1-4 初めてのお茶会へ
王城へ向かう街道には、豪華な馬車が何台も連なっていた。
今日、開かれるのは王妃主催のお茶会だった。
王国中の有力貴族が招かれる社交界でも有数の催しであり、招待状が届けば出席はほぼ義務である。
また、このお茶会は貴族の子どもが初めて社交界に顔を出す場でもあり、8歳になった令嬢や令息たちが一堂に会する特別な機会でもあった。
断る者などいない。断れないとも言う。
さらに今回は、王子にとっても初めてのお茶会であり、王妃が産んだ初めての子のお披露目も兼ねているため、なおさら欠席は許されない空気があった。
王子に顔を覚えてもらう絶好の機会であり、気に入られれば将来の側近として取り立てられる可能性もある。逆にここで姿を見せなければ、社交界で正式にデビューするまで顔を合わせる機会すら得られない者もいるのだ。
だからこそ貴族たちは必死だった。
自分の子を王子に売り込もうとする者、他家より一歩でも先に印象を残そうとする者、思惑は様々である。
中には、子供が高熱で寝込んでいようと無理やり連れてくる猛者すらいるほどで、親たちにとって欠席という選択肢は、よほどの事情がない限り存在しなかった。
クラウゼン公爵家の馬車も、その列の中に加わっていた。
やがて王城の門をくぐり、白い石畳の広場へ到着する。
高くそびえる城壁。
左右に整えられた庭園。
噴水の水音。
まさに王家の威光を示す光景だった。
止まったのにまだ、降りる気配はない。チャチャは、窓の外をチラッと確認した。
「お母様」
「なあに?」
「着きましたよね?」
「ええ」
「降りないんですか?」
「まだです」
チャチャは首を傾げた。
馬車は完全に停まっている。
御者も待機している。
それなのに誰も動こうとしない。不思議に思い窓の外を覗けば、他の馬車も同じだった。
十数台の豪華な馬車が広場に並んでいる。
だがどの扉も閉じられたままで、まるで誰かの合図を待っているようだった。
「故障ですか?」
「違います」
「事故ですか?」
「違います」
母は優雅な仕草で扇を広げた。
「降車順位待ちです」
「……なんですか、それ」
チャチャは聞き返した。
聞き間違いだと思ったのだ。
前世ではラノベ小説というものがあるのは知っていたが、実際に読んだことはなく、こういう細かい貴族のしきたりについてはなんとなくのイメージしか持っていなかった。
しかし母は平然としている。だからきっと、ただ待っていればいいのだろう。
だが、この待ち時間が何とも言えずしんどい。
密閉された窓と扉の中で、少しでも外の空気を吸いたい‥‥‥
この匂いには若干慣れてきたものの、完全に感じなくなるわけではなく、じわじわと鼻に残り続けている。
しかも、頭には重たい鬘。
早くこの茶会を終えてしまえないものか、とチャチャは内心でため息をついた。
「降車順位ですわ」
「降りる順番に順位があるんですか?」
「ありますわ」
「なぜ?」
「伝統だからです」
「ふーん‥‥‥」
前世の日本では、だいたい並んだ順番だったからといって、今のこの世界と比べてはいけないのかもしれないが、それでもどうにも納得できない答えだった。
こういう光景にも、いつかは慣れてしまうのだろうか?
その時、広場に鐘の音が響いた。
カーン。
一人は分厚い帳簿を抱え、もう一人は大きな鐘を持っていた。
そしてその両脇には、夫人や令嬢を安全に降ろすためなのだろう?の筋骨隆々の侍従が二人、控えていた。
どう見ても社交界の案内役ではない。
どこかの闘技大会の審判にしか見えなかった。
「ベルンシュタイン公爵家、第4位!」
大声が広場に響く。
すると一台の馬車の扉が開き、筋骨隆々の侍従が両脇から支えるようにして、優雅に夫人らしき人が降りてきた。
そのあとに続く、自分と同じ歳くらいの令嬢は、ふらつくこともなく、しっかりとした足取りで地面に降り立った。
その様子を見て、チャチャは思わず感心した。
あれは間違いなく、何度も練習した動きだ。自分は今日が初めてなのに‥‥‥
――私も練習しておいた方がよかったのだろうか、と少しだけ不安になる。
周囲から小さな拍手が起こる。
チャチャはますます意味が分からなくなった。
「順位?」
「公爵家にも序列がありますから」
母は当然のように答える。
「いかに領地を発展させ、国に貢献できたかでその年の順位が決まります」
「毎年ですか?」
「毎年だいたい一緒だけれども、変更することもあるのよ」
「面倒ですね」
「皆様そう思っていますわ」
思っているならやめればいいのに、とチャチャは思う。
けれど貴族には、外から見れば無意味でも、どうしても譲れないものがあるのだろうとも感じた。
すると突然、広場の一角が騒がしくなった。
「我が家が第7位のはずだ!」
「去年は第8位だっただろう!」
「それは去年の話だ!」
「今年も変わらん!」
どうやら侯爵家同士が言い争っているらしい。
顔を真っ赤にしながら互いを指差している。
侍従たちが慌てて間に入った。
「何を揉めているんでしょうか?」
「順位争いですわ」
「降りる順番で?」
「ええ、降りる順番で……本当に馬鹿げていると思うでしょう?けれど、これがこの国の貴族社会なのですわ。皆が内心では呆れながらも、誰一人としてやめようとはしないのです」
チャチャは窓から目を離した。
理解するのを諦めた。前世と今世は違う。これからは、この世界が自分の世界なのだと、そう思って受け入れていくしかないのだと、静かに腹をくくった。
やがて再び鐘が鳴った。
「クラウゼン公爵家、第5位!」
ようやく順番が来たらしい。
「では、参りましょうか」
「結構長かったですね。もっと向こう側に並んでいる人たちは、これ以上に待つのでしょう?これが長いと言っていたら怒られそうですね。むしろ、待つこと前提で遅く出るという手もあるのかもしれませんが‥‥‥」
そして、母に続いて馬車を降りる。
――はずだったのだが、慣れない高さに少し頭がぐらついた瞬間、両脇からそっと腕を取られた。
気づけば体がふわりと持ち上がり、ほとんど足が地面についていないような、浮いているような感覚のまま外へと運ばれていた。
どうやら完全に抱え上げられているらしい。だから、両脇は筋骨隆々でないといけないんだと、ここだけは納得してしまった。
貴族の令嬢を転ばせたり、ましてや怪我でもさせれば大問題になるのだろう。だからこそ、こうして確実に安全な方法で運ぶしかないのだ。
外の空気は思ったより香りが強かったが、馬車の中ほどではなく、新鮮な空気が吸えて、これが空気がおいしいということだろうかと感じた。
薔薇香り。
百合香り。
柑橘系の香り。
甘い香りが幾重にも重なっている。
庭園に咲く花の香りもあるのだろうが、それに貴婦人たちの香水の匂いが混ざっているのだろう。
少し歩いただけで鼻が痺れそうになるが、部屋の中よりはまだましだった。
貴族というのは大変だな、とチャチャは思った。
そして、もう一つ。
母の背に隠れるように歩きながら、少しだけ横にずれて前を行く夫人を見上げると、気になるものがあった。
「大きい……」
思わず声が漏れてしまい、慌てて両手で口を押さえるも、母にはしっかり聞こえてしまい、ジロリと睨まれてしまった。
前の夫人の頭は、母よりも少し大きかった。
そして、そっと後ろを見ると同じような髪型の夫人と令嬢が順番に並んでいるのが見えた。徐々に髪型も小さくなっているようだ。
小さくなっていく令嬢の髪型を見て、私もせめてあれくらいがいいと心の中で呟いてしまう。
ふわふわと盛り上がった髪を見て、そっと、ゆっくり前を向く。
急に動くと危険?
そして、『まぜるな危険』ふと頭に浮かんだフレーズ‥‥‥
それは違うフレーズでしょ、と自分で自分でツッコんでしまった。
「あれは?」
「カツラですわ」
「知ってます」
知ってはいるんだ‥‥‥
だが、知識と現実は別だった。実際に見るのは、想像以上である。
昔話で聞いた、かやぶき屋根に蛇が住みつくという話をふと思い出し、実際に見たことはないが、あのふわりと盛り上がった頭の上にも小動物がひっそり暮らしていそうだと想像してしまった。
「重そうですね」と言いかけて、チャチャは口をつぐんだ。
だが思ったことはそのまま顔に出ていたらしい。
母がすっと視線を向ける。
「チェチェーリア!」
名前を呼ばれた瞬間、背筋に冷たいものが走り、思わず肩が跳ねるほど大きくビクッとした。
「はい」
「顔に出ていますよ」
静かな声でたしなめられる。
チャチャは慌てて表情を引き締めた。
しかし重そうなものは重そうなのだ。だが自分は今後、絶対にこんな被り物は被りたくないとも思ってしまった。
さらに会場へ近づく。
すると今度はもっと大きなカツラが見えた。
「あちらは公爵の序列3位のベルンシュタイン公爵夫人とご令嬢よ、とこそっと教えられた」
うちも大概だけれど、さらに高位となるともう一回り大きく、その令嬢も同様で、さらに迫力も違う。
もはや髪型ではない。
建築物であり、歩くドールハウスのようだった。
「……皆様首は、大丈夫なんですか?」と、こそっと母に呟いた。
母は一瞬だけ目を細め、すぐに優雅な笑みを崩さぬまま小声で返す。
「チェチェ―リア。それと……あなたには、もう少し厳しい教育が必要なようね」
「はい……申し訳ございません」
しゅんと肩を落としながら答え、もう同じことを繰り返さないよう気をつけようと心に誓った。
「その発言だけは絶対になさらないように」
「はい」
今日一番、母の真剣な声だった。
チャチャは少しだけ不安になる。
王家のお茶会とは、思っていたより危険な場所なのかもしれない‥‥‥
やがて会場の大扉が開かれた。
集まった貴族たちが一斉に頭を下げる。
王妃の入場である。
チャチャも視線を向けた。
そして固まった。
美しい。
確かに美しい。
だが、その頭上には、今まで見た誰よりも巨大なカツラが載っていた。
それはそれは、見事なソレだった。
そして、他の追随を許さない圧倒的なものでもあった。
まるで王冠そのものを髪で再現したかのような威容。
誰もが感嘆の視線を向けている。
しかしチャチャだけは違った。
(あれ?……)
王妃の優雅な笑顔を見る。
そして首元へと視線を落とす。
さらにもう一度、頭上のカツラへと視線を戻す。
(本当に大丈夫なんですか?)
その疑問は、ますます大きくなるのだった。




