4-6 お父様の頭は10個まで
それから、さらに一か月が過ぎた。
毎日、天気のよい午前中だけ続けていたお父様の執務室の掃除も、ようやく終わりを迎えた。
床にまで積まれていた書類は、領地や内容ごとに分けられた。
王都に近い公爵領から届いた報告。国境沿いの領地や軍隊に関する報告。国が保護している自然公園の管理記録。それから、すでに仕事を終えた書類と、これから確認しなければならない書類。
最初は分類用の箱をいくつも用意し、その中へ仮に分けていた。
実際に仕事をするお父様が数日使い、取り出しにくい物や、違う場所にあったほうが便利な物を少しずつ入れ替えた。
初めから完璧な置き場所を決めることはできなかったけれど、お父様が実際に使いながら直したことで、以前よりも必要な書類を探しやすくなったらしい。
もちろん、何もかも捨てたわけではない。
お父様にしか価値を判断できない物は残し、壊れた羽根ペンや空のインク壺も、使える物と使えない物に分けた。
問題になっていた、中身の分からない例の箱も開けた。
中に入っていたのは、十年以上前の晩餐会で使われた席次表と、すでに返事を出し終えている招待状。それから、片方だけになった手袋だった。
お父様は、どれも大切な物だと言い張った。けれど、なぜ大切なのか尋ねると、手袋については持ち主さえ覚えていなかった。
席次表と招待状は記録として残し、手袋はしばらく保管したあと、持ち主が分からなければ処分することになった。
最初から捨てると決めれば、お父様も抵抗しただろう。
ひとまず期限を決めて保管し、その間に本当に必要かを考えてもらう。そのほうが、お父様にも受け入れやすいらしい。
大きな机や本棚も、一度だけ場所を動かした。
家具の下からは、長年積もった埃だけでなく、落としたままになっていた封蝋や硬貨まで出てきた。
分厚い絨毯は外へ運び、表と裏の両方から埃を払い、しっかりと風に当てた。窓や窓枠、壁際の細かな彫刻にも布を入れ、溜まっていた汚れを取り除いた。
掃除を終えた執務室は、同じ部屋とは思えないほど明るくなった。
窓から入った風が、棚と棚の間を通り抜ける。古い紙や革張りの本の匂いは残っているけれど、以前のような息苦しさはない。
お父様も、必要な書類がすぐに見つかるようになったことで、仕事がしやすくなったと認めている。ただし、素直に私たちへ感謝するのは悔しいらしい。
「以前の置き方にも、それなりの良さがあった」
という言葉を、いまだに付け加えていた。
執務室の攻略は終わった。
けれど、もう一つ大きな問題が残っている。
お父様が所有する、大量の鬘だった。
「それでは、今後の鬘の管理について話し合いましょう」
ある日の午後。
私とお父様、お母様、お兄様は、家族が集まる居間で向かい合っていた。
机の上には、お父様が所有する鬘を記録した一覧が置かれている。
執務室と衣装室から出てきた物を合わせると、その数は二十を超えていた。
式典用、晩餐会用、来客を迎えるための物、日常的な外出に使う物。
雨の日にも使えるよう、少し形を簡素にした物まであった。
用途を聞けば、それぞれに違いがあることは分かった。
けれど、似たような形の物が何個もあり、長い間使われていない鬘まで保管されている。
「管理するのであれば、最初に数を減らさなければなりません」
私が切り出すと、お父様はすぐに眉を寄せた。
「すべて、必要だから残してあるのだ」
「本当に、すべてお使いになっていますか?」
「そのうち、使うんだ」
「こちらの鬘は、最後に使ってから五年が過ぎております」
お母様が一覧を確認しながら、穏やかに口を挟んだ。
「こちらは巻き毛が崩れていますし、内側の布も傷んでいますわ。このままでは、被ることはできないのではなくて?」
「修理すれば使える」
「では、大金を出し修理してまで使いますか?」
「それは‥‥‥」
お父様の言葉が止まった。
物は、残しておくだけでは管理していることにならない。時間がたてば、少しずつ傷んでいくし、壊れた部分を修理して使い続けるのか?それとも、古い物を手放して、新しい物と交換するのか?
どちらを選ぶにしても、定期的に状態を確認しなければならない。
「鬘は、箱へ入れておけば永遠に使える物ではございません」
お母様は、お父様を責めることなく説明を続けた。
「髪が抜けることもあれば、土台の布が傷むこともございます。湿気や古い香料が残れば、虫や黴の原因にもなります。傷んでから慌てるより、普段から確認したほうがよいでしょう」
以前のお父様の鬘には、香水や髪粉の匂いが染み込んでいた。
一度使うたびに新しい香りを重ね、十分に乾かさないまま箱へ戻していた物もあるらしい。
そのため、古い物ほど複数の匂いが混ざり、近くに置かれているだけでも鼻をつくものがあった。
鬘の世話をする使用人たちは慣れていると言っていたけれど、慣れていることと、問題がないことは同じではない。
「今後は、使った鬘をすぐ箱へ戻さず、まず状態を確認します」
机の端には、オスカーが作った鬘置きの試作品が置かれていた。
試作を重ねた結果、最初の物よりも台座が広くなり、重い鬘を載せても簡単には倒れなくなっている。
頭に当たる部分には、細い枝を滑らかに削った骨組みが使われている。鬘を支えながら、内側にも風が通る作りだ。
「こちらへ載せて、風通しのよい日陰で湿気を逃がします。髪粉や埃を落とし、虫や傷みがないかを確認してから箱へ戻します」
「毎回、そこまでするのか?」
「毎回きちんと手入れすれば、急に使えなくなることも減るでしょう」
何個も放置して駄目にするより、少ない数を大切に手入れしたほうがよい。
そのためには、無理なく管理できる数を決める必要があった。
「私は、10個以内がよいと思います」
「‥‥‥10個?」
お父様が、信じられないものを見るような目を私へ向けた。
「今ある鬘を、半分以下にしろというのか?」
「10個でも多いと思っています」
頭は一つしかないのだから、10個あれば十分すぎるほどだ。
「しかし、式典用と晩餐会用は分けなければならない。来客を迎えるときの物も必要だ。雨の日に使う物まで考えれば‥‥‥」
「では、お父様が実際に使う物から10個を選んでください」
「10個を超えたらどうする?」
「新しい鬘を作るときに、古い物を一つ減らします」
「まだ使えるかもしれないだろう?」
「まだ使える物なら、新しい物は必要ありません」
「修理すれば使える物もあるぞ」
「修理して使うのであれば、新しい物を作る必要はありません」
私が答えるたびに、お父様の逃げ道が一つずつ消えていった。
お兄様は笑いを堪えるため、口元を手で覆っている。
「10個では、貴族としての付き合いに支障が出るかもしれない」
「あなた」
お母様が、静かにお父様を呼んだ。
「今のうちに10個を選んでおかなければ、チャチャが代わりに選び始めますわよ」
お父様の表情が変わった。
私は一覧の上から、特に匂いの強かった鬘を指さした。
「まず、これと、これと、こちらは要らないと思います」
「待て。それは正式な式典で使える物だ」
「でも、ものすごく臭います」
「手入れをすればよい」
「匂いが取れなければ、近づきません」
「‥‥‥何?」
「お父様がこの鬘を被っている日は、私はお父様のそばへ行きません」
部屋の中が静まり返った。
お父様は私の指さした鬘と、私の顔を何度も見比べている。
「抱き上げるのも駄目なのか?」
「イヤです!」
「一緒に食事をすることも?」
「イヤです!」
「そこまでする、必要はないだろう?」
「このものすごく臭い鬘が10個以上もあって、お父様が日替わりで被るかもしれないと思うと、私は近づきませんよ」
私は真剣だった。
一度、熱を出してから、以前よりも匂いに敏感になっていた。
お父様がどれほど立派な姿をしていても、鬘に染み込んだ古い香水と髪粉の匂いで気分が悪くなってしまえば、そばにはいられない。
「チャチャの体調に関わることですもの。仕方がありませんわね」
お母様が、ため息交じりに言った。
「それに、10個まで減らせば、一つずつ十分な間隔を空けて保管できます。風通しを確保し、どの鬘をいつ使ったのかも記録しやすくなりますわ」
「父上、10個もあれば困らないと思います」
お兄様まで加わった。
「お前は、まだ本格的な鬘を持っていないから、そんなことを言えるのだ!」
「僕も将来は、十個以内にします」
「今はそう言っていても、大人になれば分かる」
「チャチャに近づけなくなるくらいなら、一つも要りません」
お兄様の返事は早かった。
お父様は味方を求めて部屋を見回したけれど、お母様もお兄様も、私と同じ意見だった。
その後もしばらく‥‥‥
「急に減らす必要はない」
「季節ごとに必要な物が違う」
「来年になれば使うかもしれない」
と、ぶつぶつ言っていた。
けれど最終的には、お母様と一緒に状態を確認しながら、10個以内へ減らすことで話がまとまった。
残すのは、現在も使用していて、手入れをすれば問題なく使える物。
壊れている物は、本当に必要なら期限を決めて修理する。
期限までに修理しなかった物や、匂いと傷みがひどい物は手放す。
新しい鬘を増やす場合は、古い物を一つ減らし、常に10個以内を保つ。
これなら保管場所にも十分な余裕が生まれ、鬘同士を密着させずに置くことができる。
お父様が納得したかどうかは‥‥‥分からない‥‥‥
それでも、私が近づかないという言葉は、どの説明よりも効いたようだった。
話し合いを終えた私は、いつものように午後の散歩へ出た。
季節は少しずつ進み、以前は黄色い花を咲かせていた陽輪花のいくつかが、花びらを落とし始めている。
最初に風綿種になった一本は、ほとんどの種を落としていた。
落ちた種のうち、私が回収したのは三つだけだ。
残りは、陽輪花と共に生きる動物の食料として、手をつけずに残してある。
毎日確認していると、落ちていた種が翌日にはなくなっていることがあった。
けれど、その種を運んでいる動物の姿は、いまだに見ていなかった。
足跡らしきものを見つけたことはある。草むらから物音が聞こえたこともある。
それでも、私たちが近づけば気配は消え、何もなかったように草だけが揺れていた。
「今日も、会えませんでしたね」
私が残念そうに言うと、オスカーは草原を見回した。
「姿を見せなくても、ここへ来ていることは確かです。焦らず待ちましょう」
「いつか、会えるでしょうか?」
「陽輪花を大切にしていれば、いつかは」
その言葉を聞きながら、私は落ちた種が残っていないか、地面を確認していった。
すると、陽輪花から少し離れた草の間に、見慣れない緑色があることに気づいた。
「オスカー‥‥‥これは何ですか?」
私が指さすと、オスカーが隣にしゃがみ込む。
地面から、小さな双葉が顔を出していた。
周囲の草とは、葉の形が違う。
オスカーは直接触れないよう注意しながら、土の表面を確かめた。
「陽輪花の芽でございますよ!」
「新しい芽?」
「はい。こちらもご覧ください」
最初の芽から少し離れた場所にも、同じ形の双葉がある。
一つではない。
新しい芽が、二つも生まれていた。
私たちが毎日見守っていた草原で、姿を見せない何かが種を運び、土へ植えたのだ。
その何かには、まだ一度も会えていない。
けれど、この二つの小さな芽が、それが確かにここへ来てくれたことを教えてくれていた。




