6-3 金色の獣と名もなき少女
私はお兄様から本を受け取り、傷んだ頁を破らないよう、そっと表紙を開いた。絵本の最初の頁には、広い荒野が描かれている。
乾いた土には背の低い草がまばらに生え、遠くには灰色の山が見えた。その寂しい景色の中央に、一本だけ、大きな黄色い花が咲いている。
「陽輪花に似ていますね」
「うん。でも、名前は書かれていないみたいだ」
花の名前だけではない。表紙に描かれていた金色の動物にも、名前はつけられていなかった。
本文には、ただ『金色の獣』とだけ、書かれている。
私たちは並んで椅子へ座り、絵本を読み始めた。
昔々、太陽のような大きな花が咲く土地に、一匹の金色の獣が暮らしていました。獣は花のそばで眠り、花の甘い実を食べました。大きな実の中には、たくさんの小さな種が入っています。
金色の獣は、その種を食べ、食べきれなかった種は遠くまで運び、前足で土を掘って、一つずつ埋めていきました。
獣が種を埋めた場所からは、やがて新しい芽が顔を出し、芽は陽の光を浴び、雨の水を飲み、少しずつ大きくなりました。
そして何年もたつと、太陽のような黄色い花を咲かせていきました。その花は金色の獣へ、甘い実と種を与えます。
金色の獣は、花からもらった種を別の場所へ運び、花と獣は、互いに恵みを分け合いながら暮らしていました。
「やっぱり、陽輪花とにゃわんのことではありませんか?」
私は思わず、絵本から顔を上げた。
「よく似ているよね」
お兄様も同意した。
「大きな実の中に小さな種が入っていることまで、書かれている」
「昔の人は、陽輪花の果実の中身を知っていたのでしょうか?」
「そうかもしれないし違うかもしれない。でも、絵本を作った人が想像して書いただけという可能性もあるよ」
今の時代では、陽輪花の綿毛についている硬い果実そのものが種だと思われていたし、その殻の中に甘い果肉と、本当の種が入っていることは、私たちが割るまで誰も知らなかった。
けれど、この古い絵本には、大きな実の中に複数の種があると、はっきり書かれている。
それが偶然なのか、失われた古い知識なのかは、まだ分からなかった。
私たちは、次の頁をめくった。
ある日、花の咲く土地へ、一人の少女がやってきました。少女がどこから来たのか、獣には分かりません。
少女が着ている服は、あちらこちらが破れ、靴も片方しかありません。少女は長い間、何も食べていませんでした。力なく歩いていた少女は、とうとう花の根元で倒れてしまいました。
金色の獣は、草むらから少女を見ていました。
人間は危険です。
捕まえられるかもしれません、大切な花を奪われるかもしれません。だから獣は、最初、少女へ近づきませんでした。
けれど、少女はいつまでたっても起き上がりません。金色の獣は、太陽の花から落ちた実を一つ拾いました。硬い殻を牙で割り、中から甘い果肉と種を取り出しました。
それを少女のそばへ置くと、すぐに草むらへ隠れました。しばらくして、少女が目を覚まし、少女は目の前に置かれた食べ物に気づきましたが、すべてを食べようとはしませんでした。
果肉と種を半分だけ食べ、残りは花の根元へ置きました。
「誰がくれたのかは分からないけれど、ありがとう。残りは、あなたが食べてね」
金色の獣は、その言葉を草むらの中で聞いていました。次の日、獣はもう一つだけ実を運びました。
少女はまた半分だけ食べ、残りを獣のために置きました。
その次の日も、また次の日も、少女は決してすべてを食べませんでした。
獣が草むらから姿を現すまで、長い時間がかかりました。少女は獣を見つけても、追いかけませんでした。手を伸ばすことも、捕まえようとすることもしません。
獣が自分から近づいてくるまで、花の根元に座って静かに待ちました。やがて少女と金色の獣は、太陽の花の恵みを分け合って食べるようになりました。
少女は花の周りに生えた草を取り除き、乾いた日には水を運びます。金色の獣は種を遠くへ運び、土の中へ埋めました。新しい花が増えるたび、土地には別の草や木も育つようになりました。
花の根は乾いた土を抱え込み、雨の水がすぐに流れてしまわないようにしました。
やがて、小さな泉が生まれ、鳥や動物が集まり始めました。少女が初めてやってきたときには何もなかった土地が、少しずつ緑に覆われていきました。
「この少女も、にゃわんが自分から近づくまで待ったのですね」
私は、少女と金色の獣が並んで座る絵を見つめた。
自分から近づかず、追いかけず、捕まえようとしない。
毎日、同じ場所で待ち続けたんだ。
偶然なのかもしれないけれど、私たちがにゃわんへしてきたことと、よく似ていた。
「だから、金色の獣も少女を信用したんだろうね」
「少女は、自分の分だけを食べました。残りを全部奪わなかった」
少女は、花の種が栄養のある食べ物だと知っても、独り占めしなかった。
獣と花が生きるための分を、必ず残している。
絵本の中では簡単な言葉で書かれているけれど、とても大切なことだと思った。
さらに頁をめくると、今度は傷ついた金色の獣が描かれていた。
ある嵐の翌朝、少女と金色の獣は、花の陰で倒れている一匹の獣を見つけました。最初からその土地で暮らしていた獣によく似ています。
けれど、体は一回り大きく、足には深い傷がありました。傷ついた獣は、歩くことができません。
少女が近づくと、牙を見せて威嚇しました。
最初からいた獣も、少女の前に立ち、傷ついた獣を警戒しました。それでも、少女は傷ついた獣を放っておけませんでした。
水と柔らかな布を持ってくると、少し離れた場所へ置きました。
傷ついた獣が落ち着くまで、決して無理に触ろうとはしませんでした。
最初からいた獣は雌でした。雌の獣は少女と傷ついた獣の間を何度も行き来しました。
少女が危険ではないと伝えるように、傷ついた獣の鼻先へ自分の鼻を触れさせます。
何日かたつと、傷ついた獣は、ようやく少女に足を見せました。
少女は傷を水で洗い、清潔な布を巻きました。
雌の獣は、少女が手当てをしている間、雄の頬を舐め続けました。
やがて雄の傷は治り、三人は花の根元で一緒に暮らすようになりました。季節がいくつか巡り、二匹の金色の獣はつがいになりました。
そして雌の獣は、小さな子供を産みました。
子供は、生まれたときから少女を恐れませんでした。
少女の膝の上で眠り、少女が花の世話をすると、あとをついて歩きました。
ある日、小さな獣は、少女の差し出した手へ、自分の鼻先を触れさせました。
その瞬間、少女と金色の子供の間に、目には見えない結び目が生まれました。
どれほど遠く離れても、互いの居場所を忘れない。
どちらかが悲しめば、もう片方の胸も痛む。
どちらかが嬉しければ、もう片方の心も温かくなる。
そのような、決して簡単にはほどけない絆でした。
「絆‥‥‥」
私は、小さな獣を抱く少女の絵へ目を落とした。
今、草原にいる雌のにゃわんも、近いうちに子供を産むかもしれない。その子供が、この絵本に描かれた子供と同じように、人間を恐れず近づいてくるとは限らない。
けれど、あまりにも今の状況と似ているため、偶然だと片づけることもできなかった。
少女と三匹の獣が暮らすようになると、土地はさらに豊かになりました。金色の獣たちは、毎日種を運びました。
少女は芽が踏まれないよう、目印になる枝を立てました。増えた花の周りには、さまざまな草木が育ちました。
木々は果実を実らせ、泉の水は以前よりも豊かになりました。少女と獣たちは、必要な分だけを受け取り、残りを鳥やほかの動物たちへ分けました。
その土地では、誰も食べ物に困らなくなりました。やがて、豊かな土地の噂を聞きつけた他の人間たちがやってきました。
人間たちは、花の実と種を集め始めました。
少女が‥‥‥
「すべて取ってはいけません。金色の獣たちが食べる分と、新しい花を育てる分を残してください」
と頼んでも、人間たちは誰も聞きませんでした。
「この土地は、今日から我々のものだ」
「これほど栄養のある種を、獣に食べさせる必要はない」
「金色の獣を捕まえ、我々のために種を運ばせればよい」
人間たちは、花の実を一つ残らず集めました。
さらに、金色の獣たちを捕らえようと、森や草原へ罠を仕掛けました。
少女は、金色の子供を守りました。
雄と雌の獣も少女のそばを離れませんでした。けれど、人間たちは少女へ言いました。
「俺たちの土地だ。出ていけ!」
少女と三匹の金色の獣は、花の種をほんの少しだけ持ち、長く暮らした土地を追い出されました。
土地を手に入れた人間たちは、集めた種を畑へ蒔きました。
しかし、芽は出ませんでした。
土へ深く埋めても、水をたくさん与えても、花は育ちませんでした。
金色の獣がいなくなったため、種を運ぶものもいません。
人間たちは、種を一つ残らず集めてしまいました。
新しい花は芽を出さず、残っていた花も年月とともに枯れていきました。
花の根がなくなると、雨が降るたび土は流されました。
泉の水も少しずつ減り、果実を実らせていた木々まで枯れ始めました。
豊かだった土地は、少女が初めて訪れた頃のような荒れ地へ戻っていきました。一方、少女と金色の獣たちは、遠く離れた別の土地へたどり着きました。
そこも最初は、草さえほとんど生えていない場所でした。
雄と雌の獣が、持ってきた種を土へ埋めます。
金色の子供は、少女と一緒に土を掘りました。
やがて、一つの芽が出ました。
芽は大きくなり、太陽のような花を咲かせました。
花から実が生まれ、獣たちは種を運びました。
少女が花の世話をし、金色の獣たちが種を埋める。それを何年も繰り返すうちに、新しい土地にも緑が増え、泉が生まれ、たくさんの生き物が集まりました。
少女たちが移り住んだ土地は、以前の土地よりも豊かになりました。
絵本の最後の頁には、成長した少女と三匹の金色の獣が描かれていた。
少女の隣には、最初に生まれた金色の子供。
その後ろには、寄り添う雄と雌。
周囲には、太陽に似た黄色い花がいくつも咲いている。
その下には、絵本の教えが短い言葉で記されていた。
『金色の獣は、誰のものにもなりません。
太陽の花も、一人のものにはなりません。
恵みを分け合う者には、恵みが巡ります。
恵みを奪う者からは、やがてすべてが去っていきます。
もし、花のそばで金色の獣と一人の子供を見つけても、決して二人を引き離してはなりません。
結ばれた絆を壊した不幸は、いつか必ず、それを壊した者のもとへ帰ってくるのです』
私は最後の文章を、もう一度読み返した。
「少女と獣を追い出したから、土地が不幸になったのでしょうか?」
「絵本には、そう書いてあるね」
お兄様は、すぐには断定しなかった。
私も、単に金色の獣の祟りがあったとは思えなかった。
「でも、人間たちは、種をすべて取ってしまいました」
「うん」
「種を運ぶ獣も追い出しました。新しい花が育たなくなるのは、当然ではありませんか?」
花には、土や水を守る働きがあった。
金色の獣は、花の実を食べる代わりに種を運んだ。
少女は、その関係を壊さないよう、必要な分だけ恵みをもらっていた。
そこへ現れた人間たちは、種も花も土地も、すべて自分たちのものにしようとした。少女と獣を不幸にした罰というより、自分たちで豊かさを生み出す仕組みを壊してしまったのだ。
「絵本を作った人は、そこまで分かっていたのかもしれないね」
「子供にも分かるように、幸運と不幸のお話にしたのでしょうか?」
「そのほうが、覚えやすいからね」
陽輪花を守り、にゃわんを追い払わない。
恵みをすべて奪わず、分け合う。
難しい植物の仕組みを説明するよりも、金色の獣を大切にしなければ不幸が訪れると伝えたほうが、多くの人の記憶に残る。
「チャチャ」
「何ですか?」
「この絵本の少女は、少し君に似ているね」
「どこがですか?」
「金色の獣が自分から近づくまで待ったところ。それに、種を全部取らず、動物たちの分を残したところも」
「私は、ぼろぼろの服を着て、片方の靴だけで歩いたりしていませんけどね」
「そこではなくて‥‥‥」
お兄様は困ったように笑った。
私はもう一度、最後の頁に描かれた少女を見た。
少女にも、花にも、金色の獣にも、最後まで名前は書かれていなかった。
いつ、どこで起きた出来事なのかも分からない。
本当にあったことなのか、誰かが作った物語なのかも不明なままだった。けれど、名前のない金色の獣は、私たちがにゃわんと呼んでいる動物によく似ている。
そして現実の草原では今、身重の雌が新しい命を産もうとしている。
ただの絵本だと片づけるには、今の私たちと重なる部分があまりにも多かった。




