9-1 綿毛と、にゃわんじゃらし
庭の一角に生えた陽輪花は、その後もすくすくと成長を続けていた。
もちろん、タンとポポが植えた32本すべてが、すぐに大きくなったわけではない。芽を出したばかりのものもあれば、ようやくチャチャの足首くらいまで育ったものもある。植えられた場所や日当たりによって、成長の速さにはずいぶん違いがあった。その中でも、最初に芽を出した2本だけは別格だった。
チャチャの背丈を追い越し、フェリクスの背丈を越え、ついには見上げなければ花が見えないほどになり、大きな黄色い花を咲かせたあと、花びらはゆっくりと閉じていった。
そして数日後。
「真っ白になってる‥‥‥」
朝の散歩にやって来たチャチャは、陽輪花を見上げて立ち尽くした。黄色かった花は、巨大な白い綿毛へと姿を変えていた。
ひとつひとつの綿毛がチャチャの手のひらよりも大きく、それが何十本も集まって、丸い球を作っている。朝露を受けた綿毛は、光を反射してきらきらと輝いていた。
「ずいぶん立派な風綿種になりましたね」
隣でオスカーが感心したように目を細める。
「これ、どうやって回収するの?」
「普通の陽輪花でしたら、種が落ちるまで待ちます。ただ、これだけ大きいものとなりますと‥‥‥落ちた際に綿毛が土で汚れてしまうでしょう」
「鬘に使えるか調べたいから、できれば汚したくないなあ」
「では、網を張りましょう」
オスカーが用意していたのは、目の細かな薄い布だった。数人の庭師と協力し、陽輪花の周りに細い支柱を立て、花の下を包み込むように布を広げていった。
風で飛ばされそうになった綿毛を受け止める、大きな受け皿のようなものだった。
「全部、取ってしまうのか?」
フェリクスが心配そうに尋ねた。
「ううん。にゃわんたちが食べる分と、植える分は残すよ」
チャチャはそう答え、陽輪花の根元を見た。
父にゃわんと母にゃわんは、少し離れた草の上に座り、作業の様子を眺めている。タンとポポは支柱の間を行ったり来たりしていた。いつもと違うものが増えたので、気になって仕方がないらしい。
「最初に落ちる分は、にゃわんたちのものにしよう?それから、風で離れた綿毛だけ少しもらうの」
「採りすぎない、ということだな」
「うん。鬘より、陽輪花が増えるほうが、今は大事だから」
チャチャがそう言うと、父にゃわんが小さく尻尾を振った。言葉を理解しているのか、それとも偶然なのかは分からない‥‥‥
オスカーが長い棒を使い、花の茎をほんの少し揺らした。
ふわり。
熟していた綿毛が一本、花から離れた。
大きな綿毛は風を受け、ゆっくりと宙を漂った。
ただし、その先端にはずっしりと重い風綿種がついているため、地球のたんぽぽのように遠くへ飛んでいくことはできないのだ。
ふわふわと揺れながら、布の上に落ちようとして‥‥‥。
「にゃっ!」
横からポポが飛びついた。
「あっ‥‥‥」
ポポは前足で綿毛を叩き、そのまま綿毛と一緒に布の上へ転がった。
「ポポ、だめ! それは回収する綿毛なの!」
「にゃう?」
ポポは綿毛を前足で押さえたまま、首を傾げる。その目は、完全に遊び道具を見つけた子供の目だった。
もう一本、綿毛が風に揺れ、今度はタンが反応した。
すぐには飛びつかず、草の陰に体を低くする。白い眉毛のような模様の下で、丸い目が綿毛の動きを追っている。綿毛が地面すれすれまで下がった瞬間、タンは一気に駆け出した。
「にゃんっ!」
見事に綿毛を捕まえ、口にくわえる。
「タンまで!」
「2匹も、ずいぶん楽しそうだな」
フェリクスは笑っていた。
「笑っている場合じゃないよ。せっかくきれいに回収しようと思ったのに‥‥‥」
チャチャはポポから綿毛を取り戻そうとした。
しかし、ポポは綿毛をくわえたまま後ろへ下がる。
チャチャが引けば、ポポも引く。
綿毛の細い繊維が伸びた。
「切れちゃうよ!」
慌てて手を離そうとしたが、綿毛は切れなかった。細い毛のように見えるのに、ポポが体重をかけて引いても、しなやかに伸びるだけだった。
「本当に丈夫だな」
フェリクスが繊維の一本を指でつまむ。
「以前も引っ張ったけど‥‥‥こんなに強かったっけ?」
「数本が絡み合っているからでしょう」
オスカーがしゃがみ込み、ポポの口元を観察した。
「一本では細くとも、束になればかなりの力に耐えられるようです。少し、失礼しますよ」
オスカーが綿毛を左右に動かす。
ポポの顔も右へ動く。
今度は左へ。
ポポの顔も左へ。
綿毛を少し上げると、ポポはぴょんと跳んだ。
「猫じゃらしみたい」
チャチャは思わず呟いた。
「ねこじゃらし?」
フェリクスが聞き返す。
「えっと‥‥‥小さな動物と遊ぶための道具。棒の先に、ふわふわしたものをつけるの」
地球にいたころ、猫がじゃれる映像を見たことがある。この世界にも猫に似た動物はいるが、にゃわんは猫と犬の中間のような、不思議な生き物だ。それでも、揺れるものを追いかける習性は同じらしい。
「オスカー。細くて、よく曲がる枝はある?」
「ございますよ」
「その先に紐をつけて、綿毛を結べないかな」
オスカーはすぐに細い枝を一本選んだ。枝の先に丈夫な紐を結び、さらにその先へ、ポポが遊んで少し乱れた綿毛を取りつける。
「できました」
「にゃわんじゃらし!」
チャチャが枝を振ると、白い綿毛が草の上を跳ねた。タンとポポの耳が、同時にぴんと立つ。
まず、ポポが飛び出した。
綿毛を追いかけて右へ走り、左へ走り、勢い余って地面を一回転する。それでもすぐに立ち上がり、再び綿毛へ飛びついた。
タンは慎重だった。草の中へ隠れ、綿毛が近づくまで待ち続ける。
ポポが綿毛を追いかけて目の前を通り過ぎたとき、横から飛びかかり、兄弟揃って草の上を転げ回った。
「2匹とも、かわいい!」
「チャチャ、こちらにも振ってくれ」
「お兄様もやりたいの?」
「もちろんだ」
フェリクスに枝を渡す。
フェリクスが少し高い位置で綿毛を振ると、ポポは何度も飛び跳ねた。最後には綿毛へしがみつき、そのまま紐からぶら下がりそうになる。
「ポポ、重い! 離してくれ!」
「にゃううう!」
ポポは離さない。細い紐にも、綿毛にも、かなりの力がかかっている。それでも、綿毛の繊維は切れなかった。むしろ引っ張られることで、細い繊維同士がまとまり、一本の糸のようになっている。
それを見たチャチャは、遊ぶ手を止めた。
「‥‥‥これ、やっぱり使えるかもしれない」
「鬘にか?」
「うん。でも、綿毛をそのまま頭に載せるんじゃないよ」
チャチャは地面に落ちた、きれいな綿毛をひとつ拾った。
両手で引っ張ってみる。
切れない。
指先で転がし、こよりを作るように捻ってみる。
ふわふわしていた繊維がまとまり、細長い一本の紐になった。口元へ持っていき、息を吹きかける。
「ふうっ」
細い繊維は風に揺れたが、ばらばらにはならなかった。
「物凄く軽くて丈夫だ。それに、捻れば細くできる」
「ですが、そのままでは白すぎますな」
オスカーが言った。
「うん。それに太さも揃ってない‥‥‥曲がっているところもあるし、表面も少しふわふわしてる」
人間の髪とは、まだずいぶん違う。けれど、以前のように、ただ綿毛を見つめて想像していたときとは違う。実際に引っ張り、捻り、遊び道具として使ったことで、丈夫さを確かめることができた。
「何本かを同じ向きに並べてから捻ったらどうなるかな?」
「細い糸と合わせて編む方法も考えられます」
「色をつけることも必要だね」
「それに、肌に触れて問題がないかも調べねばなりませんね」
オスカーが次々と課題を挙げていく。すぐに鬘になるわけではないが洗い方も、乾かし方も、色のつけ方もわからないし、長いまま使うのか?短く切ってつなぐのか?けれど、調べるべきことがわかるというのは、大きな前進だった。
「今日は、このくらいにしましょう」
マリアネーゼが布の上に落ちた綿毛を、清潔な籠へ入れながら言った。
「こちらは研究用です。土のついたものと、タン様とポポ様が遊ばれたものは分けておきます」
「遊んだものも捨てないで。にゃわんじゃらしに使えるから」
「承知いたしました」
研究用の綿毛は、籠の半分にも満たない量だった。残りの風綿種は、父にゃわんと母にゃわん、そしてタンとポポの食事になる。さらにいくつかは、次の陽輪花を育てるために植えてもらわなければならない。
欲張ってはいけない。陽輪花も、にゃわんも、人間のためだけに存在しているわけではないのだ。
「お兄様。午後から、前に集めた綿毛と比べてみよう」
「ああ。父上の古い鬘から、毛も一本もらってこよう」
「臭くない鬘からにしてね」
「そうだな‥‥‥」
二人は顔を見合わせた。お父様の鬘は十個まで減らしたものの、長年染みついた香水と汗の匂いが、完全に消えたとは言いがたい。
「‥‥‥洗ってから使おう」
「それがいいな」
チャチャは、指先で作った細いこよりを太陽へかざした。白い繊維は光を透かし、銀色の糸のように輝いている。
このままでは鬘にはならないけど、人の髪と同じくらい細くすることができたなら、染めることができたなら‥‥‥何本もつなぎ、頭の形に合わせて編むことができたなら?
「もしかしたら‥‥‥」
その小さな呟きに反応したように、足元でポポが鳴いた。
「にゃっ!」
見れば、ポポは壊れかけたにゃわんじゃらしを口にくわえている。もう一度遊べ、と言っているらしい‥‥‥
「研究の前に、もう少しだけね」
チャチャが枝を受け取ると、タンも草の陰へ体を低くした。白い綿毛が、陽の光を浴びながら左右へ跳ねる。タンとポポは夢中になってそれを追いかけた。
こうして陽輪花の綿毛は、鬘の材料になるより先に、公爵家で初めての『にゃわんじゃらし』となった。
そして、その日の午後。
チャチャの研究机には、きれいに洗われた鬘の毛が一本と、細く捻られた陽輪花の綿毛が一本、並べて置かれることになる。
2本はまだ、まったく同じものには見えなかった。それでもチャチャには、その間にある距離が、以前よりほんの少しだけ縮まったように思えた。




