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『オーレリア戦記』  作者: りあと
『オーレリア戦記』帝国歴305年
112/287

『破滅に向けての道』

帝国歴305年、7月初頭。

正一品「徳妃」へと昇格し、名実ともに後宮の最高位に上り詰めたルネッタ・リヴィエールへの寵愛は、とどまることを知りませんでした。五ヶ月を過ぎたお腹には、皇帝アラリックとの確かな愛の結晶が宿っています。

しかし、夏の生ぬるい風が吹き抜けるある深き夜、ルネッタの心に強烈な「予知」のビジョンが舞い降りました。

(……火の海、そして血の匂い。私の故郷アルヴェリアが……お姉様たちが、黒い軍勢に囲まれている……!)

あまりの恐怖に、ルネッタは自身の叫び声で目を覚ましました。全身に冷や汗が滲み、呼吸が激しく乱れます。

「ルネッタ! どうした、うなされていたぞ」

彼女の身体を優しく力強い腕で抱き寄せたのは、隣で眠っていた皇帝アラリックでした。彼はルネッタの乱れた髪を愛おしそうに撫で、その不安を溶かすように言葉をかけます。

「陛下……っ、お姉様たちが……故郷が危険です……!」

ルネッタはアラリックの胸に顔を埋め、涙ながらに訴えました。

「私の夢が、視せてくれたのです。皇后ロザリア様が仕掛けた不気味な蜘蛛の糸が、尚書令アルベリックを動かしました。ボーフォール家が『武力査察』と称して、帝国軍の名目でアルヴェリアへ攻め込もうとしています。私を追い詰め、この子を奪うために、故郷を血の海に沈めようとしているのです……!」

その言葉を聞いた瞬間、アラリックの美しい顔から笑みが消え去り、絶対的な覇王としての冷徹な怒りがその瞳に宿りました。彼はルネッタの顎を優しく、しかし確固たる意志を込めて持ち上げました。

「よくぞ教えてくれた、ルネッタ。お前の夢は、我らの子と、お前の故郷を救うための天の啓示だ」

アラリックはルネッタの額に深く口づけを落としました。

「あの哀れな狂犬どもめ……。私が何も知らぬとでも思っていたか。我が愛する徳妃と御子に牙を剥き、さらには忠義なるイリアードの領地を脅かすとは、もはや万死に値する。――案ずるな、ルネッタ。ボーフォール家は、この私の手で、根こそぎ宮廷から駆逐してやろう」

皇帝アラリックは、ルネッタを優しくベッドへ横たえると、すぐさま夜の静寂の中に近衛軍団長レイナルドと内侍監ギルバート・ウィンザーを召集すべく、不敵な足取りで寝所を後にしました。ボーフォール家を完膚なきまでに粛清するための、冷酷な軍事計画が帝都で始動したのです。



◇

皇帝が動き出したその直後、ルネッタは静かに精神を集中させました。

アラリックの優しさに守られ、今や彼女の異能はその出力を大きく増していました。彼女は心の糸を遥か彼方、数年ぶりに本拠地へと戻った姉・セシリアへと伸ばします。

『――お姉様……聴こえますか、セシリアお姉様……! 緊急の事態です!』

同じ刻、アルヴェリアの常緑宮。暖炉の前でハーブティーを飲んでいたセシリアが、即座に意識を繋ぎました。リゼリア、ベルナデット、エミーナもすぐにその『念話』の輪に加わります。

『ルネッタ! 聴こえるわ! あなたの焦燥、こちらにも伝わってきた。何があったの!?』

『皇后ロザリア様の教唆により、尚書令アルベリックが動き出しました。表の塩の流通制限だけでは生ぬるいと、帝国軍の正規ルートを使って、アルヴェリアへ直接の武力侵攻を仕掛けてきます。名目は”武力査察”。数日以内に、ボーフォール家の息がかかった兵がそちらへ向かいます!』

その知らせに、セシリアは怒るどころか、フッと不敵な笑みを浮かべました。

『いい度胸じゃない、ボーフォール家。私たちが冬の間にアンチルマでどれほどの「牙」を磨いてきたか、本当に何も分かっていないのね』

『お姉様、ただ防衛するだけでは足りません』ルネッタの意識が、かつてないほど冷徹で知的なトーンへと変わりました。『陛下が今、帝都でボーフォール家を根こそぎ粛清するために動き出しました。ですが、表向きに実権を握る尚書令アルベリックを完全に叩き潰すには、彼らが「先に帝国への明らかな反逆(不当な武力行使)に踏み切った」という決定的な証拠が必要です。だから――帝都と故郷で、同時に罠を仕掛けましょう』

ここから、17歳の徳妃ルネッタと、21歳の側室セシリア、そして22歳の正妃リゼリアによる、恐るべき「同時反撃計画」の頭脳戦が始まりました。

『ルネッタの言う通りね』リゼリアが『念視』と『予知』の意識を介入させます。『敵の査察軍がアルヴェリアの国境に現れたら、私たちはあえて一度、表の街道の関所を破らせましょう。彼らに「アルヴェリアを制圧しつつある」という致命的な錯覚を与えるのです。そして、彼らが完全に油断して、アルヴェリア領に全軍を侵入させた瞬間……一網打尽にします』

『なるほど!』セシリアが身を乗り出します。『エミーナと私の異能で、疫病を発生させて領内の立ち入りを拒否するわ。彼らはアルヴェリアにも入れず、帝都にも帰れず全滅します』

『その瞬間を、私は帝都で「視る」わ』ルネッタが強く頷きました。

『完璧な計画です、セシリア様』ベルナデットの緻密な知性が、念話の中で賛辞を送りました。『敵の進軍速度、兵力、そして帝都とアルヴェリアの距離を計算すれば、決行の日は今月の半ば。それまでに、私たちは徹底的に「塩不足で困窮し、軍も弱体化した哀れなアルヴェリア」の芝居を完璧に演じきってみせましょう』

『ええ、頼んだわよ、ルネッタ。あなたはただ、陛下の腕の中で、お腹の子を守って堂々としていなさい。汚い仕事は、すべて故郷の私たちが片付けるわ』

セシリアの温かい、そして恐ろしいほどに頼もしい言葉を最後に、念話は静かに切られました。

ベッドの上で目を開けたルネッタは、もう震えてはいませんでした。

皇后ロザリアが張り巡らせたはずの不気味な蜘蛛の糸は、今やリヴィエール一族の強大な異能と絆、そして皇帝アラリックの絶対的な愛によって、逆にボーフォール家を絞め殺す「最悪の首輪」へと創り変えられたのです。

帝国歴305年、7月。

初夏の白亜宮と、緑深きアルヴェリア。二つの舞台がひとつの線で結ばれ、傲慢なるボーフォール家の破滅へ向けて、時は進んでいくのであった。

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