第41話 鬼、奔る——本能寺より沼尻まで
五月に入り、配置の整備が完了した。鷹司邸を伴家に任せ、那須の兵は高師の浜に集結させた。鵜飼勘右衛門を堺に待機させている。おそらく服部半蔵殿と落ち合えるだろう。そして、柳生宗厳には堺での要人警護を依頼した。
「堺で勘右衛門に詳細を聞いてくれ。五月二十七日に先発してほしい」
それだけ伝えた。
(準備は整った。あとは六月二日を待つだけだ)
―――
六月二日、その日は来た。夜明け前、六之助が駆け込んできた。
「本能寺炎上——明智光秀、謀反」
「皆の者、警戒態勢を取れ。典膳、ここの守りを任す」
俺と主馬、玄妙は海軍砦へ向かった。九鬼徳隆に事の結末を伝えると、信長様と面識のある徳隆は無念の表情のまま沈黙し、やがて低く声を上げた。
「砦と海の警戒を強化します」
我らは周囲の動向を注視しながら警戒を続けた。三日の朝、勘右衛門がやってきた。
「徳川様、無事に立たれました。鵜飼家の道中の書付も渡しました。半蔵殿も同伴していたので、すんなりと事が運びました。それと、柳生宗厳殿も警護で三河まで旅立ちました」
「ご苦労。ゆっくり休んでくれ」
それから数日、警戒を続けながら各地の知らせを集めた。
五日、光秀が安土城に入城し、混乱する城を占拠して信長様の財宝を自軍への恩賞として配分。味方の士気を高めているとのことだ。八日には近江をほぼ平定し、長浜・佐和山などの主要拠点を抑え、京都・近江を完全に支配下に置いたという。
しかし光秀にとって最大の誤算は、「親友や親族からの協力が得られなかった」ことだった。
まず細川藤孝・忠興父子の参戦拒絶。光秀の親友であり、娘・玉(後のガラシャ)の嫁ぎ先である細川家は、いち早く喪に服すことで中立——実質の拒絶——を表明した。光秀は再三の協力を要請したが、色よい返事は得られなかった。史実通りだ。
次に筒井順慶の静観。いわゆる「洞ヶ峠の日和見」だ。大和の筒井順慶も出陣を渋り、光秀の要請に応じなかった。これも史実通り。
六之助が「十一日の辰の刻(七〜九時頃)に尼崎へ着陣」と秀吉の動きを知らせてきた。
(速い——。これが「大返し」か)
―――
我ら那須隊三百を堺に向けて移動させた。前日、住吉にいる織田信孝殿に文を入れている。
「山崎へ向かい通行いたす故、此度の通路、御免下され」
信孝の陣は崩壊に近い状態だった。「信長落命」の衝撃により、集まったばかりの兵が次々と逃亡し、四国征伐軍は戦わずして瓦解していた。本来なら即座に京へ駆けつけるべき立場だが、軍の混乱と、有力な味方であるはずの津田信澄への不信感——明智光秀の娘婿であるという事実——から、大坂を動けずにいた。
やがて疑惑は行動に変わった。信孝の命を受けた軍勢が信澄を襲い、信澄は自害した。父・信行を信長に殺され、その信長を討った光秀の娘婿であったがゆえに、従兄弟の信孝に斬られる。織田一族のどす黒い血縁の業だ。
さて、那須隊は摂津富田に十一日の夜に到着して待機した。秀吉軍に文を出して合流の連絡を入れると、翌日の軍議に末席で参加を許され、円明寺川(現在の小泉川)沿いに陣取る高山右近殿の部隊に加わることになった。
―――
翌日、戦が始まった。
明智軍——斎藤利三部隊、阿閉貞征部隊、伊勢貞興部隊——が、川を渡ろうとする秀吉軍の先鋒(高山右近、中川清秀、瀬田正忠)に対して「待ち伏せ」ではなく「逆襲」に出た。
明智軍は得意の鉄砲を最大限に活用した。川を渡る途中で動きが鈍くなる秀吉軍に対し、岸から組織的な一斉射撃を浴びせ、水面を赤く染めた。
ここまでは想定の範囲内だ。次の肉薄戦が我らの出番になる。鉄砲で混乱した秀吉軍に対し、斎藤利三自らが突撃を敢行。高山右近の陣所は激しく攻め立てられ、右近の部隊は「もはやこれまで」と覚悟するほどの損害を出した。
右近隊が後退するのを吸収しながら、代わりに我ら那須隊が前に出た。赤井直勝、鈴木弥右衛門、俺と玄妙が並んで押し出す。
(明智軍の「死に物狂いの覚悟」が右近隊を圧倒している——。武田軍や上杉軍には及ばないが、「負ければ一族全員が死ぬ」という覚悟を持った軍は手ごわい)
こちらが抑えている間に、他が後退しているのを感じた主馬が後退の合図を出した。我らは少しずつ下がっていく。
右近の隣に陣取る中川清秀も、明智軍の波状攻撃にさらされていた。明智軍は小高い土手に陣取り、登ってくる秀吉軍を突き落とす形で奮戦。秀吉軍は数の多さが仇となり、狭い河川敷で身動きが取れず、多くの将兵が犠牲になった。
秀吉軍はこの正面での大苦戦を受け、「正面突破は困難」と判断。急遽、下流から池田恒興・加藤光泰らを密かに渡河させる迂回作戦に切り替えた。これが功を奏し、明智軍は横から突かれる形となって、ようやく崩壊を始めた。
翌日、我らは高山右近・中川清秀とともに光秀の居城・丹波亀山城に向かい、攻撃・占領した。
那須隊の損害は死傷者三十名。内、死者四名、戦に復帰できぬ重症者が十三名出てしまった。残念ながら大半は新兵だった。
(那須軍の戦死者ゼロ——その記録が途切れた)
悔しさを飲み込みながら、俺は亡くなった四名の顔を一人ずつ思い浮かべた。
―――
二十七日、清洲会議。俺は末席にて、山崎の戦いに参戦したことにより知行地の安堵を約束された。秀吉からは警戒されているのを感じる。当然だろう、俺もそうする。
―――
それから数ヶ月後、二通の文が届いた。一つは父から、もう一通は柴田様からだ。先月は徳川様から礼状が届いていた。移動の助力への礼と、柳生宗厳殿が気に入ったので仕官する方向とのことだ。史実通り、徳川に落ち着く流れになったらしい。
父からの文は、北関東の覇権を狙う北条氏直と、それを阻止しようとする佐竹義重・宇都宮国綱らの対立が激化しているという内容だった。来年には「沼尻の合戦」と呼ばれる小規模な戦が起きるはずだ。父には前回同様、兵の入れ替えを提案しておいた。
問題は柴田様の文だ。清洲会議で秀吉と近いうちに戦になるという内容だったが、助太刀の依頼はなかった。秀吉はこの時期、「賤ヶ岳の戦い」に向けて精力的に調略を進め、勝家派の武将を切り崩していく——そういう時期だ。
そして、もう一通。同じ文に挟まれていた。
市様からだった。内容は、戦が起きたら娘たち——茶々、初、江——の保護を願う内容だった。俺を頼るということは、秀吉のもとへ渡したくないということだろう。早速、主馬を呼んだ。
「良い案はないか」
簡単な地図を渡し、しばし待つ。
「また、厄介な案件ですね。……面白くなりそうです」
そう言って、主馬が説明を始めた。
「秀吉の包囲網は南——京・近江方面——に集中しています。ならば、反対方向の北、日本海側へ抜けるのが現実的です。城のすぐそばを流れる足羽川から小舟で九頭竜川を下り、三国湊(現在の坂井市)から海へ出る。そこから船で越後、上杉景勝様の領地へ逃れる道です」
俺は頷いた。
「で、殿——姫たちを徳川様に預けるおつもりですか」
「その通りだ。あそこなら数年間、秘密に匿うことができる」
「秀吉様にとって姫たちは格好の政治道具になります。しかし、たとえ手に入らなくても他の織田の姫を使うでしょうし、朝廷という別の権威を盾にする道もある。秀吉様は代わりを探す天才ですから、姫たちがいなくても大勢に影響はないかと」
深く同意した。
後日、六之助に託して柴田様に文を届けた。
「市様の件、承知した。この者・伴六之助が一切を取り計らう」
―――
年末、父から兵が送られてきた。久しぶりに弥四郎と顔を合わせた。元気そうで何よりだ。山崎の戦いを経験した者たちを中心に、部隊の入れ替えを済ませた。弥四郎はとんぼ帰りになる。
天正十一年四月。
六之助は北ノ庄城に篭城する前に姫たちを連れ出し、若狭の小浜へ向かった。ここから海産物を京へ運ぶ鯖街道の運搬船に紛れ込む。小浜は武田元明(お市の方の縁戚)の領地だったが、本能寺の変後の混乱で支配が空白になっていた。その隙を突き、有力な問丸(物流商人)の倉庫に潜伏してから伊賀へ抜ける。信楽の山道を伝い、伊賀の忍びたちの手引きで伊勢湾に面した港へ出る。偽装した商船——魚を運ぶ船——に乗り換え、伊勢湾を一気に突っ切り、三河の大浜に到着。徳川の精鋭部隊が姫たちを保護する段取りだ。
このルートは主馬と六之助が最終的にこちらに変更した。俺が直接、徳川殿に会って柴田様と市様の文を見せ、保護をお願いした。
「秘密裏に連れ出してくれるなら、喜んで保護しよう」
家康様は即断してくれた。肩の荷が下りた。
俺は大浜で徳川の精鋭部隊と共に船を待った。沖合から船が近づき、六之助たちの姿が見えてくる。船着き場に綱が渡り、姫たちが降りてきた。
「そなた、いつぞやの……」
俺に声をかけてきたのは茶々だった。
「姫、ご無事で何よりです。ここは安全な地になります。どうぞゆっくりお休みください」
それだけ言い、後は徳川の精鋭部隊が速やかに岡崎城へと向かった。ここで俺の仕事は終わりだ。
―――
年が明けて、俺は秀吉様に「下野で不穏な動きがあるため、年内に帰国したい」と文を送り許可を願い出た。物の数ではない俺への帰還許可はすぐに下りた。主馬と五十の兵を引き連れ、下野へ向かう。
四月の中旬から戦の準備を整えた。ほとんどが畿内での実戦経験者だ。勝手知ったる者たちが揃っている。
五月に入り、北条軍が下野に進攻した。沼尻の地で、北条軍約三万と佐竹・宇都宮連合軍約二万が対峙する——両軍合わせて数万規模の大陣だ。
大規模な衝突は避けられながら、小規模な小競り合いや調略、鉄砲戦が続いた。
八月上旬、中央での小牧・長久手の戦いの和睦の動きを受け、両軍の間でも和睦が成立。十日頃までに陣を払って撤退した。
大軍が対峙しながらも総力戦には至らず、数ヶ月にわたる陣地の睨み合い——そういう締まらない戦いになった。
(来年は薄葉原の戦いがある——)
俺は密かな計画を立て始めた。まずは家の頭脳たちと膝を交えて会議をする必要がある。




