その仮面の下にはB07
『かつて、ノアストルダムというコロニーで、非公式ながら人体にナノマシンを注入する臨床実験が行われた。医療ポッドが世に出回った頃の話しだ。ナノマシンが人体にとっても有益とされ、認可された時にも関わらず、非公式と銘打ったのはなぜかわかるかね? そう。今のきみのような、倫理や人道に背いた実験が行われたからだ』
《脳内チップならまだしも、インターフェースを兼ね備えた義手と、精神接続型のタキオンを作ったひとの人格がベースとなった人工知能が言う台詞なのかね、それ》
『はぐらかすな。ノアストルダムで注入されたナノマシンは、人体においてなんの反応が出るか不明な、非認可されたものだった。………10名のうち、命を落としたものは9名。残る1名も意識の回復が見込めず、脳死と判定された。きみもそうなりたいのか?』
まさに恐怖の代名詞みたいな実験だったわけだ。
もちろん治験という名目ではなかっただろう。
人体にとって異物を摂取し、それが暴れ回って破壊の限りを尽くしただけのこと。
その歴史上の悲劇は知らなかった。だが、俺はそういう事件も加味して、今回の決断をしたのだ。
《成功する確率は低い。けど、やらないよりずっといい》
『馬鹿な。ゼロに等しい。やめておきたまえ』
《ゼロに等しいってことは、完全にゼロじゃないわけだ。それなら、俺にとっては試してみる価値が十分にある》
『その自信はどこからくる? 根拠のない妄言だ』
《それはどうかな? 少なくとも俺のなかでロジックは出来上がっている》
『なんだって?』
ケイスマンの意思がこうも狼狽するのを初めて見た気がする。
多分これは、本人でさえ予期していなかった事態だ。
それはとても偶発的な事象だった。治験の結果とも言える。
《今の俺には、とても強い免疫ができてると思わないか?》
『いったい、なんの話だ?』
《偶然だったんだろうさ。俺の頭に脳内チップが移植され、インターフェース付きの義手が搭載されたことも。それから始まったんだ。動き出したんだと思うよ。歯車が》
『なんの歯車だね?』
《それこそナノマシンに関連するものさ。俺はグラディオスで医療ポッドにジャブ漬けにされて、体内にまでナノマシンを飼った。脳内チップと相性がよかったのか、それとも脳内チップが理解したか。そもそも脳内チップだってナノマシンの結晶体だろ。だったら、ガリウスに用いるナノマシンだって理解できると思うけどね》
『………なんて強引で、強欲な発想だ』
あのケイスマンでさえ絶句する意見だったのだろう。
俺は作業を止めずに、ケイスマンの意思の見解を待つ。
やはり高性能AI、人工知能とも呼ぶべきものであったとしても、シミュレーションに時間を要した。
『………今のきみの意見を基に、シミュレーションを繰り返した。100回の実験で、成功したのは………3回だ』
なるほどね。でも、それで挫ける材料とはならない。
《上等じゃないか》
『馬鹿な。きみは死を恐れていないのか?』
《死ぬのは嫌だよ。何回も死にかけたし、自分の身を挺した俺が言うのもなんだけどさ。でもやってみる価値は、なおのことあるって確証を得た》
『失敗する確率は遥かに高い』
《けどさっきはほぼゼロだったんだろ? 3パーも上がったんだ。なら、それに賭けるしかない。そうでもしないと勝てない相手なんだよ。それに、勝った先のことも考えないとな》
『勝った、先? 未来のことかね』
《ああ。俺が望むものは、なにもビーツに完勝するために全振りすることじゃない。俺の推し活のためだ。俺はそれをするためにここにいる。達成できるのなら、俺はなんだって差し出せるよ。………またあんたは馬鹿げてるとか言うんだろ? いいよ、それで。俺は狂ってるのかもしれない。狂人の所業って卑下されようが、別にそれでもいい。俺が掴むべき未来を見られるならさ。そうだ………これを見てくれよ。面白いシミュレーションがあるんだ》
推し活のことを考えると、それだけで止まらなくなる。
もはや狂愛だな。
前世で、大学で履修した心理学の講義で教授は言っていた。「人類がもっとも力を発揮する時はなにかわかるかな? それは恋だよ。片想いの時がもっとも優れた力を発揮する。このなかで、身に覚えがあるひともいるんじゃないかな?」だとさ。
俺はその当時、該当する人物がいなかった。サークルにも「あ、この子いいな」なんて思った異性がいたが、数週間後にはビーツの前世たる楠木美壱の女になっていたから、諦めていたのだ。
でも今ならわかる。
俺は絶賛、片想いをしているのだ。
この世界、そのものに───!
『………きみのことは、認めざるを得ない。これできちんと機械工学の道を進み、軍事産業なり、私と同じ道を進んだとしよう。………きみはいずれ、私をも上回るだろう。狂っているとしか言いようがない。もし、この場に私を作った私がいたとしよう。その私が抱えるべき感情は───嫉妬だ。きみに嫉妬を禁じ得ない。どこからこのアイデアが来るのか。いや、かつてそれは私を作った私も考えただろう。しかし実現に至るまでの道のりで挫折し、無駄だと称し切り捨てた。コストもかかる。………だがきみは、コストを一旦無視しているとはいえ、ここまで形にしてしまった。実力さえ伴えば、きみはいずれ私を作った私を超越する技術者となると確信を得るくらいだ』
マッドサイエンティストの人格を、こうも唸らせるものを見せてしまうとは。我ながら驚いてばかりだ。
『面白い。なんて心が躍る! 感情という自覚がない私でさえ、これが高揚であると認知しえなくなるくらいだ。実現させるには障害となるものが多いだろう。だが、そうだとしても、これは試す価値がある!』
ケイスマンの意思が熱く語るように、実現させるためには条件が多すぎる。いつか、グラディオスに合流した時に、クランドに相談してみようと思う。99パーセントの確率で拒否されるだろうけど。
そう。俺が考え、ケイスマンの意思がこうも興奮する原因は、グラディオスの改修計画にあった。最終話に実現させられれば、心がどれだけ熱くなることか。
「エースくん。新しい機体………リヴァイヴだっけ? フレームの実験が、なんかうまく言ったって職人さんたちが叫んでるよ?」
『え、マジか。あと2回は失敗すると思ってたけど。わかった。顔を出す。それより、素材の方はどうだ?』
近くにトーマスが来て報告するので、ケイスマンの意思との対話を中断し、現実に焦点を絞る。
車椅子にも慣れてきた。
俺の体内にストックしていた医療用のナノマシンをすべて費やして怪我を治した甲斐あって、腕や指も円滑に動くようになってきた。もう自走もできる。
ただ直進はできない。右腕の義手も修理してもらっているので、左腕しかないからだ。仕方なくトーマスが補助してくれて、初めて直進できるようになる。
「………正直、少し厳しいかな。エースくんが更新したプランだとね。十分すぎる量を持ってきたけど、まさかリヴァイヴ全身に使うとは思ってなかったんだよ。僕はてっきり、一部に用いるものだと思ってたから。予備パーツの量産にも困らないだろう量だったのに、在庫のギリッギリを攻めることになろうとは」
『悪かったって。全部言い値で買い取ってやるから』
「そうじゃなきゃ、こっちが困る。………だから僕も全力を出すよ。本社のエンジニアと連絡を取ったんだ。武装も足りないだろ。とりあえず中国支部付近に追加パーツや材料を降下させるって予定だったのを、不慮の事故で軌道が逸れて、元日本支部跡地に墜落してしまったってデータをでっちあげてもらう。これなら、まだ在庫に余裕が出るし、リヴァイヴの武装も望んだものが作れるでしょ」
『………やるじゃねぇか。お前』
「こっちも食べるためだからね。理不尽には、もう慣れたよ。どこかの化け物くんが、いつ死ぬかもわからない産業スパイ業から助けてくれたお陰さ」
かなり皮肉めいて聞こえたが、俺とトーマスの間柄なんて、そんなものでいいのだ。
そして俺としては、助けたのはほんの気紛れだし、ソータたちの心の傷にならないよう差し向けたのだが、トーマスの有能さに内心で舌を巻き、心の底から助けてよかったのだと思った。調子に乗せないために口にはしなかったが。
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