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『那須資晴、二度目の転生』  作者: 山田村
第一章 那須資晴

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第59話 鬼、ボヘミアへ







 1618年5月23日——プラハ窓外投擲事件。


 すべてはここから始まった。ボヘミアのプロテスタント貴族たちが、カトリックを強制するフェルディナントの使者たちをプラハ城の窓から投げ落とした。貴族たちはすぐに「三十人委員会」という臨時政府を立ち上げ、事実上の独立を宣言した。


 転生者の俺には、これが三十年間ヨーロッパを焼き続ける戦争の始まりだと分かっていた。分かっていて、それでもここに来た。


(理由は簡単だ。動ける戦場がある。それだけで十分だ)



―――



 1618年夏——反乱軍の結成。


 ボヘミアの反乱軍は急いで軍隊を組織した。ここに新教側の主力となるドイツの傭兵隊長、エルンスト・フォン・マンスフェルトが雇われてボヘミア側に参戦した。一方のカトリック側(ハプスブルク家)は、名将ブクア伯爵を総大将にして鎮圧軍を編成し、ボヘミアへ進軍させた。


 俺はこの時期に反乱軍の徴募に傭兵として紛れ込んでいた。


 マンスフェルトは軍人として卓抜した能力は持っていなかったが、軍隊の編成と徴募には卓越した才能を持つ男だ。カトリック教徒でありながらプロテスタント陣営に属して戦い、略奪で軍隊を維持する。実に歪な、自分の欲望に忠実な指揮官だ。そのぶん、身分も出自も問わない。日本から来た俺のような者でも、実力さえあれば使い道を見つけてくれる。



―――



 1618年9月19日——ピルゼン包囲戦、始まる。


 ピルゼンは城壁に囲まれた要塞都市だ。マンスフェルト軍が取り囲んでから三週間が経ったが、まだ落ちる気配がない。


 ある日の夜、マンスフェルトが地図を睨みながら苦い顔をしていた。


「城壁が厚い。正面からでは損害が大きすぎる。じわじわと兵糧を断くしかないが——時間がかかりすぎる」


 俺は地図を眺めながら言った。


「一度、中を見てきましょうか」


「……何? 城の中に入るというのか、一人で?」


「夜なら問題ありません。弱点を見つければ話が早い」


 マンスフェルトがしばらく俺を見た。


「……お前は本当に何者だ」


「傭兵です。給料分は働きます」


 その夜、俺は単独で城壁を乗り越えた。守備兵の配置、城壁の亀裂、食料備蓄の状況を確かめて夜明け前に戻る。


「南東の城壁に三箇所、亀裂があります。城門の閂は内側から一人で動かせる構造です」


 マンスフェルトが地図を拳で叩いた。


「よし。今夜、仕掛ける」


(だが実際には、包囲戦の本質は兵糧攻めだ。力攻めではない)


 二ヶ月間、城を囲んで補給を断つ。守備兵が食料・弾薬不足で降伏するのを待つ——これが当時のヨーロッパの包囲戦の実態だ。大規模な城壁突破戦は、ほぼなかった。



―――



 退屈な包囲戦の中で、唯一の動きは守備側の「ソーティ(打って出る突撃)」だった。


 籠城側が食料と士気の両方を保つために、時々城門を開けて包囲陣地を奇襲してくる。それを迎え撃つのが俺の主な仕事になった。


 ある夜、俺は人が城門に集まっている気配を感じた。今夜もその夜だ。


 城門が軋んだ音を立てて開き、カトリックの守備兵が猛然と打って出てきた。不意を突かれた包囲陣地が騒然となり、怒号と悲鳴が飛び交う。


 俺は陣地の喧騒からあえて離れ、硝煙と土煙に紛れながら低く姿勢を落として、敵の進路の右側頭へと回り込んだ。息を潜め、気配を断つ。


 敵の先頭集団が、俺の真横を通り過ぎる。鎧の擦れる音、荒い息遣い。彼らの視線は前方だけを見ていた。


「今だ」


 地面を蹴る音すら立てず、油断しきった敵の右側面の死角へ滑り込む。完全に懐へ肉薄した瞬間、先頭の男が異変に気づいて顔をこちらへ向けようとした。しかし、その動作はあまりにも遅い。


 鋭い気合とともに白刃が一閃した。西洋鎧の弱点である脇の下の隙間——防具の薄い鎖帷子の網目を、強化をかけた特注太刀が鎧ごと切り裂く。


「ガハッ……!?」


 悲鳴すら上げられず、崩れ落ちる一人目。その返り血を浴びながら、俺は刀を止めることなく踏み込み、二人目の喉元へ突きを放った。喉を貫かれた兵士が白目を剥いて倒れ伏す。


 完璧な奇襲だった。右横からの突入により、打って出てきた三百の「ソーティ」部隊は、一瞬にしてその腰を折られた。


 それから数日後のこと——補給を断たれているはずのピルゼン市内へ、外部から強行突破を図る敵の隠密補給部隊と鉢合わせた。


 深い霧の林道。荷馬車が三台、護衛の歩兵が二十人前後。全員が胸甲キュイラスを装備した精鋭だ。


「敵襲! 新教徒の伏兵だ!」


 斥候の叫び声とともに静寂が引き裂かれ、距離わずか十数歩での遭遇戦が始まった。


 先頭の護衛兵がハルバード(長柄斧槍)を振り下ろしてくる。俺は上半身をわずかに左へ逸らした。鼻先を掠める風圧。空を切った敵の体勢が武器の重みで前へ流れた、その一瞬——斜め下から突き上げる斬撃が鎖骨の肉を断ち切った。大柄な兵士がハルバードを手放し、崩れ落ちる。


「化け物め、下がれ!」


 左右から同時に二人が剣を突き出してきた。俺は下がらず、前方の懐へ泥を跳ね上げて突っ込んだ。左から迫る剣を腕の甲で受け流しながら、右側の敵の体幹へ体ごとぶち当たる。体勢を崩した男の顎に刀の柄頭を叩き込んだ。鈍い骨折音。怯んだ隙に、左側の敵のひかがみを薙ぎ払う。


 わずか数秒で三人が無力化された。後続の補給兵たちが恐怖で足を止めた瞬間、俺の合図でマンスフェルト軍の仲間たちが一斉に突撃してきた。


(ヨーロッパの傭兵たちは、こういう戦い方を見たことがないのだろう)



―――



 1618年11月21日——ピルゼン降伏の朝。


 冷えた秋の空気の中、ついにその時が来た。飢えと砲撃に耐えかねたカトリックの守備隊が降伏を受け入れ、重い城門がゆっくりと開かれようとしていた。


 包囲軍の兵士たちが武器を収め、その様子を見守っていた。張り詰めた空気が緩みかけた、まさにその瞬間だった。


「ハプスブルクの栄光を汚すな! 異端どもに城を渡すなど死んでも断る!」


 城門の奥、狭い石造りの通路から血を吐くような絶叫が響いた。降伏を拒絶した一部の狂信的なカトリック将兵が、抜刀して突撃してきたのだ。


 幅わずか数メートルの一本道が、一瞬にして血飛沫の舞う地獄へと変貌した。狭い通路では長槍が取り回せず、互いの体がぶつかり合う凄絶な乱戦が始まった。


「狂人が打って出たぞ! 構えろ!」


 新教側の前列がパニックを起こし、ドミノ倒しのように崩れる。俺は一歩も引かず、むしろ混乱の渦中へと身を投じた。


 密集する兵士の隙間を縫い、低い姿勢で通路へ滑り込む。正面から狂乱状態のハプスブルク将校がレイピアを突き出してきた。左右は兵士の壁で避ける空間はない。俺は刀の鎬を斜めに叩きつけた。火花が散り、レイピアの軌道がわずかに逸れる——その一瞬に懐へ踏み込み、日本の組討くみうちの間合いに入った。


 左手で相手の胸甲の縁を掴み、右足で軸足を払う。将校が石畳に叩きつけられると同時に、二人目のハルバード兵の懐へ滑り込んだ。武器を振り下ろすより早く、柄頭を顔面へ叩き込む。鼻骨が砕ける感触。怯んだ首筋の隙間へ、流れるように刃を突き立てた。


「悪魔め!」


 さらに奥から迫る敵へ、俺は石壁を蹴った跳躍の勢いで斜め一文字を振り下ろした。鉄片内袋鎧ジャック・オブ・プレーツの布地を切り裂き、肩口を叩き割る。


 通路にカトリック兵の骸が積み重なり、それが後続の突撃を遮る壁となった。俺が一歩も引かずに死守したことで、新教側の兵たちも正気を取り戻し、一斉に流れ込んできた。


 狂信者たちの最後の抵抗は、ここで堰き止められた。



―――



 戦いが落ち着いて、マンスフェルトが俺に問う。


「お前は二ヶ月間、何をして過ごした」


「ソーティを十三回迎撃しました。あとは暇でしたので偵察を」


「……暇、か」


 マンスフェルトが苦い顔をした。傭兵に包囲戦は退屈なのだ。


「次はもっと動ける戦がいい」


「戦争は始まったばかりだ。好きなだけ動ける」


 それは事実だ。三十年間、動ける。



―――



 ピルゼンを落とした直後、マンスフェルト軍の傭兵たちへの褒美は「略奪の権利」だった。教会、富裕な商人、ハプスブルク派の貴族の館から、金目の物が徹底的に巻き上げられた。


 俺と関係の深いオランダ商会側は、略奪品の中から美術品や貴金属を安値で買い叩き、西欧へ横流しする算段を立てていた。これがヨーロッパの戦争の実態だ。日本の戦国時代と、やっていることは変わらない。


 ピルゼンの防衛強化も始まった。マンスフェルトは壊れた城門や城壁の突貫工事を命じ、新教側の最前線基地にしようとしている。


 勢いに乗った反乱軍は、オーストリアの首都ウィーンを目指して進軍を始めた。



―――



 1619年1月——最悪の冬。


 ピルゼン陥落に大パニックを起こしたマティアス皇帝の宮廷は、名将ブクア伯爵率いる皇帝軍をボヘミアへ急行させた。


 冬のチェコは夜間、氷点下十度以下になる。傭兵たちは凍死と飢えと戦いながら、吹雪の中で敵の斥候を奇襲したり、凍った道を進む糧食馬車を襲撃する「不正規戦」に明け暮れていた。防具の下に何枚も布を重ね着し、凍った土を掘って宿営する。まともな食料もない。


(日本の冬は温かかったな——)


 ふと、そんなことを思った。下野の那須の雪は白くて静かだ。


 しかし感傷に浸る間もなく、次の任務がやってくる。焦土戦術を得意とするマンスフェルト軍は、補給を断つために周辺の村々を焼き払っていく。その火の中で、俺もまた動き続けた。



―――



 1619年3月——マティアス皇帝病死。


 ハプスブルク家のトップが世を去った。次の皇帝候補は、ボヘミアで新教徒を弾圧して窓外投擲事件を招いた張本人、フェルディナント2世だ。


「あいつが皇帝になるのだけは絶対に阻止する!」


 新教徒たちの反発が、政治的な緊張をピークまで高めた。


(阻止できない——転生者の俺には分かっている。だがここにいる者たちは、まだ知らない)


 俺は防具の下で、懐に入れた那須の干し芋の欠片を噛んだ。弥右衛門が持たせてくれたものだ。すっかり硬くなっていたが、懐かしい甘さがした。


(那須では今頃、疎水の水が田に流れているだろうか——)


 ヨーロッパの冬空は、那須の空よりずっと低く重かった。



―――


注:本文は西暦表記に変わります。


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