天を破りて・前A07
ケイスマンの意志による姑のような小言を聞き流し、貸してもらっていた部屋を出る。
残念ながら掃除をする時間はなかった。するつもりもなかった。半年間借りて、定期的に誰かが入って掃除をしてくれていたので、甘えていたのもある。
いつものつなぎではなく、グラディオスの軍服に着替えた。
「………あ」
『どうした? 忘れものかね?』
「………いや、なんでもない」
これが最後だと思った途端にこれだ。
俺は、私物はすでにかつて使っていた士官室のなかに入れたままだったのを思い出す。幸い、そのブロックは外側だけの工事で済んだので手つかずだ。今となっては半年も足を踏み入れていない。
でもそのなかに、かつてグラディオスクルーがいた頃の、新設した隠しカメラの映像を記録した媒体があったのだ。
そのなかには、いつか堪能しようと思って大切に保管していた映像がある。
俺が推し活の申し子として、激しく梃入れをしていた時期のこと。パイロットの更衣室に仕掛けたそこに、ソータとアイリが思いを伝え合った直後におっ始めたムフフな映像がある。アイリは昔からソータを求めていたし、ソータも年頃の男の子だったし。初めての経験でこそあったが、多分ふたりとも猿みたいに盛って腰を振っていたことだろう。
いつかじっくり鑑賞しながら堪能しようと思ってたのに、こんなことになって、記憶からすっかり抜け落ちていたのだ。
「………まだ時間はあるし、あとで見ておくか? ………ハァ。久しぶりに惜しいって感情を思い出した。こんな体じゃなければ楽しめたのになぁ」
『なんのことだ?』
「いや、こっちの話し」
今のこの体では純粋に楽しむこともできないだろう。ならばせめて、彼らの名誉のためにも、厳重に封印するか破壊するかをしなければならない。
だとすれば破壊か。あとで粉々にしておこう。もう、完全に興味を失ってしまった。
やるべきことがひとつ増えたが問題ない。休憩時間にほんの少し努力すれば済む。
「よう、エース」
「頑張れよ!」
「生きて帰って来いよ!」
道を行く職人たちに声をかけられ、頭を下げて応える。
スケジュール的に、もう時間があまり残されていない。職人連中は歩きながら食事をする必要があるくらいだ。
ちょっとした、気の利いたスピーチでもできればいいのだが、機械化が進行してしまった思考では、誰かを感動させる文言など思いつかないし、なにより非効率だと拒否をする。高田には前もってそう伝えており、俺がグラディオス改に搭乗した瞬間より作戦開始とすると決定されている。
「勝て! エースくん!」
タラップを上がる俺の背中に、追いついた高田たちが勝利と成功の願望を乗せる。
俺は決して振り返らず、久々に効率化を優先する脳を、思考でねじ伏せて、リアクションを取ってみた。
たったひとつ。握った左手を上げるだけ。なんてこともない動作。
されども気持ちは伝わったのだろう。
目を合わせることなく最後の時間が終わった時。俺がグラディオス改に足を踏み入れた瞬間、高田が叫ぶ。
「作戦開始! 繰り返す、作戦開始! 観測班、地上の状況報せ! グラディオス改を海底トンネルへ移動させる! 総員、所定の位置へ!」
高田の号令で、全員が動き出す。
ただその声を最後まで聞くことはなかった。ハッチが硬く閉じた。外界を謝絶し、決して二度と開くことがないように。
通路を歩く。歩きなれた道だが、匂いが違う。日本人たちによる徹底された清掃が行き届いているし、塗装もしたらしい。
以前のような匂いがしない。みんながいた頃の。
「………関係ないか」
それがわかっても、特に哀愁も感じることがなくなった。いよいよ俺も人間をやめる時が来たらしい。
最短ルートで向かった先は、ハンガーでもなく、自室でもなく、待機室でもない。ブリッジだ。そこに今と、これからの俺に必要なものがすべて揃っている。
ところが、だ。
「………いや、なにやってんだ? お前」
感情なんてとうの昔にほぼ喪失したはずの俺が、呆れを覚える事態となった。
そういえば今朝は一度も顔を見せなかったなと思っていた男が、なぜかブリッジにいたのだ。
「せっかくだからね。僕も一緒に行こうと思ってさ」
「遊びに行くわけじゃないんだぞ。………トーマス」
ブリッジの最奥。操舵士が座るシートに、その男はいた。トーマスという、世話になりっ放しの、腐れ縁の延長に、妙な友情が芽生えた阿呆だ。
「わかってる。でも………言ったじゃない、エースくん」
「あ?」
「僕はね、友達の力になりたいんだ。それに、エースくんの力になれるなら、職務放棄も悪くない!」
堂々と胸を張り、笑いながらほざく台詞ではない。
トーマスはオードリアインジェクション社の窓口として、この元日本支部跡地に滞在するはずが、なにを血迷ったか、その仕事を放棄して俺とともに戦いに行こうと言うのだ。
「僕たちはいつでも一緒だよ。エースくん」
「そういうのは惚れた女にでも言ってやれ。………今ならまだ間に合うぞ。ギリギリで降りられるかもしれない」
「そうはいかない。僕は腹を括ったよ、っと!」
「………馬鹿が」
「知ってる」
トーマスはとあるスイッチを押す。エレベーターの昇降ボタンだ。それを合図に、グラディオス改はいよいよ富士ドックの下にある射出シークエンスを行うゲートに降りていく。
それを押してしまうと、もう後戻りはできない。
数分かけて海底ゲートへ向かうと、注水が開始される。
「言っておくけどな。これは救済措置なんぞ一切ない、自殺行為だからな? 生命保険なんて存在しねぇぞ」
「知ってるよ。どれだけ厳しい道のりなのか。だからこそ、僕はエースくんの力になりに来たんじゃないか。どちみち、正確に運転できる操舵士は必要でしょ。ほら、揺れるよ。危ないから座るんだ。………キャプテン」
「ハァ………」
操舵は俺かケイスマンの意志がやるつもりだった。
直接ハンドルを握る必要はない。今の俺や、ケイスマンの意志なら遠隔で操縦できる。
ガリウスとは異なる操縦であることに違いないが、ケイスマンの意志の補助さえあれば可能なはずだ。
計画が一部変更となった。
トーマスめ。最初から乗り込むつもりだったのだ。そういえば、元日本支部跡地からグラディオス改へ納入されるものが、予想より多かった気がするが、それはトーマスの食事に違いない。少し考えればわかることだったのに、些細な数値だと無視していたのがいけなかったのだ。
呆れた末、もうトーマスを降ろせなくなり、連れて行くしかないと諦めて、俺の定位置となる、クランドが座っていた艦長席へ腰を下ろす。
注水が完了すると、グラディオスの固定が外れ、わずかに浮上する。
「指示を。キャプテン」
「………レイライトリアクター始動」
「レイライトリアクター始動。………臨界まで600」
「グラディオス改、システムチェック」
「システムチェック………終了。各部オンライン。オールグリーン」
クランドの見様見真似でやってみる。応えが返ると、なんともいえない。もし感情がある頃だったら、興奮して震えあがっていたかもしれない。
「補助エンジン動力接続」
「よし………微速前進」
「微速前進」
様々なシークエンスを終了し、グラディオス改はメインゲートを抜けて富士ドックより下の海底トンネルを進む。
ようやく始まる。
俺の、終わりの始まりが。
このアニメの最終回は第25話と第26話を連続で放送する拡大スペシャルだ。約1時間にもなる大ボリュームに、当時は胸を躍らせ、同時に胸が締め付けられる思いだった。ただただワクワクさせるアニメではないからだ。
俺はその1時間のために、命を使おうとしている。
もう時計の針は進んでいる。原作ではすでに宇宙にいて、ソータが展望デッキから外を眺め、ライラの残滓を感じ取っていたので「星に抱かれし者」と冠された。
大分遅れているが、まだ間に合う。トーマスが本当に艦を操縦できるかはわからないが、元エージェントだ。やると言えばやる男だろう。
「海底トンネルを抜けるよ」
「了解だ。ここからはもう、監視衛星に発見されようが問題ない」
「だね。………レイライトリアクター臨界まで60。ド派手に行こうか!」
「好きにしな。やれるもんならな」
「僕ならできるさ」
レーダーが頼りの深海から、徐々に斜め上へと上昇。驚くことに、トーマスの操舵にはまったく問題がなかった。
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