第15話 幕府、滅ぶ
雪瑤を寝台に寝かせ、俺は周大人と言葉を交わした。
聞けば、彼女の亡くなった祖父は武術の達人で、雪瑤はその中でも一番筋が良かったらしい。血の滲むような努力を重ねてきたが、何より飲み込みの早い娘で、成人してから負ける姿を見るのは初めてだと、周大人は感慨深げに語った。
そうして話しているうちに、雪瑤が意識を取り戻したようだ。
「では、娘をよろしくお願いいたします。雪瑤、しっかり務めなさい」
周大人はそう言い残し、晴れやかな顔で帰っていった。
雪瑤が俺の側に寄ってきて、怪訝そうに尋ねる。
「……私は負けたのか? どこも痛くないのだが」
「俺の突きの風圧で気絶したんだ」
現状を報告すると、彼女は「はあ? 嘘でしょう?」と絶句し、やがて子供のように泣き出した。困った俺が「いつでも相手になるから元気を出せ」と見当違いな慰めを口にすると、それが通じたのか、彼女はこくりと頷いて俺に抱きついてきた。
それから、俺の股間を握って「子種……」と呟き、ニヤリと笑った。これだから女という生き物は分からない。
出航の日。周大人が見送りに来てくれた。穏やかな海を眺めるその背中は、送り出す側の安堵に満ちていた。
帰路は海流の影響もあり、十五日で博多に到着。そこから府内を経由し、堺へと向かった。
京に着くと、ルイス・フロイスは自身の居住地へ戻り、俺たちは鷹司邸を目指した。連れてきた雪瑤を紹介しつつ、正妻の春に旅の報告をする。
「武家の娘ですから、そのあたりのことは心得ております。ゆっくりとお休みください」
春は寛大な言葉をかけてくれた。後ろでは、やよいが控えめに事の成り行きを見守っている。
「雪瑤です。よろしくお願いいたします」
覚えたての言葉で雪瑤が挨拶を済ませると、俺は彼女や仙千代、関、馬、ジミンらにそれぞれ部屋を用意し、旅の疲れを癒やすよう伝えた。
翌日、鷹司様へ土産の磁器を献上し、土産話をして時間を過ごした。仙千代は名物を携え、護衛と共に信長公の元へ向かった。呼び出しがかかるまでは数日かかるだろう。
世間では、信長公と足利義昭の関係が最悪の状況に陥っていた。
数日後、ついに呼び出しがあり、俺は馬を連れて登城した。信長公は不敵に笑って迎えてくれた。
「ふん、良い旅であったようだな。北京と天津の有力者と繋がり、仙千代には良き縁談まで持ち帰るとは。……して、土産はこれか。特に天目は天晴だ。褒美を取らす。何か望みを申してみよ」
「では遠慮なく。この磁器を見てください」
差し出した数点の磁器を、信長公はじっくりと観察した。
「良い品だ。儂が買おう」
「ありがとうございます。これを作ったのは、後ろに控える者でございます。名は馬仲。磁器における若手有望の技師です。この者に工房と窯を築く許可をいただきたい」
「あい分かった。儂が召し抱える」
あまりに即断だったので、つい「ええっ」と声を上げてしまった。「よろしいのですか?」と問い返すと、信長公は鼻で笑った。
「馬鹿者が。お前のような戦馬鹿に、この者の真の価値は分からまい」
「……確かに」
ぐうの音も出ない。加えて、俺は馬の条件を伝えた。「今の倍の給金と、嫁を欲しがっています。嫁は旅の途中で見つけて解決しました。また、弟子を一人前に育てたらさらに加増するという約束です。京の近くに工房を、と考えていたのですが」
信長公は首を振った。
「発想は悪くないが、陶芸に深い理解がある者が管理して育てねば、その技はすぐに消えるぞ。儂に任せろ」
「ははっ。そのようにいたします」
「与一よ、土産の礼に、いずれ近くに城を与える。しばし待て」
「それでしたら、城より戦で働かせてください」
「すまぬの。貴様はまだ新参だ。後ろで我慢しておれ」
結局、そう言われて下がるしかなかった。
馬に「天下人に直々に雇われることになった。嫁ももう一人用意され、陶器に理解のある後ろ盾がつくぞ」と話すと、彼はしばらく硬直した後、「旦那……ついてきて良かったです」と号泣した。「おい、泣くほどのことか」と呆れながら、俺たちは屋敷へ戻った。
それから十日ほど、忙しい日々が続いた。
信長公の弟、織田長益(有楽斎)が派遣されてきた。俺が馬との通訳を務めたが、二人は言葉を超えて意気投合したようだ。
次にやってきたのは、堺の豪商たち。今井宗久、津田宗及、千宗易(利休)の三人だ。長益が呼んだ茶人たちである。彼らは俺が買い付けた馬の磁器を、まるで舐めるように観察し、恍惚とした表情でどこか別の世界へ飛んでいるようだった。
俺は、この作者が今後は長益の下で作品を作ることを伝え、彼らの人脈で弟子を探してほしいと依頼した。また、磁器に必要な石炭の採掘への協力も約束させた。当面は明から輸入できるが、自前での確保も必要だ。実家の近くの常磐炭田もあるが、人の入らぬ蝦夷の開発も視野に入れている。
長益と馬の話では、これまでの赤松燃料に加え、石炭を用いた灰の問題を解決する「倒焔式窯」を完成させたという。明では木材枯渇のために石炭へ移行せざるを得なかった技術だが、ここ日ノ本ではまだ木材が豊富にある。しかし長益は「少量で長時間暖が取れるのであれば有用だ」と評した。
十一月に入り、丹波方面で窯作りが始まった頃、俺は手勢百名を率いて東美濃に向かった。武田軍に備えての移動だ。
年が明け、将軍・義昭が武装を強化し、二条城で挙兵準備を始めたとの情報が入ったため、俺は単身で京へ戻った。差し当たり京に残った百五十の兵で備え、一ヶ月以内には残りの百名も合流する予定だ。
二月の中頃まで、俺たちは北の堅田方面へ移動し、挙兵準備を進める兵を待ち伏せしては妨害工作を繰り返した。二百人以上の敵には単独で切り込んで蹴散らし、五十人前後の部隊にはこちらの軍として当たる。潜伏拠点を転々としながら戦いを続けたが、織田軍が周辺をほぼ制圧したため、京の警護のために呼び戻された。
三月、織田軍は二条御所の北側にあたる上京を焼き払った。将軍を支持する富裕層や機業商人、公家関連を狙った、信長公による「反信長勢力」への苛烈な攻撃だ。俺たちは火を眺めながら、鎮火を待つしかなかった。
四月に入り、勅命による講和が成立。一応の落ち着きが戻ると、織田軍は越前への大規模侵攻を開始したが、俺たちは京で治安維持の留守番を命じられた。
足利義昭が自ら和議を破棄し、要害の地である槇島城へと奔ったのは七月のことだ。
主を失い、将軍不在となった二条城は、瞬く間に織田軍によって幾重にも包囲された。だが、城内には降伏を拒む三淵藤英らが兵と共に立て籠もり、なおも頑強な抵抗の構えを見せている。
俺たちはその包囲陣の一翼を担いながら、柴田勝家らによる説得の行方をじっと待った。
やがて説得が実を結び、三淵らが降伏に応じたことで、二条御所はついに開城した。その後、信長公は御所の殿舎を破壊するよう命じ、俺たちの仕事は完了した。御所内の略奪を禁じないとの令があったので、屋敷に詰めている大和屋の面々や伴六之助らに連絡を入れ、自由行動を命じる。
翌日早朝、俺は槇島城へ向かった。数万の織田軍に包囲されたその城も、数日で落ちるだろうと感じた。
案の定、義昭は降伏。室町幕府は事実上、滅亡した。
俺の知る史実通りだが、俺という存在が介入したことで、歴史はすでに少しずつその姿を変え始めている。




