第52話 那須の海と道——慶長の夜明け
伏見から堺に移動して、主馬と話し合いをした。一番の話題は大洗の湊についてだった。
「大洗ですね。川に切られ涸沼がある地区で、直接水戸に行けない場所です。よく考えましたね。道に関しては——暴れ川(洪水)の時は使えませんが、野田(常陸大宮)までは舟運でなんとかなります」
「野田から那須領までが問題だ。新しい船を考えている」
「ほう、どんな船ですか?」
「船底の装甲化と摩擦軽減、可変式・流線型の幌に可動式・牽引マストを付けた小型船だ」
内容を説明して、野田から那須烏山まで航行する船に補助金を出して切り替えていく方針を伝えた。今の労働者の事故死を減らすためにも何とかしたい。それと、野田から茂木と那須烏山までの道の整備も合わせて行う。
「道の方は以前の舗装ですか?」
「今回は人手も増やして、兵の訓練の一環として当たらせたい。砦や城、橋や道も整えられなければ戦に勝てないと思っている」
(自衛隊が道や橋を作る光景を思い出す。那須にも同じものが必要だ)
「黒鍬衆ですな」
「今回は山を削って道幅を少し広げ、峠も削って低くする。舗装は町だけ、他は窪みの整地のみとする。一番の肝は馬車の製作だ。大砲での技術が役に立つ」
「道が良いと早く移動できますな。人も運搬も可能では?」
「そういうことだ。人専用の車や船も可能になる。それと、大洗に優秀な人材を集めなくてはならない。茂木半国も広いし、同じことだ」
「典膳殿に任せれば、重臣とうまく調整してくれるでしょう」
―――
下野に帰ると、一番の話題が家族の吉報だった。
蓮が姫を出産し、生まれて十日目で母子ともに健やかとのことだ。満(架空名)と名付けた。
早速、典膳を呼んで褒美の内容を伝え、大きな方向性を話し合った。数日後には主だった家を集めて協議を開く。
―――
数日後、那須七騎——俺を含む六名——に報告と発表をした。
茂木半国(約八千石)と大洗の湊周辺(約四千石)の加増と、街道整備の条件を伝えた。そして那須疎水建設計画を発表した。
これは長期計画だ。明治十八年に実施された那珂川からの取水事業は、わずか五ヶ月という驚異的なスピードで本線約十六キロを完成させた。延べ十万人近い人々の手による賜物だった。今はその土台を作る段階だ。
今ない物は「水準儀」——レンズを購入して自作する予定だ。ローマンコンクリートの材料は近隣にある。頑丈なシャベルとつるはしも製作できる。問題はサイフォン(伏越)だが、これは時間が解決するだろう。
計画は三期に分かれる。第一期(一〜五年)は「命の水」の確保。西岩崎から数キロ、まずは領民が住むエリアに飲料水と田畑のための水を引く。「この土地は住める」という実績を作り、入植者を増やす。第二期(六〜十年)は支流への分配。本線を少しずつ伸ばしながら、石高が上がった分の年貢を次の工事費用に充てる自己増殖型の投資を行う。第三期(十一年以降)は壮大な那須野が原への挑戦。数世代かけて測量精度を高め、遮水技術を安定させながら、いよいよ原野の中央部へと水路を伸ばす。
大関資増も大田原晴清も仰天していた。
「これ程の計画、今まで思い描く事が無かった」と大関が言った。
「田が出来る!夢の様な事だ」と大田原が返した。
まずは家康様との約束である街道整備を優先する。那須疎水建設はその次だ。先に人材の配置を決める。
典膳が仕切り、大関資増を中心に、大田原晴清・芦野資泰・伊王野資信・福原資孝・千本義定が揃った。各家から数名の人材を出して新領地の運営に当たらせる方針だ。
―――
最初の議題は千本家の茂木配置換えだ。茂木の河井氏・入郷衆を交えて話し合った。次は大洗の湊で、地元の大洗氏・関氏と有力な網主・船主——小野瀬家・田山家・石津家(磯浜)・長谷川家(祝町)——との協議を経て配置を決める方針にした。
数日後、典膳と千本義定・大関資増・大田原晴清・福原資孝の話し合いの結果が出た。千本家が茂木に配置換えされることになった。千本の城は廃城にして、領地は福原家が管理する。大関家・大田原家からも人を出して代官所を置き、地域を管理する体制だ。
「今回の領地は有難いことだ。我らは命を削って得た土地だ」と大関資増が言う。
「那須疎水建設計画、あれは驚いた。不毛な土地に田が出来れば、なんと素晴らしいことか」と大田原晴清が続ける。
「住み慣れた土地を離れるのは惜しいが、茂木の地となれば別だ。殿は新しい産業を次から次へと生み出される」と千本義定が言い、
「殿が豊臣の下で徳川様に臣従した時はどうなるかと思いましたが、今となっては正にでありました」と福原資孝が言い、皆が頷いた。
―――
数日後、茂木城で千本義定を中心に、千本家身内に那須家家臣の大貫家・室井家・松本家・森田家から各数名を揃え、河井氏・入郷衆を交えて茂木の将来設計を話し合った。
基本は家康様との約束である道の整備がメインだ。大洗から野田の水運拠点、陸路で茂木から那須烏山までの道中に宿場を二ヶ所、立場茶屋を四ヶ所ほど計画している。宿場近くには役人詰め所を設けて治安を安定させる。もし山賊が出るなら、俺が個人的に解決する。
茂木での新事業として馬車の運送業務を取り入れる予定だ。そして数年後、マー(馬仲)と土師弥十郎たちの弟子が育ったら、茂木の土で茂木の窯を立ち上げるつもりでいる。典膳はこの街道整備が完了するまで副官として実務を取り計らう。
「千本家の者が就くことに抵抗はないが、那須様の計画を聞いて驚いた。何かここが変わる予感がする」
河井氏の言葉に、入郷衆も頷いた。
―――
数日後、大洗の湊。
磯浜の集落を見下ろす高台にある飛城(土塁と空堀で囲まれた武家屋敷)にて、大洗氏・関氏と網主・船主——小野瀬家・田山家・石津家(磯浜)・長谷川家(祝町)——を前にして、領主として挨拶をした。
「那須資晴である。ここ大洗は那須家の直轄領として管理する。隣に控えるのは大関弥四郎、主にここの実務を取り計らう。隣は堺の茶屋清次、商い事の窓口になる。計画を発表する。湊を拡張して南蛮船が入港できる湊を作る。湊には倉庫を作り商人が有料で利用できるようにする。将来は涸沼川に橋をかける。そして、海からの外敵防衛のためここに大砲を設置する」
演説を終えた。皆の頭が「南蛮船」と「大砲」で一杯になっているのが見て取れた。詳しくは弥四郎に任せれば問題ない。外交の鮎瀬家と実務の渋井家、軍事の角別府家・金丸家からも各数名が派遣されている。茶屋清次は固定ではないが、堺から商人を五名ほど連れてきている。
弥四郎が大洗氏・関氏と動き始めた。治安維持程度の百の兵に地元から二十名ほどが集まり、警備と作業の労働を担っている。
弥四郎が両氏に工事の概要を説明した。
「南蛮船は水深がある程度ないと停泊できない。そのために二つの工事が必要だ。一つは砂止め防潮導流堤。二つ目は波避け大防波堤だ。防波堤は湊内の船の安定にもつながり、船主にとっても有効だ」
「その様なことが出来るのでしょうか? 出来るなら夢のような事です」
「殿が南蛮の技術を習得して実用している。現在すでに運用されている技術だ」
「なんと、その様なことが南蛮で!」
驚愕する一同に、弥四郎は続けた。
「波避け大防波堤の設置場所は大洗磯前神社の下、天然の突き出た岩場(磯)を起点として、海の沖合へ向けて伸ばす巨大な堤防だ。砂止め防潮導流堤は大洗の北端、那珂川の河口が太平洋に突き出る南側の岸辺に設置する(現在のわくわく科学館や祝町付近の海岸線)」
大洗氏と関氏の協議の中で、常陸武田氏や飛田氏の人材の協力を要請した方が良いという結論に達した。
工期は約八ヶ月から一年、一日あたりの動員は約三千人を見込んでいる。農繁期(田植えの春、稲刈りの秋)を避け、主に農閑期と夏の晴天期に稼働する。庄屋となった土豪たちが人足の割り振りと食料補給・宿舎の管理を仕切ることで、領民の反発を最小限に抑えながら工事を進める段取りだ。
人員の配置は、型枠の大工班約三百人、混練・打設班約千五百人(うち高度な秘密技術者三百人)、警備・輸送班約五百人、水夫約二百人の体制だ。高度な秘密技術者については家康様と相談して人材を集め、今後の城や治水事業に備えてコンクリート打設部隊を常設することになった。これは伊王野家が担当する。別働隊にローマンコンクリート部隊(コンクリ隊)を浜に配置した。これは芦野家と沢村家に任せた。
「これほどの計画、今まで思い描くことがなかった」と大洗氏が言い、
「これで益々、徳川様と近くなりますな」と関氏が言う。
「那須様は徳川家の海運の要で、水戸は武田信吉様(家康の五男)のお膝元。ここは安泰だし、儲かるのではなかろうか」
大洗氏が皆を見渡すと、互いに頷き合った。
―――
十二月には馬車が数台完成して、道が整った那須烏山から茂木まで運航を始めた。茂木から野田まではもう少しかかるだろう。小型の改良船は試験運行しており、冬場の水が少ない時の試験待ちの状態だが、今のところ好評だ。
大洗の砂止め防潮導流堤と波避け大防波堤も着実に伸びている。特に砂浜の砂止めは進みが早い。現代と同じように、さらに一段外にも波避けを検討している。
江戸の全国インフラ総代官・大久保長安から命を受けた向井忠勝殿が、配下の高度な技術者の仕事を視察に来た。
「江戸でも採用する」
向井忠勝殿が言い、俺は続けた。
「向井殿、ご覧の通り高度な人材が要です。ぜひ人員を増やすことをご検討ください」
「正に。次の湊は横浜の増設か?」
「はい、その通りです。家康様の意向で、造船所の移転増設を検討しています」
「殿案件、分かり申した」
向井殿はウィリアム・アダムスの件だと理解した様子だった。
―――
年が明けて、慶長八年二月十二日。
徳川家康が征夷大将軍に任じられた。我らも伏見に参列して貢ぎ物を献上した。
その席で、次期将軍・秀忠に息子の資景を引き合わせた。今後の世代交代に向けての顔つなぎとして、大事なひと幕だ。次の戦の前には世代交代があっても問題ない。那須家の未来は、今この瞬間にも静かに動いている。
(大洗の波が築かれ、茂木の道が伸び、馬車が那須の野を走る——)
俺はそう思いながら、伏見の空の下で静かに杯を傾けた。




