9-3 綿毛に櫛は通らない
翌日の研究机には、一本の細長いこよりが置かれていた。
昨日、陽輪花の綿毛を水で濡らし、何本も重ねて捻ったものだ。乾いたあとも形は崩れず、両端を引っ張っても簡単には切れなかった。これだけを見れば、研究は順調に進んでいるように思える。
問題は、同じものをもう一本作れと言われると、作り方がわからないことだった。
「昨日の私、どうやって作ったの?」
チャチャは机に両手をつき、こよりを睨んだ。
「昨日のチャチャに聞けばいいよ」
隣に座っていたフェリクスが答える。
「昨日の私は、今日の私だよ」
「それなら話が早いな」
「覚えてないから困ってるの!」
昨日は、綿毛が切れないことに夢中だった。
何本使ったのか?
どのくらいの力で捻ったのか?
根元と先端を揃えたのか?
何一つ記録していなかった。
午前中の授業で、教師が話していた言葉が思い出された。
「同じ条件で、同じ結果を何度も出すことができて、初めて技術と呼べるのです」
一度なら偶然。
二度できれば、少し怪しい。
三度続けば、ようやく方法として考えられる。
いつか鬘職人に作ってもらうなら、チャチャの指先だけが覚えている作り方では困る。誰が試しても同じ太さになり、同じ丈夫さを持つものにしなければならない。
チャチャは籠から綿毛を一つ取り出した。丸く広がっているときには、どの繊維も同じように見えた。ところが、軸から一本ずつ外して並べると、長さも太さも違っている。
真っすぐなものや途中で緩く曲がったもの。二本が絡み、一本の太い繊維に見えるもの。
これらを適当に束ねれば、出来あがるこよりも場所によって太さが変わるし、鬘の右側には細い毛、左側には縄のような毛が垂れることになるだろう。
遠くからならごまかせるかもしれないけど、近くで見た者には、「途中から作るのが面倒になったのですね」と正確に伝わりそうだった。
「まず、同じ長さのものを選んで、向きを揃えよう」
チャチャは根元と先端を見分けながら、一本ずつ机に並べた。陽輪花の綿毛は、丈夫だがめちゃくちゃ軽い。指先でつまもうとすると、わずかな息で飛んで行ってしまうし、捕まえたと思えば別の指へ張りつき、外そうとすると袖へ移る。10本を並べ終えるころには、目だけでなく肩まで疲れていた。
「鬘一つ分を並べるのに、何年かかるかな」
「大人になるまでには終わるだろう」
「そのころには、私の鬘も必要になるじゃない」
「父上のは後回しにして、チャチャのを作ればいい」
「一生終わらない気がする」
チャチャがため息をつき、苦労して揃えた10本を持ち上げようとした、そのときだった。開いた窓から、柔らかな風が吹き込んだ。
「あっ‥‥‥」
10本の綿毛が一斉に舞い上がった。一本は天井へ向かい、一本は机の下へ潜り込んだ。フェリクスの髪にもつき、チャチャの鼻先にも張りつく。
「お兄様、窓を閉めて!」
「先に拾わないと踏むぞ」
「汚れるから動かないで!」
「窓はどうする?」
「閉めて!」
「動いていいのか、悪いのか、どっちだ」
フェリクスが悩んでいる間に、二度目の風が入ってきた。籠の中の綿毛まで浮かび上がり、ちょうど扉から入ってきたマリアネーゼへ降りかかる。
「‥‥‥まあ」
白い綿毛が、彼女の髪や肩へ積もった。
「マリアネーゼ、一気に白髪になったみたい」
「年を取るのは早いと申しますが、扉を一枚くぐる間とは思いませんでした」
研究を始めて、まだ四半刻も経っていない。それなのに部屋の中は、すでに一日の研究が終わったあとより散らかっていた。チャチャは床に膝をつき、綿毛を一つずつ拾った。
研究に使える量は限られているのに‥‥‥
タンとポポたちの食事にする風綿種、新しい陽輪花を育てるために植える種。それらを残したうえで、余った綿毛だけを分けてもらっているのだ。たとえ一本でも、踏んで汚したくはなかった。
「手で並べるだけでは、時間がかかりすぎるね」
丈夫であることと、扱いやすいことは違う。このままでは鬘になるより先に、屋敷中へ飛び散ってしまう。チャチャが落ち込んでいると、マリアネーゼが髪を整えるための櫛を持ってきた。
「一本ずつ並べるのが難しいのでしたら、梳いてみてはいかがでしょう」
「綿毛を?」
「人の髪も、糸にする前の羊毛も、絡まりを解いて向きを揃えます。似た方法が使えるかもしれませんよ」
チャチャは綿毛の束を机へ置き、端を押さえた。恐る恐る櫛を入れる。
最初は順調だった。櫛の歯が繊維の間へ入り、ばらばらだった綿毛を同じ方向へ導いていく。
「きれいになってる」
嬉しくなって、もう少し深く櫛を通した。途中で手応えが重くなった。絡まった部分へ、歯が引っかかったらしい。
「抜けない‥‥‥」
「貸してみろ」
フェリクスが櫛の柄を握り、チャチャが綿毛の端を押さえた。
「ゆっくりね」
「わかっている」
「絶対に、強く引かないでね」
ぶちっ。
綿毛の束が二つに分かれた。半分はチャチャの手元へ残り、もう半分は櫛と一緒にフェリクスの顔へ飛んでいく。口元から顎にかけて、長い白髭が生えた。
「お兄様も立派になりましたね‥‥‥」
「笑うな」
「お父様より長いよ」
「褒めていないだろう」
「少しだけ褒めてますよ」
マリアネーゼはフェリクスの顔から綿毛を外し、状態を確かめた。繊維そのものが切れたのではない。強く絡まっていた束が、二つに分かれただけだった。
「櫛の歯が細かすぎたようですね」
次に用意したのは、歯が太く、間隔の広い櫛だった。
先端から少しずつ梳き、大きな絡まりを分ける。次に中ほどの櫛で小さな絡まりをほぐし、最後に細い櫛で向きを整えた。最初から細かな櫛を使うのではなく、三段階に分ける。
すると、綿毛は櫛へ絡みつくことなく、薄く真っすぐに広がった。
チャチャは整えた綿毛を十本ずつ、三つに分けた。
同じ本数で、同じくらいの長さ。水へ浸す時間と、指先で捻る回数も揃える。窓を閉じたまま乾かすと、三本のこよりが出来あがった。
完全に同じではないけど、それでも、昨日までとは違い、太さも長さもよく似ていた。
「これなら、もう一度作れそう」
チャチャの胸に、小さな喜びが広がった。鬘にはなっていないが髪の毛と呼ぶにも、まだ太いし、それでも、偶然できた一本を、誰でも繰り返せる作り方へ近づけることができた。
チャチャは紙へ櫛の順番、綿毛の本数、水へ浸した時間を紙に書き込んだ。そして三本のこよりを、窓から入る光へかざす。銀色の輝きが、指先で揺れていた。
「次は、この白さだね」
白い鬘には使えるかもしれない。
だが、陽輪花の綿毛は人の髪よりも明るく、光を強く反射する。白というより、銀色の細い縄に見えた。
金色や栗色にも染められれば、使い道も広がる。
「明日は、染めてみよう?」
その言葉を聞いたフェリクスは、まだ顎に残っていた一本の綿毛を取り除いた。
「今度は、髭にならないものを頼む」
その約束だけは、少し難しそうだった。




