10-2 軽すぎる鬘は飛んでいく
陽輪花の綿毛から作った最初の鬘が完成したのは、エルナを秘密の庭へ案内してから12日後のことだった。完成したといっても、王宮で使われているような豪華なものではない。
高く盛り上げた前髪もなければ、肩まで垂れ下がる巻き髪もない。淡い栗色に染めた綿毛を短く揃え、頭の形に沿わせた、簡素な鬘だった。
それでも、これまでの試作品とは違う。土台から毛先まで、すべてがつながっている。
頭へ載せれば、きちんと一つの鬘として見えた。
「とりあえず、できた」
チャチャは鬘置きの周りを、ゆっくり一周した。正面から見たり、横へ移動して見る。
少し離れ、目を細めて眺めたり、どの方向から見ても、頭へ綿毛を載せているようには見えない。
近づけば、人の髪よりも繊維が柔らかく、表面にわずかな光沢があることには気づく。それでも以前の細い縄とは比べものにならなかった。
「触ってもいい?」
「毛先だけでしたら」
エルナの許可を得て、チャチャは指先で栗色の毛を撫でた。
ふわりと柔らかい。けれど、ただの綿毛ではない。
房の根元は細い糸で留められ、軽い網へ規則正しく並べられている。指で撫でても抜け落ちず、毛先は同じ方向へ流れた。
「これを、お父様が被るの?」
「そのために、頭の寸法を測りましたから」
エルナは当然のように答えた。
お父様の頭を測るまでには、3日ほどかかった。正確には、測定に3日必要だったわけではない。
お父様を研究室の椅子へ座らせるまでに、ほとんどの時間を使ったのだ。
仕事があるし、会わなければならない人がいる。
急ぎの書類も見つかった。
書類が見つからないので探さなければならない。最後には、今日は頭の調子が悪いという、意味のわからない理由まで出てきた。頭が痛いのかと心配したら、そうではないらしい‥‥‥
つまり、頭を測られたくないということだ‥‥‥
結局、お母様が「座ってください」と一言告げたことで、すべての仕事と書類と頭の都合は解決した。
お母様は、ときどきお医者様より効く。
「試着をお願いしてくる」
チャチャが鬘を持ち上げようとすると、エルナが素早く手を伸ばした。
「私がお持ちします」
「壊さないよ」
「壊す心配ではございません。完成するまでは、作り手以外が土台を持つべきではありません」
声は静かだったが、譲る気はないらしい‥‥‥
チャチャは素直に手を引っ込めた。
エルナは鬘を両手で持ち、お父様の部屋へ向かった。チャチャ、フェリクス、マリアネーゼも後へ続いた。
お父様は机に向かっていた。扉が開き、全員が入ってきても、すぐには振り返らない。いつもより熱心に書類を読んでいるように見える‥‥‥
「お父様。できたよ」
「何がだ?」
「わかってるでしょう?」
「私は今、重要な書類を読んでいる」
チャチャは机の横へ回り込み、紙をのぞいた。
「それ、さっきから逆さまだよ」
お父様は無言で紙を上下へ返した。
「これでよい」
「よくないよ。試してくれる約束でしょう?」
お父様は、ようやく鬘を見た。緑色ではないとわかり、少しだけ安心したらしい。
椅子の背もたれへ体を預け、しばらく栗色の試作品を観察する。
「思っていたより、普通だな」
「それは褒めてる?」
「頭へ載せても問題がなさそうに見える、という意味だ」
「それなら、載せて確かめよう」
逃げ道が閉じた。
お父様は諦めたように、今まで被っていた白い鬘を外した。その下から現れた髪は、以前に見たときより少し整っていた。
鬘の数を減らし、香油をつける量も少なくなったことで、頭皮の赤みは薄くなっている。後頭部の髪が少ないことにまだ変わりはないが、そこは見ないふりをした。チャチャも、少しだけ大人になったのだ。
「今、後ろを見ただろう」
「見てないよ」
「間があったぞ」
「頭の形を見ただけ」
「髪ではなく?」
「形を」
嘘ではない。全部が本当でもないが‥‥‥
エルナは笑うことなく、薄い布でお父様の髪をまとめ、その上へ試作品を載せた。額の位置を合わせ、耳の周りを整える。最後に後頭部の紐を結び、鏡を正面へ置いた。
お父様は、しばらく自分の姿を見つめていた。
「どう?」
「ものすごく、軽い‥‥‥」
最初に出た感想は、見た目ではなく重さだった。これまでの鬘は、量が多いほど立派だと考えられてきた。人の髪や獣毛を何重にも重ね、形を固めるための油や粉を使い、さらに飾りまで加える。
大きなものは、頭へ載せた瞬間から首へ重さがかかった。陽輪花の鬘は、同じ大きさの古い鬘と比べても、驚くほど軽い。お父様は首を左右へ動かした。
栗色の毛先が、動きに合わせて柔らかく揺れている。
「何も載せていないようだ!」
「それは言いすぎじゃない?」
「今までのものと比べれば、だ」
エルナはお父様の額と耳の後ろを確かめた。
「痛むところはございますか」
「ない。締めつけられる感じも、今のところはしない」
「暑くは?」
「古い鬘より、かなり涼しい」
お父様の声から、警戒が少しずつ消えていく。鏡を斜めにし、横からも確認した。
栗色はお父様の本来の髪色に近い。境目も目立たず、白い鬘を被っているときより、いくらか若く見えた。
「お父様、似合ってるよ」
「そうか?」
「うん。頭も小さく見える」
「以前は大きく見えていたのか?」
「鬘が大きかったから」
お父様は鏡へ顔を近づけた。どうやら、まんざらでもないらしい。
「室内で被るだけでは、わからないこともあります」
エルナが言った。
「歩いたときのずれや、風を受けた際の安定も確認したいのです」
「庭へ出るのか?」
「はい」
お父様の表情に、再び警戒が戻った。
「人に見られない場所でね」
チャチャが付け加える。
「本当に、誰もいない場所だろうな?」
「オスカーはいるかも」
「それは誰もいないとは言わない」
それでも、一度被ってしまえば諦めもついたらしい。一行は、人目の少ない裏庭へ移動した。
この日の風は弱かった。
木々の葉がかすかに揺れ、陽輪花の綿毛がゆっくりとなびく程度である。
お父様はいつもより慎重に歩いていた。
十歩進み、振り返る。さらに少し速く歩いたが鬘はずれなかった。
「問題なさそうだな」
「まだ、風を受けてないよ」
「十分に歩いただろう」
「歩いただけでは、強い風の日に使えるかわかりませんよ」
チャチャは風が吹くのを待った。フェリクスも空を見上げる。全員が黙って待っていると、なぜか風は止まった。
「今日は無風のようだな」
お父様が、少し嬉しそうに言った。
そのとき、オスカーが大きな板を持って現れた。
「風が必要だと伺いましたので、こちらをお持ちしました」
「誰から聞いた?」
「チャチャ様からです」
もちろん、事前に頼んでおいた。オスカーとフェリクスが板の両端を持ち、お父様へ向かって動かす。
一度目は弱く。
二度目は、少し強く。
作られた風を受け、栗色の毛先が大きくなびいた。
「もう少し強くしてみよう」
「待て。今でも十分に‥‥‥」
三度目の風が、お父様の正面から吹きつけた。
軽い鬘が、ふわりと浮いた。
「あっ‥‥‥」
完全には飛ばない。後頭部の紐が引っかかり、頭の上で斜めになった。右側の毛が額へ垂れ、左側は耳の上まで持ち上がった。片目だけを栗色の髪に隠したお父様が、その場に立ち尽くした。
オスカーは板を置き、走り出せる姿勢を取った。
「まだ、飛んでない!」
チャチャが慌てて止める。
「飛んだ場合に備えました」
「備えが早すぎるよ」
フェリクスは口元を押さえ、横を向いていた。肩が細かく震えている。
「笑っているな?」
「いえ。風が、少し冷たくて」
「今は暖かい季節だ」
エルナは急いで鬘を元の位置へ戻した。
髪そのものに傷みはない。房も抜けていなかった。問題は、あまりに軽すぎることだった。
従来の鬘は、重さによって頭へ安定していた。
陽輪花の鬘には、その重さがないんだ。軽いことは長所だが、同時に、風へ持ち上げられやすいという欠点にもなる。
「留め具を増やしますか‥‥‥」
エルナが言った。
「ただし、頭を締めつければ、軽くした意味がありません。別の留め方を考える必要があります」
お父様は斜めになった鬘を押さえながら、屋敷の方を見た。
「今日は、これで終わりか?」
「もう一度だけ試したい」
「今、問題が見つかったのだろう?」
「もう一度飛ぶかもしれないでしょう?」
「一度飛びかければ十分だろう」
お父様の意見は、珍しく正しかった。こうして、陽輪花の鬘は初めて人の頭へ載せられた。
軽いし、涼しい。
見た目も悪くない。
風が吹くと飛びかけるけれど‥‥‥
完成したと思った鬘は、まだ空を目指していた。




