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『那須資晴、二度目の転生』  作者: 山田村


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第27話 血と泥の越前路




 戦が終わり、我ら那須軍は帰り支度を整えた。数名の兵をこの地に残し、我らは京へと引き返す。

 戦果を総括すれば、我が軍の戦死者はゼロ。負傷者は十名で、そのうち重症者は四名であった。四名とも有能な者たちだが、この傷では次の戦への参加は叶うまい。怪我の癒えた暁には、彼らの体に見合った役目を与えるとしよう。


 俺は側近を連れ、徳川様への挨拶のために本陣へと向かった。

 道中、すれ違う兵たちから奇異なものを見るような目で見送られる。まるで物の怪か悪鬼にでも出くわしたかのような、畏怖の混じった眼差しを浴びていた。


「那須殿の活躍、あっぱれであった」

 家康公から直々に称賛の言葉を頂いた。

「ははー、ありがたき……」

 いつもの定型句を返す。

「何か欲しい物はあるか?」との問いに、俺はこう答えた。

「失った矢を。それと、幸い死者は出ておりませぬが、負傷した十名への見舞い金を。あとは……また次の戦場を、お願いいたします」

「何と、あの攻防で死人がおらぬとな! まことにあっぱれである。望みの物、後ほど届けさせよう」

「ははー、ありがたき……」

 そう言って、俺はその場を後にした。


 帰り際、鵜飼孫六殿に呼び止められた。

「拝見しましたぞ。……貴殿が人間ではないということが、よく分かりました」

「そりゃ手厳しい。俺も食って寝るだけの、ただの男なんだがな」

 俺が笑って返すと、彼は真剣な眼差しで続けた。

「……どうか、ずっとお味方であってくだされよ」

「そりゃ、もちろんですよ」

 そんな軽口を叩いて別れた。


 その足で織田家の本陣まで向かい、信長様へと挨拶に伺う。

「与一よ、敵を押し返したらしいな」

「はっ。よい働きができました」

「正に壁だな。竹千代にも借りを返せた。大儀であったぞ」

「ははー」

 頭を下げて退出しかけた時、背中に声が掛かった。

「越前へ行く準備をしておけ」

「はっ」

 短く一言だけ返し、今度こそその場を去った。

(次は越前の一向宗か。……面白い!)

 思わず、口元がニヤリと歪むのを抑えられなかった。


 時は天正三年八月。

 織田信長による越前一向一揆の平定は、信長の「天下布武」における最も苛烈な掃討戦の一つとして歴史に刻まれることになる。

 この戦いは単なる武力制圧に留まらなかった。一揆勢力の根絶を目的とした徹底的な殲滅戦となり、宗教が武力を持った末の末路を、日ノ本全土に知らしめる戦いとなったのだ。


 元々、越前は朝倉氏が支配していたが、織田軍が「一乗谷城の戦い」で朝倉を滅ぼした後、守護代となった前波吉継の悪政によって民の不満が爆発した。そこへ加賀の一向一揆が介入し、越前は「百姓の持ちたる国」へと変貌を遂げていたのである。

 信長にとって、京の目と鼻の先に巨大な敵対勢力が根を張ることは、断じて許しがたい脅威であった。


 だが、この時の一揆勢の内情は瓦解していた。

 加賀から派遣された下間頼照ら指導層と、地元の門徒衆との間で内紛が起きていたのだ。信長はこの隙を見逃さず、総攻撃を決行。組織的な抵抗ができないまま、一揆勢は織田軍の猛攻にさらされることとなる。


 織田軍は、長島一向一揆を壊滅させた勢いそのままに、十万ともいわれる大軍を投入した。


 八月十二日、信長が岐阜を出陣。

 八月十四日、敦賀に到着。

 八月十五日、木ノ芽峠を越えて越前平野へと侵攻。


 信長は、逃げ惑う一揆勢を一切許さず、徹底的に追撃せよとの命を下した。



 まさに殲滅戦であった。

 府中に追い詰められた門徒たちは、寺や砦に籠もって抵抗を試みたが、織田軍はこれを次々と撃破していく。

 後に信長様が細川藤孝殿に送った書状には、「府中の町は死体で埋まり、目も当てられない惨状だ」「今日だけで一万二千人ほど切り捨てた」といった凄惨な内容が記され、その恐ろしさは後世まで語り継がれることになる。

 捕らえられた一揆の指導者やその家族らも、誰一人として助命されることなく処刑された。


 この戦いで信長様が採ったのは、単一の経路から攻めるのではなく、複数の峠から一斉に越前平野へ流れ込む「面」の攻略作戦であった。敦賀を拠点とし、険しい山越えのルートを各部隊に分担させたのである。


 第一のルートは「木ノ芽峠」。

 ここを突破すれば越前の中心部である府中に直結するため、織田家の主力部隊が投入された。総大将に信長様、先陣には嫡男の信忠様。さらに柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、明智光秀、細川藤孝、そして水軍を率いる九鬼嘉隆といった錚々たる顔ぶれが並ぶ。


 第二は「志津ヶ嶽・龍門寺城」ルート。

 西側から進軍して一揆勢の退路を断つ役目であり、羽柴秀吉、稲葉一鉄ら「美濃三人衆」がその任に当たった。


 そして第三が「鉢伏山」ルート。

 ここには前田利家、佐々成政、不破光治、金森長近といった面々が配された。


 対する一揆側も、織田軍の侵入を阻むべく険しい峠道に城塞や防衛線を築いていた。木ノ芽峠や鉢伏山周辺には本願寺からの指揮官・下間頼照らが布陣し、阿弥陀ヶ峰では有力武将の杉浦玄陳が守備を固めていた。


 後に信長様は、この戦で功のあった利家、成政、光治の三名を「府中三人衆」として配置し、北陸の要である柴田勝家の目付け役とした。これが越前一向一揆平定の全容である。


 さて、話を戻そう。

 我ら那須軍がどこに配属されたかといえば、軍律に厳しく攻撃的な佐々成政殿の隊、すなわち「鉢伏山」を越える険しいルートであった。

 成政殿のような切り込み隊長の配下で、俺たちは戦局を一変させる特殊部隊としての任務を与えられたのだ。崖を登って砦を背後から急襲し、敵の首領である下間頼照らの逃走ルートを封鎖する——それが表向きの役目だった。


 だが、実は信長様から直々の「密命」を授かっていた。形式上は佐々殿の配下だが、俺が受けた指示はこうだ。

『敵首領格の首は必ず持ち帰れ。ただし——下間頼照だけは、加賀へ逃がせ』


(加賀へ逃がせ、だと?)

 わざと首魁を逃がすとは、加賀方面に何か仕掛けでもあるのだろう。

「……ふふ、面白くなってきたな」

 俺は誰に聞かせるでもなく独り言を漏らし、険しい山道を見上げた。



 決行当日。天は味方せず、激しい雨が地面を深い泥濘へと変えていた。

 木ノ芽峠を進む主力軍が足止めを食らう中、佐々成政殿は「鉢伏山からの奇襲」を決行した。だが、眼前にそびえるのは一揆勢が守りを固めた断崖絶壁。雨に濡れた岩場は滑りやすく、一歩足を踏み外せば命はない。細心の注意が求められる行軍であった。


 俺は音もなく弓を絞り、敵の物見を次々と射抜いていく。

 その隙に、赤井直勝ら精鋭七十名が道なき崖を文字通り駆け上がった。荷駄隊を麓に待機させた身軽さを活かし、一気に砦の裏門へと肉薄する。


 大雨が叩きつける鉢伏山の山頂付近。

 一揆勢は、まさかこの絶壁を登ってくる軍勢がいようとは、微塵も思っていなかった。


「——直勝、右は任せる。一兵も漏らすな。たとえ子供であっても、武器を持つ者はすべて敵と見なせ」

 俺の声は雨音に消えそうなほど静かだったが、隣に立つ直勝には、それが戦場のどの咆哮よりも鋭く響いたようだった。


「応よ! 丹波の赤鬼の倅が、山賊上がりの剣、とくと見せてやるわッ!」

 直勝が大太刀を抜くと同時に、那須家の精鋭たちが泥を跳ね上げ、砦の柵へと躍りかかった。


 弥四郎がその剛力を振るって防柵を力任せに引き剥がし、生じた隙間に勘右衛門と六之助ら甲賀衆が影のように滑り込む。瞬く間に、砦内は悲鳴と血の匂いに支配された。

 俺はまだ、抜刀すらしていない。手にあるのは、漆黒の強弓のみだ。


「ひ、ひるむなッ! 織田の小勢だ、包囲して殺せ!」

 奥から現れた一揆の指揮官が叫び終えるより早く、俺の指が弦を弾いた。


 ——シュッ。


 雨を切り裂く一矢が、指揮官の喉笛を正確に貫き、背後の柱に縫い止める。

 どよめく敵陣の中を、俺はゆっくりと歩き出した。ようやく腰の愛刀に手をかける。


「出世も、領地も、仏罰も知らぬ」

 俺の瞳には、戦そのものを愉しむ獣のような光が宿っていた。

「俺が欲しいのは、この刹那の命のやり取りだけだ」


 一歩踏み込み、剣聖の太刀が閃く。

 次の瞬間、最前列にいた門徒五人の首が、一斉に宙を舞った。


 鉢伏山の防衛線を突破した頃、どこからか「下間頼照が海路へ逃げたぞー!」という大声が響き渡った。

 周囲の兵たちが色めき立つが、俺はそれを一喝する。

「追うな! ここでの処理を優先せよ。情けは無用だ!」


 表向きはそう命じながらも、裏ではすでに勘右衛門と六之助を動かしていた。

 勘右衛門は混乱に乗じて下間頼照を見つけ出し、裏門へと誘導する。そこには六之助が潜んでいるはずだ。


 裏門へ逃げ延びてきた下間頼照の一行に、潜んでいた勘右衛門が接触した。

「筑後法橋様、こちらへ! 裏門まで警護いたします」

「何奴だ!」

「本願寺の方から依頼された乱波にございます。お急ぎくだされ!」

「……分かった」

 頼照は疑いながらも、頭を低くして俺たちの後に続いた。


「門の前に人がいるぞ!」

 頼照が低く鋭い声で詰問する。

「あの者たちは金で買収済みです。さあ早く、追手が迫っております!」

 近づくと、待ち構えていた六之助たちが無言で門を開けた。頼照一行はまんまと裏門からの脱出に成功する。


「下に船を用意しております。そこから船頭に行き先を指示してください」

 そう告げた直後、外から「下間頼照が海へ逃げたぞー!」という叫び声が再び聞こえてきた。

 数回の叫びを耳にした一行は、ハッとして足を止める。

「……行き先を変えましょう。海路の警備を考えれば、陸路で加賀へ向かうべきです」

 勘右衛門がもっともらしく提案すると、頼照らはその言葉に従い、進路を陸路へと変えた。


 それから四半刻ほど歩いた頃。

 道端に一人の僧が立っているのが見えた。

「お待ちしておりましたよ、頼照殿。こちらへ。歓迎いたしましょう」

 声をかけられた頼照は、その男の顔を見るなり絶句した。

「貴様、高田派の……! おのれ、裏切ったか!」

 頼照は慌てて勘右衛門を探すが、すでに周りは二十人ほどの武装兵に包囲されている。


 逃げ場はない。

 観念した頼照は、抵抗することなく、静かに連行されていった。


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