第16話 次の旅へ
七月。元号が「天正」に改められたが、俺たちはこれといって大きな戦働きもなく近江へやってきた。役目は小谷城包囲の後方支援、および警戒任務である。
部下たちを持ち場に就かせると、「平時の警備のように当たれ。気張りすぎるなよ」と言い含め、戦が終わるのをじっと待ち続けた。
八月十日頃、信長様から呼び出しがかかった。
「戦じゃ、参れ」
その一言に「はっ!」と短く応じる。供の者を返し、俺は一人で朝倉軍の陣へと向かった。
朝倉義景は約二万の兵を余呉・木ノ本方面、地蔵山や田上山に展開させていた。だが、十二日の夜。暴風雨の中、信長様は自ら馬廻約一千騎のみを率いて奇襲を敢行した。俺はその中に紛れ、大嶽砦を攻める。
前方の敵を次々と斬り伏せていく。四半刻ほどで敵の姿は消え、大勢は決した。砦は陥落だ。
久々に体を動かしたせいか、気分が高揚していた。
「ありゃあ、修羅だ……」
背後からそんな声が聞こえてきたが、気にせず飯を食い、翌日に備えて眠った。
翌日、丁野城の朝倉軍へ、前日と同じように斬り込んでいった。味方は俺の巻き添えを避けるように、少し間隔を空けて突撃してくる。結果、城は陥落し、朝倉の前線は崩壊した。
信長様から「朝倉が退却せば追撃せよ」と指示が飛び、そのまま刀根坂の追撃戦に突入した。
俺の前には、重臣を守ろうとする武士たちが立ちはだかる。その光景に、勇者時代に魔物の群れを蹴散らした戦闘が脳裏をよぎった。
ふと周囲を見渡せば、朝倉の重臣が数名討たれたようで、戦いは終わりを迎えようとしていた。
数日後、再び小谷城の周辺に戻り、後方支援の任務に就いた。
無事に戻った俺を見て、家臣たちの顔に安堵の色が浮かぶ。
「心配だったか?」
そう尋ねると、「殿ですから!」と返された。複雑な心境だが、いつものことだと頭を切り替える。
今回の猛攻で朝倉軍は壊滅し、義景は越前へ敗走。八月二十日には一乗谷へ侵攻され、義景は自害して朝倉氏は滅亡した。
これで浅井長政は完全に孤立した。朝倉の援軍という望みが消え、家臣たちも大きな戦の心配はなくなった。あとは、その時を待つだけだった。
八月末日、小丸が陥落し、浅井久政が自害。
九月に入り、本丸の赤尾屋敷にて浅井長政が重臣の赤尾清綱らと共に自害した。小谷城は完全に落城し、浅井氏は三代で滅亡した。
戦況が落ち着き始めた場所を、場違いなほどに美しい女と子供たちが通り過ぎていく。
(あれが、あのお方か……)
彼女たちを待ち受けるこれからの運命を、ふと思い描いていた時だった。一人の幼子が何かに躓いて転び、泣き出した。
ちょうど目の前だったので抱き起こし、鎮静の術をかけながら「大丈夫だからね」と声をかける。すると幼子は泣き止み、驚いたような顔を俺に向けた。
俺は何事もなかったかのようにその場を下がった。母親がお辞儀をして歩き出し、一行は去っていく。やつれた表情が印象的だったが、俺の運命とは交わらない人だ。いずれ記憶から消える一瞬の出来事として、そのままやり過ごした。
京に戻って一ヶ月が経った頃、信長様から呼び出しを受けた。
「貴様の働きは聞いている。だが、働きに見合う褒美はやれん。銭と刀で許せ」
「ありがたき仕合わせ。此度の戦に声をかけていただいたこと、それだけで十分な褒美にございます」
俺がそう答えると、信長様は呆れたように笑った。
「貴様という奴は……。そうだ、市がよろしくと言っておったぞ。……市を嫁にするか?」
「ありがたき仕合わせ、と言いたいところですが、私には妻の春に、明の娘、甲賀の娘と三人もおります。その上、私は無官で身分も不釣り合い。織田家臣団の皆様に恨まれたくはございませぬ」
思わず饒舌に断ると、信長様は鼻で笑った。
「冗談だ。嫁ぎ先はもう決めている」
その言葉に、ふーっと溜息が漏れた。
「だが、これからの働き次第では、娘たちの相手ということもあり得るからな」
「はあ……」
変な返事をしてしまった。
「おのれ、儂の姪を愚弄するか! 政も重要ぞ」
「ははーっ!」
慌てて畏まって返事をする。
「貴様、聞いているぞ。あえて雑兵を相手取り、朝倉の重臣を孤立させるように隙を作って、他の者に手柄を譲っているとな。おかげで皆、容易に首を挙げることができたと。お前は阿呆か! サル(秀吉)とは正反対の人間よな」
「恐れ入ります」
訳のわからぬ返事をして、その場を乗り切った。最後に、俺は一つ願い出た。
「またあのような戦をしたいと思います。それと次回は、ゴアという天竺の港町と、オスマン帝国へ行きたいと考えております」
信長様はしばらく考えた後、「一年以内に帰ってこい」と言った。
「ははーっ、ありがたき仕合わせ!」
テンション高めに返事をして、俺は信長様の前を辞した。
「兄上、あれが『うつけ』ですか?」
奥で控えていた市様が姿を現した。
「ある意味では、うつけよ。戦のうつけ、かな。だが馬鹿ではない。あやつは明語も南蛮語も話し、金儲けもできるが、何より戦を一番に考える豪の者だ」
市様はフフフと笑った。
「口先だけの上手な詐欺師ではない分、信頼できますわね」
そう言って、彼女も奥へと下がっていった。
俺は鷹司邸に帰り、旅の話を春たちにした。
「殿、今回はどちらに向かわれるのですか?」
春の問いに、俺は地図を広げる。
「最終目的地は回教の国、オスマン帝国だ。途中で天竺のゴアにも寄る。ただし時間の制約があるから、帝国の都イスタンブールまでは無理だろう」
「時間の制約、といいますと?」
「織田様から、一年以内に戻れと言われているんだ」
「随分と遠い国なのですね……」
春がぽつりと呟いた。
「いずれにしても、ルイスに相談してからだ。往復一年では、そう遠くへは行けないかもしれないしな」
俺はルイスが来るのを待つことにした。
翌朝、ルイス・フロイスが訪ねてきた。いつもは控えめなロレンソ了斎が、今日は前に出て何か言いたげにしている。
「了斎殿、何か話があるのか?」
「那須様、ルイス様はこの日ノ本に必要な方です。あまり外に出かけられては……困ります」
「了斎殿だけでも、十分に教えを広めることはできるだろう? 違いますか?」
「私はまだ修行中の身でございます」
「経験豊富な人ほど、その言葉を使いますよ。大丈夫ですから、自然体で励んでください」
俺は軽い鎮静の術をかけた。
「何を話していたんですか?」
ルイスの問いに、「君がいないと一人での布教が心細いと言うから、大丈夫だと励ましていたんだ」と伝えた。
「ロレンソなら大丈夫ですよ。問題ありません。問題はこの日程です。行くだけで一年近くかかるので、イスタンブールは無理です」
ルイスに断言され、俺も頷く。
「俺もそう思っている。あくまで目標だ。往復一年で、どんな航路になる?」
ルイスは考え込んだ。
「無難なところでゴア、無理をすればバスラでしょうか。あとはポルトガルが管理しているマスカット。あそこはオスマンの影響力が残る港です」
「ゴアが無難か。マスカットはポルトガル領でも、地元住民はすべて回教徒だろう?」
「いえ、駐屯兵や司祭もいますから」
ルイスは少し抵抗するように答えた。
彼は紙に書き記しながら航路を検討していく。
示されたのは、「堺 → 九州西岸 → 東シナ海 → 福建沿岸 → マカオ」。所要は一ヶ月強。ポルトガルのアジア拠点であるマカオでの補給が第一の目的だ。
次は「マカオ → マラッカ」。南シナ海を南下し、所要は約二ヶ月弱。季節風の影響が大きく、十一月から二月の北東季節風期が追い風となり最適だという。
さらに「マラッカ海峡 → ベンガル湾 → スリランカ沖 → ゴア」。所要は約二ヶ月。五月から九月の南西季節風が、インド西岸へ向かう追い風になる。
計算上、片道で約半年。予想通りだ。
俺がじっくりと図を見つめていると、ルイスが声をかけてきた。
「風の運が向けば、もっと早く移動できるでしょう」
「風の神に祈るとするよ」
俺は笑った。要は祈るふりをして「風の術」を発動させればいいのだ。
そんな話をしていた時だった。
「殿、織田様からのお客様がお見えです」
「あい分かった。また監視役が来たか。ここへ通してくれ」
客を待つ俺の耳に、複数の足音が近づいてくる。目の前に現れた男は、居住まいを正して言った。
「お初にお目にかかります。私、九鬼徳隆と申します。織田様の命により罷り越しました。以後、よろしくお願いいたします」




