因縁との決着A02
「そもそもきみは、そのナノマシンがどれだけのものなのか、わかっているのかい?」
「安心しな。少なくとも、服用すれば全人類は自動的にハッピーになれる薬物だなんて、思ってねぇよ」
「そうでないと困るよ。そして、全人類は好んで体内に入れたがるものでもない。性癖とか、変態なんてものじゃない。ひととして、なにかがおかしい。異常者の所業だ」
散々な言われ様だな。
けれど、なぜトーマスがこうまで言うのかもわかってる。
ケイスマンの意思も同じことを言っていたしな。
「そのナノマシンは、きみがオーダーした液体金属を構成するものだ。刺激を与えれば硬化したり軟化したりして、必要に応じて形状を変える。しかし、そんなこと………ガリウスを使えば、そう難しいことじゃないはずだ。特に、こうしてあのタキオンを分解したことで僕も知ることができた、神経接続型とかいう頭のおかしい設計。今のきみなら、そんなことをしなくても容易に───」
「3秒だ」
「え?」
「シミュレーションしてみたんだ。新造された機体に俺が搭乗して、あのナノマシンを神経接続で操ったとする。要求した形状変化を促すのにかかる時間は、3秒」
「………十分、すごい数字だと思う。オードリアインジェクション社の研究機関でも、要求した形状変化を促し、完成に至った時間は最短で10秒だから」
「じゃあ、ガリウスの戦闘は? 例えばアンノウンとの戦い。仮に、こっちがパンチを繰り出したとする。けど要した時間は3秒。人間のジャブの方が早い。………な? 1秒でも遅ぇんだよ」
それが俺の、最大の懸念点だった。
だからここが、グラディオスではなく、元日本支部跡地であってよかった。不幸中の最大の幸いでもある。
もし俺がグラディオスにいて、仮にこの注射器を握っていたとしよう。
まずハルモニが各所に告げる。なんだったら敵襲を告げるアラートを鳴らしてでも。そして俺がどこにいようが、俺を知る誰もが雪崩れ込んで阻止するのだ。ぶん殴って、拘束してでも注射器を奪ってくる。
だがここにはそんな人間はいない。ハルモニのサポートもない。止めるのはケイスマンの意思だが、この高性能AIであり人工知能体であるそれは直接手を出せない。
そして当のトーマスは、なんと止めない代わりに中和剤を持って現れたではないか。
なるほど。介護という名目で、俺に付き添っていたのは監視をしていたわけだ。
「………本社の意向か?」
「………まぁ、ね」
オードリアインジェクション社は、俺の所業を掴んでいる。だからサンプルと称してナノマシンと注射器を発注した際、重量が嵩ますことのみをトーマスに告げた。トーマスも馬鹿ではない。すぐに発注書を調べて、改竄に気付いただろう。
本社に問い合わせた結果、俺の実験について手を出すなと言われたのだろうな。
オードリアインジェクション社にとっても興味のある実験だ。ラットなどですでに何回か実験したはずだ。芳しい結果こそ得られなかっただろうが、その代わりに中和剤を作るまでには至ったと。
トーマスもいくらか交渉しただろう。俺がその実験で死んでは元も子もない。生き残らせるために中和剤を寄越せ。グラディオスからの支払いが無いどころか、不正を暴露されるし、トーマス自身がリークするぞなどと、元エージェントだったくせに脅しをかけたのかもしれない。
かくして、俺は中和剤という保険まで入手できたわけだ。
「臨床結果を提出すること。それが条件でこの中和剤を送ってくれたよ」
「送らせた、の間違いだろ」
「そんなことはどうでもいい。エースくん。きみはすごいよ。その徹底ぶり、常人にはできない。素直に尊敬もする。でもね、人間をやめることになるのは………話が、別なんだよ」
「なんだよ。やけに感情的になるじゃねぇか。お前らしくもない」
「初めての友達が死ぬところなんて、見たくない!」
俺たちの間で沈黙が続いた。
けどこの沈黙、なぜか嫌な感じがしない。
トーマスは目を大きく開いて、嘆いた。こんな姿を初めて見る。
「僕はエージェントになるために育てられた。それがすべてだった。スパイとして送られた先で、行為がバレた時には証拠隠滅のため痕跡を残さず死ねと言われても疑問に思わなかったし、口先だけの友達なんて大勢できた。でも! ………ほんと、嫌になるよね。なんでかな。化け物だって思ってるのに。僕は………情でも沸いたのかな。さっぱりした利害関係の協力者、ビジネスパートナーなのにさ。それでも………きみが、大切に思えてしまったんだ。きっと、これが本当の友達っていうんでしょ? 知らない感情ばかり迫る! きみのせいだよエースくん。僕は、僕でも知らないなにかになってしまった。きみにはその責任を取ってもらう。そのために………生きてよ。エースくん」
泣きながら懇願するトーマス。
第1クール終盤で登場し、すぐに死ぬキャラクターを生かした。
特に愛着も思い入れもないキャラだった。推し活の対象外だった。
それでも、そのほんの気紛れが起こした奇跡だったというのだろうな。
俺はトーマスの心まで、変えてしまったらしい。
「………わかったよ。トーマス。俺も、お前が友達だって思ってるしな。それに俺だって死ぬつもりもない。中和剤、助かった。ギリギリのところでやってくれ」
「………友達なんて、一生作れないと思ってたのにさ」
「ひとの心なんて、簡単に変わる時があるんだよ」
「ああ。そうやって女の子3人を囲ったんだね。性欲に勝てなかったクズになった原因がそれか」
「うっせ」
俺とトーマスは、いつものさっぱりとした、互いを小馬鹿にした冷笑を浮かべる。
右手で注射器を持つ。それを左腕に押し当てた。病院で見る注射器とは違い、スプレーガンに似ている。トリガーを引けば注射針が出て、一気にナノマシンを流すのだ。
「じゃ、行くぞ」
「死ぬなよ?」
「死ぬかよ。俺にはやらないといけないことがあるんだ」
覚悟を決める。
それと念のため、部屋に置いてあった小型のスピーカーをオンにする。まだ声が出せなかった頃、電子音声で周囲と会話するために使用したものだ。ケイスマンの意思とトーマスが会話できるようにしておいた。正体は誤魔化した。俺の脳内チップに住み着く妖精だと揶揄すると、使用者を補助するAIであるとケイスマンの意思が述べたので、トーマスは目を丸くしていた。ケイスマンの意思を通して、俺の限界を報せたり、相談相手にさせるのだ。
目を閉じる。心のなかでグラディオスを思い浮かべた。
絶対に守らなければならないものたち。
推し活。
そして、ヒナとシェリーとユリン。
そこに俺のすべてがある。生きて帰る。覚悟と決意。このふたつで、俺の肉体を器とし、新たな異物を取り込んだ。
次の瞬間、俺の頭のなかが「超ウルトラハッピー」なんてものを超える、混雑と混乱と異常が発生し、なんていうか、発狂した。
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