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『オーレリア戦記』  作者: りあと
オーレリア外伝『復讐の怨嗟』帝国歴306年
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オーレリア外伝『復讐の怨嗟』その1


風はいつの時代も、死者の記憶と敗者の怨嗟を乗せて草原を吹き抜けていく。

大陸北部に広がる大草原。かつては青々とした牧草と幾万の家畜、そして白き天幕(ゲル)がどこまでも連なる壮大な風景が広がっていた。しかし今、赤狼山脈の北を撫でる風は、焦土の臭いと乾燥した砂の冷たさを運ぶばかりであった。

二十五歳の青年ジルグードは、小高い丘の上にぽつりと立ち、眼下に広がる黒い廃墟を見下ろしていた。

そこはかつて、オテゲン皇国の誇り高き首都『マグナオリオ』が存在した場所である。赤狼山脈を越えた草原に聳え立った土壁の宮殿と賑やかな市街は、いまや影も形もない。オーレリア帝国の鉄騎によって焼き払われ、一筋の煙も残さぬ焦土へと変果てていたのだった。

「父上……そして、我らが同胞よ……」

ジルグードの掠れた呟きは、絶え間なく吹く灰色の風にかき消された。胸の奥で燻る灰色の火種が、チリチリと音を立てて彼の肉体を苛んでいた。

オテゲン皇国最後の王・ジグラタ。その四男として生まれたジルグードであったが、母が卑しい身分の出であったため、宮廷で正式な地位を与えられることはなかった。ただの「草むらの子」として扱われ、王族でありながら一人の遊牧民として馬を追う日々を送っていた。

だが、その冷遇こそが彼の命を拾うことになる。

オーレリア帝国歴三〇〇年。オーレリアの大軍が押し寄せた際、十九歳だったジルグードは遠方の放牧地に出ていたため、壊滅の瞬間を直接逃れたのだ。

破滅の報せはあまりにも唐突であった。

最盛期には王が「皇王」を自称し、大陸北東部で隆盛を誇ったオテゲン皇国であったが、燕国との分離を経て徐々に勢力を削がれていた。焦りを募らせた皇国はオーレリア帝国への侵略を試みたが、返り討ちに遭い、完全なる滅亡を迎えたのである。

皇国最強と謳われ『鬼将』と恐れられた将軍ガラクは、帝国の先鋒・イリアード率いるアルヴェリア親王軍と壮絶な死闘を繰り広げた末に戦死。王ジグラタは捕らわれの身となり、二万人にも上る民が捕虜としてオーレリア各地へと連行された。首都マグナオリオは跡形もなく焼き払われ、国家としてのオテゲンは、わずか数日のうちに歴史の表舞台から消滅したのだった。


◇

帝都オクタヴィアの北、大河コミュシュルツを挟んだ対岸に位置する地――ヴェルダン。

かつてオテゲン討伐軍が集結しただけの殺伐とした原野は、いまや荒い息遣いと土を掘り返す音に包まれていた。連行されてきた二万のオテゲン捕虜たちが、帝国の監視のもとで血の出るような開墾作業を強制されていたからである。

「おい、手を休めるな! 帝国の国土を豊かにするのが、お前たち野蛮人の務めだ!」

オーレリア軍兵士のけたたましい怒声とともに、革鞭がしなり、皮肉な音を立てて男の背を打つ。泥の中に倒れ込んだ男は、かつてマグナオリオの草原で名馬を育てることを誇りにしていた遊牧民であった。しかし今、その手に握られているのは手綱ではなく、重く冷たい鉄の鍬であった。

「我らは奴隷ではない……遊牧の民だ……」

低く途切れがちな呻き声の中には、消えることのない深い憎悪が宿っていた。ヴェルダンに集められた人々の胸に渦巻くのは、単なる悲哀ではない。故郷を奪われ、家族を殺され、屈辱の開墾作業を強いられる日々の中で積もりに積もった、粘着質な「怨嗟」の感情であった。


◇

帝国歴三〇六年。

オテゲン滅亡から六年の月日が流れていた。

十九歳だった青年ジルグードは、幾多の飢餓と絶望を乗り越え、鋭い野性と強い意志を宿した二十五歳の若者へと成長を遂げていた。彼の背後には、黒い革鎧を身に纏った数百の騎兵たちが静かに控えている。彼らは旧オテゲン地域に踏みとどまり、侵略後に横行した野盗やグラッデェの残党を討伐しながら、密かに力を蓄えてきた猛者たちであった。

かつて身分なき庶子として捨て置かれていたジルグードであったが、王家の血を引く唯一の生き残りとして、そして何より自らの武勇とカリスマによって、散り散りになっていた遊牧民たちを再びまとめ上げていたのだった。

「ジルグード様。旧都周辺のグラッデェ残党を完全に排除いたしました」

斥候の報告に、ジルグードは小さく頷いた。

「ご苦労。……帝国の動向はどうだ?」

「は。オーレリアはアンチアルマの再建と経済的な大恐慌で著しく疲弊しており、北方の警戒は極めて手薄となっております」

「天が我らに与えた千載一遇の機、か……」

ジルグードは馬上で腰の剣の柄を固く握りしめた。脳裏に刻まれているのは、幼き日に遠目に見上げた父ジグラタの堂々たる威容、そして死に際に鬼の如き鬼神の働きを見せたという将軍ガラクの凄絶な最期である。彼らは死んだ。だが、オテゲンの魂までが滅び去ったわけではない。

「ヴェルダンに繋がれた一万の同胞は、いまも帝国の鞭に耐え、我らの救いを待っている。土地を奪われ、誇りを踏みにじられたこの屈辱を、ただの歴史の塵にして終わらせてなるものか。……出陣だ!捕虜収容所を攻めるぞ!」


◇

大河コミュシュルツの水面は、漆黒の夜の帳に包まれ、不気味なほど静まり返っていた。川霧が低く立ち込めるヴェルダン開墾地。無数の木柵と見張り台に囲まれた収容小屋の群れが、闇の中に蠢いていた。

「……月が隠れる。今だ」

ジルグードの低く冴え渡った命令が下された。馬の蹄に厚布を巻き、息を殺した五百の精鋭騎兵が一斉に跳び出す。

「敵襲――ッ! 敵襲――!」

見張り台の帝国兵が叫び声をあげた直後、闇を穿つ火矢が見張り台や武器庫へと突き刺さり、眩い炎の柱が夜空を焦がした。混乱する帝国警備隊の中へ、ジルグードの愛馬が木柵を強行突破して躍り出る。

「我らはオテゲンの狼だ! 6年間の屈辱、その身で受け止めよ!」

一閃。すれ違いざまに振り下ろされたジルグードの長剣が敵兵の胸甲を砕き、鮮血が夜の泥を赤く染める。背後に続く騎兵たちが怒濤の嵐となって収容所内を駆け巡り、立ちすくむオーレリア兵を次々と討ち倒していった。

斧の一撃によって重い木製の牢扉が叩き割られる。「な、何が起きた……?」と痩せこけた捕虜たちが怯える中、血を浴びた漆黒の鎧の青年が躍り出た。

「我が名はジルグード! ジグラタ王の息子であり、草原の生き残りだ! 貴殿らを繋ぎ止めていた屈辱の鎖は、いま断ち切られた!」

「ジルグード様……?王家のお方が生きておられたのか!?」

「立ち上がるのだ、同胞たちよ! 武器を奪い、我らの故郷へ帰るぞ!」

絶望に伏していた一万の捕虜たちの瞳に、凄まじい復讐の炎が宿った。彼らは倒れた警備兵から剣や槍を奪い取り、自ら牢を破って襲いかかった。6年間積もり続けた「怨嗟」の感情が爆発した収容所は、猛烈な過酷な復讐の戦場と化したのである。


◇

東の空が白み始める頃、ヴェルダンの捕虜収容所は黒煙に包まれ、帝国守備隊は全滅・散亡していた。解き放たれた一万の男女、老人、そして子供たちが、大河コミュシュルツの岸辺へと集まっていた。

「全軍続け!赤狼山脈の北、我らが故郷の草原へ帰還する!」

ジルグードの号令のもと、解き放たれた同胞たちが進み出した。それは単なる逃亡ではなく、帝国の不当な支配を打ち破り、再び草原に「オテゲン」の誇りある国を再建するための、偉大なる凱旋行軍であった。

朝日が川面を赤く染める中、馬上で振り返ったジルグードは、遠く帝都オクタヴィアが存在する南の空を見据えた。

「見ているがいい、オーレリア。今度は我らから出向いてやる」

解き放たれた一万の狼たちは、王子ジルグードの背を追い、赤狼山脈の北を目指して力強く歩み出した。亡国の闇から立ち上がったオテゲン皇国の復讐の炎は、いまや誰にも消せない巨火となって、燃え出したのであった。

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