8-7 陽輪花を増やして
新しい四つの芽が顔を出してから、チャチャたちの日課が一つ増えた。午前中の勉強を終えると、チャチャはフェリクスと一緒に草原へ向かう。まず、すでに育っている陽輪花の様子を確認し、次に、新しく種を植えた場所を見て回る。最後に、にゃわん一家へ渡す風綿種を準備する。
風綿種を割るのは、人間の役目となった。硬い殻を割り、甘い果肉を取り出し、果肉は、にゃわんたちが食べる分。中に詰まっている小さな種は、食べる分と植える分へ分ける。けれど、最初からうまく分けられたわけではない。
「こちらは、食べてもいい種です」
チャチャは、青い皿を指した。
「こっちは、植えてほしい種です」
次に、黄色い皿を指す。二つの皿は形も色も違うようにした。しかし、中に入っている種は同じだった。
タンとポポは、チャチャの前へ並んで座り、真剣な顔で話を聞いているように見える。
「青いお皿は食べていい。黄色いお皿は土に植える。分かった?」
「にゃーう!」
元気よく返事をしたのはポポだった。ポポは迷わず黄色い皿へ駆け寄り、種を一粒食べた。
「あっ。それは植える分です」
「にゃう?」
「聞いていませんでしたね?」
ポポは首を傾げた。
口元をもぐもぐさせているので、すでに種は腹の中だ。
「返事だけは立派だったな」
フェリクスが笑う。
「兄様。笑っていないで、もう一度説明してください」
「僕が?」
「兄様のほうがポポと仲がよいでしょう?」
「僕ではなく、靴紐と仲がよいんだよ」
そう言いながらも、フェリクスは青い皿をポポの前へ置いた。
「ポポ。食べるのはこちらだ」
ポポが青い皿の種を一粒くわえる。
「そうだ。それは食べていい」
褒められたポポは、嬉しそうに尻尾を振った。
「黄色い皿は植える」
フェリクスが黄色い皿を指す。
ポポは黄色い皿からも一粒くわえ、そのまま食べた。
「なぜだ」
「どちらも食べられる種ですから、難しいのでしょうか?」
チャチャは考えた。
見た目が同じ種を、皿の色だけで区別させようとしたのが間違いだったのかもしれない。そもそも人間のように色彩を認識できるんだろうか?
「では、植える種には、陽輪花の葉を添えてみたらいかがでしょう」
マリアネーゼが提案した。
葉を切り取るわけにはいかないため、地面へ落ちていた古い葉を拾い、黄色い皿の下へ敷く。
「タン。ポポ。この葉と一緒にある種は、植える分だよ」
チャチャは陽輪花の芽を指す。
「同じ葉っぱが、たくさん生えてくるように、土の中へ入れてほしいの」
タンは黄色い皿の匂いを嗅ぎ、次に芽へ近づいた。
葉の形を見比べるように、何度も顔を動かしている。
「分かったのかな?」
「少なくとも、考えてはいるようだ」
タンは黄色い皿から一粒くわえた。
芽と芽の間を通り、少し離れた場所まで歩いていく。
そこで土を掘り、種を入れ、丁寧に埋めてくれた。
「タン、正解です!」
「にゃう」
タンは白い眉を誇らしげに動かした。褒められたタンを見て、ポポも黄色い皿から種をくわえる。
今度は食べなかった。草原を走り、父にゃわんが植えた場所の近くへ向かう。
「ポポ。そこは近すぎます」
チャチャが呼び止める。
ポポは穴を掘りかけた姿勢のまま、振り返った。
「もう少し離して植えてほしいの」
チャチャは少し先を指した。
「こっちです。陽輪花が大きくなっても、隣の花とぶつからない場所にしてください」
ポポは種をくわえたまま、指された場所へ移動した。
「やっぱり、言葉が分かっているのでしょうか?」
マリアネーゼが驚いたように囁く。
「指を差した方向を見ているだけかもしれませんな」
オスカーは相変わらず慎重だった。それでもポポは、チャチャが示した場所まで行くと、土を掘って種を埋めた。
最後に後ろ足で土を蹴り上げ勢いが強すぎて、埋めたはずの種が地面へ飛び出した。
「にゃっ?」
ポポが飛び出した種を見つめる。もう一度、穴へ戻す。
今度は前足で土をかける。
ところが、土をかけすぎて、近くにいた父にゃわんの顔まで土まみれになった。
「にゃわん!」
父にゃわんが抗議する。
ポポは聞こえなかったふりをして、チャチャのもとへ走ってきた。
「ちゃんと謝らないと駄目ですよ」
「にゃう」
「わたくしではなく、お父さんに‥‥‥」
ポポは仕方なさそうに引き返し、父にゃわんの顔を舐めた。
「反省しているように見えないな」
「次から気をつければいいのです」
「そう言って、またやるのではないか?」
フェリクスの予想は正しかった。
ポポは次の種を植えるときも勢いよく土を蹴り、今度は自分の顔へ土をかぶった。一方のタンは時間がかかるものの、一粒ずつ丁寧に植えていく。植え終わるたびにチャチャのもとへ戻り、白い眉の間を撫でてもらう。
「タンは、褒めてもらうまでが仕事だと思っているのではないか?」
「ちゃんと植えたのですから、褒めてもいいでしょう?」
チャチャが額を撫でると、タンは目を細めた。そして次の種を取りに、黄色い皿へ戻っていく。
ポポも負けじと種を運び始めた。ただし、ポポは植える場所が自由だった。
日当たりのよい場所。
大きな石の陰。
陽輪花から遠く離れた木の根元など‥‥‥
人間が選ばないようなところにも種を埋めてしまう。
「ポポ。そんなところへ植えて大丈夫?」
「にゃう!」
「本人は自信があるようだな」
「後で、芽が出るか確認しましょう」
オスカーは二匹が植えた場所へ目印を立て、記録へ書き込んでいく。
タンが植えた場所には「タン」。
ポポが植えた場所には「ポポ」。
父にゃわんと母にゃわんが植えた場所も、別々に記録した。種を植える作業は、毎日少しずつ続けられた。タンは一日三粒ほどを、ほぼ同じ間隔で植える。ポポは日によって違った。
十粒も植える日があれば、二粒植えただけで遊び始める日もある。
植えるはずの種を途中で食べてしまう時もあるし、穴を掘ったまま、何をするつもりだったのか忘れたり、大切に種をくわえていったと思えば、隠れ家の中へ隠してしまうこともあった。
「一粒足りません」
チャチャが言うと、ポポは目を逸らす。
「どこへ持っていったの?」
「にゃう」
「食べたのですか?」
「にゃうう」
「隠したのですね?」
ポポは隠れ家の入口へ立ち、通せんぼをした。
「分かりやすい子だな」
フェリクスが隠れ家をのぞくと、乾いた草の下から種が五粒も見つかった。
「ポポ。ため込んでは駄目でしょう」
「にゃあ!」
「冬のために隠していたのでは?」
お父様がポポをかばう。
「まだ夏ですよ」
「野生の生き物には、保存する習性があるのかもしれない」
「お父様はポポに甘いですね」
「私には、まだタンもポポも寄ってこないからな」
お父様は最近、二匹へ気に入られようと、果物を運ぶ役目を進んで引き受けている。けれど、ポポは果物だけ受け取って逃げてしまう。タンはお父様の足元まで来るものの、撫でられそうになるとチャチャの後ろへ隠れてしまう。
「焦ってはいけません」
「私は、もう何週間も待っているんだ」
「チャチャは、もっと待ちましたよ」
お母様に言われ、お父様は黙った。にゃわんとの間では、公爵の身分も、父親の威厳も役には立たない。タンとポポが自分から近づくまで、待つしかないのだ。
種を植え始めてから十日後。
オスカーが、家族全員を草原へ呼び集めた。
「昨日までに植えた種のうち、32か所から芽が出ております」
「32?」
チャチャは聞き返した。
目印の棒の根元には、小さな緑の葉が顔を出している。
見渡すと、一つや二つではなかった。草原のあちらこちらに、新しい陽輪花の芽が生まれていた。
「発芽した数だけではございません。成長も早いようです」
オスカーは最初に芽を出した二株の隣へ、チャチャたちを案内した。一か月ほど前まで、手のひらに収まるほど小さかった芽。今では葉を何枚も重ね、チャチャの腰近くまで育っている。
「こんなに大きくなっていたの?」
「前回の陽輪花は、同じ大きさになるまで一年近くかかったと、古い記録にございますが‥‥‥」
「それが、一か月ほどで?」
「はい。さらに、こちらをご覧ください」
オスカーが大きな葉をそっと持ち上げる。中心には、太い茎が伸びていた。その先に、小さな丸いものがついている。
「蕾です」
まだチャチャの拳よりも小さい。けれど、間違いなく陽輪花の蕾だった。
「もう花が咲くの?」
「この成長が続けば、それほど遠くはないでしょう」
「でも、どうして急に‥‥‥」
肥料を特別に与えたわけではないし、毎日大量の水を運んだわけでもない。
変わったことといえば、タンとポポが成長し、チャチャたちと過ごす時間が増えたこと。
そして、四匹のにゃわんが力を合わせ、種を植えるようになったことだけだ。
その日も、タンとポポはチャチャの両側に座っていた。
タンは身体を寄せ、ポポはドレスの裾を前足で引っ張っている。
チャチャが二匹の頭を撫でると、風もないのに陽輪花の葉が一斉に揺れた。
重なっていた葉が開き、日の光を受ける。
「また‥‥‥」
オスカーが息を呑んだ。遠くにある新しい芽まで、同じ方向へ葉を動かしている。
絵本に書かれていた、名もなき少女と動物の絆。それは、単なるおとぎ話ではなかったのかもしれない‥‥‥
「このまま増えたら、草原いっぱいに陽輪花が咲きますね」
フェリクスが周囲を見回す。
「にゃわんたちの食べ物も、たくさん増えます」
チャチャは頷いた。
「それでも余るくらい風綿種ができたら、綿毛を少しだけ分けてもらえるかもしれません」
「鬘の研究に使うのか?」
「はい。でも、にゃわんたちが食べる分と、次に植える種が先です」
すべてを人間のものにはしない。にゃわん一家が生きるために必要な分を残し、陽輪花が減らないよう、次に植える種も確保するんだ。
そのあとで余った綿毛だけを、鬘の研究に使わせてもらうのだ。一番最初に作るものは、感謝の気持ちを込めて、猫じゃらしにしようと思った。
「まだ花も咲いていないのに、気が早いのではなくて?」
お母様が微笑む。
「でも、お母様。今から考えておかないと、お父様の髪が間に合わないかもしれません」
「なぜ私の髪の話になる」
鬘を外したお父様が、反射的に後頭部を押さえた。
「軽くて蒸れない鬘ができれば、お父様の残っている髪を守れます」
「残っていると言うな。まだ十分にある」
「周りには」
「チャチャ」
お父様の低い声が、草原へ響いた。
驚いたポポがチャチャのドレスへ潜り込み、タンは白い眉を寄せてお父様を睨んだように見えた。
「父上。二匹に嫌われますよ」
フェリクスに注意され、お父様は慌てて声を落とした。
「‥‥‥髪の話は、屋敷へ戻ってからにしよう」
「そのころには忘れていると思います」
「忘れなさいさ」
家族の笑い声が草原へ広がる。
その周りでは、32の小さな芽が日の光を受けていた。
一本の陽輪花から始まった草原。
やがてここには、数え切れないほどの黄色い花が咲き、その後には白く大きな綿毛が並ぶのかもしれない。
タンとポポはチャチャの頼みを聞き、今日も新しい種をくわえて走り出す。小さな庭師たちが植えた希望は、草原の土の中で、静かに根を伸ばし始めていた。




