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外は冷たい風が吹く。
秋はすっかり過ぎ去って季節は冬に変わっていた。
中庭の紅葉はほとんど散り、木が寒々しい姿で立っている。
「琴乃、大丈夫なの?」
「はい。もう良くなりましたので大丈夫です。お姉さまは心配性ですね」
くすりと琴乃が笑う。
雪花は琴乃と共に中庭をゆったり歩いていた。
体調が良いから久しぶりに外に出たいという琴乃に雪花は付き添って外に出ていた。
(冷たい風……)
風が吹くたびに雪花の着物が大きく揺れる。冷気を含んだじっとりと重い風は、冬になりつつある今の季節の風だからなのか、雪花の力が漏れ出ているのか今の雪花には判断がつかない。
近頃は雪花の心が揺さぶられることが多すぎる。
あのかんざしの件から日乃子とは距離を取るようにしているが、正直心が痛かった。
彼女を傷付けたくない。だけれども、あの優しさが離れていくのは少し寂しい。
いつのまにか雪花は日乃子に心を許しつつあったのだとここにきて分かった。
「雪花さま、ご覧下さい。良い匂いだと思いましたら蝋梅の花ですよ」
明るく話す琴乃が指差す方を見上げれば、所々に黄色い小さな花がなっていた。
「……可愛らしいお花」
寒さに負けず健気に花びらを広げる黄色い花は、忙しない心をほんのり和らげる。
引き寄せられるように木に近づけば、甘い香りが鼻に届いた。
(良い匂いね)
眩しい黄色に良い匂い。輝かしい蝋梅を見ていると、心穏やかになった。
「蝋梅は香としても使えますし、蕾を乾燥させたらお薬にもなるそうですよ」
「へえ、そうなのですか」
「……?」
穏やかな声に振り向けば、春陽が立っていた。
その姿を一目見た雪花の心臓がとくんと一際大きな音を立てる。けれどもそれを悟られないように平然を装った。
後ろの側仕え、和正は大きな荷物や書簡を抱えている。きっと仕事の途中だったのだろう。
「ここで何をされていたのですか?」
「蝋梅を見ておりました」
雪花が蝋梅に視線を上げると、春陽もつられて上を見る。
「こんなに満開になっていたのですね。気づきませんでした」
「私もです」
「蝋梅が咲くということは、もうすっかり冬なのですね」
「そうですね」
風がそよぎ、蝋梅の枝を揺らす。その度に甘い香りが広がった。
春陽との穏やかな時間が心地良い。
はしたなく泣いたあの日の後も、春陽は変わらず気にかけてくれていた。
彼も日乃子と同じように傷つかないか不安もある。しかし、この平和な時間を望んでいる自分もいた。
言葉のやり取りこそ少ないが、気まずい訳ではない。無言も心地が良い。
春陽が隣にいるだけで、心がほっと和むから不思議だ。
「……春陽さまは執務中でしたか?」
ふと気になったことを口にする。和正の荷物の多さに多忙が目に見えて分かった。
「執務中……まぁ、そんなところです」
「? そうですか」
珍しく歯切れの悪い春陽に雪花は彼を見上げた。
靡く髪も蝋梅を見る横顔も絵になるほどに美しい。雪花は無意識のうちに春陽をじっと見つめていた。
「ふっ」
突然春陽は笑いだす。雪花は目を丸くした。
「ふふ、申し訳ありません。そんなに見られたらどうして良いか分からなくなりますよ」
「……あっ」
雪花はようやく自分が春陽を見過ぎていたことに気が付いた。身体中の熱が頬に集まり始める。
「も、申し訳ございま、せん……」
茹で上がりそうなくらい熱い。雪花は火照りを冷まそうと扇子を広げ自分を仰ぎ出した。
「本当に魅力的な方ですね」
ぽつりと呟かれた独り言は、雪花の耳には届かず聞き返す。
「え?」
「いいえ、なんでもありません」
「……そうですか?」
冬の清々しい空気がほのかに暖かく、甘くなる。
日に当たり輝かしく光る蝋梅を楽しんでいた時だった。
「見つけた」
聞き覚えのある声……のようで、どこか違和感のある声が後方から聞こえた。
振り向くとそこに立っていたのは、朱色の扇子で口元を覆う夕凪だった。
秋実の宴以降顔を合わせていない夕凪だったが、彼女が懐妊したという噂が飛び交っていたので、久しぶりに会ったような気がしない。
幼さが残る顔立ちの夕凪だが、今日はどこか違かった。目尻をきっ、と吊り上げ、雪花を睨みつけている。
「……ごきげんよう、夕凪さま」
いつも雪花に敵対する姿勢を見せる夕凪と正直会いたくなかったが、礼儀として挨拶をする。
「……ごきげんよう? 随分とのうのうと生きておりますわね。私は辛い思いをしたと言いますのに」
言葉の端々からすこぶる苛立っていることが伝わる。身動きの取れない雪花の前に、琴乃と春陽が立ちはだかった。
「夕凪殿、いかがされましたか?」
雪花を庇うようにする春陽が気に入らなかったらしく、夕凪はさらに顔を歪め、声を張り上げた。
「いかがされましたか……ですって?! 私のお腹の子が死んでしまったのはこの妃のせいなのにっ!」
「……え?」
夕凪の扇子を向けられた先には、言葉を詰まらせた雪花が立っていた。
突然の独白に琴乃はもちろん、雪花も春陽も言葉を失う。
「突然、何をおっしゃるのですか!?」
少し前に立つ琴乃は顔を青白くさせていた。驚愕と怒りが重なり合い、身体が小刻みに震えているのが分かる。
かくいう雪花も、驚いて言葉が出なくなっていた。
夕凪と関わりなんてない。それなのになぜ、お腹の赤子が死んだ理由を自分のせいにされているのか。
罪のなすりつけも良いところだ。
琴乃は言葉を並べようとするも、口をぱくぱくさせるだけで出てこないようだった。
春陽も今知ったのだろう。呆然としている。
雪花は溢れ出そうな感情を抑えようと深呼吸を繰り返す。
「なぜ、私のせいになるのでしょうか? 何か証拠でも?」
真相を知るために淡々と聞く。証拠もないのに疑われるのはおかしな話だ。
「うるさいですわ。……私はあなたのその目が前から気に入らないのよ。見下されているような、馬鹿にされているような冷たい目が。あなたと関わったら呪われてしまいそう」
「……」
「……だから、私のお腹の子はあなたに呪われて死んだのよ!!」
「……!?」
夕凪の言葉が雪花の胸に突き刺さった。
手の力が抜け、持っていた扇子が音を立てて落ちる。
夕凪の子を自分が、呪い殺した……?
そんなつもりは全くない。親しくもしていなかったし、そもそも夕凪の懐妊の噂が流れてから彼女と会ったことがなかった。
それなのにどうやって呪ったというのか。
「あなたの凍てついた目を見ていると、寒気がするし、心まで凍りそうになるの。もうこれは呪いよ! あなたは呪いで人々を不幸にする!」
「夕凪殿っ!そんな言い方は……」
「あら? 春陽さまはこの人の味方なの? 主上さまに言いつけてもよろしくてよ?」
「……っ」
意地の悪い言い方に春陽は言葉を詰まらせた。
(わたくしの、呪い……)
その一言が無限に頭を駆け巡る。
空は晴れ渡り、澄んだ空気が心地良かったのに、急に辺りが暗くなり始めた。濃い灰色の雲が太陽を隠し、頭上に広がっていく。
そして、ちらちらと雪が舞い始めた。
「夕凪さま、寒さはお身体に障ります。香風殿に戻りましょう?」
夕凪に上着をかけながら、侍女が声を掛ける。しかし、夕凪の怒りはおさまらないようだった。
「ひんやりした空気に冷たい雪……まるで、氷の妃と呼ばれている雪花さまの心の中のようだわ」
空を見上げて呟いた夕凪の言葉は、雪を強めるには十分な要因だった。
粉雪のようにちらちらと降っていた柔らかな雪が、どんどん重みのある水分の含んだ雪に変わり、地面を覆い尽くしていく。
雪花は何もできなかった。
言い返すことも、感情を抑えることもままならず、ただ雪に打たれるだけ。
好き勝手に言われ続けていた雪花だったが、突然、音が止んだ。
驚いた雪花は後ろを振り返ろうとして、動きを止める。
春陽が雪花の両耳を自分の手で塞いでいたのだ。まるで、夕凪の言葉を閉ざすように。
『大丈夫、聞かなくて良い』
春陽の口元が動く。雪花はぎこちなく頷いた。
「夕凪殿! 雪花殿への酷い言葉の数々。口を慎みなさい」
雪花を庇う春陽の声が微かに聞こえた。
何を話しているのか聞こえないが、春陽と二、三言話した夕凪はにたりと笑った。そして、懐から小さな箱を取り出した。
箱の中から小さな火打石と火打金が転がり出る。
夕凪は嫌な笑みを浮かべながら火打石を鳴らした。火花が散り出し、足元に散らばる木の枝に落ちた。
枝の先は赤々と燃え始める。
『冷たいあなたを火で温めてあげるわ!』
ゆっくりと、はっきりと告げた夕凪は木の枝を拾い上げると、雪花に向かって投げ飛ばした。
枝はくるくると回りながら宙に浮かび、雪花に一直線に向かう。
(このままではっ)
――近くにいる琴乃や真後ろにいる春陽に当たってしまうかもしれない。
また私のせいで、誰かを巻き込んで傷付けるのは嫌……
雪花は耳を塞いでくれていた春陽の元から抜け出すと、咄嗟に手を伸ばした。
どうにかしたかった。
自分のせいで周りが傷つくのはもう嫌だから。
「ゆ、雪花さまっ!」
「雪花殿っ!」
琴乃の悲痛な叫びが聞こえたが、雪花の身体は止まらなかった。
火が迫り来る。
手付近にほんのり熱が伝わった時、思い切り手首を引かれる感覚がした。




