表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢になった理由がわかりません ~王妃様の首を心配しただけなのですが~  作者: とも


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
50/63

8-3 タンの小さな一歩

 ポポの目は、フェリクスの靴に釘づけになっていた。靴の甲につけられた細い紐飾りが、風を受けて左右へ揺れている。

 ポポが進む方向を変えた。よろよろと、フェリクスへ向かって歩き始める。

「兄様。ポポが‥‥‥」

「分かっている」

「動かないでください」

「動いていない」

「声が怖いです」

「緊張しているんだ」

 フェリクスは両手を膝の上へ置き、身体を固くしていた。ポポが近づいてくるが途中で二度転び、そのたびに自分の力で立ち上がった。

 その後ろから、母にゃわんと父にゃわんもついてくる。両親は子供を連れ戻そうとはしないかった。

 ただ、何かあればすぐに動ける距離を保っていた。

 ポポはようやくフェリクスの靴へたどり着くと、鼻先を押しつけ、何度も匂いを嗅いだ。

 フェリクスは息まで止めている。

「兄様。呼吸はしても大丈夫ですよ」

「分かっている」

「お顔が固まっています」

「急に動いて驚かせるよりよいだろう?」

 ポポは靴の紐飾りへ前足をかけた。

 飾りが揺れる。

 もう一度、前足で押さえる。

 また揺れた。

 今度は口でくわえ、思い切り引っ張った。


「痛っ」

 フェリクスの足が前へ引かれる。

 ポポが驚いて紐を離した。

「兄様、動いたら駄目です」

「靴ごと引っ張られたんだ!」

「大きな声も駄目です」

「チャチャは見ていただろう!」

 ポポは逃げなかった。少しだけ後ろへ下がり、フェリクスの様子を確かめているようだ。

 危険はないと判断したのか、もう一度、靴の飾りへ近づいた。

「僕に懐いたというより、靴で遊んでいるだけだな」

「兄様の靴に懐いたのですね」

「それは懐いたと言わない」

 フェリクスは不満そうだったが、その口元は嬉しそうに緩んでいる。

 ポポが紐をくわえて引っ張るたび、フェリクスは驚かせないよう、ゆっくりと足先を動かした。

 紐飾りが逃げる。

 ポポが追いかける。

 まだ上手に歩けないため、追いつく前に転がってしまう。それでも、すぐに立ち上がって再び挑戦した。

「遊ばせるのが上手ですね、兄様」

「自分で勝手に遊んでいるだけだ」

「嬉しくないのですか?」

「‥‥‥少しは嬉しい」

「素直ではありませんね」

「チャチャにだけは言われたくない」

 兄妹が小声で話している間、隠れ家の中では、タンがその様子をじっと見ていた。白い眉模様の下にある濃い琥珀色の目が、外で遊ぶポポを追いかける。

 けれど、ポポのように飛び出そうとはしない。母親が隠れ家から離れても、タンは入口より先へ進めずにいた。

「タンは、まだ怖いのかな」

 チャチャが呼びかける。

 タンの耳が小さく動く。

「大丈夫だよ。ポポも、お父さんもお母さんもいるよ」

 タンはチャチャを見る。

 次に、フェリクスの靴紐と格闘しているポポを見る。

 一歩だけ前へ出る。けれど、前足が隠れ家の境目へ差しかかったところで止まった。

 外の草を踏むことが怖いのかもしれない。

 風の匂い。

 聞いたことのない鳥の声。

 隠れ家の中から眺めていたときより、外の世界はずっと広く感じられるのだろう。

「チャーちゃん。呼びすぎてはいけませんよ」

 お母様が静かに言った。

「でも、タンも外へ出たいと思っているように見えます」

「出たい気持ちと、怖い気持ちの両方があるのでしょう。どちらを選ぶかは、タンに任せなさい」

「はい」

 チャチャは、それ以上呼ぶのをやめた。

 立ち上がらず、その場で草の上へ片手を置く。

 手のひらは上へ向けない。

 捕まえるつもりがないと伝えるため、指先だけをタンのほうへ向けた。

「ここまで来なくてもいいよ」

 タンの目が、チャチャの指先を見つめる。

「今日は、入口まででも大丈夫」

 チャチャは動かなかった。

 タンが自分で決めるのを待つ。

 少し離れた場所では、父にゃわんがポポの周囲を歩き回っている。母にゃわんは草の上へ横たわり、タンとチャチャを交互に見ていた。

 子供を呼び戻す様子はないようだ。しばらくして、タンの前足が隠れ家の外へ出た。

 次に、もう片方。

 後ろ足は、まだ中に残っている。

 タンは一度、母にゃわんを振り返った。

 母にゃわんは動かない。

 戻れとも、進めとも言わず、静かに見守っていた。

 タンはもう一度、チャチャへ顔を向ける。そして、小さな身体を前へ進めた。

 四本の足が、すべて日の当たる草の上へ出る。

「ちゃんと、出られたね」

 チャチャが囁く。

 タンはすぐには歩き出さなかった。

 風が、眉のような白い模様を揺らす。

 鼻を動かし、初めて嗅ぐ草原の匂いを確かめている。


 やがて、一歩。

 もう一歩。ポポより慎重に、一歩ずつ地面を確かめながら、チャチャへ近づいてきた。


 途中で小石を見つけると、長い間匂いを嗅ぐいだり、草が動けば立ち止まったり。遠くで鳥が鳴くと、身体を低くした。それでも、隠れ家へは戻らなかった。

「タン、ゆっくりでいいよ」

 チャチャの指先まで、あと少し。

 タンが鼻を伸ばす。

 柔らかく湿った鼻先が、チャチャの指へ触れた。

 ほんの一瞬だった。

 タンはすぐに顔を引き、二歩ほど後ろへ下がる。それでも逃げなかった。

 チャチャは、触れられた指を動かさなかった。

 自分から撫でようともしない。

「今、タンから触ってくれました」

「ああ。見ていたよ」

 フェリクスも声を抑えて答える。

 お母様も、お父様も何も言わず、微笑んでいる。

 母にゃわんは、チャチャの手とタンを交互に見ていた。けれど、子供を連れ戻そうとはしなかった。

 タンはもう一度、チャチャの指先へ鼻を近づけ、今度は先ほどより長く、匂いを嗅いだ。

 それから自分の額を、チャチャの指へ軽く押しつけた。

 白い眉模様の間に、指先が触れる。

 チャチャが撫でたのではない。

 タンのほうから、触れてきたのだ。

 数日前まで、母親の腹元からチャチャを見つめるだけだった子が、今日は自分の足で隠れ家を出て、ここまで来てくれた。

「こんにちは、タン」

 チャチャは動かないまま、小さく挨拶した。

「外の世界へ、ようこそ」

 タンは返事をするように、「にゃあ」と鳴いた。

「私は、まだ触らせてもらっていないのだが」

 お父様が羨ましそうに呟いた。

「お父様も待っていれば、いつか来てくれますよ」

「また草の上で待つのか?」

「はい」

「今度は、どのくらいだろうか‥‥‥」

「それはタンとポポが決めます」

 以前、オスカーがお父様に言ったことを、そのまま返す。お父様は何か言い返そうとしたが、タンを驚かせたくなかったのだろう。小さく息を吐き、その場へ座り直した。

 少し離れたところでは、ポポがフェリクスの靴紐をくわえたまま、得意そうに胸を張っている。

 父にゃわんは、その周りを落ち着きなく歩き回り、母にゃわんは草の上へ身体を横たえていた。

 四匹の家族が、初めてそろって隠れ家の外で過ごしている。

 陽輪花の大きな葉が風に揺れ、二つの芽にも柔らかな日が当たる。


 タンとポポにとって、初めての草原。

 その小さな一歩を、チャチャたち家族は誰一人急かすことなく、静かに見守ったのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ