第53話 南海の鬼と朱印状——按針と歩んだ海路
最後のコンクリートを流し込んで、数ヶ月後に湊は停泊可能になった。踏車式クレーンと倉庫も完成し、修繕できるドックも着々と作られている。
その数日後、ガリオン船が入港してきた。
沖で遠くに眺める船と、目の前に立ちはだかる大きな船体とでは全く違う。住民たちは圧倒的な存在感に驚愕していた。子供たちの言葉にならない奇声が波止場に響く。俺も最初にガリオン船を見た時は似たような気持ちだったのを思い出した。
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今年は大洗に続き、横浜から少し離れた場所に造船所を建てることになった。その前に港の整備を始める。大洗での作業経験者の中から人材を募り、船で横浜へ向かった。地元の工夫を大勢集めて作業に取りかかった。
来年からウィリアム・アダムスと造船の仕事に入る。その前に打ち合わせをしておかねばならない。久しぶりの再会だったが、アダムスの日本語はだいぶ上手くなっていた。コンクリートで港の整備を進める我らを見て、彼は何を思っているのだろうか。
横浜の船大工は今や「九鬼善吉」の名で善吉の弟子が二代目を襲名している。旧造船所では百名の集団だったが、今は関連工房も合わせて三百名に膨れ上がった。すでに五隻目の実績もある。既存の技術にアダムスの知識が加われば、来年に向けて良い滑り出しになるはずだ。
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「ウィリアム、元気で何よりだ。何か要望はあるか?」
「那須殿のおかげで食事には満足しています。食堂でパンも肉も酒も出る。最近は米にも慣れました。あの辞書もよく役立っています。版画で刷られた本というのは素晴らしい。
ヨーロッパにも活版印刷はありますが、あの木版の仕上がりは美しい」
「それは良かった。役に立てて何よりだ」
「ただし——船長を含む船員はいつ帰国できるのか、不満を申しています」
「船長と船員については、家康様の許しが下りれば帰国の可能性があります。那須家の船が送ります」
「本当ですか! それはありがたい。今日一番の知らせだ。……那須殿、どうかしました?」
俺は少し間を置いた。
「ウィリアム、落ち着いて聞いてくれ。家康様は貴殿のことを気に入っている。……帰国を引き止めるだろう」
「あー、知っている。強引には引き止めないと思いますが」
少し楽観的だ。まあ、それでいい。話を続ける。
「那須殿はゴアまで行ったことがあると聞きましたが、それより先はまだですか。船長がいるのでそこは問題ないが、海図は一枚しかない。他はどうしますか」
「海図は問題ない。新しい物を用意している」
「えっ、新しい海図をどこから?」
「それは極秘です」
「そうでしょうとも。国友の大砲や鉄砲も進化している。初めて見た時は、国に持ち帰って研究したいくらいだった」
「見る者が見れば分かるのですね。貴殿は本物の目を持っている」
「私は最高の設計士として生きてきましたから……」
アダムスが少し遠くを見た。
「祖国に家族がいると伺いましたが」
「はい、妻のメアリーと、幼いデリヴァランスとジョンの二人の子供がいます」
家族の話になると、表情が少し暗くなった。
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その時、船長のヤコブ・クワッケルナックと船員のメルヒオール・ファン・サントフォールトが話しかけてきた。
「那須殿の蘭日辞書、役立ちましたよ」
メルヒオールが言った。彼は商人としての基盤を着実に作りつつある。語学の才能があり、日本語をまたたく間に習得した。史実では彼は東南アジアに到着した後、なんと再び日本に戻ってきた。平戸のオランダ商館の設立を助け、その後三十年近くにわたり日本で独自の貿易商として大成功を収める人物だ。仲良くできそうだ。
「お役に立てて何よりです」と軽く挨拶を返す。
「那須殿、我らも将軍様にお役立てるよう努力していますが、帰国の目処が立ちません。何か良い案はありますか?」
船長のヤコブが問う。俺は少し沈黙した。
(慶長十年に「朱印状」が関わるが……まあ二年後の話だ。少し匂わせる程度は問題なかろう)
「これは予想だが、家康様はオランダ国との貿易を望むと思う。徳川家に有益な取引をな」
「我らがその橋渡しに……少し見えてきた。慎重な方だ。出過ぎぬよう動こう。那須殿、参考になった」
船長はそう言って場を離れた。ヤコブは航海士として大砲の扱いにも長けており、家康様の軍事力の強化にも貢献している。史実では解放後に東南アジアでオランダ艦隊と合流し、家康様の手紙を渡してオランダ商館を日本(平戸)に誘致する大功績を挙げる。しかしその後、故郷の土を踏む直前でポルトガル大艦隊との海戦に巻き込まれて戦死してしまう残念な未来が待っている。
(知っているが、言うことはしない)
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十二月には新しい港が出来上がった。完成後にスムーズに海へ出せるよう設計した最新の造船所が来年には出来上がるだろう。史実では伊東から船大工や材木を受け入れ、造船のスピードも上がる予定だ。木材も数年前から乾燥させて用意してある。
一方、茂木の道路は全線開通した。坂道も多少緩やかになり、移動のスピードが平地並みに近づいた。ガリオン船が横浜や堺から運航して、安宅船や関船もプラスして入港するようになり、那珂湊を含む物流の量が倍増している。水戸の景気も上がり、地元の民の表情が明るい。これが茂木と那須にも連動して、町中に物が溢れていった。
那須の疎水建設計画はトンネル工事だけが難航している。他の水路は順調に進んでいる。水路の脇を田の予定地として整地しており、来年には那珂川からの水を使った農業が始まる。心待ちにしている領民の顔が目に浮かぶ。
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慶長九年、この年に家督を資景に譲った。十九歳と若いが問題ない。史実とは環境も違うが、本人は偉ぶることもなく出来た人物だ。
(親馬鹿かもしれないが、本当にそう思う)
運営は俺も少しサポートしている。
これで晴れて自由に動ける。茂木と水戸の境の山賊も気になるし、時間があれば山賊退治のレクリエーションをこなそうと思う。
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隠居してから三河国(現在の愛知県東部)の刈谷城に水野勝成殿を訪ねた。
「水野殿、久しぶりでござる。儂も隠居して自由な身になった。これは土産じゃ、飲んでくれ」
十年物のウイスキーを持参した。
「これは忝い。十年物か……那須家の客人をしていた時が懐かしいのー。那須殿は面倒事を資景殿に丸投げか!」
「いかにもその通り。ははは、これで念願のオランダに行けるかもしれん」
「全く気楽な。こっちは管理する事が苦痛じゃ」
「早く後継者に家督を譲ることをお勧めいたす」
「後継者といえば、二人目も女子とか」
「かわいい盛りだ。三人目も女子なら、家康様にお願いして婿を紹介してもらう事を考えている」
「誠か……」
「如何にも。家の存続に最適ではないか。徳川家からの婿といえば、水戸や結城の様にな」
そんな会話をして、刈谷城をあとにした。
三河から陸路で京へ向かい、久しぶりに鷹司様と会う事ができた。戦乱のどさくさでしばらく会う機会がなかったが、現当主に贈り物を持参して懐かしい話をして過ごした。あの時、走り回っていた子供が立派な青年になって応対してくれた。時の流れを感じる。
それから堺に向かい商売の話を聞く。那須の陶器は今やブランドとして名が通り価値が認められた。ウイスキーと器を合わせた商品も好評で、飲み終わった器にも値がつくという評価まで出てきた。
その後、船で横浜へ向かい、造船所を見学して家康様にご挨拶をした。
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会見の内容は「朱印状」についてだった。那須家にも朱印状を頂けることになった。そして、船長ヤコブと船員メルヒオールたちの帰国についてでもあった。
帰国を希望する者の手助けと時期、オランダとの取引について概ね話が進んだ。史実通り、平戸の特区での動きは同じだった。違ったのはウィリアムの帰国についてで、帰国しても良いが必ず連れて帰ることが条件になった。
「大変なことですね。今約束しても、現地で反故にされる可能性もありますよ」
「今回は船の造船中だから帰国はさせないが、次回以降の話だ」
「ウィリアムはこちらで妻を娶っていますか? 家族思いのようですから」
「む、そうだな。考えておこう」
という訳で、ゴアまで行くことになりそうだ。史実通り東南アジアでオランダ艦隊と合流できれば平戸の流れになるが、未来がどう動くかは不明だ。
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慶長十年四月、秀忠様への将軍職移譲は事前に家康様から伺っていた。全てを資景に任せ、俺は家康様の指示と自分の意思で外洋に出ることになった。
オランダの船長と船員を乗せて貿易を兼ねて南方へ向かった。季節の加減でゆっくりと進む。久しぶりの外洋に、密かに海賊の襲撃を期待したがしばらくは何もなく、貿易を中心に動いた。
史実通り、マレー半島「パタニ」の海域に、コルネリス・マテリーフ・デ・ヨンヘ提督が率いるオランダ大艦隊(十一隻)が航行してきていた。その後の展開は史実通りに進んだ。
これから我らは別行動になる。船長に別れの挨拶をしていたら、メルヒオールが話しかけてきた。
「那須殿の特産品で商売をしたいのですが」
「シャイアーやペルシュロン、ベルギーのブラバントといった馬が欲しい」
メルヒオールがしばらく考える。
「オランダ国の船が直接届けるのは不可能です。ポルトガル人の協力があれば可能と思われます」
「ほう、具体的には?」
「オランダでは馬の仕入れは可能です。しかし現時点でオランダの中間拠点が不足している。そこでポルトガル人商人が登場します。拠点で放牧して体力を回復した馬を運搬するという具合です。生き物以外でしたら我々でもできますが」
「大変結構。しかし直接ポルトガル商人にお願いした方が早くないか?」
「いえいえ、あの地区の仕入れは我々でないと無理です。そこをお忘れなく」
「分かった、任せよう。マカオまでは我らも普通に行けるから、そこからは我らも運搬できるな。ポルトガルに友人か身内でもいるのか?」
「それは良い考えですね。これから友人と身内を作ります」
そう言ってメルヒオールはしばらく考え込み、ニヤリと笑って去っていった。
(史実通り、家康様の「朱印状」を得て、ポルトガル人の有力者の娘と結婚し、長崎と平戸を渡り歩く商人の道が見えてきたようだ。したたかな男だからほっといてもマカオに辿り着くだろう)
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目的を達した我らの船は、マラッカを最終目的地として貿易のために移動した。なぜかメル(メルヒオール)が同行してマラッカへ向かうことになったが、途中でやっと海賊が現れた。
最初は事もあろうことかオランダ籍の海賊船だった。マラッカ海峡を通過する船を片っ端から臨検(強制捜査)していた。ここで役に立ったのはメルだった。有ることない事まくし上げてオランダ船を引かせる勢いだったが、マラッカに向かうと分かった時点で「敵国を利する船」として容赦なく襲撃・拿捕に転じてきた。
「チャンス!」
俺はそう叫んでオランダ船に乗り込み、向かってくる者をこん棒で殴り倒していく。三人ほど殴ったところでこん棒が折れたので、襲いかかる男の武器を奪って切りつけた。遅れて鈴木弥右衛門がなだれ込んでくる。我らの船では直勝が指示を飛ばして防衛に努めた。直勝の息子・直房にとっては初航海での戦デビューとなった。
二人に蹂躙されたオランダ船は、船長らしき人物がこん棒で気絶中で、二番手が降参して交渉を申し込んできた。俺はメルヒオールを呼んだ。
「こういう状態の時、お前は何をいただく?」
俺の残忍な一面を目の当たりにしたメルが、青ざめながら緊張して答える。
「怪我人も出ましたから、賠償金として積み荷をいただきます」
「そうか、結構優しいな。船を頂いてマラッカで売り、船員を奴隷に売ると思ったぞ」
オランダ語でオランダ船の二番手にも聞こえるよう話すと、青い顔がさらに青くなった。その時、甲板の下に潜む者に気づきナイフを投げた。遅れて「パン」と鉄砲の音が聞こえた。俺は続けた。
「気が変わった。積み荷はいらん。油をまいて生きたまま焼いてしまう」
すると甲板に両手を上げた船員がぞろぞろと出てきた。武器を捨てた者から船首に移動させ、火薬と運べる物資を甲板に集めて我らの船に移した。そして気絶から覚め縛られている船長に洗脳の術をかけた。
「あの旗の船を襲うと、次は海のもくずになるぞ」
その海域を離れ、マラッカで貿易と補給を終えて十日後に帰路についた。途中、イギリス船から大砲の攻撃を受けたが、数門あるセーカー砲で反撃したら運よく命中し、ゆっくりと沈んでいった。
しばらくするとメルの態度が明らかに硬くなっていた。俺は笑って言った。
「俺は味方に対して決して粗暴な振る舞いをしないし、大切にする。だから前のような態度で接してくれ」
少しだけ硬さが溶けた。彼も俺が若い時に海賊退治をしながら航海をしていたことは後で知ることになる——数年後、平戸で交易ができる頃になるが。
―――
マカオに着き、ここでメルとはお別れになった。十日ほど滞在して天津・長崎・堺・横浜と寄港し、横浜で船を降りた。家康様に報告をする際、メル(メルヒオール)の商人としての能力を付け加えておいた。
(按針と共に船を作り、メルと海賊を退治し、朱印状を手にした——那須家の海は、まだまだ続く)




