしていたが、シェルランテやココロギと触れ合う中で笑顔を取り戻していく皇女。神秘札の最多保有者。

用語集一覧表

真理の光教団: ゲンドラス・サイリュンを教祖としてルシアが設立した宗教組織。紋章は四つ葉のクローバー。

心木 (しんぎ / こころぎ): 教団の教義において、宇宙の中心にそびえ立ち全生命の魂と心を繋ぎ止める世界樹。

四つ葉のクローバー: 教団や聖ゲンドラス教国、ルシアたちのシンボルで、「希望」「信仰」「愛」「幸福」を象徴する。

四つ葉の錫杖: ルシアが愛用する、片手剣のように扱う片腕ほどの長さの錫杖。

神秘札 (しんぴふだ): ココロギが集中して創り出す札。未来の出来事や真実が絵と文面で浮かび上がる。

六棘の霜華 (ろっきょくのそうか): 「霜華の女王ルシア」を象徴する結晶の紋章、および義賊組織の名称。

白紅蓮花 (はぐれんか): アルヴェリア親王家の威厳を象徴する蓮の花の刺繍・紋様(白紅はルシア、黄色はセシリア)。

リヴィエール一族 / リヴィエールの血: 異国の漂流民の血を引くとされる土豪の一族。美貌と空間跳躍などの強い異能の発現が特徴。

アンチアルマ: 七十万もの軍勢が激突した、古都アンチアルマ周辺の広大な戦場平原。

オーレリア帝国: 大陸の東側三分の一を領する大帝国。帝都はオクタヴィア。

アルストラーナ帝国: オーレリアと敵対する巨大帝国。

グラッチェ: アルストラーナ帝国の最前線を任される強靭な騎馬民族。

聖ゲンドラス教国: ゲンドラス・サイリュンを国家元首とする「真理の光教団」の国家。首都はクリスタルヘイム。

ルミナリア: 「花の都」と呼ばれる都市で、セシリアの故郷・ルミナリア・リヴィエール家の本拠地。

翡翠宮 (ひすいきゅう): 後宮の最奥にあり、かつて皇太后フレデリカが過ごし、皇帝イリアードが生まれた居館。

水鏡宮 (すいきょうきゅう): 後宮最高権力者である皇后リゼリアの居館。

水明宮 (すいめいきゅう): 貴妃セシリアの居館。

四つ葉堂 (よつばどう): 後宮の片隅にある教団の礼拝堂で、ココロギの住まい。

東宮 / 春宮 (とうぐう / しゅんきゅう): 皇太子および皇太子妃シルヴィアの居館(別名:白鷺宮)。

芙蓉宮 (ふようきゅう): 昭訓エレノアの住まう館で、大量のカラスが集まることから「カラス屋敷」と陰口を叩かれている。

政教商の一致: ルシアが目指した思想で、宗教・国家・経済・義賊を連動させ、世の中の歪みや貧富の差を還流・是正する仕組み。

リヴィエール商会 / リヴィエール銀行: 帝国の経済を動かす政商および中央銀行の役割を果たす組織。本拠地は帝都オクタヴィア。

神古銀鉱 (じんこぎんこう): 目に見えない“何か”を常時放出し、裏社会で高額取引されている正体不明の鉱物。

紫光巻貝 (しこうまきがい): 紫色に発光する珍しい巻貝で、内臓から採れる特定の分泌液精製品が高額で取引されている。

黄金の獅子剣: オーレリア帝国全軍の指揮権を与えられた者のみが持てる権威の象徴である至宝。結界の力を無効化する性質を秘める。

念創: 一度目に焼き付けたものや明確にイメージできるものを、構造や仕組みごと具現化するセシリアとココロギの特別な能力。

破邪顯正 (はじゃけんしょう): 『黄金の獅子剣』と『聖剣アウレリウス』の意匠を模してセシリアとココロギが作成した長柄の錫杖。

紫の憑依 / 紫の結界: 正気を失わせ狂人化させたり、特定の場所で異能を喪失させたりする邪悪な力・現象。

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