5-6 幸運を呼ぶ動物
草の間から、二つの耳が現れた。
形は猫の耳に似ていた。けれど、耳の先は犬のように少し垂れていた。
次に、丸い頭がゆっくりと姿を見せる。
大きな瞳。
短い鼻。
頬の辺りには、淡い金色の毛がふんわりと広がっている。
口元には、硬い果実の殻を割るためなのか、小さく鋭い牙が覗いていた。
猫のようにも見えるし、犬のようにも見える。
けれど、そのどちらとも違う。不思議な動物だった。
私が今まで一度も見たことのない動物が、草の間からこちらをじっと見つめていた。
私は息を止め、隠れ場所に作った細い隙間から、その姿を見つめ返した。
目が合っている気がする‥‥‥
枝と布で作った隠れ場所へ草を重ね、三日間も放置して人の匂いを薄れさせた。観察を始めてからも、できるだけ音を立てず、毎日交代しながら待ち続けてきた。
それでも、動物はこちらの存在に気づいているのかな?
鼻先が小さく動く。
周囲の匂いを確認しながら、草の中から一歩だけ前へ出た。
前足は猫のものに似ている。柔らかな肉球で地面を踏んでいるため、足音はほとんど聞こえない。
しかし、体つきは猫よりもしっかりしている。
大きさは小型犬より一回り大きいくらいだろうか。長い尻尾には、犬のようにふさふさとした毛が生えている。そして、ダックスフント?コーギー?のように短足だった。
動物は一歩進むたびに立ち止まり、私たちの隠れている方向を確認した。
完全に気づかれているようだ‥‥‥
けれど、すぐに逃げるつもりはないようだった。
果肉を塗った種があることは分かっているらしく、警戒しながらも少しずつ木皿へ近づいてくる。
何日もの間、この場所へ置かれていた甘い果肉。
隠れ場所ができても、今まで危害を加えられることはなかった。
だから、安全だと信じたわけではなく、危険を承知で確かめに来たのかもしれない。ようやく木皿の前まで来ると、動物は鼻先を近づけた。
皿の上には、陽輪花の果実から取り出した、本当の種が一つ置かれている。
キウイの種ほどの小さな黒い粒。その表面には、ごく薄く果肉を塗ってあった。
動物はすぐには口へ入れず、前足で種を転がした。
右から匂いを嗅ぎ、今度は左から確認する。
そのあと、こちらをちらりと見た。
まるで、私たちが置いた物だと分かっているような目だった。
やがて動物は、種を舌先で舐め始めた。
一度、二度。
表面に付着していた果肉だけを、丁寧に舐め取っていく。
私は思わず身を乗り出しそうになった。
その瞬間、隣にいるマリアネーゼが私の腕へ二度触れた。
動かないで!
事前に決めていた合図だった。
私は体へ力を入れ、その場に留まった。
何度か舐めた後、種の表面からは、粘りついていた果肉がきれいになくなっているようだった。
やはり、この動物が食べているのは、種そのものではない。
種を包んでいる甘い果肉なのだ。
牙で果実の硬い殻を割る。
中の果肉を食べ、口へ入った小さな種を舌と唾液できれいにする。
その種を別の場所へ運び、土の中へ隠した。
人間が何度植えても芽が出なかった陽輪花が、この動物の運んだ種からだけ芽吹く理由が、少しずつ分かってきた。
ただし、表面の果肉を取り除くだけで芽が出るとは限らない。
唾液に含まれる何かが発芽を助けている可能性もあるし、埋める深さや土の状態まで関係しているのかもしれない。
動物は、きれいになった種をもう一度くわえた。
そのまま持ち去るのかと思ったけれど、なぜか草むらのほうへ顔を向ける。
「にゃあ……」
猫のような、短く柔らかな声がした。
返事はない。
動物は木皿の前から動かず、耳を立てて草むらを見つめている。
少し待ったあと、先ほどより長く鳴いた。
「にゃあぅ」
すると、離れた場所の草が揺れた。
私は再び身を乗り出しかけ、マリアネーゼに腕を押さえられた。
最初の動物も、こちらを気にしている。
少しでも大きな音を立てれば、すぐに逃げてしまうだろう。
私たちは息を殺し、草の揺れている場所を見つめた。
やがて、最初の一匹と同じ形をした耳が、草の上へゆっくりと現れた。
もう一匹いる!
二匹目は、最初の一匹以上に用心深かった。
草から顔を出しては立ち止まり、少し進んでは周囲を確かめる。
最初の一匹が短く鳴くと、ようやく全身を現した。
毛の色や体の大きさはよく似ている。
けれど、歩き方が違った。
一歩ずつ地面を確かめるように、ゆっくりと進んでくる。
横から見ると、腹部が丸く大きく膨らんでいた。
単に太っているという膨らみ方ではない。胸や足は細いのに、お腹だけが低い位置まで張り出している。
最初の一匹は二匹目へ駆け寄ると、互いの鼻先をそっと触れ合わせた。
それから木皿へ戻り、きれいにした黒い種を二匹目の前へ置く。
二匹目は種の匂いを嗅いだものの、果肉が残っていないと分かると口にはしなかった。
すると、最初の一匹は木皿に残っていた果肉を前足で集めるようにして、もう一度二匹目へ差し出した。
まるで、こちらを食べろと言っているようだった。
私は隣にいるマリアネーゼを見た。
マリアネーゼも驚いたように目を見開いている。
二匹は、番なのだ。
そして、あとから現れた一匹は、おそらく子供を宿している。
最初の一匹が、危険を承知で木皿へ近づいてきた理由も、これなら分かる。
自分が食べるためだけではなかった。
身重の相手へ、甘い果肉を渡そうとしていたのだ。
あまりにも可愛らしく、微笑ましい光景だった。
「かわいい‥‥‥」
思わず、声が漏れた。
しまったと思ったときには、もう遅い。最初の一匹が勢いよく顔を上げた。
全身の毛が逆立ち、垂れていた耳がぴんと立つ。
「わんっ!」
今度は、犬のような鋭い声だった。
動物は逃げるより先に、身重の一匹の前へ立った。
背中を低くし、私たちのいる隠れ場所を睨んでいる。
小さな牙が、先ほどよりもはっきり見えた。
相手を守ろうとしているのだろうか?
私は動かなかった。
驚かせたことを謝りたかったけれど、さらに声を出せば、余計に警戒させてしまう。
マリアネーゼも身じろぎ一つせず、二匹の様子を見守っていた。
身重の一匹は、すぐには逃げなかった。
最初の一匹の後ろから顔を出し、こちらを見つめている。
大きな瞳には警戒の色が浮かんでいるものの、襲ってくる様子はなかった。
しばらくして、最初の一匹が小さく鳴いた。
「にゃぅ」
すると、身重の一匹が草むらへ戻り始めた。
最初の一匹はその場に残り、相手が完全に草の中へ隠れるまで、こちらから目を離さなかった。
やがて木皿の上の種をくわえ、後ろ向きに数歩下がる。
最後まで私たちを警戒しながら、草の中へ消えていった。
ふさふさした尻尾の先が見えなくなっても、私たちはしばらく動けなかった。
地球には、あのような生き物はいなかった。
少なくとも、私が前世で知っていた動物の中に、猫のような顔をして犬のようにも鳴き、陽輪花と共に生きるものなど存在しなかった。
陽輪花も同じだ。
3メルツ近くまで育ち、硬い果実の中に甘い果肉と無数の種を隠している。しかも、特定の動物に果実を割ってもらわなければ、ほとんど芽を出すことができない。
見た目はタンポポに似ていても、私の知っているタンポポとは、まったく違う植物だった。
もしかすると私は、地球の過去に似た時代へ転生したのではないのかもしれない。
地球とは違う、宇宙のどこかにある星へ生まれ変わったのだろうか?
前世では、夜空に見える星の中には、光が地球へ届くまで何十年、何百年、それ以上もかかるほど遠くにあるものも存在すると聞いたことがある。
それほど広い宇宙に、生命の宿る星が地球一つしかないというのは、なんだかもったいない。
地球の人間が知らないだけで、ほかにもさまざまな生命が暮らす星が、いくつも存在しているのかもしれない。
そして私は、そのうちの一つへ転生してしまったとか‥‥‥
そう考えれば、地球では見たことのない植物や動物がいることにも納得できる。
もちろん、確かめる方法などないけれど、この世界には宇宙の彼方を調べるための道具も、別の星へ行くための方法もないのだから‥‥‥
けれど、猫でも犬でもない二匹が消えた草むらを見つめていると、そんな途方もない考えさえ、本当のことのように思えてきたのだった。




