4-4 幸運を呼ぶ陽輪花
「あれは、陽輪花でございます」
「よう、りんか?」
初めて聞く名前を繰り返しながら、私は道の先に広がる草原を見渡した。
柔らかな草の海に、太陽をそのまま地上へ降ろしたような黄色い花が、いくつも並んでいる。
遠くから見たときは、前世でも見慣れていたタンポポにしか思えなかった。
けれど、近づくにつれて、その違いがはっきりしてくる。
まず、大きさがまるで違った。大きい‥‥‥
太い茎は私の腕よりもずっと長く、地面からまっすぐ空へ向かって伸びている。その先に咲いた黄色い花は、私が両腕を広げても抱えきれないほど大きい。
「ずいぶん背の高い花ですね」
「大きなものですと、3メルツほどまで育ちます」
3メルツ。
この世界で使われている長さの単位で、1メルツは、前世の感覚ならおよそ1メートルくらいに相当する。つまり、この陽輪花は3メートル近くまで成長することになる。
タンポポというより、少し小さな木だ。
それでも花の形は、前世で見たタンポポによく似ている。
中心から放射状に広がる細長い花びら。太陽の光を受けて輝く鮮やかな黄色。そして、地面の近くには切れ込みの入った細長い葉が広がっていた。
「太陽のような形をした花だから、陽輪花なのですか?」
「そう伝えられております。陽光を好み、太陽を追うように花の向きを変えることから、その名がついたとも申します」
オスカーが説明する間にも、風が草原を吹き抜けていく。
陽輪花の太い茎がゆっくりとしなり、その上で大きな黄色い花が揺れた。
小さなタンポポが風に揺れる姿は可愛らしいがデカい‥‥‥けれど、3メルツもの陽輪花が一斉に揺れる光景には、どこか神聖なものを感じた。
「これだけ大きいのなら、育てるのも大変そうですね」
「大変というより、人間の手ではほとんど育てられないのでございます」
「人間には育てられないのですか?」
「正確には、種を蒔いても芽が出ないのです」
私は足元に気をつけながら、草原の中へ少しだけ入った。
陽輪花は一か所に密集しているわけではない。
広大な草原の中に、十分な間隔を空けて生えている。その数も、見渡せる範囲で十数本ほどしかなかった。
これほど広い土地があるのに、陽輪花が生えているのはごく一部だけだった。
タンポポに似ているのなら、放っておくだけで次々に増えそうなものだけれど、どうやらそうではないらしい。
「この陽輪花は、いつからここにあるのですか?」
「最初の一本が確認されたのは、お嬢様がお生まれになった年でございます」
「私が生まれた年?」
「はい」
オスカーは嬉しそうに頷いた。
「お嬢様がお生まれになった少しあとのことです。草原の中央に、見たことのない芽が出ているのを、先代の庭師が見つけました。最初は何の植物か分からなかったそうですが、日に日に大きくなり、その年の夏に初めて黄色い花を咲かせたのでございます」
陽輪花は、どこにでも生える植物ではない。
人の暮らす場所から離れた深い森や、神殿の周囲など、ごく限られた場所でしか見つからないという。
しかも、長い間一本も見つからなかった場所に、ある日突然生えることがあるそうだ。
そのため、古くから陽輪花が新しく芽吹いた土地には、幸運が訪れると信じられてきた。
「お嬢様がお生まれになった年に、公爵家の敷地へ陽輪花が現れた。屋敷中が大騒ぎになったそうですよ」
「大騒ぎに?」
「公爵家に幸運を運ぶ御子がお生まれになったのだと、皆が喜んだと聞いております」
私は隣にいるマリアネーゼを見上げた。
「本当ですか?」
「ええ。わたくしも覚えております」
マリアネーゼは、懐かしそうに目を細めた。
「旦那様も奥様も、大変お喜びでした。陽輪花が咲いた日には、お嬢様を抱いて、こちらまで見にいらしたのですよ」
「当たり前だけど、覚えてはいませんね?」
「まだ赤子でいらっしゃいましたから、当然です」
私が生まれた年に現れた、幸運の花か‥‥‥
そう聞いてしまうと、初めて見る花なのに、不思議と親しみを感じる。
けれど、それなら一つ疑問があった。
「最初は、一本だったのですよね? 今は十本以上ありますよ」
「少しずつ増えたのでございます。ただ、毎年増えるわけではありませんが‥‥‥」
オスカーは黄色い花の間を指さした。
そこには、まだ背の低い陽輪花が一本だけ生えていた。背が低いといっても、私の身長よりは大きい。
「あちらの若い株が芽を出したのは、三年前です。それ以降は、新しい芽を確認できておりません」
「3年間も増えていないのですか?」
「はい。以前は5年ほど、一本も増えなかったこともございます」
日本のタンポポの繁殖力とは、ずいぶん違うなぁー‥‥‥
前世のタンポポなら、綿毛を飛ばし、道端や空き地のあちらこちらから芽を出す。一つの花からいくつもの種が飛んでいくため、根づいたタンポポを完全に取り除くのは難しかった。
けれど、陽輪花は広大な草原に十数本だけ。
しかも、それらが現れるまでに、十年以上かかっている。
「綿毛は飛ばないのですか?」
「ほとんど、飛びません」
オスカーは黄色い花の間に一本だけ混じっている、銀白色の大きな球を指さした。
黄色い花びらはすでに落ち、その代わりに、無数の綿毛が集まっている。私の顔よりも大きな綿毛の球が、太い茎の先でゆっくりと揺れていた。
「花を咲かせている間は陽輪花と呼ばれますが、花が終わり、種をつけたものは風綿種と呼ばれます」
「風に乗って飛ぶ、綿毛の種ですね」
「はい。ただし、名前ほど上手に風には乗れません」
ちょうどそのとき、少し強い風が吹いた。
風綿種の表面から、一つの綿毛が離れる。
白銀色の綿毛は、風を受けてふわりと宙へ浮かんだ。
私の目の前をゆっくりと横切り、そのまま空高く舞い上がっていく――かと思った次の瞬間。
綿毛は急に高度を失い、地面へ落ちた。
「‥‥‥落ちた!」
「落ちましたね」
オスカーは慣れているらしく、驚きもしない。
私は綿毛が落ちた場所へ近づき、しゃがみ込んだ。
綿毛の先には、私の親指の先ほどもある、黒褐色の種がついている。
タンポポの種として考えれば、あまりにも大きく、重い。
「これでは、遠くまで飛べませんね」
「花が大きいぶん、種も大きく育ちます。風が強ければしばらく浮かぶこともございますが、大抵は陽輪花の周囲へ落ちてしまいます」
「それなら、この種を拾って別の場所へ植えればよいのではありませんか?」
「すでに、何度も試しました」
陽輪花が縁起のよい植物なら、自分の屋敷でも育てたいと考える貴族は多い。
庭師たちは種を譲り受け、よく肥えた土へ植えた。水の量を変えたり、日当たりのよい場所を選んだり、森の土を運び込んだりもした。
地中へ深く埋める方法も、土の表面へ置く方法も試した。けれど、人の手で植えた種が芽を出すことはなかったという。
「土が違うんですかね?」
「この草原の土を使っても芽は出ませんでした。こちらで採れた種を、この草原へ人の手で埋めても同じでした」
「では、どうやって増えるのでしょうか?」
「ある動物が、この種を植えるのでございます」
「動物が?」
「はい。陽輪花と共に生きている、珍しい動物です」
陽輪花が黄色い花を咲かせると、その動物は蜜を求めてやってくる。
やがて花が終わり、風綿種になると、今度は種を食べに現れる。
すべてをその場で食べるわけではない。
一部の種を口にくわえて運び、自分の餌として土の中へ隠しておく習性があるらしい。
そのうち、食べられずに残った種のごく一部が芽を出し、新しい陽輪花になるそうだ。
「陽輪花は蜜と種を餌として与える。その代わり、その動物が種を運び、植えてくれるのですね」
「そう、考えられております」
陽輪花だけでは、新しい土地へ広がることができない。
そして、その動物も陽輪花がなければ、大切な餌を失ってしまう。
互いに助け合わなければ生きていけない、共生関係にあるのだ。
「でも、どうしてその動物が埋めると、芽が出るのでしょう?」
「種をくわえたとき、牙によって表面へ傷がつくからではないかといわれております」
落ちた種を拾い上げ、オスカーが私にも見えるように手のひらへ載せた。
種の表面は、硬そうな殻で覆われていた。
「この殻は大変硬く、水をほとんど通しません。牙によって殻へ小さな傷がつき、そこから水分が入ることで、初めて芽を出せるようになるのではないかと‥‥‥」
「牙で傷をつけるだけなら、人間にもできそうです」
「もちろん、それも試しました」
小刀で殻へ傷をつけてから植える方法も、硬い物へ擦りつけて表面を削る方法も試された。
けれど、やはり芽は出なかった。
「牙だけではないということでしょうか?」
「その動物の唾液も関係しているのではないか、と考えられております。種をくわえて運ぶ間に、傷口から唾液が染み込む。それによって、種の中で何らかの変化が起こるのではないかと」
前世なら、唾液に含まれる成分が発芽を促していると考えるところだろう。
けれど、この世界には、それを詳しく調べるための道具も技術もない。
その動物の唾液だけを採取することも難しく、何をどれだけ使えばよいのかも分からない。
人間が似た状態を作ろうとしても、今のところ一度も成功していないという。
「つまり、陽輪花を増やすためには、その動物にもこの土地へ来てもらわなければならないのですかね?」
「そのとおりでございます。陽輪花だけを別の土地へ移しても、次の株はほとんど育ちません」
陽輪花が貴重なのは、単に種から育てにくいからではない。
その土地に陽輪花があり、さらに、種を植える動物が暮らしている。
二つの条件がそろわなければ、増えていかないのだ。
珍しい陽輪花が芽を出す土地には、さらに珍しい動物も訪れている。
だからこそ、古くから幸運の象徴とされてきたのかもしれない。
「その動物は、この草原にもいるのですか?」
私が尋ねると、オスカーはすぐには答えなかった。
種を手のひらに載せたまま、草原の奥へ視線を向ける。
「いると、思います」
「思う、ということは、見たことがないのですか?」
「まったくないわけではありません。ただ、大変警戒心の強い生き物でして、人前には滅多に姿を現しません」
「どのような動物なのですか?」
「それが‥‥‥」
オスカーが口を開きかけた、そのときだった。
少し離れた草むらから、かすかな音が聞こえた。
カサリ‥‥‥
風で揺れた音とは違う。
何かが、草の間を通り抜けたような音だ。
オスカーが、私たちへ静かにするよう手で合図した。
マリアネーゼも私の肩へそっと手を置く。
黄色い陽輪花が、風に揺れている。
その根元に広がる草むらの一部だけが、風とは違う方向へ、わずかに動いた。
私は息を殺し、その場所を見つめた。
陽輪花と共に生きる、幸運を運ぶという動物。
どうやら、それは今、この草原のどこかにいるらしい‥‥‥




