第6話:あざとい女の誘惑と、夫の神対応
金曜日の残業中
オフィスのフロアには、キーボードを叩く音だけが静かに響いていた。
僕――安藤 巧(あんどう たくみ・28歳)は、デザインデータの最終チェックを
黙々と進めていた。
(よし、あと三十分で終わるな。 帰ったら茜が買って置いてくれた
プリンを食べよう)
そんなことを考えてモチベーションを上げていた、その時だ。
「安藤せんぱ〜い……まだ残ってたんですかぁ?」
甘ったるい声とともに、後輩の萌が僕のデスクの横にぬっと立った。
萌は入社二年目のデザイナーで、社内では「あざとい系女子」として
男子社員からチヤホヤされているらしい。
ネクタイを緩めた僕の肩に、萌がフワッと身を乗り出してきた。
人工的な甘い香水の匂いが鼻をつく。
「安藤先輩って、いつも遅くまで頑張っててすご〜い。
……あ、肩、凝ってません? 揉んであげましょうか〜?」
「あ、いいです。パーソナルスペースに入られるの苦手なんで」
僕は視線をPC画面に向けたまま、スッと椅子を引いて距離を取った。
「えっ……冷たい〜! 萌、先輩の心配をしてあげてるのにぃ」
萌はぷくっと頬を膨らませ、上目遣いで僕を覗き込んできた。
「ねえ、安藤先輩。 私、知っちゃったんです。
先輩のおうち、奥さんと寝室別々で……夜の営みもないんですよね?」
(……あー、またその話か。世間って本当に人の家庭の夜のことに興味津々だな)
僕は心の中で盛大なため息をついた。
「萌、奥さんからの愛を感じられなくて、可哀想だなって思っちゃいましたぁ。
男の人なのに、そんな放置されて……欲求不満になりません?」
「全然」
「え〜! 強がっちゃって! ねえ、このあと萌とお酒飲みに行きませんか?
先輩の愚痴、なーんでも聞いてあげますよぉ? …
…なんなら、萌の家に来てもいいですよ?」
萌はあざとく首をかしげ、いたずらっぽく微笑んだ。
……なるほど。
妻に大事にされていないと思い込んでいる男に同情するフリをして、
自分に気を持たせようという腹づもりか。
だが、申し訳ない。 僕の心には、ミリ単位の隙間すら存在しないのだ。
「萌さん」
「はいっ♡ 何ですかぁ?」
「僕のパーソナルスペースに入っていいのは、世界で妻の茜だけなんだよね」
「……え?」
「それに、僕は妻が作ってくれたポテトサラダ以外の食べ物に興味がないし、
妻と過ごす家以外の場所に価値を感じないんだ」
僕が一切の感情を排した無機質な声で告げると、萌の笑顔が引きつった。
「え、いや……でも、夜の営みがないって……」
「僕たちはお互いを高め合い、尊重し合える最高のパートナーなんだ。
『夜の営み』なんて一握りの要素でしか夫婦を測れない君の貧困な価値観に、
僕らの夫婦生活を侮辱されたくないな」
「ひっ……!」
僕が冷ややかな視線で射抜くと、萌は後ずさりした。
「あと、残業中に仕事と関係ない私情で話しかけないでくれる?
妻とプリン食べる時間が遅くなるから」
「す、すみませんでしたぁぁ……!」
萌は顔を真っ赤にして、自分のデスクへと逃げ帰っていった。
ふぅ、無駄な時間を食った。
データを保存し、PCをシャットダウンする。
カバンを手に取り、僕は一刻も早く茜の待つ我が家へと足早に向かった。
◇
四十分後。
「――ってことがあってさ」
「ぶはっ! 『妻とプリン食べる時間が遅くなるから』って言ったの!?
巧、最高すぎるんだけど!」
リビングで話を聞いた茜が、お腹を抱えて爆笑している。
「だって本当のことだし。 ほら茜、プリン半分こしよう」
「うん! 巧、今日も無敵のガードをありがとうね」
「当たり前でしょ。僕の女神は茜だけだから」
ふたりでスプーンを伸ばし、美味しいプリンを口に運ぶ。
世間がどれだけ甘い誘惑や偏見を投げかけてこようと、
僕たちの最強の絆を崩すことなんて、絶対に不可能なのだ。
(第6話・終わり)
最後までお読みいただき、ありがとうございます
あざとい後輩女子を容赦なく撃退する、夫・巧の神対応回でした
「巧の塩対応、スカッとした!」「プリン最優先なの可愛すぎる」と思っていただけましたら、
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