『冬至の夜と椒柏酒』
十二月を迎え、西の古都アンチアルマには本格的な冬の冷気が満ちていた。
この時期、古来より最も重要視される節目が訪れようとしていた。「冬至(仲冬の至日)」である。太陽の力が最も弱まり、ここから再び「陽の気」が復活する始まりの日。オーレリア帝国では、皇帝が都の南郊にある「圜丘」へ赴き、天に感謝を捧げ国土の平安を祈る最高峰の国家祭祀「郊天の祭」が執り行われる。
宮中では朝賀の儀や盛大な宴が催されるため、アンチアルマ総督であるイリアード親王もまた、帝都へと参列するために赴くこととなった。
「リゼリア、セシリア。暫くの間、アンチルマの留守を頼むよ」
馬車に乗り込むイリアードが、愛する妻たちに優しく声をかける。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ、殿下。帝都でのご公務、陰ながらお祈りしております。アンチアルマの復興作業と民の暮らしは、私たちがしっかりと守りますわ」
親王妃リゼリアが温かい笑みを浮かべて送り出し、側室のセシリアも元気に手を振った。
「殿下、美味しいお土産を楽しみに待っていますわ! 留守中の火の用心も防寒も、私にお任せください!」
「ああ、頼みにしているよ。帰ったら、またみんなで温かい宴をしよう」
イリアード率いる護衛の列が白く煙る冬空の向こうへ走り去っていくのを、リゼリアたちは見送った。総督不在の間も、この広大な街の復興の手を緩めるわけにはいかない。
◇
「さて、姉様! 殿下が戻られるまでに、兵士の皆様や領民の皆様のための『あの準備』を進めなければなりませんわね!」
セシリアが腕をまくり上げながら意気込むと、リゼリアも頷いた。
「ええ。今年もまた、十三万の帝国兵と親王軍、そして数万の領民全員に振る舞うための『椒柏酒』造りですね」
椒柏酒とは、山椒の実やヒノキの葉を酒に漬け込んだ薬草酒であり、邪気を払い、身体を芯から温め、長寿を願う伝統の酒である。去年と同様、寒さ厳しい冬を乗り越える兵士や領民たちへ振る舞うため、親王家主導で大規模な酒造りが行われるのだ。
総督府の中庭には、ずらりと並んだ巨大な酒樽と、山のように積まれた新鮮な山椒の実と柏の葉が集められていた。
「ベルナデット、準備の調達と配分は順調?」
リゼリアが尋ねると、優秀な侍女長ベルナデットが眼鏡のフチをすっと上げ、手帳を手に即座に答えた。
「完璧です、リゼリア様。アンチルマ全域の総人口および兵力十五万人分に対する必要酒量は算出済みです。抽出効率を極限まで高めるための山椒と柏の葉の配合比率も、コンマ一グラム単位で最適化いたしました。作業速度は過去最高値を更新する見込みです」
「流石はナデットだわ! よーし、エミーナ、ロゼッタ、私たちも手分けして一気に行くわよ!」
セシリアの合図とともに、彼女たちの『秘密の異能』が惜しみなく発揮され始めた。
ロゼッタが「念視」と「予知」を駆使して、酒の熟成に最適な温度変化や天候の推移を正確に予測する。
「ロゼッタの予知によりますと、今夜半から急速に冷え込みます! 熟成を早めるなら、日没前までに一次仕込みを終えるのが最適です!」
「了解しましたわ! エミーナ、行くわよ!」
エミーナとセシリアは「念動」の異能を発動。何百キロもの薬草と酒樽が宙を舞い、寸分の狂いもなく適切な樽へと吸い込まれていく。手作業であれば何日もかかる膨大な仕込み作業が、異能とベルナデットの完璧な指示のもと、あっという間に進んでいった。
「最後に、仕込みの熱調整ですわ!」
セシリアが繊細な「パイロキネシス(発火能力)」を送り込み、酒樽全体の温度を薬効成分が最もよく溶け出す絶妙な温かさに保つ。
「ふう……これでバッチリですわ! 新年を迎える頃には、最高に香りが良くて体が温まる椒柏酒が完成します!」
中庭に広がる山椒と柏の甘酸っぱく爽やかな香りに、手伝っていた兵士や領民たちからも「これなら今年の冬も元気に乗り越えられる!」と歓声が上がった。
◇
仕込み作業が無事に完了し、夕暮れがアンチアルマの街を包み込む頃、冷たい冬風がいよいよ強まってきた。外で作業していた手が凍えるような寒さである。
「皆様、本当にお疲れ様でした。今夜は冬至の特別な夜ですもの。私たちも温かいものをいただきましょう」
リゼリアの呼びかけで、総督府の厨房には賑やかな温もりが灯った。
冬至の民間の風習として、「耳の凍傷を防ぎ、身体の『元の気』を取り戻す」ために、熱々の湯餅や餛飩(ワンタン・餃子の原型)を食べる習慣がある。今夜はリゼリアとセシリア、そして侍女たちが腕を振るい、特製の「シュウマイ」と「熱々ワンタンスープ」を作ることになったのだ。
厨房では、エミーナが「念力」を使って素早く生地を捏ね伸ばし、リゼリアとセシリアが細かく刻んだ肉と野菜の餡を包んでいく。
「見てください姉様! このシュウマイ、花びらみたいに可愛く包めましたわ!」
「まあ、セシリア。とても上手ね。ワンタンの方も、薄い皮がふわふわとして美味しそうに出来上がったわ」
蒸し器からは真っ白な湯気が立ち上り、大きな鍋では鶏と生姜の出汁が効いたスープの中で、つるりとしたワンタンが踊っている。セシリアが密かに「パイロキネシス」で火力を微調整し、スープの旨味を極限まで引き出していた。
「お料理が完成いたしました。効率的な配膳を行います」
ベルナデットの手際よい仕切りで、大きなテーブルの上に蒸籠いっぱいの熱々シュウマイと、なみなみと注がれたワンタンスープが並べられた。
「それでは皆様、殿下の無事なご公務と、アンチアルマの健やかな冬越しを祈って――いただきます」
「「「いただきます!」」」
一口スープを啜ると、生姜の爽やかな香りと肉の旨味が口いっぱいに広がり、冷え切っていた身体が一瞬で芯から温まっていく。
「ふはぁ……! おいしいっ! ワンタンがツルツルで、スープが身体にしみわたりますわ!」
セシリアが頬を緩ませると、ロゼッタも嬉しそうにシュウマイを口に運んだ。
「シュウマイも肉汁が溢れて最高です! これなら耳が千切れるような寒い冬でも、絶対に風邪なんて引きませんね!」
「エミーナの念動で包んだワンタンも、型崩れせずに最高のお出汁を吸っていますよ〜!」
ベルナデットも静かにスープを味わい、眼鏡の奧の目を緩めた。
「生姜およびネギによる血行促進効果、ならびに高タンパクな餡による体温維持効果は極めて良好です。非常なる美味と判定いたします」
リゼリアは満足そうに食べる一同を見つめながら、優しく微笑んだ。
「みんなの笑顔が見られて良かったわ。帝都におられる殿下にも、この温かいスープを届けて差し上げたいくらいね」
◇
食後、リゼリアは総督府の高台へ立ち、冬至の夜空を見上げた。
手元で「念視」の力をそっと解放すると、はるか遠くの帝都で、厳かな儀式を終えたあと臣下たちと歓談しているイリアード親王の姿が頭の中に浮かんだ。イリアードもまた、西の空を見つめ、アンチルマに残してきた大切な家族と民のことを想っているようだった。
(殿下……アンチルマは今夜も穏やかで、温かな夜を迎えておりますわ)
リゼリアは心の中で「念話」の波動を静かに送った。遠く離れていても、二人の絆が途切れることはない。
街を見下ろせば、兵士たちの宿営地や領民たちの家々からも、冬至を祝う温かな明かりと湯気が立ち上っていた。冬至は一年のうちで最も夜が長い日。しかしそれは同時に、明日からは少しずつ太陽の光が強まり、春へ向かって世界が動き出す日でもあるのだ。
「姉様、外は冷えますわ。中に入りましょう」
セシリアが暖かいショールを持って、リゼリアの肩に優しく掛けた。
「ありがとう、セシリア。……明日から、また少しずつ日が長くなっていくわね」
「ええ! 殿下が帰られる頃には、きっともっと暖かいアンチルマになっていますわ。椒柏酒も最高のできあがりにして、殿下をお迎えしましょう!」
「そうね。私たちの手で、この街をどこよりも暖かい場所にしていきましょう」
二人の妃は寄り添いながら、静かに微笑み合った。
凍える冬至の夜。しかしアンチアルマの古都には、大人が仕込んだ薬草酒の香り、食卓を囲む温かな湯気、そして巡り来る春を信じる人々の力強い希望の火が、どこまでも暖かく灯り続けていた。




