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『オーレリア戦記』  作者: りあと
オーレリア外伝『復讐の怨嗟』帝国歴306年
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オーレリア外伝『復讐の怨嗟』その7

文明発祥の地。かつて大陸全土に君臨し、永遠の繁栄を誇ると謳われた大秦帝国――またの名をオーレイア帝国は、北方の苛烈な騎馬民族「グラッデェ」の軍勢によって滅亡を迎えてから、すでに数年の歳月が流れていた。

かつて帝国の心臓であり、今や新たな支配者の都となったラーナ。その地平線が仄かに白み始める頃、この大都市はすでに、特有の狂騒の予感に満ち満ちていた。

「……ふぅ」

パラヌス宮殿の豪奢な寝台の上で、ひとりの男が目を覚ました。

グラッデェの偉大なる首領、エスゲイ・バールの次男であり、今やこの広大な版図を統べる若き王――ベグである。

彼が上体を起こすと同時に、重厚な石造りの宮殿の窓から、地鳴りのような唸りが低く響いてきた。大都市ラーナが覚醒する音だ。

日中の通行を厳しく禁じられた物流の荷車が、夜明け前の闇を切り裂くように石畳を叩いていく。家路を急ぐ御者たちの荒々しい怒号。網の目のように伸びる無数の路地。そして、五層にも及ぶ高層住宅の群れから、一斉に立ち上る生々しい生活の気配。

窓からは、パンの焼ける香ばしい匂いと、朝食のために薪を燃やす煙が混ざり合って流れ込んでくる。だがそれだけではない。放置されたゴミの腐敗臭や、下水道から漂う湿った饐えた匂いまでもが混然一体となり、濃密な空気となって部屋を満たしていた。

美と醜、富と貧困。それらが渾然一体となったこの息苦しいほどの空気こそが、世界の中心たる大都市の「呼吸」そのものだった。

ベグは寝間着を脱ぎ捨て、王としての衣を身にまとう。早朝の冷気が満ちる宮殿の回廊へと歩みを進めると、すでにそこには無数の人々が息を潜めて待っていた。

大理石の重厚な列柱の間を埋め尽くすのは、かつての栄華を忘れられない大秦の旧貴族たち、戦功を挙げて傲慢に胸を張るグラッデェの将軍たち、そして新たな王の庇護と利権を求めて遥か異国から集った商人たちだ。

ベグが姿を現した瞬間、張り詰めた沈黙が回廊を支配した。

「陛下、本日も健勝であられることを」

誰からともなく、臣民たちが一斉に深く頭を下げた。

ベグは傲然と見下ろすことはせず、一人ひとりの顔をじっと見つめ、静かに視線を送りながら、時に短い言葉を交わしていく。大秦を平定し、グラッデェの領土を極限まで押し広げた栄光。それは確かに彼の武功によるものだった。しかし、ベグは知っていた。この広大な帝国は、彼らラーナ市民の支持と忠誠がなくては、一日たりとも維持できないということを。

王とは神のごとき絶対の支配者ではない。このラーナという壮大な人間機構を、軋ませることなく円滑に回すための、最大の奉仕者に過ぎないのだ。その自覚が、ベグの瞳に深い聡明さを与えていた。


◇

朝の謁見という義務を終えたベグは、強固な鎧に身を包んだ近衛兵たちを従え、大都市の中心部へと臨幸した。

街のあちこちにある水汲み場には、大きな水瓶を手にした奴隷たちが群がり、冷たい水を求めて押し合いへし合いしている。そこから少し離れた街角の露店からは、活気に満ちた声が飛び交っていた。肌寒い朝の空気に、温かいワインにスパイスと蜜を混ぜた飲み物の甘い香りが立ち上り、大釜で煮込まれる麦の粥を売る声が響く。これらすべてが、都市の血流だった。

やがてベグの行列が、富裕な貴族たちの邸宅が立ち並ぶ緩やかな丘へと至ると、先ほどまでの下町の喧騒が嘘のように静まり返った。

そこには、高大なる大理石の壁がそびえ立ち、精巧なモザイク画で彩られた白亜の建造物群が、圧倒的な威容で並んでいた。ベグ自らが建設を命じた壮大な議事堂や、かつての大秦帝国が誇った歴史ある元老院議事堂が、昇ったばかりの朝日に照らされて白く輝いている。

美しき彫像たちが立ち並ぶ広場には、王の到来を待ちわびる千を超す市民たちが、すでに色とりどりの衣装をまとって集結していた。

その華やかな光景を見つめながら、ベグの脳裏に、わずか一年前の悍ましい光景が突如としてよみがえった。

――オーレイア帝国歴305年。

グラッデェは、大秦の残党を完全に根絶やしにするため、35万という文字通りの大軍を動員し、帝国の古都アンチアルマへと再度侵攻した。勝利を疑う者など誰一人としていなかった。

しかし、その前に立ちはだかったのが、アンチアルマの守護者、ブランガ・オデュヌであった。

あの悪夢のような戦場。ブランガ・オデュヌの執拗かつ冷徹な防衛策の前に、グラッデェの無敵の騎馬軍団は次々と泥にまみれた。その戦いの中で、ベグは血を分けた弟、カガンを失った。さらに、幾多の戦場を共に生き抜いてきた一族の重鎮、叔父のタルスまでもが討ち死にを遂げた。

総大将であった父エスゲイ・バールは、放たれた矢によって右目を失う凄惨な重傷を負った。憤怒と屈辱に狂った父は、退路を確保するためにアンチアルマの街すべてに火を放ち、古都を跡形もなく焼き払って撤退するしかなかったのだ。

35万の軍勢を率いながら、身内の命を奪われ、這う這うの体で逃げ戻った大敗北。あの痛恨の記憶が、ベグの背中を冷たく濡らす。

だからこそ、ベグは理解していた。今、目の前で歓声を上げようとしているラーナの市民たちは、グラッデェが「無敵の覇者」であるからこそ従順なのであり、もし再びブランガ・オデュヌのような怪物に敗北すれば、この従順さは瞬時に牙へと変わるだろう。

ベグは呼吸を整え、ゆっくりと歩を進めて特設された演壇に登った。

彼がゆっくりとその右手を高く掲げた瞬間、広場を埋め尽くす群衆から、大音響の歓声が巻き起こった。広場全体が震えるような、地鳴りのごとき歓呼の嵐。

「ラーナ市民諸君!」

ベグの声は、よく通る太い響きを持って広場に響き渡った。一年前の敗北の影を、微塵も感じさせない覇王の声だった。

「我が民族は、諸君らと共に生きる。大秦の古い遺産は、今や我らの手によって新しく生まれ変わった。保証しよう、偉大なるラーナの安寧と繁栄は、今後も完璧なものであると!」

その宣言に、市民たちは狂気にも似た熱狂で応えた。

グラッデェの武力がもたらした最大限に拡張された国土。それは、ラーナの街に莫大な富を流入させていた。東方の果てからもたらされる極上の絹や眩い宝石、南方からの安定した穀物供給。

ベグを見上げる市民たちの眼差しには、世界を統治する覇権国の民となったことへの誇りと優越感が満ち満ちていた。

ベグは演壇の上で、その肌を刺すような熱気を正面から受け止めた。しかし、彼の胸を満たしたのは歓喜ではない。彼らの肥大化した欲望を永遠に満たし続け、かつ、アンチアルマでの雪辱を果たさねば、この帝国はたちまち崩壊するという、底知れない重い責務の自覚だった。


◇

正午を過ぎ、太陽が天頂真上に至ると、ラーナの街は容赦のない酷暑に包まれた。白大理石の石畳からの強烈な照り返しが、陽炎となって視界を歪める。

ベグは自らの名を冠した巨大な公衆浴場の建設現場を視察し、奴隷たちの働きを鋭い目で見定めた後、次なる目的地である円形闘技場へと臨幸した。

国王専用の特別席。天幕によって日陰が作られたその贅沢な席にベグが腰を下ろすと、すり鉢状の客席を埋め尽くした数万の観客が、一斉に総立ちとなった。

最下層の特等席に陣取るきらびやかな貴族たちから、最上階の天井近くにひしめき合う奴隷や貧民に至るまで。全ラーナの縮図が、この巨大な空間に凝縮されていた。

これほどの人口を抱える大都市の秩序を保つ秘訣は、極めて単純だった。すなわち、「至高の娯楽」と「安価な食料」を与えること。パンとサーカスこそが、民の不満を逸らすための唯一の麻薬なのだ。

眼下の砂地(アリーナ)では、すでに命をかけた決闘が繰り広げられていた。

身軽な「網闘士」と、強固な鎧に身を包んだ「重装闘技士」が、互いの隙を窺って火花を散らす。剣と剣がぶつかり合う高い金属音が響き、灼熱の太陽の下で飛び散る汗と、鮮血が砂を黒く染めていく。

一瞬の交錯の後、勝負は決した。重装闘技士の剣が網闘士の太ももを深く切り裂き、敗れた闘士が砂の上に膝をついた。

敗者は苦しい息の下から、特別席にいるベグの顔を見上げる。

同時に、数万の観客たちが一斉に拳を突き出し、その親指を突き付けた。「殺せ」か「生かせ」か。民は自らの興奮を王に委ね、王の決断を固唾をのんで見守る。

ベグは冷徹な目で砂地を見下ろし、静かに、親指の向きを示した。

歓声、あるいは落胆の叫び。どちらにせよ、砂の上で一つの命が処理される。

命のやり取りすらも完璧に統御する、国王としての絶対的な権能。それはあまりにも残酷でありながら、この巨大な王国を維持するためには、驚くほど合理的で機能的な「装置」であった。



◇

夕刻、凄惨な血の臭いが漂う闘技場を後にしたベグは、完成間近の広大な公衆浴場へと再び足を運んだ。今度は一人の男として、一日の疲れを癒やすために。

ドーム状の巨大な天井。その天窓から注ぐ黄昏の柔らかい陽光が、湯気で霞む空間を黄金色に染め上げていた。

ベグが温水の中にゆっくりと身を浸すと、重厚な甲冑を着て戦場を駆け巡っていた日々の記憶が、心地よい脱力感とともに遠のいていく。

しかし、湯に浸かってなお、アンチアルマで散った弟カガンの引き裂かれた絶叫と、叔父タルスの無念の形相、そして右目を血で染めてなお前線を睨み続けた父エスゲイ・バールの凄絶な姿が、湯気の中に陽炎のように揺らめいて消えなかった。

(ブランガ・オデュヌ……。貴様の頭蓋骨をこのラーナの門に掲げるまでは、真の安息などない)

ベグは心の中で、冷酷な誓いを新たにする。

湯船の周りでは、全裸となった市民たちが、身分の差などまるでないかのように肩を並べて語り合っていた。政治の議論、闘技場の結果、異国から届いたスパイスの市況。高らかな笑い声が水面に反射し、ドーム状の天井に心地よく反響していた。

衣服という階級を剥ぎ取られ、ただの人間として富と平和を享受する彼らの姿。これこそが、ベグたちグラッデェが血を流し、大秦帝国を滅ぼしてまで築き上げた「成果」そのものであった。この安らぎを維持するためには、裏でどれほどの血が流れようとも、王がそのすべてを泥にまみれてコントロールし続けねばならない。

やがて夜が訪れると、丘の上の宮殿から見下ろすラーナの街は、静かな暗闇と、怪しい狂騒が複雑に入り交じる「巨大な獣」へと姿を変えた。

暗い路地を行き交う松明の怪しげな火光。場末の酒場から漏れ出る下品な笑い声と、賭博のダイスを振る乾いた音。そして、それらの猥雑な闇の向こうに、月光を浴びて神聖に浮かび上がる白亜の神殿。

この街には、至高の繁栄と凄惨な暴力、神聖なる秩序と泥深い欲望のすべてが、いびつに、しかし確かに混在している。

支配者とは、その光と影のすべてを背負い、治めねばならない宿命にある。

ベグは宮殿のバルコニーに立ち、夜空に向かって真っ直ぐに聳える、自らの功績を称えた記念柱を静かに仰ぎ見た。

世界の首都ラーナ。この偉大なる、そして恐るべき都市が、明日も変わらず黄金の輝きを放ち続けることを、そして、一年前の屈辱を晴らすその日が訪れることを、若き王は心の底から願いながら、深く、夜の闇を吸い込んだ。


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