第五十回:年の瀬
文化八年。冬は師走。江戸は日本橋。夜半の橋の袂に、一台の「夜鳴き蕎麦屋」に灯りが付いていた。
提灯に書かれている屋号は「清吉」。暖簾には「二八」と書いてあった。
夜半すぎ。八丁堀が暖簾をくぐった。
「天ぷら、あるかい」
「ちょうど、最後の一つでさぁ。間に合いましたね、旦那」
そう言って、店主は、蕎麦を一束、茹で始めた。
「……今年は、色々あったな……」
「……さいですね……」
茹で上がった蕎麦の湯切り音が八丁堀の耳に届く。
湯気とともに出し汁の香りが鼻をくすぐる。
「……ここの蕎麦の味がおかしくなった時は、どうしたもんかと思ったぜ」
「……その節は、ご迷惑をかけやした……」
店主は、蕎麦に出し汁をかけ、かき揚げを乗せた。
「はいよ。天ぷら、お待ち」
店主は八丁堀に天ぷら蕎麦を出した。
「……ありがとよ」
八丁堀は箸を取り、七味をパラリパラリと振りかけた。
そうして、八丁堀は天ぷら蕎麦を啜るのだった。
「やってるかい」
常連客が暖簾をあげた。
「いらっしゃい。何にしましょう」
「天ぷら、頼むよ」
「……すいません。今日は天ぷら、終いでして……」
「そうかい。じゃあ、かけ、頼むよ」
「あいよ、かけね」
店主は、蕎麦を一束、茹で始めた。
茹で上がった蕎麦の湯切り音が常連客の耳に届き、湯気とともに出し汁の香りが鼻をくすぐる。
店主は、蕎麦に出し汁をかけ、蒲鉾と麩を二つずつ乗せ、刻み葱を置いた。
常連客が声を荒げた。
「おい、俺が頼んだのはかけだ。しっぽくじゃない!」
「わかってますよ、旦那」
店主は静かに答えた。
「しっぽくの具を余らせて駄目にするよりは、旦那に食ってもらった方がマシでさぁね。お代はかけのままで結構ですぜ」
「……お、おう。そうかい。大声出してすまねぇな……」
「いえ、勝手に乗せたあっしも悪いんで……」
店主は常連客に蕎麦の椀を差し出した。
「ありがとよ……じゃ、馳走になるかね」
常連客は箸を取り、蕎麦を啜った。
常連客の顔は、満足げな笑みに包まれたのだった。
冬の夜風に吹かれて、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。
屋台を畳む頃、雪がパラリパラリと降り始めた。
文化八年が暮れていった。




