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『那須資晴、二度目の転生』  作者: 山田村
第一章 那須資晴

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第54話 七年の果実、そして琥珀の約束







 資景が昨年、従四位下侍従に叙任された。徳川から松平姓を賜って「松平那須侍従」と呼ばれるようになっている。史実では慶長十一年に従五位下左京大夫の叙任だったが、那須家の実質的な五万石と徳川家との縁組の影響だろう。大田原周辺の那須疎水が完成すると直轄地の石高も増え、茂木や大洗を合わせれば十万石を超えるのは確実だ。


 慶長十二年、四年目を迎えた那須疎水は順調に距離を伸ばしている。大田原の手前まで延びて、完成した水路の脇には新しく整地された田に水が張られ始めた。今一番勢いがあるのは大洗だろう。税収が右肩上がりだ。俺は弥四郎に対して川の護岸工事を優先させ、それが完了したら橋を架けるよう命じている。低い土地の家屋を移動させる政策も実施中だ。


 茂木も通行の要所として栄えてきた。馬車の数も年々増えてそれなりの増収につながっている。最近は新しい蔵元まで誕生した。米焼酎を専門に製造している。


 俺はといえば海に出ている。マカオに寄った時にメル(メルヒオール・ファン・サントフォールト)から、大型馬とアラブ馬がゴアで体調管理をしているという連絡を受けた。来年中にマカオに届けるとのことだ。



―――



 慶長十三年、二年越しの馬を迎えに行った。


 メルはポルトガル商会の娘を嫁に迎え、来年に迫る「平戸オランダ商館」の完成後に日本への凱旋を予定している。身の回りに戦がないせいか、一年が早い。


 大洗の護岸工事は半分が完成したが、家康様から「対岸も頼む」と言われたので橋を待って水戸側の工事に取りかかることにした。


 工事の話が広がり、那珂川でも護岸工事の話が持ち上がった。水戸からの支援もあり、まず城下側から着手した。大洗の規模ではないため我らだけでは無理だ。金も人手も足りない。結局は近隣国人の協力で人を集めることになり、最終的に武田信吉様の声がけで金と人が集まった。川の氾濫が収まれば石高の安定につながるため、周辺各家も乗り気だ。


 工事が一年経過して、護岸は水戸城付近から上流にかなり伸びてきた。工事で出た余分な土砂は低い土地の埋め立てに活用している。今は那珂湊の大防波堤と砂止め防潮導流堤にも取りかかっている。


 那須家の産業としてはアラブ馬に新しい血が入り、仔馬の生産が拡大した。大型馬の仔馬も生まれた。数年かけて拡大を図る計画だ。陶器については茂木でようやく二名の陶工が新しい窯を立ち上げることができた。六年目の那須疎水は大田原家の厳しい財政の中で本線の水路まで完成し、水路近くの田の整備が完了した。その荒地が稲穂を付ける日も間近だろう。



―――



 めでたいことではあるが、三人目の子が生まれた。また女子だった。


 史実では慶長十四年に那須資重が誕生するはずだが、歴史が修正されたようだ。早速、家康様に相談を持ちかけた。しばらくして文と誕生祝いが届いた。


「結城秀康の庶子・松平長丸、十歳」とある。


 清水港から駿府へお礼を兼ねて向かった。


「家康様、満に徳川筋の婿をお願いした件、誠にありがとうございます」


 家康様が少し考えてから言う。


「秀康の倅が一人いてな。母は側室だが、血は確かだ。那須ならちょうど良い」


「ありがたき……。春の縁が二代続くとは、那須には過分でございます」


 家康様が静かに笑う。


「那須殿、そなたが過分などと言うのは珍しいな」


「本当のことですから」



―――



 十二月、平戸オランダ商館の完成後、初の訪問を果たした。メルとの再会を喜んだ。


 年が明けて慶長十五年二月七日——史実での俺の命日だ。しかし俺は生きている。歴史は修正されている。どうやら大坂の陣まで生きられそうだ。



―――



 慶長十六年、秋。


 俺は仙台に向かっていた。馬一頭、供は六之助だけだ。荷は小さい。那須染付の瓶に入った十年物のウイスキーが三本と、染付の空き瓶が一本。


 隠居してからこういう気楽な旅が増えた。山賊が出ると聞けば寄り道して退治し、旨い飯屋があれば遠回りをする。六之助が「殿は隠居しても全く変わりませんね」と苦笑いしながら付いてくる。


(政宗への約束は文禄元年——ちょうど十年前だ。器は変わらないが、中身が変わる。あの言葉の意味を、今の政宗はどう受け取っているか)


 仙台城下に入ると、城の規模に改めて驚かされた。政宗は着実に奥州を固めている。



―――



 城の門で名を告げると、思いのほか早く通された。


 広間で待っていると、政宗が現れた。あの時と同じ、隻眼の鋭い目だ。しかし体つきは少し厚みを増し、四十代の落ち着きが出ていた。


「那須殿、本当に来るとは思わなかった」


「約束でしたから。遅くなりましたが、持ってきました」


 俺は染付の瓶を三本、畳の上に並べた。白地に青い松文様。光に透かすと向こうがうっすら見える。


「十年物か」


「はい。三本のうち一本は今日。残りの二本はお好きな時に」


 政宗が瓶を手に取り、ゆっくりと回した。


「……色が違う」


「那須で仕込んでから十年、ミズナラの樽で寝かせました。無色だったものが琥珀色になりました」


「器は変わらないが、中身が変わる——あの時の言葉だな」


 俺は黙って頷いた。政宗がゆっくりと笑った。あの茶室で見た、屈託のない笑いと同じだ。


「那須殿、あの時——儂はすぐに分かった。秀吉の後は家康の時代だと言いたかったのだろうと」


「それは……」


「証拠はない。ただ、那須殿の言葉とこの酒とで、儂は迷いが消えた。それだけのことだ」


 政宗が棚から杯を取り出した。小さな辰砂の茶碗だ。あの茶室で贈ったものだ。十年間使い続けていたのだろう、器の縁がわずかに欠けていた。


「この茶碗も、十年使った」


「欠けていますね」


「欠けた器の方が手に馴染む。……那須殿、聞いていいか」


「どうぞ」


「那須家は今、何石だ」


「帳簿上は三万五千石ほどです」


 政宗が目を細めた。


「大洗の湊と那珂川の交易だけで、その倍は稼いでいるだろう。嘘をつくな」


「それは言えません」


 二人は笑った。


 お湯を頼んで、ウイスキーのお湯割りを作った。政宗が一口飲んで、しばらく黙っていた。


「……変わった。あの二年物とは全く別の酒だ」


「十年の時間が作ったものです」


 政宗が残りの二本をしばらく眺めた。


「この二本は取っておく」


「十二年物、十五年物と、毎年一本ずつ届けましょうか」


「それは良い。楽しみが増える」


「では次は二年後に」


「待てない時は那須に押しかけるぞ」


「いつでも。茶室でお待ちしています」



―――



 少し酔いが回った頃、政宗が静かに言った。


「那須殿、大坂はどうなると思う」


「豊臣は……長くないと思います」


「やはりそうか。儂もそう思う」


「伊達殿はどう動かれますか」


「家康殿の側につく。関ヶ原でそう決めた。……那須殿の酒を飲んだ時にな」


「那須家はどう動く」と政宗が問う。


「家康様に従います。」


「それで十分だ」


 政宗が立ち上がり、窓から城下を眺めた。


「那須の琥珀水——次の十年物も必ず届けてくれ」


「お約束します」


 政宗が振り返って笑った。その笑いに、十年分の時間が滲んでいた。



―――



 翌朝、那須への帰路についた。しかし帰り道に、もう一箇所寄るつもりでいた。京都だ。


 光悦から文が届いていた。


『鷹ヶ峰に土地を拝領した。弥十郎殿を少し借りたい。断ってもいいが、来なければ後悔するかもしれない』


 光悦らしい文だ。断る理由がない。



―――



 慶長十五年、家康様が本阿弥光悦に京都・鷹ヶ峰の土地を拝領させた。光悦は法華宗の信者や職人仲間を集め、芸術の村を作り始めていた。その鷹ヶ峰に弥十郎を一年ほど送り出していた。那須小砂焼の技を光悦の村の陶工たちに見せ、逆に京の美意識を那須に持ち帰ってもらうためだ。


 俺が鷹ヶ峰に着くと、山の斜面に小さな工房が点在していた。書師、漆師、蒔絵師、刀剣師——様々な職人が思い思いに仕事をしている。


 光悦が俺を見つけて、満面の笑みで近づいてきた。


「那須殿、来ましたか。弥十郎殿がいる場所に案内しましょう」


「光悦殿、ここはすごい場所ですね」


「ええ。権威のない場所というのは、人を自由にする。家康様には感謝しています」


 光悦が先に立って歩く。道の途中、ぽつりと言った。


「那須殿、正直に言います。弥十郎殿をここに呼んで、私は少し焦った」


「焦った?」


「那須小砂焼の金結晶釉——あれを見た時に、私が今まで追いかけてきた美は何だったかと思った。あの器は、狙えない。窯が決める。人間の手が及ばない美というのは、こういうことかと」


 俺は黙って聞いた。


「でも、弥十郎殿と話して分かった。あの器は那須の土と水と、那須の時間でしか生まれない。私がここで何を作っても、那須小砂焼にはなれない。それが分かって、かえって楽になりました」


「それは良かった」


「私は私の美を作ればいい。那須殿の器は那須の器で、私の器は私の器だ」


 光悦がにやりと笑った。


「だから弥十郎殿には、もう少しいてもらいますよ。お礼に、私の書の手本を那須に送ります」


「そういう交換ですか」


「商売ですよ。那須殿はよく分かっているはずだ」



―――



 弥十郎は工房の隅で黙々と土を捏ねていた。那須の土ではない。鷹ヶ峰の周囲で採れた土で、試しに作っているらしい。


「どうだ」と俺が聞く。


「那須の土ではありません」とだけ言った。


「それは分かる。良いか悪いかを聞いている」


 弥十郎が少し考えてから言った。


「面白い土です。那須の土とは違う個性がある。ただ——帰りたくなりました」


「そうか。もう少し辛抱してくれ。光悦殿が放さない」


「分かっています」


 弥十郎がまた土を捏ね始めた。俺は隣に座って、しばらくその手を眺めた。


(この男の手が那須の窯に戻った時、また何か新しいものが生まれる。鷹ヶ峰の空気を吸って帰ってくる弥十郎は、出発した時と少し違うはずだ)


「弥十郎、一つ頼みがある」


「何でしょう」


「帰る時に、鷹ヶ峰の土を一袋持って帰ってくれ。那須の土と混ぜてみたい」


 弥十郎がぴたりと手を止めた。しばらく考えてから、静かに言った。


「……面白い注文だ」


 それが最大の褒め言葉だと、俺はもう知っていた。


 光悦が工房に入ってきた。手に小さな紙を持っている。


「弥十郎殿、一つ注文がある」


 弥十郎が手を止めて顔を上げた。光悦が紙を差し出した。


「黒楽茶碗を作ってほしい——那須の土で。利休殿の形ではなく、弥十郎殿の那須の形で」


 弥十郎がしばらく紙を眺めた。それから一言だけ言った。


「……帰ってから、やってみます」


「急がなくていい。良い器は、急いで作れない」


 光悦がさらりと言って、工房を出ていった。


(黒楽か。弥十郎にはまだ試みていない焼き方だ。帰ってからが楽しみだ)



―――



 鷹ヶ峰を発つ朝、光悦が見送りに来た。


「那須殿、また来てください」


「弥十郎が帰る時に、また来るかもしれません」



 鷹ヶ峰の秋の空が、高かった。


 那須に帰れば、マーの窯から煙が上がっているだろう。疎水の工事の報告が届いているかもしれない。資景が何かを決めて待っているかもしれない。


 俺は馬を南に向けた。


(約束は守った。次の約束が、また一つできた——それでいい)


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