『臘八粥と星降る夜』
師走の冷たい風が、西の古都アンチアルマの街並みを吹き抜けていた。
しかし、一年の締めくくりを迎えたこの年末の時期、総督府の主である二十二歳のイリアード親王の姿はアンチアルマになかった。帝都で行われた「冬至の儀礼」に参列するために赴き、引き続いて新年の挨拶と祝賀の公務が控えているため、そのまま帝都に滞在しているのだった。
「殿下がおられないのは少し淋しいけれど……私たちがしっかりとアンチアルマを守り、素晴らしい年越しを迎えましょう」
親王妃リゼリアが穏やかに笑いかけると、隣に並ぶ側室のセシリアも元気に胸を張った。
「ええ、姉様! 殿下が安心して帝都で公務を果たせるよう、私たちがこの街の民と兵士の皆様を温かく包み込んでみせますわ!」
リゼリアとセシリア、そして二人に仕える侍女のベルナデット、ロゼッタ、エミーナの五人は、イリアードの留守を託された者として、年末の重要行事を手分けして進めていた。
◇
十二月の終わり、年の終わりに神々や先祖へ今年の収穫と無事復興が進んだ平安を報告し、感謝を捧げる「大臘の祭」が執り行われた。イリアードに代わり、リゼリアとセシリアが祭壇の前で祈りを捧げ、アンチアルマの健やかな未来を願った。
式典が無事に終わると、広場では盛大な振る舞いが始まった。
「皆様! 先月仕込んでおいた特製の『椒柏酒』と、無病息災を祈る『臘八粥』ですよ! 遠慮なさらず、たくさん召し上がってくださいね!」
セシリアが声を弾ませながら、大鍋から湯気立つ熱々のお粥を器に装っていく。数種類の穀物や豆類、木の実をじっくりと煮込んだ「臘八粥」は、甘く優しい香りを漂わせている。
「おお、これは美味そうだ!」
「親王妃様、側室様、いつもありがとうございます!」
十三万の帝国兵や親王軍、そして復興作業に汗を流してきた領民たちが、続々と行列を作った。
山椒とヒノキの葉を漬け込んだ薬草酒「椒柏酒」は、ひとくち飲むだけで身体の芯からカッと熱くなる。そこに滋味豊かな「臘八粥」が合わさり、冷え切っていた兵士たちの身体と心をとろけるように温めていった。
その振る舞い現場の裏側では、完璧主義の侍女長ベルナデットが驚異的な手際で采配を振るっていた。「メガネのナデット」「無慈悲のナデット」の異名を持つ彼女は、眼鏡のフチを指で軽く上げながら、膨大な配給ラインをミリ単位でコントロールしている。
「全十五万人分の配給ペースを再計算。お粥の温度保持に誤差なし。ロゼッタ、列の最後尾の流動状況を『念視』で確認しなさい。エミーナは『念力』で空になった大樽の回収と次なる配給用の樽の搬入を最速で行うように」
「はいっ、ナデットさん! 念視で確認します……ええと、東側の広場も遅延なく順調に流れていますよ!」
ロゼッタが異能の「念視」で遠くの様子を視認して報告すると、エミーナも「念動」を発動。重量のある酒樽や粥の大鍋を宙に浮かせ、目にも留まらぬスピードで無駄なく運んでいく。
リゼリアとセシリアもまた、隠された異能を密かに使いながら作業を支えていた。リゼリアは「予知」で急な事故や混雑の危険を察知して回避させ、セシリアは「パイロキネシス」で無数の大鍋の火力を均一に保ち、冷める隙を与えなかった。
「素晴らしいわ、みんな。これで兵士の方々も領民の皆さんも、病知らずで新しい年を迎えられるわね」
リゼリアが温かい眼差しで微笑むと、広場には民や兵士たちの感謝の歓声がどこまでも響き渡った。
◇
そして迎えた大晦日の夜。
街中が清められ、家々の門口には悪霊を払う新調された桃の木札が掲げられていた。この夜は眠らずに明かりを灯し続け、家族で新しい年を迎える風習「守歳」が行われる。
今夜の総督府の館は、どこか特別で穏やかな空気に満ちていた。
親王イリアードは帝頭に滞在中のため不在であったが、リゼリア、セシリア、ベルナデット、ロゼッタ、エミーナの五人は、大きな食卓を囲んで年越しのご馳走を楽しんでいた。
テーブルの上には、この日のために用意されたごちそうが所狭しと並べられている。香ばしく焼き上げられた肉料理、色鮮やかな野菜の煮物、そして先ほどまで熟成させていた極上の椒柏酒。
「殿下がいらっしゃらないのは寂しいですけれど、こうして皆で食卓を囲めるのは本当に幸せなことですわね」
リゼリアがグラスを掲げると、セシリアも満面の笑みでグラスを寄せた。
「ええ、姉様! 今年一年、アンチアルマの復興も本当に進みましたわ。みんなで力を合わせた成果です! 来年はもっともっと素晴らしい年になりますように!」
「乾杯!」
五人のグラスが心地よい音を立てて重なり合う。
「ん〜〜っ! このお肉、エミーナがパイロキネシスでじっくり火を通したおかげで、とっても柔らかいですわ!」
「ふふ、セシリア様! エミーナの火加減は完璧ですから!」
「ロゼッタの念力で手伝った盛り付けも美しく仕上がっていますよ〜」
賑やかなやり取りに、普段は冷静沈着なベルナデットも口元をゆるめ、極上の酒を一口嗜んだ。
「本年のアンチアルマにおける復興進捗率は当初の予測値を35%上回っています。領民の生存率および士気も最高水準。……主であるイリアード殿下のお留守を、私たちは完璧に全うしたと結論づけられます」
「さすがナデット、最後まで完璧な分析ね」
リゼリアはクスリと笑った。
◇
夜が深まっても、館の明かりが消えることはない。守歳の風習に従い、街中の家々からも暖かな明かりが漏れ、古都アンチアルマ全体がまるで光の海のように夜闇の中に浮かび上がっていた。
宴がひと段落した頃、リゼリアはそっとバルコニーへ出た。冷たい夜空には美しく澄んだ星々が輝いている。
リゼリアは胸元に手を当て、静かに自らの「念話」の異能を集中させた。はるか遠く、帝都の宮殿で守歳の夜を過ごしているであろう夫、イリアードへ向けて心を拓く。
(――殿下。聴こえますか、殿下)
すると間もなく、頭の中に懐かしく温かな声が響いた。
(リゼリアか……? ああ、はっきりと聴こえるよ。そちらは無事に大晦日を迎えられたかい?)
イリアードの声に、リゼリアの心がじんわりと温かくなる。
(はい。大臘の祭も成功し、皆で椒柏酒と臘八粥を味わいました。今夜はセシリアや侍女たちと守歳を行い、殿下の帰りを待ちながら年越しの宴を開いておりますわ)
(そうか……。寂しい思いをさせてすまない。だが、君たちがアンチアルマを温かく守ってくれているおかげで、私も安心して帝都での務めを果たせている。新年の挨拶が終わったら、すぐにアンチアルマへ戻るよ)
(ええ。殿下のお帰りをお待ちしておりますわ。どうぞ、よいお年を……殿下)
(ああ、よいお年を、リゼリア。アンチアルマのみんなにもよろしく伝えてくれ)
念話を終えたリゼリアが振り返ると、いつの間にかセシリアと侍女たちが温かい羽織を持って迎えに来ていた。
「姉様、殿下とお話しできましたの?」
「ええ。殿下もアンチアルマの皆を想ってくださっていたわ。新年の公務が終われば、すぐに戻られるそうよ」
「まあ! それは楽しみですわね!」
セシリアが嬉しそうに目を輝かせる。
やがて、遠くの寺院から新年を告げる鐘の音が重々しく響き渡った。古い一年が過ぎ去り、輝かしい新しき年が幕を開けた瞬間であった。
五人は手を取り合い、灯火に照らされたアンチアルマの街並みを見下ろした。かつて廃墟だった街は、今や人々の笑顔と温もり、そして希望に満ち溢れている。
「あけましておめでとうございます、姉様、皆様!」
「あけましておめでとう。今年もこのアンチアルマを、もっともっと温かく素晴らしい街にしていきましょうね」
遠く離れた帝都のイリアードへ、そして共に歩むすべての兵士と民へ想いを馳せながら――親王妃たちの守歳の夜は、深く優しく、どこまでも暖かい光に包まれて更けていくのだった。




