5-1 種を割ったら、種が出てきました。
お父様の執務室がようやく片づき、所有していた鬘も10個以内になんとか収まった。
これで屋敷の大掃除は、ひとまず終わったと言ってよいだろう。
けれど、私の部屋の机には、掃除とは別の問題が残されていた。
机の上には白い布が広げられ、その中央に、陽輪花から採取した銀白色の綿毛が置かれている。
陽輪花は、私が生まれた年に公爵家の草原へ現れた、縁起のよい植物とのこと。
黄色い花を咲かせている間は、陽輪花。花びらが落ち、綿毛をつけると風綿種と呼ばれている。
私は草原へ落ちた風綿種のうち、3つだけを回収してきた。
残りは、陽輪花と共に生きる動物の大切な食料だから、人間がすべて持ち去ってしまえば、その動物が草原へ来なくなり、新しい陽輪花も生まれなくなるかもしれない。
だから、調べるのは3つだけにした。
そのうちの一つから、私は綿毛を丁寧に取り外してみた。
初めて触れたときは、ただ柔らかいものだと思っていた。
前世のタンポポの綿毛と同じように、指先へ力を入れれば、すぐに折れたり千切れたりするものだと‥‥‥
けれど、実際に一本だけつまんで引いてみると、想像していた感触とは違った。
「あれ?」
片方の端を私が持ち、もう片方をマリアネーゼに持ってもらう。
「少しずつ引いてみて」
「千切れてしまいませんかね?」
「それを確かめたいのです」
私たちは互いに離れるようにして、綿毛の両端を引いた。
細い綿毛はぴんと張った。
けれど、千切れない。
さらに少し力を加えても、中央がわずかに伸びるだけで、形を保っている。
「見た目より、ずっと丈夫だね」
「そのようでございますね」
「マリアネーゼ。もう少しだけ強く引いてみて」
「お嬢様は、手を傷めないようになさってくださいませ」
今度は、私の代わりに侍女の一人が端を持ち、マリアネーゼと二人で力を加えた。
ようやく綿毛は中央から切れたものの、簡単に千切れるというほどではなかった。
「こんなに細いのに‥‥‥」
私は、切れた断面を眺めた。
見た目は柔らかく、風が吹けば簡単に飛んでいきそうなのに、引っ張る力は思ったより強い。
次に、何本かを指先でそろえ、手のひらの間で転がすように捻ってみた。
前世で紙をこよりにしたときのように、少しずつ撚り合わせていく。
最初は綿毛同士が滑り、すぐにばらばらになってしまった。
今度は少しだけ水で指先を湿らせ、同じ向きへ捻ってみた。すると、何本もの綿毛がまとまり、細い一本の紐のようになった。
「先ほどより丈夫になりましたね」
「ええ。けれど、乾いたらどうなるでしょう」
作ったこよりを布の上に置き、しばらく待つ。
乾燥すると、表面から何本かの毛が浮き上がった。それでも、撚り合わせた形が完全に崩れることはない。
私は乾いたこよりの両端をつまみ、もう一度引っ張った。一本だけの綿毛よりも、ずっと強い。
「これなら、何かに使えるかな?」
「糸になさるおつもりですか?」
「まだ、糸と呼べるほどではありませんけど‥‥‥」
何本の綿毛を使えばよいのか?
どれほどの強さで撚ればよいのか?
水で湿らせるだけでよいのか、それとも別のものを加えなければ形を保てないのか?
分からないことばかりだ。
私は綿毛を一本持ち、口元へ近づけた。
「お嬢様、口へ入れてはいけません」
「さすがに食べませんよ!風を当ててみるだけです」
息を吹きかけると、綿毛は細かく震えた。
けれど、すぐに折れたり、表面が崩れたりはしない。
今度は、少し強く吹いてみる。
一本だけなら大きく揺れるものの、撚り合わせたこよりは、わずかに動くだけだった。
「風にも、思ったより強いですね」
私は、綿毛のこよりを窓から差し込む光へ透かしてみた。
銀白色の細い毛が撚り合わされ、一本の筋を作っている。
その見た目が、何かに似ている気がした。
「マリアネーゼ。お父様の鬘を一つ、持ってきてもらえませんか?」
「旦那様の許可が必要でございます」
「では、傷みがひどく、処分する予定の物で構いません」
少しして運ばれてきた鬘を、オスカーに作ってもらった鬘置きへ載せてもらった。
鬘の髪を一本だけ持ち上げ、その横へ、綿毛で作ったこよりを並べる。
太さも色も、同じではない。
綿毛のこよりは、鬘の髪より少し太く、撚った跡も残っている。表面には短い毛が飛び出し、そのままでは髪の毛に見えなかった。
それでも、光を受けて淡く輝く色は、白い鬘とよく似ていた。
「このまま使うことはできませんね」
「はい。少々太すぎます」
「それに、撚り方も均一ではありません」
私は指先で、こよりをさらに細くほぐした。
綿毛の本数を減らし、同じ太さを保ちながら撚ることができれば、もっと髪に近づけられるかもしれない。
一本では短すぎるなら、何本かをつなぐ必要がある。
けれど、結び目が大きくなれば、鬘の表面で目立ってしまう。
糸のように紡ぐ方法が使えるのか。別の細い繊維へ巻きつけるのか。根元だけを土台へ固定し、一房ごとに作るのか。
まだ、何も決まっていない。
私は綿毛のこよりを、鬘の髪の間へそっと重ねた。
「もしかしたら‥‥‥」
「鬘に使えるとお考えですか?」
「うーん‥‥‥どうだろう?」
私はすぐには頷かなかった。
柔らかく、見た目より丈夫で、風を当てても簡単には切れない。
綿毛同士を撚り合わせれば、細い紐のようにすることもできる。
けれど、まだそれだけで鬘としては、使えない。でも、使えるようにできるとしたら‥‥‥
洗ったら縮むかもしれない。湿気を吸って形が崩れるかもしれない。汗や髪粉がつけば、固まってしまう可能性もある。
そもそも、陽輪花は数が少ない。一本の鬘を作るために大量の綿毛が必要となれば、動物の食料まで奪うことになってしまうし‥‥‥
「まずは、この綿毛が何なのかを調べましょう」
「何なのか、ですか?」
「どこまで丈夫なのか?水へ浸したらどうなるのか?洗って乾かしたあとも、撚り合わせることができるのか。それから‥‥‥」
私は、綿毛の根元についていた黒褐色の塊へ目を向けた。
「こちらの中が、どうなっているのかも確かめたいです」
大きさは、前世で見たアボカドと同じくらいかな?
表面は硬い殻に覆われ、指の爪を立てても、まったく傷がつかなかった。
これまで人々は、この黒褐色の塊を陽輪花の種だと考えていた。
けれど、これほど大きなものの中に何が入っているのか?種なのかな‥‥‥?
こうして私は、綿毛と黒褐色の塊を持ち、マリアネーゼとともに厨房へ向かうことにした。
「それで、お嬢様はこちらをどうなさりたいのでしょうか?」
公爵家の厨房で、料理長が困惑した顔をしている。
調理台の上には、綿毛を取り外した風綿種が置かれていた。
「中がどうなっているのか、確かめたいのです」
「ですから、厨房へお持ちになったのですか?」
「こちらには、硬い物を切る道具がありますから」
「確かにございますが、これは何ですか?」
「これ、種なんです」
「へぇー‥‥‥見たことない種ですね!」
「食べるためではありません。これを割ってみたいのです」
「中を確認するだけで、分かるのでしょうか?」
「分からないかもしれません。でも、何も確かめたいんです」
人の手で風綿種を土へ植えても、芽は出ない。
表面の硬い殻が水を通さないからではないかと考え、殻へ小刀で傷をつけ、それでも芽は出なかった。
一方で、陽輪花と共に生きる動物が運んだものは、ごくまれに芽を出す。
動物の牙で殻に傷がつき、唾液が混ざることで発芽するのか?
それが、今まで信じられてきた説だった。
けれど、本当にそうなのだろうか?
発芽させることばかりに気を取られ、そもそも殻の中がどうなっているのかを、誰も確かめていなかった。
「お嬢様の好奇心には困りましたな」
料理長は大きな息を吐いた。
そう言いながらも、その目は調理台の上の黒褐色の塊から離れていない。
「包丁で切れますか?」
「分かりません。まずは試してみましょう。ただし、お嬢様は離れていてください」
料理長は厚い布で風綿種を包み、調理台の上で動かないように固定した。
その上から、硬い骨や大きな肉を切り分けるための、刃の厚い包丁を当てる。
ゆっくりと力を加えても、刃は殻の表面で止まった。
「これは硬い」
「切れませんか?」
「無理に力を入れれば、刃が滑ります。木槌を使いましょう」
料理長は包丁を置き、小さな木槌と先端の細い金属製の道具を用意した。
いきなり大きな力で叩けば、中身まで潰してしまうかもしれない。殻の中央へ道具を当て、木槌で軽く叩く。少し位置を変え、また叩く。
殻の周囲を一周するように、同じ作業を何度も繰り返した。
「かなり、頑丈なんですね?」
「急いではいけません。中身を調べるのであれば、できるだけ壊さずに開けなければなりません」
やがて、硬い殻の表面に細い線が現れた。
「やっと、ひびが入りました」
「触れてはいけません」
身を乗り出した私を制し、料理長はひびへ薄い金属板を差し込んだ。
少しずつ隙間を広げていく。
ぴしり‥‥‥と乾いた音が響いた。
黒褐色の殻が、二つに分かれる。
その瞬間、私は目を見開いた。
殻の中から現れたものは、私が想像していたものとはまったく違っていた。
中まで硬いのだと思っていた。
けれど、黒褐色の殻の内側には、淡い黄色の柔らかなものが詰まっている。
見た目は、よく熟した桃の果肉に似ていた。
料理長が小さな匙で表面へ触れると、果肉はほとんど抵抗することなく、滑らかに崩れる。
「中身は、ずいぶん柔らかいですね」
「水分も含んでおります。ただし、香りはほとんどありませんな」
私も少し離れた場所から、鼻で確かめてみた。
果物のような香りはしない。土や草の匂いが、ほんのわずかにするだけだ。
「食べられるのでしょうか?」
「お嬢様が口になさるのは、絶対にいけません」
「まだ食べるとは言っていませんよ。」
「お顔に書いてあります」
料理長は果肉の色や状態を確かめたあと、銀の匙へごく少量だけ取った。
指先へつけても、痛みや痺れは出ない。
それでも飲み込むことはせず、本当にわずかな量を舌先へ触れさせ、すぐに口をすすいだ。
「料理長?」
「‥‥‥物凄く甘いですな」
「甘いのですか?」
「はい。香りはほとんどないのに、驚くほど甘い。蜜をそのまま固めたような甘さです」
だから、例の動物が好んで食べるのだろう。
硬い殻を牙で割り、中の甘い果肉を食べる。
「果肉の中にも、何かありませんか?」
「少々、お待ちください」
料理長が別の匙を使い、果肉を少しずつ取り除いていく。
すると、淡い黄色の中から、小さな黒い粒が一つ出てきた。
さらに果肉を避けると、もう一つ。
一つや二つではない。
小さな黒い粒が、果肉の中にびっしりと詰まっていた。
大きさも色も、前世のキウイフルーツに入っていた種とよく似ていた。
「こちらのほうが、種に見えますね」
料理長は黒い粒を一つ取り出し、水を張った小皿へ入れた。
粒の表面には、淡い黄色の果肉が粘りついている。
水の中で軽く揺らした程度では、すぐには取れなかった。
「もしかして……」
私は、割れた殻と、果肉から出てきた黒い粒を見比べた。
「種は、この硬い塊ではありません」
「では、これは?」
「果実なのだと思います。硬い殻に守られた、陽輪花の果実です」
綿毛についているため、誰もが外側の塊を種だと思っていた。
けれど、本当の種は、その中に隠されていたのだ。
それなら、人の手で何度植えても芽が出なかった理由も説明できる。
人々は、硬い果実をそのまま土へ埋めていた。たとえ外側の殻へ傷をつけても、中の種は甘い果肉に包まれたままだ。
しかも、黒い種の表面には、粘りのある果肉が膜のように付着している。
この状態では、土の水分をうまく吸収できないのかもしれない。あるいは、果肉に含まれる何かが、種の発芽を抑えている可能性もある。
一方、陽輪花と共に生きる動物は、牙で硬い殻を割る。
中の果肉を食べ、種を口に含み、舌や唾液によって種の表面についた果肉を取り除き、その種を別の場所へ運んで土へ隠すのかな?
牙と唾液が必要だという説は、すべて間違いだったわけではないけど、牙で割っていたのは種ではなく、種を守る果実だったのだ。
「オスカーを呼んでください」
私は厨房の入口に控えていた使用人へ頼んだ。
「それから、残った果肉も黒い粒も捨てないでください。殻も、綿毛も、すべて残しておきます」
「食材ではない物を、ずいぶん大切になさるのですね」
「どれも、陽輪花を知るための手がかりですからね」
人の手で育てられなかった、幸運を運ぶ花。
その発芽方法が分かるかもしれない。
そして、これまで風に落ちたあとは動物の餌になるだけだと思われていた綿毛にも、何か別の使い道があるかもしれない。
今はまだ、ただの可能性にすぎない。
種だと思っていたものの中から本当の種が見つかったように、何に使えるかは、見ただけでは分からないのだ。




