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『那須資晴、二度目の転生』  作者: 山田村


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第38話 鬼の仕置き




 六之助が一人連れて帰ってきた。数名がかりで確保した河越衆の物見だ。尋問で割れた情報はこうだった。


 河越衆の約百名は、足軽頭の垣屋新八郎という者が大道寺政繁の信頼する現場指揮官を務めており、鉄砲組頭の島崎源五郎と合わせて実質九十六名を動かしている。別組は大道寺政繁の次男・直重が政繁の命令で百十名を指揮している。政繁から「新八郎、那須の小勢を蹴散らせ」と命じられてここに配置されており、河越衆が前に出て攻撃し、直重本隊は待機で戦わないことが多いという。


「使えるな」


 俺は一言だけ言って、各自を配置に動かした。


 玄妙たちがじりじりと前に出る。垣屋はそれに刺激されて約百の兵を率いて突撃してきた。直重の本隊との距離が開いていく。俺は旋回砲の轟音が響く少し前に、静かに弓を引いた。鉄砲組頭の島崎の胸元を狙い、一矢。馬上から落ちる音がした。


「ドゴォンッ!」


 旋回砲の射程に入っていた河越衆が一斉に崩れる。轟音で兵の統制が乱れ、逃げ出す者、動けない者、立ち向かう者——様々が入り乱れる中、垣屋が叫んだ。


「逃げるな、立ち向かえ!」


 声も高らかに突進してくる。すかさず玄妙が数十名を率いて飛び出し、垣屋を一突きで仕留めた。大将のあっけない最期を見て、河越衆は算を乱して逃げ散った。


 同じ頃、直勝は別働隊で動いていた。旋回砲の轟音で馬を乱した直重の本隊に奇襲をかけ、「鬼だ——鬼が出たぞ——」と奇声を上げて逃げてきた河越衆が本隊に混ざり込んだところを、待機していた初陣組が横から攻撃した。大道寺本隊でも直勝が剛腕を振るい、兵はパニック状態に陥った。


 軽く追撃して、終わりだ。


 こちらの損害は軽傷数名。大道寺方は半数が死傷した。直勝と玄妙の二人で五十近くを仕留めている。


 大道寺直重、垣屋新八郎、島崎源五郎の首を携え、佐竹軍の陣へ向かった。



―――



 初めて、佐竹義重に面会した。


「お初にお目にかかります。那須資晴と申します」


「佐竹義重である。畿内のお噂は常陸まで届いておりますよ」


 先ほどの小競り合いと壬生のことを含め報告した。畿内の今の情勢を交えながら話し、いずれにしても北条軍が撤退するか、その他の動き次第で京に戻ることになると伝えた。


 義重はしばらく黙って聞いていた。次に口を開いた時には、少し目が細くなっていた。武人が武人を値踏みする目だ。何かを確かめるように俺を見て、それから小さく頷いた。


 俺は約七年ぶりの義父——結城晴朝殿——に会い、春姫からの文と明の土産を手渡してご機嫌をうかがった。


「壬生がこの状態で越後の件も重なると、早々に使者を送り、両軍撤退という痛み分けで決着するかもしれんな」


 義父がそう言い、俺も頷いた。予想通りだ。


 それから間もなく両軍は撤退し、我らは壬生の父に会ってから、京に戻ることになった。



―――



 京に帰り、信長様に下野のことを報告した。一番の報告である謙信の死はすでにご存じだった。戦のことは「小競り合い程度で、あの北条氏政でも城を出れば普通の戦でした」という印象をそのまま伝えた。


(北条氏政は史実では後に秀吉に盾突く因縁がある。だが歴史は微妙に変わっている——)


 心の中でそう思いながら、報告を終えた。信長様は「……であるか」と一言だけ言って、しばらく何かを考えていた。



―――



 俺は信長様から「嘉隆の水軍に加われ」という密命を受けた。三太丸と天龍丸を率いての参戦だ。


 久々に九鬼嘉隆殿と再会した。鉄甲船の仕上がりを間近で確かめながら、前回の木津川口で燃やされた屈辱を今度こそ晴らすと嘉隆殿は静かに言った。目に力がある。話の途中で荒木村重の有岡城の乱(天正六年十月)にも触れた。目と鼻の先で裏切りが起こった。起こるべくして起こった——嘉隆殿はそう思っているようだった。


「我らは目の前の敵を叩くことに徹しましょう」


 互いにそう言い、別れた。


 翌月、その日を迎えた。前回の影響か、毛利水軍の船は三太丸と天龍丸を避けて鉄甲船に集中していく。史実通りに九鬼水軍の大砲攻撃により毛利水軍は退却した。我らは離れていく船への遠距離攻撃のみの参加になったが、退却する船にも砲撃を続けたことで大砲担当者の良い練習になり、特に後半は命中率が格段に上がっていった。



―――



 信長様への報告の席で、


「京の警護に精を出す貴様に、その働きの対価として摂津の一部を与える」


 そう言って、ニヤリと笑った。俺は咄嗟に、


「ははーっ、ありがたく……」と平伏した。


 摂津国・住吉。堺方面、港としてはまだ手つかずの神戸方面。南蛮貿易の中継拠点、三太丸の寄港地・修繕施設、火薬・鉄砲の原料確保ルート——内政のプランがいくつも頭を流れた。そこまで考えたところで、


「荒木の件で治安が不安定で内政どころではない。が、収めてみせよ」


 難点付きの物件だった。村重が有岡城に翌年九月まで篭城し、その後は尼崎城でも篭城するという。石高の規模は二千石から、やりようでは五千石程度。大名ではなく信長の直臣武将が持つ知行地という範囲で、自分で治安を回復したらそこを収めてよい。できなければ他の者が統治する——そういう話だった。



―――



 各城で村重一派が篭城しており、町の治安は最悪だ。まず有岡城に向かった。この城で一年も篭城するとは——補給の目処もないはずだ。そう思いながら周りを見渡したら、仙千代がいた。


 懐かしくて声をかけた。互いに近況を話し合い、笑って別れた。最後にそれだけ言い残した。


「無理はしないでくれ」


 確か彼はここで戦死するはずだ。俺にできることは今のところ、それだけだ。



―――



 我らは住吉に新しい拠点を設け、活動基盤を置いた。京の鷹司屋敷には五十名ほどを残し、東の寺は撤退して、東砦は伴家が管理することになった。合計二百五十名を三か所に分けて管理する。港を挟んで左右に拠点を置き、六甲山に向かう地点を加えた三角の配置だ。安全地帯をここから広げていく。後は特定の悪党集団の撲滅が主な仕事になる。随時、武士の募集もかけた。


 六之助の報告で分かった賊の構成はこうだ。


 村重の家臣だった中下級武士の流民が五十〜百名。彼らに付き従う野盗化した足軽が二百名程度。難波の水路を使う川賊が数十名。


 対処の手順は、六之助が先行して根城を特定し、主馬の作戦で効率よく排除する。最後の仕上げとして、降伏した残党の中から使える者を選んで配下に取り込み、地元の人材確保につなげる。籠城している地域は織田軍が固めているから、それ以外の地域を来春から秋にかけて片付けていく目標だ。


 そして最後の肝がある。


(天正七年九月二日——荒木村重、尼崎城を出る——)


 この日、俺は単独で動く。



―――



 順当に賊狩りをこなして、六月某日、明智光秀から共闘の誘いが入った。話の中に、家臣の赤井直勝に関わる内容もある。直勝の父・赤井直正は丹波の赤鬼と呼ばれた男で、直勝はその嫡男だ。縁ある地への出陣、断る理由はない。


 間もなく丹波平定が迫っていた。我らの全軍三百に加え、荒木軍から逃げ出した国人衆三百が集まり、合わせて六百の陣容になった。これは朽木典膳が考えた策で、自ら離反した荒木軍の小国人衆に参戦を呼びかけたのだ。


「荒木軍の籠城組には元仲間もいるだろう。丹波での戦なら参加しやすいし、織田に敵対する意思がないことの証明にもなる」


 その言葉でよく釣れた。


 目当ては裏切り者・波多野秀治の八上城の攻略だ。赤井直勝は家臣たちと故郷に帰り、縁の深い者を誘って百名を率いて参戦した。明智光秀殿に参戦した国人衆の名を記録させ、仕上げにかかる。態勢はほぼ決まっていたが、数は暴力だ。波多野秀治の気を削ぐには十分だった。大した抵抗もなく八上城は陥落した。


 ただ——この人物が、あと三年で信長を討つ。それを知りながら共に戦っている。


 光秀殿の知性と礼節を内心で評価しつつ、俺は思う。


(荒木村重もそうだが、なぜ謀反を起こすのか。俺にはわからない——)



―――



 天正七年九月二日、夜。


 単身、尼崎城近くで待ち構えた。


 感知能力を研ぎ澄ます。人の気配、殺気、足音——夜の闇の中に、一行が近づいてくる。数名の供を連れた人影だ。俺は音もなく、その前に現れた。供の者が「何奴!」と叫ぶ。


「那須資晴参る」


 それだけ言って、村重殿の首を飛ばした。供の者も次々と倒し、その場を離れた。有岡城付近の仙千代の陣に首を置き、住吉に戻った。


 俺は前年に十一月に訪れた時に仙千代には強く言い含めた。


「これは俺の戦勘だが——この戦で自ら戦うな」


 俺の戦勘を信頼したかどうかはわからない。だが、結果としてまだ生きている。それで良しとしよう。



―――



 それから数日後、戦は終結へと向かっていった。池田恒興が有岡城、尼崎城、最後の花隈城を次々に陥落させていった。池田恒興が摂津国の大半(十二万石とも)を与えられることになった。


 史実であった「有岡城への徹底した冷酷な処置(一族処刑など)」は行われなかった。


 住吉で残党狩りをしていたら、信長様から呼び出しがあり拝謁した。平伏して待っていると、


「貴様の仕業だろ。仙千代から聞いているぞ……もうよい」


「ははーっ」


 沈黙して平伏し続けた。


「あ奴が死んで無駄な血が流れずに済んだ。城攻めもすんなり収まった」


 信長様は村重の近親者から村重の死の知らせと「無駄な争いをするな」という文を届けさせ、同じ文を尼崎城、花隈城、本願寺へも送った。それが早期解決の鍵になったと俺は思う。


 しばらく沈黙が続いた後、信長様が言った。


「大鳥郡の北の端に荒れた浜がある。堺に近いが管理する者がおらん。あそこを収めてみせよ。収めたら遣わす」


「ははーっ、ありがたく……」(住吉から令和の高石市に配置換えだ。)


 大坂湾に面した浜。三太丸が直接接岸できる。堺まで半刻もかからない。主馬ならここから何を描くか——頭の中でもう計算が始まっていた。


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