第56話 鬼、最後の戦場——大坂冬の陣・夏の陣
慶長十九年十一月二十六日、夜明け。今福。
俺は動きやすい革鎧を身に着け、佐竹軍の雑兵に混ざっていた。雰囲気が違うせいか、少し浮いている。まあ、こんな場所に那須資晴がいるとは誰も思うまい。
夜明けとともに、徳川軍の両隊が一斉に砲撃・銃撃を開始した。手柄が欲しい者たちが我先に飛び出していく。俺も少し遅れて進んだ。
戦いは早かった。今福砦を急襲した佐竹軍は、兵力差が大きかったため、守備大将・矢野正倫が討死し、瞬く間に砦を占領した。俺の出番は一切なかった。
俺の周りにいる者たちは、手柄より身の安全を優先している者が多いと見た。
「楽勝だったな。俺は先月、子供が生まれたばかりだ。今度の戦は何としても勝って生きて帰らねばならない」
隣の男が話しかけてきた。すると隣の者が「また言ってるよ」と声を漏らす。どうやら、前に出ない言い訳を繰り返しているらしい。
「俺は腕に覚えがある。もしもの時は俺の後ろにいろ」とからかうと、
「いるんだよ、お前みたいな奴。その時は頼むぞ、へへへ」と馬鹿にした笑いを浮かべた。
「任せておけ」俺はニッと笑った。
―――
砦を落とされたことを知った大坂城内は大騒ぎになった。豊臣方の大野治長は後藤又兵衛と木村重成に奪還を命じた。
巳の刻(午前十時過ぎ)、木村重成と後藤又兵衛の精鋭が大坂城を出撃し、今福砦へ殺到してきた。後藤又兵衛の戦術が炸裂し、堤防沿いの狭い通路に佐竹軍を押し込めて猛烈な銃撃を浴びせた。佐竹軍の先鋒が突き崩され、壊滅状態に陥る。佐竹義宣の身辺にまで豊臣兵が肉薄し、佐竹軍は総崩れとなって退却を始めた。
俺は狭い堤防道を避けて中間から最前線へ出た。
勢いのある敵をじわじわと削りながら、近づいてくる者だけを選んで仕留め、佐竹軍と一緒に少し引きながら麻痺の術を細く流した。
術が当たった辺りの兵が足元を取られたようにふらつき始める。
完全に止まるわけではないが、動きが半拍遅れる——それで十分だ。
集まった兵に数振りした頃、信長様から頂いた刀が敵の具足に当たって根元から折れた。
仕方なく向かってきた兵の刀を無手で奪い、上等ではないのでそのまま突き中心に切り替えた。
間合いを詰めながら胸・喉・脇腹と急所だけを狙って差し込んでいくと、受けに回った
者の隙が自然に生まれる。派手さはないが確実に数が減る。
後退しながら戦っているうちに、俺の周りだけ妙に静かになってきた。
「鬼がー」と声が聞こえる。
(またか)
苦笑いしながら三本目の刀を振った。
同じ頃、対岸(鴫野)で防衛を固めていた上杉景勝が川越しに鉄砲隊を派遣した。上杉の一斉射撃により豊臣軍の進撃がぴたりと止まり、今福砦を再び押し返した。後藤又兵衛と木村重成は深追いを避け、大坂城へ撤退した。
戻る途中、あの「子が生まれた男」が生きていた。「おー無事で!」とニカッと笑ったら、血まみれの俺の姿を見て「ヒィ!」と逃げていった。
(気持ちは分かる)
―――
那須隊の本多正信陣へ戻ると、主馬が静かに問う。
「佐竹軍はどうでしたか」
「後藤又兵衛にやられた。上杉軍が来なければ危なかった」
「家康様には?」
「これから挨拶をする。シャイアー種の大型馬を土産にするか」
家康様に馬を見せながら話しかけた。
「豊臣方は必死です。今福の砦で感じました。それと——大坂城南側の三日月形の出城、あれは罠です。はじめからカルバリン砲による遠距離砲撃が効果的かと思います」
「儂もそう思う。じゃが未熟者がおっての」
「しかし、巨大な馬じゃな。那須殿、佐竹を救ったな。聞いておるぞ」
「ははーっ、年甲斐もなく血が騒ぐのです」
「長篠の頃から変わらぬのー」
―――
その後、歴史は史実通りに動いた。徳川軍は「真田丸」の罠にはまり、数千人の死傷者を出して退却した。家康様は強硬な突撃をあきらめ、大砲による心理戦へと作戦を切り替えた。
(真田丸の教訓が、夏の陣の慎重な作戦につながる——)
―――
元和元年三月、京。
俺は鷹司邸で待機していた。四月に再び大坂出陣が命じられることを知っていたからだ。もう一つの理由は刀だ。光悦の所で作らせた特注太刀——普通より太く重い。出来上がりを片手でぶんぶん振り回したら、刀工が目を見開いて驚いていた。強化の術をかけてテストする。合格すれば次の戦いで折れない。
―――
天王寺。
身軽な革鎧と特注太刀を持ち、俺は家康様に面会した。
「那須殿、その格好で戦うのか?」
「最近はこうです。それより——今回はここが最大の戦場になると思われます。決してここには通しません」
「相変わらずよのー」
那須隊の所に向かい、主馬と資景の前でこう告げた。
「豊臣軍が家康様に向かってくる。毛利が先行して混乱を作り、その隙に真田が本陣へ突っ込んでくる。那須隊は家康様に近づく者を討て。俺と水野殿は毛利を止める」
「毛利の猛攻で誘導して、隙を真田幸村の神がかり的な突撃で——実に面白い」と主馬が確信を突く。
「資景、本陣の守りを頼む。主馬の指示に従え」
「承知しました」
「俺は個人攻撃に徹する」
「任せてください。茶臼山から来る真田は通しません」
資景が深く頷いた。
―――
水野陣——毛利軍との戦い。
正午頃、毛利勝永の軍勢(約四千〜六千五百)の前に徳川方の大軍が迫った。勝永は敵を引きつけ、射程に入った瞬間に精鋭鉄砲隊に一斉射撃を命じた。本多忠朝の部隊が出鼻をくじかれると、勝永自ら先頭に立って突撃した。
本多忠朝が討ち取られ、本多隊が壊滅した。小笠原秀政親子にも致命傷を負わせ、後方の榊原康勝・仙石忠政・諏訪忠恒らも巻き込まれ大混乱となった。
その様子を俺は水野勝成の隣で眺めていた。
「水野殿、そろそろ出番かな」と言うと、勝成がニヤリと笑った。
前線から敗走してくる味方の兵を、勝成は「退却する者は容赦なく斬る!」という凄まじい気迫で引き止め、自身の部隊(約二千)を壁のように展開した。
俺は特注太刀に強化の術をかけて毛利軍を迎え撃った。麻痺を発動すると、向かってくる前列の足がもつれ、膝が折れ、ほぼ同時に数十人がばたばたと崩れ落ちた。
倒れた者は起き上がれない。後続が躓いて重なる。その間に百は戦力外になった。
一歩前に出て白兵戦に突入する。強化の術が入った太刀は、具足も鎧も関係なく、まるで濡れた紙を断つように通り抜ける。風切り音が鳴る前に次の一人へ移っている。
押される箇所へ移動しながら横から差し込み、一振りで二人ほどのペースで静かに削っていく。
「鬼がでたー」と声が上がった。
声のした方へ向かうと、五、六人が固まっているのが見えた。そこに向けて麻痺強を絞り込んで放つ。半径一丈(約三メートル)の円の中にいた者が全員、声も上げずにその場で崩れ落ちた。
それを見ていた周囲の兵が、一瞬固まった。何が起きたか分からない顔をしている。
次の瞬間、一人が後ろを向いた。それが伝染した。
「鬼ー」と叫びながら逃げ出す者が出て、気づけば毛利軍の一角がそのまま崩れていった。
その時、伝令が駆け込んできた。
「茶臼山が動きました。真田の赤備えが松平忠直の陣を突き抜けて家康本陣へ向かっています」
(来た——毛利が暴れた隙に、信繁が動いた)
「毛利はここで止める。資景たちを信じろ」
―――
家康本陣——真田との戦い。
主馬はこの時を待っていた。松平軍の陣形が薄くなる地点を予測して移動し、三度の突撃に備えていた。
茶臼山を飛び出した真田の赤備えは、松平軍を突き抜けると、そのまま一直線に家康の本陣へ突っ込んできた。
那須隊は旋回砲を構えていた。
一度目の突撃——赤井直勝と直房、鈴木弥右衛門が前に立つ。近づく真田軍の一番勢いのある一陣に旋回砲を射ち放ち、白兵戦になだれ込んだ。後続の勢いはそれほど強くなく、一度目は押し返すことができた。
背後から松平忠直の越前松平勢一万五千が迫る。「ここで家康を救わねばお家取り潰しだ」という必死の覚悟で真田軍の横腹から襲いかかった。
二度目の突撃——旋回砲を後ろへ下げ、槍部隊で迎え撃ち白兵戦になだれ込む。赤井直勝と直房が左を、鈴木弥右衛門が右を固める。立派な鎧武者が弥右衛門に切りつけた。弥右衛門が跳ねのけると、その武将が転倒し、資景がその首を打ち取った。
(資景が仕留めるとは——やるじゃないか)
三度目の突撃——
那須隊は整然と隊列を整えて迎え撃つ。主馬の指示で的確に削る。二度目より勢いが落ちている。
(何かが変わった——)
しばらくして、遠くから声が聞こえた。
「真田幸村、討ち取ったー」
じわじわと真田軍が後退し始め、崩壊した。那須隊は約二百を打ち取った。
―――
決着。
毛利勝永の軍勢も程なく撤退に舵を切った。
この連続突撃により家康様の周囲の武将たちは次々と討ち取られるか逃げ惑い、家康様は御馬印を投げ捨てて数人の近習だけで後方へ逃げ延びた。しかし命はつながった。
俺は水野勝成の所に向かった。
「終わったな」
「忝い。守り切った。衰え一切なしだな」
「存分に働けて満足している」
そういえば開戦前、家康様からの文を持って布陣した勝成を訪ねていた。
文を読んだ勝成は
「あい分かった。好きに振舞ってくれ。那須殿が加われば百人力じゃ」と笑っていた。
(「毛利軍の猛攻と我らの油断でもし破られる事があったら那須殿を使え」——文の内容をどう受け取ったかは知らんが、始まれば全て分かる。そういうものだ)
―――
後日、傷つき果てた信繁と越前松平家の武将・西尾宗次との最後のやり取りが耳に入った。
「我が首を手柄にせよ。手向かいはせぬ」
信繁はそう言い、続けてこう問うたという。
「天王寺の、あれは那須の隊か」
西尾には分からず「知らぬ」と答えたと聞いた。
俺は主馬にそのことを伝えると、主馬が静かに言った。
「まるで待ち構えていることを感じたのでしょう。分かりやすく見せることで、心理的に無駄な抵抗をさせないようにしました。心が折れたはずです」
「ふふ、恐ろしい男だ」
俺は呆れ笑いをした。
大坂夏の陣が終わった。
那須の鬼が、最後の戦場を歩き回った。それでいい。




