第43話 琥珀色の野心
天正十五年六月、豊臣秀吉がキリシタン禁令を出した。
ルイス・フロイスから文が届いた。大村領長崎へ向かうらしい。
天津の路地で通訳の関を雇い、共に旅をした仲だ。金平糖を持って俺の屋敷を訪ねてきたあの頃が、もう遠い昔のように感じる。「外の世界を見てみたい」という俺の言葉に、彼は「その時は私が同行いたしましょう」と答えた。その約束は、二度の海外遠征という形で果たされた。
少し寂しい思いもしたが、那須家はこの先数年が正念場だ。感傷に浸る時間はない。
返礼の文を書いた。短く、一言だけ添えた。
「また南蛮の話を聞かせてくれ。いつか、また旅をしよう」
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清水に設けた拠点で、また新たにガリオン船を作り始めた。今回は一回り大きめの貨物専用船にするつもりだ。現在の三隻のうち二隻は国外へ、一隻は国内を北は樺太、南は琉球まで運航している。各地の特産品を仕入れて堺と清水に卸し、那須家の収入になっている。
今月は清水に立ち寄り、海軍拠点に詰めている副官の九鬼長兵衛が言う。
「南蛮船の船乗りになりたい地元の若者が結構集まりますが、残るのは三割ほどですな」
「その三割の中にひも付きは?」
「チラホラいます。監視はしていますが、話してみますか?」
「そうだな。ここにいる者を全員集めてくれ。那須家で新しい酒を造ったので、皆にふるまおう」
(この機会に人物を特定して、話を聞き出そう)
―――
その新しい酒とはウイスキーだ。
ヨーロッパの伝統的な蒸留器「アランビック(Alembic)」は、熱伝導率の良さと硫黄成分の除去能力から、古くより銅で作られている。日本ではポルトガル語なまりで「蘭引」と呼ばれるようになるが、俺はこれを仕入れて那須家の鋳物師や鍛冶屋に作らせている。下野の豊かな湧水と、樺太から取り寄せたピートを使った本格的な仕込みだ。
まだ出来たてで樽の熟成をしていないため、琥珀色ではなく無色透明のはずだ。徳川様用とは別の樽を開ける。さて、どんな顔が見られるか楽しみだ。
集まった者たちの前で、九鬼長兵衛が声を張った。
「皆の者、手を止めい!これへ直れ!連日の骨折り、誠にご苦労であった。その方らの粉骨砕身の働き、殿も大層お褒めである。此度、殿より直々に、我らのために労いの酒を下賜されるとのことだ!皆、心して拝受いたせ!」
俺は居並ぶ者たちを見渡して、口を開いた。
「面を上げよ。此度の働き、誠に見事であった。これなる酒は、其方らの忠勤に対する、わしからのせめてもの労いじゃ。今宵ばかりは堅苦しい作法は抜きだ。身分の上下も忘れ、共に盃を交わして英気を養うがよい。さあ、遠慮なく飲め!」
「ははっ!身に余るお言葉、恐悦至極に存じます!さあ、器を出せい!殿の御武運と、我らの明日の働きを祝して——頂戴いたす!」
長兵衛が盃を掲げ、全員が続いた。しばらくすると、あちこちで声が上がった。
「副官!何だ、水か?透き通っているぞ」
「是助八、これは下野で作った南蛮の酒だ。強いから気をつけろ」
「南蛮?——んっ!これゃー強い、喉が焼ける!」
笑い声と驚きが入り混じる。一口飲んだ者が目を丸くして隣の者に勧め、また驚く声が上がる。清水の男たちにとって、これほど強い透明な酒は初めてのはずだ。
その喧騒の中で、俺は全体を見渡して数名の組を特定した。音もなく側に寄り、自白の術をかけて話しかける。
「殿、こんな酒は初めてです。ありがとうございます。安房国からここに潜り込めと言われましたが、ここは向こうと比べたら天国です」
「そうか、これからも励めよ」
服従の術をかけて解き放った。里見からの間者だが、害はなさそうだ。
次の組に近づく。
「そなたたちはどこから来た?」
「はい、蜂須賀様から命を受けて参りましたが、外洋の技能を身につけることができ、大変感謝しております」
「そうか、これからも励めよ」
服従の術をかけて解き放った。
(ふっ、秀吉も気になるようだ。分かりやすい)
九鬼長兵衛に「害が及ばぬようにしておいた」と伝えると、ギョッとした表情になった。「不審な者が出たら連絡します」ということで、その場を後にした。
清水の夜風は冷たかった。頭上に、駿河湾の向こうへ向かう船の灯りが見える。
(こうして間者を飼い、海を押さえ、酒を造る。戦国の世に生きる手段は、思っていたより多い)
―――
翌日は駿府城へ向かった。
家康様は正式に秀吉に謁見して臣従を誓い、今月からここに住んでいる。新しく作ったウイスキーを献上品として持っていく。事前に酒の話を文で入れていたため、「宴会部長」酒井忠次の出迎えを受けた。
高師の浜で堺商人の喜八に酒や商品を卸し、買い付けをして清水に戻ってきたのだが、そこで面白い人物を拾ってきた。九州平定などに従軍して高師の浜や堺でぶらついていた男——水野勝成、二十三歳。血気盛んな若武者だ。
この当時、勝成は徳川(水野)家を出奔して放浪中の身だ。二年前の小牧・長久手の戦いの頃、二十歳そこそこの勝成は父の部下を斬り殺すという事件を起こし、激怒した父から「奉公構」——他家への仕官を禁ずる追放刑——を受けて飛び出した。京や堺で仙石秀久や豊臣秀吉の配下などを転々としながら、酒と喧嘩に明け暮れるアウトローな生活を送っていたらしい。
「美味い酒が飲みたい」
それだけの理由でついてきた。今は清水で「食客」兼「助っ人家臣」としておとなしくしている。家康様の従兄弟である本人も、いずれは戻りたいと思っているはずだ。
(史実では後に鬼日向と呼ばれ、関ヶ原以後に徳川家の切り札になる男だ。今は牙を隠しているが、その目つきは本物だ)
家康様には、それとなく勝成のことを伝えておいた。数年先の戦には徳川家から出陣するはずだから、それまで那須家の助っ人として預かるつもりだ。
駿府城に入ると、酒井忠次がウイスキーの壺の前から動かない。三年・五年・十年後の熟成ものを想像しては喉を鳴らしていた。
「忠次殿、今は無色透明だが、ミズナラの樽で熟成させれば琥珀色に変わる。香りも別物になりますよ」
「なんと……では十年後にまた持参してくれるか?」
「お約束は難しいですが、尽力します」
このウイスキーは樺太のピートを使い、ミズナラの樽で熟成させる本格的な製法で造っている。時が経てば琥珀色に輝くはずだ。
家康様との謁見は短かった。
「那須殿、すまぬ」と家康様が言う。
「いや、あのような豪の者が敵についたらと思っただけでございます」
「……助かる」
家康様は静かに頷いた。言葉は少なかったが、それで十分だ。この人は必要以上のことを言わない。それが長所だと俺は思っている。
―――
年末になり、下野の内政方針の三点も一年で少し前進した。
八溝山系の金山・銅山については、俺の能力を使ってピンポイントで鉱脈を指示し、採掘の準備まで整えた。個人的にも能力を使って近場から採掘を始めている。硝石の「古土法」の拠点も一気に増やした。あとは時間との闘いだ。並行して船を使い、外国から直接買い付けも行っている。
城郭の改修については烏山城・大田原城もかなり進んだ。戸波勘兵衛に「南蛮の築城術の翻訳本を渡すから」と誘い、城の改修をお願いした。フランキ砲と旋回砲の配備を予定している。領内の宿場と伝馬の整備も段階的に進み、烏山・黒羽・大田原の街道は舗装の途中だ。本来はカノン砲(加農砲)の配備も考えたが時間がかかるため、外から購入を検討した。
軍事再編については、主馬が武田流軍学と諸外国の軍学を取りまとめ、「軍学論」著・秋津主馬として一冊にまとめた。これを元に軍の編成を進めている。
まずテルシオ(スペイン式方陣)の翻訳本を典膳に写本してもらった。典膳は読み込みながら写本するため時間がかかる。その間に、稜堡式城郭(星形要塞)とオスマン帝国のイェニチェリ・兵站機構の翻訳本に取りかかった。出来上がった写本を数名に渡し、皆で読み込む時間を設けた。
主馬が要点を説明してくれる。
「スペイン帝国を世界最強たらしめていたのが『テルシオ』と呼ばれる陣形です。中央に巨大な長槍のブロックを置き、その四隅に鉄砲隊を配置する。騎馬隊の突撃を長槍で防ぎながら、鉄砲隊が四方から絶え間なく火力を投射できるため、攻防一体の要塞として機能します。日本の集団戦をより強固にする発想です」
次に稜堡式城郭についても説明した。
「天正期の日本の城は石垣や枡形虎口で完成の域に達しています。しかし欧州では大砲の普及に伴い、イタリア式築城術が主流になっている。城壁を低く厚くして砲弾を受け流し、星形の突起(稜堡)を作ることで死角をなくす。この新様式を取り入れれば対大砲防御力が飛躍的に向上します」
最後にオスマン帝国の常備軍と兵站についても触れた。
「世界最高の軍事組織と称されたオスマン帝国は、高度な訓練を受けた専業軍人団を持ち、軍楽で兵士の士気を高めながら陣形変化を統一します。また、街道と食糧集積所のシステムにより、遠征先でも数万の軍勢を飢えさせない兵站能力を誇ります」
主馬は説明を締めくくった。
「ここで実践できるものから始めましょう」
俺もそう思う。主馬と典膳はこの手の翻訳本への食いつきが物凄い。国友孫四郎や戸波勘兵衛に送った設計図も同様だった。知識欲が旺盛な者たちを持つと、翻訳本一冊が百の命令より効く。
当初は「軍学論」を家康様への献上品にするつもりだったが考え直し、翻訳本を各二冊、献上品として駿府に送った。あちらにも主馬のような男がいれば、きっと喜ばれるはずだ。
―――
大型のアラブ馬を地元の良馬と交配させ、輸入も増やして馬の量産を始めた。主に那須家に配備しているが、徳川家からの要望も強い。特に馬術師範の小栗宗歩は飼育場によく足を運んでくる。仔馬が生まれた後は必ず来る。
「健康オタク」の家康様は乗馬を最高の健康法と考えており、贈り物に馬は一番喜んでもらえる。一昨年生まれた三歳のアラブ馬を献上したところ、側近の井伊直政が羨望の眼差しで馬を見ていたのが印象的だった。あの男もいずれ徳川の重鎮になる。馬の縁が芽生えれば、後の付き合いも自然と深くなる。
量産はまだ緒についたばかりだ。アラブ馬も今年四頭が増えた。次はヨーロッパの馬も輸入したいと思っている。十年以内には徳川軍の要望にも応えられるはずだ。
ウイスキーの樽を一つ、倉の奥に転がした。今は無色透明だが、ミズナラの樽の中で少しずつ琥珀色に変わっていく。香りが深くなり、角が取れ、別の酒になる。
(樽の中でウイスキーが琥珀色に変わる頃——那須家の野心も、静かに熟成している)
小田原征伐まで、あと三年だ。




