5-2 隠れ家を作る
「この黒い小さな粒が、陽輪花の本当の種だと?」
厨房へ呼ばれたオスカーは、皿の上に並べられた小さな粒を、食い入るように見つめていた。
割れた黒褐色の殻。
その内側に詰まっていた、桃のように柔らかな淡黄色の果肉。そして、果肉の中から見つかった、キウイの種ほどの小さな黒い粒。
私たちがこれまで種と呼んでいたアボカドほどの塊は、本当の種ではなかった。
硬い殻に守られた、陽輪花の果実だったのだ。
「おそらく、そうだと思います」
「しかし、これまで陽輪花を増やそうとした者は、誰も気づかなかったのでしょうか?」
「気づかずにこれが種だと思い、割らなかったのですよ‥‥‥きっと‥‥‥」
料理長が答えた。
「この殻は、包丁を押し当てた程度では切れませんでした。無理に力を入れれば刃が滑ります。中を壊さずに割るには、殻の周囲へ少しずつひびを入れなければなりませんでしたから‥‥‥」
人々は風綿種を拾うと、黒褐色の塊をそのまま地面へ植えていた。
芽が出なければ、表面の硬い殻が邪魔をしているのだと考え、小刀で傷をつける。
それでも芽が出ないため、例の動物の唾液には特別な力があるのだという説が生まれたんでしょう。
「では、その動物は殻へ傷をつけるだけではなく、中の果肉を食べていたということですよね?」
「そう考えるのが、自然ですね」
私は、果肉のついた黒い粒を一つ指さした。
「動物は牙で殻を割り、甘い果肉を食べ、そのとき小さな種も一緒に口へ入るのでしょう」
種の表面には、粘りのある果肉が膜のように付着している。
水の中で軽く揺らすだけでは、完全に取り除くことができなかった。
例の動物は、舌や唾液で果肉をきれいに舐め取っているのかもしれない。
そのあと、口に残った種の一部を別の場所へ運び、餌として土の中へ隠す。
食べずに残されたものだけが水分を吸収し、芽を出すのではないだろうか‥‥‥?
「牙と唾液が発芽に関係しているという話も、すべて間違いではなかったのだと思います。ただ、牙で割っていたのは種ではなく、その外側にある果実でした」
「つまり、人間は今まで、果実を丸ごと植えていたと?」
「はい。中身を一度も確かめずに」
オスカーは額へ手を当て、しばらく何も言わなかった。
植物を育てることに人生を捧げてきた彼にとって、ずいぶん衝撃的な事実だったらしい‥‥‥
「私は、陽輪花の種を植えたことがあります」
「オスカーも、ですか?」
「ええ。殻へ小さな傷をつける方法も、土の深さや水の量を変える方法も試しました。まさか、あれが種ではなかったとは‥‥‥考えもつきませんでした。まして、果実の実が中に詰まっているとは‥‥‥」
「仕方ありません。風綿種と呼ばれ、綿毛の下についているのですから、みんなが種だと思いますよ。
前世のたんぽぽであれば、風に乗り、地面へ落ち、そのまま芽を出す。私もそう思いますし‥‥‥
けれど、陽輪花は違ったのだ。
綿毛の先についた果実はあまりにも重く、遠くまで飛ぶことができない。そのうえ、硬い殻の中には果肉があり、さらにその中へ本当の種が隠されていた。
見た目が似ていても、同じ植物ではないのだ。このことで、元いた世界とは全く違うのだと、認識することとなった。
「それで?お嬢様。このあとは、どうなさるおつもりですか?」
「確かめたいことがあるんです」
回収した風綿種のうち、一つはすでに厨房で割った。
もう一つは、綿毛や殻の性質を調べるために残してある。
そして最後の一つは、まだ手を加えず、元の形のまま保管していた。
「残った一つを使って、例の動物を呼べないでしょうか?」
「どうやって?」
「果肉を外側へ塗るのです」
例の動物は、陽輪花の果実を好んで食べる。
しかし、果実は硬い殻に覆われているため、外から果肉の香りが分かるのか疑問だった。
料理長によれば、果肉自体に強い香りはない。
私たち人間には感じ取れなくても、その動物には分かる匂いがあるのかもしれない。けれど、頭の良い動物であれば風綿種の姿や落ちている場所を覚えて、探している可能性もある。
そこで、残った一つの外側へ、割った果実から取り出した果肉を少量塗ってみる。
そうすれば、いつもより見つけやすくなるのではないだろうか‥‥‥?
「よい考えかもしれません。ただし、塗りすぎてはいけません」
オスカーが慎重に答えた。
「どうしてですか?」
「人の手が加わった物を警戒する可能性もあります。それに、果肉を大量に塗れば、虫や別の動物まで集まってくるかもしれませんし」
甘い果肉を好むのが、例の動物だけとは限らないか‥‥‥
鳥や虫、鼠に似た小動物が、先に食べてしまう可能性もある。
「では、果肉は片面へ薄く塗るだけにしましょうか」
「置く場所も重要です。いつも風綿種が落ちる場所から離れすぎていれば、余計に警戒するかもしれません」
私たちはオスカーを交え、どこへ、どのような状態で置くのかを話し合った。
草原へ直接置けば、果肉に土や草が付着する。
かといって、高い台へ載せれば、普段とは違う景色になり、動物が近づかないかもしれないし‥‥‥
そこで、目立たない色の浅い木皿を使うことになった。
皿には陽輪花の葉を一枚敷き、その上へ、果肉を薄く塗った風綿種を置く。草の高さに隠れるよう、地面を浅く掘って皿を据えれば、遠くから見てもほとんど目立たない。
「問題は、どのように様子を見るのか‥‥‥?」
私が言うと、マリアネーゼがすぐに答えた。
「少し離れた場所から、使用人に見張らせてはいかがでしょう」
「大勢で見張ったら、動物が出てこないと思います」
「お嬢様ご自身が見張るおつもりですか?」
「そのつもりですが‥‥‥」
「なりません」
予想していたとおり、マリアネーゼは即座に反対した。
「草原で何時間も座り続けるなど‥‥‥お許しできません」
「何時間もいるとは言っていません。最初は、午後の散歩の時間だけ‥‥‥お願い‥‥‥」
私は、あざとく上目遣いで両手を擦り合わせお願いしてみると、マリアネーゼは呆気なく陥落した。
例の動物が必ずやって来るとは限らない。
一日待って現れなければ、次の日も同じ時間に試せばよい。初めから朝から晩まで見張る必要はない。
「しかし、お姿を隠さなければ近づいてはこないでしょう」
「でしたら、姿を隠せる場所を作りましょう」
私はオスカーを見た。
「二人くらい入れる、小さな小屋は作れませんか?」
「小屋を建てれば、動物が警戒します」
「では、小屋に見えないものにします」
「小屋に見えない小屋、ですか?」
「布とか枝で囲いを作って、その上を草で覆うのです」
前世で見た、野鳥を観察するための隠れ場所を思い出していた。
細い枝で骨組みを作り、周囲へ丈夫な布を張る。さらに、この草原で刈った草や枝葉を重ねれば、遠くからは草の茂みに見えるはずだ。
外を確認するための隙間だけ残しておけば、中から動物の様子を観察できる。
「テント、のようなものですね」
「てんと?」
この世界では、テントという言葉はなかったみたいだ‥‥‥
「ええと‥‥‥布で作った、持ち運べる小さな小屋です」
「また、お嬢様の不思議なお言葉が出ましたね」
オスカーが面白そうに笑った。
この世界にも軍隊や旅人が野外で使う天幕はある。しかし、それを草で覆い、動物に見つからないようにするという使い方は、あまり一般的ではないらしい。
「できたばかりの物には、人の匂いが強く残ります。設置してから数日置き、周囲の草や土の匂いになじませたほうがよいと思います」
なるほど、見た目だけ草原に似せても、匂いで気づかれてしまえば意味がないのですね。
これだけ、警戒心が強い生き物ならば、私たち人間には分からない匂いまで、動物は感じ取るかもしれない‥‥‥
「では、今日作って、果実を置くのは数日後にしましょう」
「お嬢様」
マリアネーゼの声が、さらに低くなった。
どうやら、話が勝手に進んでいることが気に入らないらしい。
「中へ入るのは、私とオスカーの二人です」
「なぜ、わたくしではないのです?」
「その動物は、オスカーの顔を覚えているかもしれないのでしょう?」
オスカーは以前、草原の遠くに立つその姿を、何度か見たことがあるという。
近づけば逃げる。名前も種類も分からない。けれど、庭師として長年草原へ通っているオスカーだけは、完全な見知らぬ人間とは思われていない可能性があった。
「オスカーと一緒なら、少しは警戒されにくいかもしれませんし」
「だからといって、お嬢様と男性を二人きりにはできません」
「あなたの旦那様でしょう?」
「夫であることと、お嬢様のお立場は別の問題です」
マリアネーゼは、こういうところでは絶対に譲らない。
結局、隠れ場所の中には私とオスカーが入り、マリアネーゼと護衛は、動物から姿が見えない木立の向こうで待機することになった。
何かあれば、すぐに駆けつけられる距離だ。
その日の午後、オスカーはさっそく隠れ場所の製作を始めた。
まず、陽輪花から十分に距離を取り、風向きも確認する。
私たちの匂いが、果実を置く場所へ流れてしまわない位置を選ばなければならない。
地面へ細い枝を差し込み、上部を曲げて組み合わせる。二人が並んで座れるだけの空間を確保し、枝の上へ茶色い布を掛けた。
その上から草や細い蔓、枯れかけた葉を重ねていく。
新鮮な草だけを使えば、数日後に萎れたとき、全体の形が変わってしまう。そのため、乾いた草と青い草を混ぜ、周囲の草原と同じ色合いになるように調整した。
「オスカー。こちら側だけ、草が多すぎませんか?」
「風でいくらか落ちます。そのあと、また足しましょう」
「最初から完成ではないのですね」
「周囲になじむかどうかは、ここへ置いてみなければ分かりませんしね」
鬘置きを作ったときと同じだ。
一度作り、実際に置いて確かめ、問題があれば直す。
最初から何もかも完璧にできるわけではない。
最後に、外を見るための細い隙間を二か所作った。
中へ入ってみると、思ったよりも暗い。
けれど、隙間からは、果実を置く予定の場所と、その周囲の草むらがよく見えた。
話し声を出さずに意思を伝えられるよう、オスカーと簡単な合図も決めた。
動物を見つけたら肩を一度叩く。
動かないでほしいときは二度。
危険があるときは三度。
これなら、声を出して動物を驚かせずに済む。
「今日は、果実を置かないのですか?」
「はい。まずは、この場所に慣れてもらいます」
完成したばかりの隠れ場所を眺めても、草原の中に低い草の塊が一つ増えただけに見えた。
それでも、人間には見えない違いを、例の動物は見抜くかもしれない。
私たちは、その日の観察を諦め、いったん屋敷へ戻った。




