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『オーレリア戦記』  作者: りあと
『オーレリア戦記』帝国歴305年
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『生命の息吹』

帝国歴305年、3月末。

長きにわたる沈黙の冬が終わりを告げ、アンチルマの地にもようやく遅い春の足音が聞こえ始めていた。

アンチルマの大盆地を覆い尽くしていた深い白銀の雪が融け去るにつれ、そこには、誰もが目を疑うような「劇的な光景」が姿を現しつつあった。冬の間、すべてを覆い隠していた雪の毛布が引き剥がされた大地は、かつての荒廃した復興都市のそれとは完全に一線を画していた。

「な……なんだ、これは……! 一体、どういうことだ……!」

帝都オクタヴィアから遠路はるばるやってきた皇帝の使者、査察官の男は、馬車の窓から身を乗り出したまま、開いた口が塞がらなくなっていた。あまりの衝撃に、手にしていた皇帝直筆の査察令状が床に落ちることすら気づかない。彼が知るアンチルマは、まだ建物の基礎が半分ほど立ち上がり、泥にまみれた寒村のような荒野だったはずだった。

しかし、彼の眼前に広がっていたのは、かつて冬の前に調査した時の倍以上の広さを誇る、美しく区画整理された広大な田畑であった。

どこまでも続く平坦な大地には、幾何学的な美しささえ感じられる畦道(あぜみち)が走り、泥の塊ひとつない均一な土壌が広がっている。さらに驚くべきは、その田畑の間を流れる水路の存在だった。水路は縦横無尽に、かつ完璧な計算のもとで張り巡らされ、雪解け水を湛えてキラキラと陽光を反射している。すでに農民たちが、冬の間にどこから集まったのか、活気に満ちた声を上げて耕作を始めていた。その顔に飢えや焦燥の影はなく、ただ未来の豊穣を確信した喜びだけが満ちている。

変化は田畑だけにとどまらない。馬車が走る街道は、春先特有のぬかるむ泥道などどこにもなく、軍隊の迅速な行軍を可能にする広く堅牢なレンガ敷きへと完全に変貌を遂げていた。赤褐色のレンガは隙間なく噛み合い、重い荷馬車が何台も並んで走れるほどの道幅が、遥か地平線の先までまっすぐに伸びている。

「これほどの、これほどの大土木工事……! 冬の間に数万の人足を集め、凍土を掘り返さねば不可能なはず……! 我ら帝都の隠密の目を盗んで、一体いつの間に……!?」

査察官の脳裏を過ったのは、国家転覆に値する大規模な兵力と財力の隠匿だった。だが、冬の間、帝都へ届く報告書には「アンチルマは豪雪により完全に孤立、民は飢えを凌ぐのみ」と記されていたのだ。

「おや、査察官殿。そんなに驚かれるようなことでしょうか?」

呆然自失とする査察官の前に、一隊の騎馬が近づいてきた。

先頭で愛馬の首を優しく撫でながら、酷く平然とした、しかし目の奥に不敵な光を宿した笑みを浮かべたのは、アルヴェリア親王イリアードであった。皇帝アラリックの異母弟でありながら、その佇まいには北の地を支配する若き覇王としての風格が備わりつつある。

彼の左右には、正妃リゼリア、そして側室セシリアが静かに控えていた。

リゼリアは、その瞳はすべてを見通すかのように冷徹で理知的だ。セシリアは、しなやかな身体に不遜なまでの余裕を漂わせている。

「冬の間、我らアルヴェリアの民は、ただ雪に埋もれて眠っていたわけではございません。一丸となって春への備えを進めておりました」

イリアードは馬を並べ、査察官をまるで見下ろすように言葉を続けた。


「人々の記憶など、実にあいまいで移ろいやすいもの。査察官殿が冬の前にご覧になったという不毛な荒野は、もしや厳しい長旅による幻か、あるいは少々、記憶が曖昧だっただけではございませぬか?」


「そ、そんな馬鹿な……! 記憶違いで済む規模ではない! 私は確かに、この目で泥の荒野を見たのだ! それに、あそこにある、あの不気味な岩山はなんだ! 冬の前にはあんな険しい断崖はなかったはずだ!」


査察官が震える指で西の国境の地平線を指し示した。

そこには、遮るもののない盆地の端に、突如として聳え立つ、天然の造形にしか見えない険しい岩山がそびえ立っていた。冬枯れの荒々しい岩肌、不規則に突き出た巨岩の数々。それは何千年も前からその場所に鎮座し、幾多の風雪に耐えてきた自然の防壁そのものに見えた。

しかし、その内部こそが、リヴィエール一族の奇跡の結晶だった。

正妃リゼリアが『予知』と『念視』の力を使い、未来の兵站と地形を計算し、侍女ベルナデットが緻密に設計した図面。それを冬の豪雪の最中、側室セシリアと侍女エミーナが、人知を超えた『念動』『念力』『念創』の異能を用いて、雪の下で大地をくり抜き、岩盤を組み換えて構築した、千人の兵を収容できる難攻不落の「擬態砦」なのだ。外からはただの断崖にしか見えないが、内部には強固なレンガ構造の通路、矢狭間、兵糧庫までが完璧に備わっている。

セシリアは、毛皮の長衣の袖に白い手を隠しながら、ふっと妖艶に微笑んだ。彼女の『念力』の気配は、査察官が連れてきた帝都の隠密たちにも一切悟らせぬよう、完全に隠蔽されている。


「アルヴェリアの自然は実に豊かで、時に荒々しいものですから。冬の激しい豪雪と大規模な地滑りによって、一夜にして地形が変わることなど、この地では珍しくもございませんわ。ねえ、リゼリア様?」


話を振られたリゼリアは、小さく頷き、査察官の目をまっすぐに見つめた。その眼差しに含まれる微かな『念視』の残光に、査察官は気圧されるように一歩後退る。


「ええ。自然の営みは人の想像を超えます。どうぞ、帝都のアラリック陛下へもありのままをお伝えください。『アンチルマはかつてない豊かな春を迎え、陛下をいつでもお迎えする準備が整った』と。この田畑から採れる豊かな実りも、すべては帝国と陛下への忠義の証にございます」


忠義、という言葉が査察官の耳にひどく空々しく響いた。

目の前にあるのは、一冬の間に完成した完璧な軍事・経済基盤だ。これほどの技術と団結力を持つアルヴェリアが、もし帝都に牙を剥けばどうなるか。しかも、帝都の後宮には、彼らの血を引くルネッタが昭容として入り、皇帝の深い寵愛を受けている。

査察官は、イリアードたちの底知れない余裕と、現実に目の前にある圧倒的な豊穣、そして軍事要塞化された土地の不気味な気配に完全に圧倒されていた。

彼はこれ以上、彼らの非の打ち所がない「言い訳」を崩す言葉を持ち合わせていなかった。目の前にある「現実」こそがすべてであり、それを「冬の間に人間が作った」と証明する手立てなど、この世界には存在しないのだから。


「あ、あらゆる事象を、陛下へご報告いたします……」


査察官はただ、冷や汗を流しながらガチガチと歯を鳴らし、深く頷くことしかできなかった。

そんな男の背中を見送りながら、イリアードは不敵な笑みをさらに深くした。セシリアの隠された指先が微かに動き、馬車の車輪の下の泥を『念動』でわずかに弾く。馬車はまるで見えない力に押し出されるように、大慌てでレンガの街道を帝都へと走り去っていった。


「見事なものだな、セシリア、リゼリア」


イリアードが振り返り、二人の最愛の妻たちを称える。


「すべては、帝都で一人戦っているルネッタのためです」


セシリアは西の岩山を見つめ、誇らしげに顎を引いた。


「これで、あの子が白亜宮でどれほど高い位に登ろうとも、このアンチルマが誰にも文句を言わせない最強の後ろ盾になる。春の戦いは、これからよ」


融けゆく雪の下から現れたのは、ただの春ではない。

時の流れに打ち勝つための逞しい生命の息吹であった。

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