9-5 女は鬘を作ってはいけません
「女性は、鬘を作ってはいけないの?」
チャチャが尋ねると、マリアネーゼはすぐには答えなかった。鬘を作る工房にも、女性は働いている。
毛を洗い、長さや色ごとに選別する者。染料を煮る者。土台となる布や網を縫う者。
細かな作業の多くを、女性たちが担っていた。しかし、鬘職人として組合へ登録できるのは男性だけだった。
女性は材料に触れることはできても、鬘を設計したり、客の頭へ合わせて仕上げたりすることは許されていないそうだ。どれほど腕がよくても、女性の名前で鬘を売ることはできなかった。
「変なの」
チャチャは素直に言った。
「女性が触った毛で作っているのに、女性が作った鬘は駄目なの?」
「決まりとは、ときに不思議なものでございます」
「不思議というより、都合がいいだけじゃないかな」
必要な仕事は女性へ任せるけど、けれど、完成させた名誉と代金は男性が受け取る。大変な作業は女性がしているのに、ずいぶん勝手な仕組みに思えた。マリアネーゼが知っている女性は、エルナという名前だった。商家に生まれ、幼いころから手先が器用で、家計を助けるため鬘工房へ入り、最初は床掃除と毛の洗浄だけを任されたという。
工房では、人から切り取った髪や動物の毛を買い集め、洗浄し、色と長さを揃える。毛にはそれぞれ癖があるし、柔らかな毛は軽いが、形が崩れやすい。
太く硬い毛は立派な巻き髪を作れる一方、重くなりやすい。見た目の美しさだけで組み合わせると、頭の片側へ重さが偏ることもあった。
エルナは、毛を指先で触るだけで、その特徴を見分けられたそうだ。洗い上がった毛を並べ直し、相性のよいものを同じ箱へ入れる。彼女が選別した材料を使うと、完成した鬘は軽く、形も長く保たれた。
やがて彼女は、土台の網を縫う仕事を任された。その縫い目は、誰よりも細かかった。毛を結びつける位置まで計算されているため、完成後に網が引きつれることもない。しかし、そこで止めておけばよかったのだと、工房の者たちは言ったらしい。
「止めなかったの?」
「はい。夜、ほかの職人が帰ったあとに、鬘を作る練習を始めたそうです」
女性には誰も教えてくれないため、昼間に職人たちの手元を見て覚えたそうだ。捨てられた短い毛を集め、古い網を修理し、何度も結び直す。
毛の流れ。
巻き方。
頭へ載せたときの重さの分散。
エルナは、眠る時間を削って技術を身につけた。転機となったのは、工房へ難しい注文が入ったときだった。依頼主は、首を痛めた年配の女性だった。
格式ある場へ出るため、大きく豪華な鬘が必要だという。だが、重いものは首へ負担がかかり、長時間被ることができない。工房の親方は、見た目の大きさを優先した。
完成した鬘は豪華だったが、あまりにも重く試着した女性は、半刻も経たないうちに首の痛みを訴えたという。作り直す時間は、ほとんど残っていなかった。
その夜、エルナは一人で工房に残った。
内側の見えない部分から重い毛を外し、軽い毛へ交換する。巻き髪の中へ空間を作り、少ない毛でも大きく見えるよう形を整えた。
翌朝までに出来あがった鬘は、最初のものより軽く、それでいて豪華に見えた。
依頼主もそれは喜んだ。だが親方は、それを自分が作った鬘として納品した。
「エルナは、何も言わなかったの?」
「最初のうちは、黙っていたそうです」
女性が作ったと知られれば、注文そのものが取り消されるかもしれないと‥‥‥
そう言われれば、反論しにくかったのだろう。それから親方は、難しい注文が入るたび、エルナへ仕上げを任せるようになった。
表では『女に鬘は作れない課』と言いながら、夜になると彼女へ仕事を押しつけた。エルナの作った鬘は評判になった。工房の名声は上がり、親方は優れた職人として扱われるようになった。けれど、エルナの給金は下働きのままだった。
ある日、親方の弟子が、エルナの作業を見つけた。
彼女が鬘を作れると知った弟子たちは、仕事を奪われるのではないかと騒いだ。親方は自分を守るため、エルナが勝手に材料を使い、許されていない鬘を作ったと言い出した。
「それで、解雇されたの?」
「はい。組合の決まりを破ったとして、ほかの工房でも雇わないよう話を回されたそうです」
「作らせていたのは、その親方なのに?」
「その証拠がありませんでした」
チャチャの胸の奥に、重たいものが溜まった。腕が悪くて解雇されたのではない。腕がよすぎたから、恐れられたんだ。しかも、その腕を都合よく利用した者によって追い出されたのだ。
そんなことがこの世界では、当たり前なのだろう?いつの時代も女性を下に見る国というものは存在する。前世での日本も昔からそういう風習はあった。ある一部の国では、女性が強い国もあるそうだけれど‥‥‥
エルナは今も鬘職人を名乗れずにいる。
「エルナは、今どうしているの?」
「衣服の修繕や、古い布の仕立て直しをして暮らしています。仕事は丁寧ですが、鬘には触れていないそうです」
「会ってみたい」
チャチャは迷わず言った。
女性だから駄目だと言われた人物なら、陽輪花の綿毛を見ても、前例がないから駄目だとは決めつけないかもしれないけど‥‥‥
それに、チャチャたちが必要としているのは、立派な工房の名前ではない。未知の材料を確かめ、自分たちが見落としていることを教えてくれる、本物の技術だった。
3日後、エルナが屋敷を訪れた。30歳前後の、小柄な女性だった。
栗色の髪を後ろで固くまとめ、装飾のない濃紺の服を着ている。両手の指先には、長く針や糸を扱ってきた者らしい小さな傷が残っていた。
案内された部屋へ入っても、驚いた様子は見せなかった。頭を下げたあと、チャチャたちの顔を順番に見る。
「私に、鬘を作らせたいと伺いました」
「まだ作れるかどうかも、わからないんですが‥‥‥」
チャチャは、陽輪花やにゃわんの存在をすべて話すことはしなかった。庭で見つかった珍しい植物から取れた繊維であること。
軽く、丈夫で、水や湯にも耐えること。
これを鬘に使えないか、秘密を守ったうえで調べてほしいこと。
必要なことだけを説明した。
「もちろん、働いてもらうなら給金を払います。作ったものを、ほかの人の名前にすることもしません」
エルナの表情が、ほんのわずかに動いた。
「私の名前で、という意味でしょうか」
「作った人の名前にするのは、普通のことです」
「少なくとも、鬘工房では普通ではございませんでした」
「じゃあ、ここでは普通にするわ」
チャチャはそう言ってから、机の上に研究材料を並べた。
梳く前の白い綿毛。
櫛で整えた繊維。
太さの違うこより。
染め損なったまだら模様。
栗色に染めたもの。
古い鬘の網へ結んだ、たった一本の試作品。
エルナは、一つずつ無言で確かめた。指で撫で、光へかざし、軽く引っ張ったり、濡らしたものと乾いたものを比べ、こよりの端を爪先でほどいたり‥‥‥
すると、目つきが変わった。
部屋へ入ったときには感情を見せなかった瞳に、強い光が宿っているようだった。
「どう?」
待ちきれず、チャチャが尋ねた。
「丈夫な繊維です。軽く、湯でも大きく縮まない。これほどの材料は、今まで見たことがありません」
「鬘にできる?」
エルナは、網へ結ばれた栗色の一本を持ち上げた。しばらく観察したあと、首を横へ振る。
「この作り方では無理です」
チャチャの胸が沈んだ。何日も試し、ようやく作った一本だったが‥‥‥
やはり、陽輪花の綿毛を髪の代わりにすることはできないのだろうか?
「そう‥‥‥」
「チャチャ、最後まで聞こう」
フェリクスに言われ、チャチャは顔を上げた。
エルナは、梳いたままの綿毛を何本か重ねている。
「人の髪と同じ一本の毛にしようとするから、太くなるのです。強く捻れば縄に見え、細くすれば必要な丈夫さを失います」
「じゃあ、やっぱり髪にはならない?」
「はい。この繊維は、髪にはなりません」
エルナは言葉を切り、今度は鬘の土台となる網を裏返した。網目の大きさを測り、綿毛の束を細い房にして、その上へ置く。
「ですが、鬘にはできます」
チャチャは瞬きをした。
「髪にならないのに?」
「鬘は、一本の髪を作るものではありません。頭へ載せたとき、髪のように見えればよいのです」
エルナは数本の綿毛を捻らず、平たい小さな房にした。根元だけを糸で押さえ、網の裏側へ仮留めする。表へ返すと、綿毛は一つの太い縄ではなく、何本もの細い毛が重なったように広がった。
チャチャたちが何日も考えていた方法とは、まったく違う。
一本ずつ髪を作る必要はなかったんだ。綿毛の柔らかさを残し、束のまま髪に見せればよいのだ。
「この繊維専用の土台と、留め方を考える必要があります。従来の鬘と同じ作り方は使えません」
「作れるの?」
エルナは、初めてわずかに笑った。
「それを確かめるために、私を呼んだのではございませんか?」
チャチャの胸に、消えかけていた期待が戻ってきた。女性だから鬘を作れないと言われた職人だった。
髪にはならない綿毛。どちらも、これまでの決まりに当てはめれば使えないものだった。けれど、その二つが出会ったことで、今までにない鬘が生まれるかもしれないんだ。
「エルナ。私たちと一緒に、作ってくれる?」
「一つ、条件がございます」
「何?」
「完成するまでは、鬘と呼ばないでください。今のこれは、頭へ載せる綿毛です」
フェリクスが試作品を見下ろした。
「確かに、そのとおりだな」
「お兄様まで!」
研究は一歩進んだはずなのに、鬘から「頭へ載せる綿毛」へ名前が戻ってしまった。
それでもチャチャは笑った。
エルナの腕があれば、いつか本当に鬘と呼べる日が来かもしれない‥‥‥
できれば、お父様の残り10個の鬘が、再び匂いを育て始める前に‥‥‥




