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第0話:世界一の共同経営者が誕生した日

~ふたりの出会いから結婚にいたるまでの軌跡~


二十五歳の春


  世間では新しい出会いや新生活に心が躍る季節とされるが、

あかねたくみの二人が抱いていた感情は、どこか冷ややかで、

しかし極めて合理的だった。


「一人でいるのが、一番ラクで自由だ」


 それは、二人がそれぞれ別の場所で、心底から確信していた真理だった。

システムエンジニアとして働く茜は、過去の恋愛で元カレたちから

「冷めている」「女としての情がない」と責められ、

すっかり恋愛に疲れていた。

 一方、同じくIT関連企業に勤める巧もまた、自分の部屋で誰にも邪魔されずに

ゲームをする時間を何より愛し、他人に生活リズムを乱されることを極度に

嫌う人間だった。


 だが、二十五歳という年齢は、彼らに「完全な一人暮らし」の継続を許さない

無言の圧力をかけ始めていた。

 茜の職場では「独身で身軽なんだから」と残業や突発的なトラブル対応が

押し付けられ、実家からは「そろそろ良い人はいないのか」と定期的な催促が

飛ぶ。

 巧にとってもそれは同様で、親からの見合いのプレッシャーや、会社で

「独身だから休日出勤や急なサーバー障害対応もいけるだろ」と仕事を背負わ

される毎日に、密かなストレスを溜め込んでいた。

さらに、病気で倒れた時のリスクや、家賃・光熱費の全額自負担、

老後の不安など、完全に一人で生きることの非効率さも無視できなくなっていた。


『お互いのパーソナルスペースを一切侵害せず、世間からのウザい干渉を防ぐ

完璧な防音壁になってくれて、生活コストや家事を折半できるパートナー

……そんな「共同経営者」みたいな人、どこかにいないものか』


 自分の時間と快適さを一生守るための、合理的リスクヘッジ。

まったく同じ動機と計算を胸に抱きながら、二人は半ばダメ元で

マッチングアプリの扉を叩いたのだった。



静かなカフェの窓際


 アプリのプロフィールに『一人好き』『効率重視』とだけ書き残した無骨な男・

(たくみ)の前に、(あかね)が腰を下ろした。

互いに「どうせ今回もうまくいかないだろう」という諦めを胸に秘めながら、

商談の席にでも臨むような硬い表情で向き合う。


茜が切り出す

「あの、安藤さん」


「はい、安藤です」


「……単刀直入に伺いますね。これ、お互いの時間の節約になると思うので」


「ええ、助かります。効率的な取り決めは大好きです」


無駄な社交辞令を省く姿勢に、二人はわずかな居心地の良さを覚えた。

そして茜は、これまで男たちをドン引きさせてきた「自身の結婚条件」を、

ここで一気にぶつけることにした。


「私、もし結婚したとしても、絶対に寝室は別々にしたいんです。

最高の睡眠環境を崩したくないので。あと、お財布もお互い完全別々で、

自分の自由になるお金はお互い干渉しないルールにしたいです」


「……ほう」


「それと、私……夜の営みとか、そういったスキンシップにまったく興味が

持てなくて。ベタベタされるのも苦手なんです。

こんな条件、普通は嫌ですよね? 振っていただいて構いませんので……」


また「冷たい女だ」と呆れられる覚悟で目を伏せる茜。

だが、その言葉を聞いた瞬間、巧の目は宝物を見つけたかのように激しく輝いた。


「……素晴らしいですね」


「……え?」


予想外の感嘆の声に、茜は驚いて顔を上げた。


「それ、僕が喉から手が出るほど求めていた条件そのものです!

僕も一人時間が大好きで、ゲーム時間を絶対に邪魔されたくない。

お小遣い制も夜の営みも、正直すべて不要です。

独身のままだと世間の圧力が面倒だから世帯を組みたかったけれど、

普通の結婚生活なんて地獄だと思っていたんです」


 二人の脳内で、カチリとパズルのピースが音を立ててハマった。

恋愛感情という不確定で泥臭いものではなく、完璧な利害一致。


「――茜さん」


巧は身を乗り出し、人生で一番真剣な顔で告げた。


「僕たちは、ドロドロと惹かれ合う恋人にはなれないかもしれません。

ですが、

『人生というプロジェクトを、ストレスゼロで円滑に回す最高の共同経営者』

にはなれると思いませんか?」


共同経営者。

その響きに、茜の胸が大きく高鳴った。

世間の求める「愛し合う夫婦像」など無視していい。

お互いの領域を尊重し、最高の居心地の良さを共同で作っていけるパートナー。


「……ふふっ、あははは!」


茜はお腹を抱えて弾けるように笑った。


「何ですかそれ! でも……最高に気に入りました!」


「本当ですか! では、我が安藤プロジェクトの共同経営者として、

まずは『お試し交際』をスタートさせていただけますか?」


「喜んで! 巧パートナー!」


 カフェの片隅で、二人は力強い握手を交わした。

それは、世間の常識を爽やかに裏切る「最強のカップル」が誕生した

瞬間だった。


 それから一年の交際期間――週末に美味しいものを食べに行き、

基本はお互いの家でゲームや読書に没頭するという快適すぎる時間を経て、

茜が二十六歳を迎えた日。

互いの自由と権利を守る完璧な『安藤家誓約書』を取り交わし、

二人は晴れて夫婦となった。


 あれから二年が経ち、二十八歳になった今も。

同じベッドで寝なくても、夜の営みが一度もなくても、

二人は世界で一番互いを信頼し合える「最強のパートナー」として、

どこまでも穏やかで満たされた日常を歩み続けている。


(第0話・完)

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます

本編(第10話)のその後に、ふたりの「原点」である出会いと結婚の軌跡を

第0話としてお届けいたしました。

初対面のカフェで「共同経営者」という契約を交わしたふたりの過去を

楽しんでいただけましたら幸いです

 これまで安藤夫妻の物語を最後まで温かく見守ってくださり、

心から感謝申し上げます。


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