9-4 失敗は新商品ではありません
翌日の午後、研究机の上には、白いこよりと色の濃い液体が並んでいた。
濃く煮出した茶や赤い果実を潰して取った汁、それから木の実の殻から作った茶色い染液。
そして、料理に使う香草を煮出した緑色の液体など、小瓶だけを見れば、鬘の研究というより、怪しげな薬を作る準備に見える。
「なぜ、香草の汁まであるんだ?」
フェリクスが緑色の液体をのぞき込んだ。
「色が濃かったから」
「緑色の鬘を作るのか?」
「作れるかどうかは、試してみないとわからないでしょう?」
「作れた場合は、誰が被るんだ?」
チャチャは答えず、廊下の方を見た。フェリクスも同じ方向へ顔を向ける。
そこには誰もいなかった。
「緑は、最後にしようか」
「ああ。家庭の平和は大切だ」
この国では、白い鬘が広く使われている。正式な場では白や薄い灰色が好まれ、若い貴族は金色や栗色を選ぶことが多い。衣装に合わせて色を替える者までいる。
陽輪花の綿毛を白いまま使えるなら、染める手間は省けけど、その白さは人間の髪とは少し違った。
繊維の表面に細かな凹凸があるため、光をいくつもの方向へ反射する。明るい場所では銀色に輝き、髪よりも糸や飾り紐に見えてしまう。それもいいかもしれないけれど‥‥‥
染めることができれば、その輝きを少し抑えられるかもしれない。
「最初は、ほんの少しだけ使おう」
失敗する可能性を考え、チャチャは短いこよりを三本用意した。
一本目は茶へ。
二本目は木の実の染液へ。
三本目は赤い果実の汁へ沈める。
白い繊維が液体を吸い、少しずつ色を変えていった。
茶は淡い金色。
木の実は栗色。
果実は柔らかな桃色になった。
「染まったけど‥‥‥」
チャチャの胸が高鳴るが乾くとまた違うんでしょうね。液体へ浸すだけなら、昨日のように一本ずつ櫛で梳くよりは簡単だ。
ところが、布の上へ取り出すと、すぐに問題が見つかった。
表面には色がついている。
だが、こよりを少しほどくと、捻られた内側は白いまま残っていた。
一本の中に、濃い部分と薄い部分がある。
「全部、染まったと思ったけど‥‥‥」
喜びが大きかった分、落胆も大きかった。木の実で染めたものは、角度を変えるたび白い筋が見える。この状態で鬘にすれば、髪が揺れるたびに色が変わってしまうだろう。
フェリクスは栗色と白の混じったこよりを持ち上げた。
「遠くからなら、わからないのではないか?」
「鬘は近くでも見られるんだよ」
「それなら、二色を楽しめる新しい鬘として売るのもいいんじゃないか?」
「失敗を新商品みたいに言わないで」
「見る角度によって色が変わる、画期的な鬘だ」
「言い方を立派にしても、染め損ないだからね」
商売としては、完全に間違っているとも言い切れない。ただし今の所、新商品を考えているのではない。最初から最後まで、同じ色に染めたいのだ。
「捻る前に染めればいいのかも」
失敗の原因は、繊維を固く重ねたことにある。
それなら、一本ずつ広げた状態で染めれば‥‥‥
チャチャは昨日、櫛で梳いた綿毛を少量取り出し、そのまま木の実の染液へ浮かべた。液体が繊維の隙間まで入り込み、すべてが同じ栗色へ変わっていく。
「今度は大丈夫そうだ」
フェリクスが言う。だが、問題は染液から引き上げるときに起きた。
水を吸って重くなった綿毛が、流れに従って中央へ集まる。きれいに揃えた繊維は絡まり、丸い塊になった。
「待って。ほどくから」
一本を引けば、三本ついてくる。
三本を戻そうとすれば、別の五本が巻きつく。
乾かしてみると、色だけは均一だった。
しかし、形は木の枝に引っかかっていた古い毛玉にしか見えない。
「色を取るか、形を取るかだな」
「両方欲しいの」
「欲張りだ」
「鬘の半分が毛玉でもいいの?」
「それは嫌だな」
乾いていれば風に乗って逃げるし、濡らせば隣の繊維と絡まる。捻ってまとめれば、内側まで染まらない。陽輪花の綿毛は、丈夫で軽いという長所を持つ代わりに、加工する人間へ次々と難題を出してくる。
それでもチャチャは、研究をやめたいとは思わなかった。
失敗するたびに、新しい性質がわかるし、何が悪かったのかを考える時間は、答えを最初から教えてもらうより面白かった。
「染めている間、綿毛が動かなければいいんだよね」
その呟きを聞いたマリアネーゼが、裁縫道具の中から丸い刺繍枠を取り出した。
「こちらへ広げて留めてはいかがでしょう」
綿毛を櫛で梳き、白い繊維を枠の中央へ並べてみる。両端だけを糸で固定し、枠ごと木の実の染液へ沈めた。今度は水の中で揺れても、繊維が中央へ集まらなかった。
液を吸った綿毛が、少しずつ栗色へ変わっていく。
枠のまま引き上げ、窓辺で乾かした。
待っている間、チャチャは何度も様子を確かめた。
「見つめても、早くは乾かないぞ」
「近くで待っているほうが、少し早く乾く気がするの」
「気のせいだ」
ようやく乾いた綿毛を枠から外す。完全に同じ色ではない。根元は少し濃く、先端は明るかった。
けれど、不自然なまだらではなかった。人間の髪も光の当たり方で色が変わる。その程度の濃淡なら、むしろ本物らしく見えた。
「きれいにできた」
チャチャは栗色の繊維を手のひらへ載せた。昨日まで白かった陽輪花の綿毛が、自分たちの工夫で別の色へ変わっていた。
タンとポポが植えた種から育ったものだからこそ、無駄にせず使える方法を見つけたかった。
栗色の繊維を十本取り分け、水で湿らせて細く捻る。
乾かしてから古い鬘の網へ結ぶと、白い毛の隣に淡い栗色の一本が加わった。
「髪に見える?」
フェリクスは正面、横、少し離れた場所から眺めた。
「一本だけでは、よくわからない」
「正直すぎるよ」
「だが、昨日よりは毛らしい。縄には見えないようだ」
低い位置に置かれた合格だった。それでも、縄から毛へ進んだ。
チャチャは記録用紙へ、今日の結果を書き込んだ。捻ってから染めると、内側が白く残る。そのまま染めると、毛玉になる。刺繍枠へ固定すれば、形を保ったまま染められる。
ここまで書いたところで、チャチャの手が止まった。
「これを何本作れば、鬘になるのかな?」
鬘の網には、数え切れないほどの毛が結びつけられている。4人で一日かけて数本作る方法では、一つの鬘を完成させるまで何年かかるかわからない。
染め方は見つかったけど、だが、鬘の作り方は知らないし‥‥‥
自分たちだけで考え続けることに、そろそろ限界が近づいていた。
「本物の鬘職人に見てもらったほうがいいのかもしれない‥‥‥」
フェリクスも、珍しくすぐには冗談を言わなかった。陽輪花とにゃわんのことは、まだ外へ知られたくない。腕がよく、秘密を守り、見たことのない材料を笑わずに調べてくれる職人。そんな都合のよい人物がいるのだろうか。
「一人だけ、心当たりがございます」
マリアネーゼが静かに言った。
「ただ、その方は現在、鬘職人を名乗ることができません」
「どうして?」
マリアネーゼは少し迷ってから答えた。
「女性だからでございます」
チャチャは、栗色に染まった一本の綿毛を見下ろした。綿毛の扱いよりも、さらに面倒な問題が現れたようだった。




