第9話 赤毛の三兄弟
本当に、お兄様たちの予定は変更されたらしい。
そのまま私たちは庭園でおやつを食べることになった。
おやつが来るまでの間、護衛たちはそれぞれ白光弾を飛ばそうとしている。
たぶん、予定変更の連絡だ。
私はそっと護衛たちの前へ行く。
「……それ、連絡するんでしょ?」
みんなが手を止めてこちらを見た。
「お兄様たちは悪くないって言ってね。フリーがわがまま言ったって」
その瞬間。
護衛たちが揃って“キュン”とした顔になった。
ロータスお兄様の護衛、ネリオスが片手で頭を押さえる。
「フリージア様は何も気にしないでください」
そう言いながら、ちらりとロータスお兄様へ鋭い視線を向けた。
「これはロータス様たちが後で大変な目に遭うだけなので、なーんにも問題ありません」
妙に恨みのこもった声だった。
横からダリアンが苦笑する。
「兄さん、目つき怖いって。フリージア様引いてるよ」
(いや、怖いのそこじゃないよ)
私は思わず心の中で突っ込む。
(ネリオスの“後で大変な目に遭う”って言葉の方が怖いんだけど)
……ん?
私はぱちぱちと瞬きをした。
(今、“兄さん”って言った?)
「ダリアン、今“兄しゃん”って言った?」
「あっ、はい!」
ダリアンは素直に頷く。
「ネリオスは俺の一番上の兄です!」
「一番目?」
「はい! 二番目はこっちです!」
そう言って指差した先で、一人の護衛が静かに前へ出た。
「リリィ様の護衛をしております、アザリエルです」
丁寧に一礼する。
ダリアンがその隣へ並び、にかっと笑った。
そこで私はようやく気づく。
……赤髪三兄弟だ。
しかも、よく見ると顔立ちもかなり似ている。
「しょっくりだね」
私が素直にそう言うと、ネリオスは嫌そうに顔をしかめた。
「フリージア様、こんな奴らと一緒にしないでください」
「赤髪なだけでも嫌なのに、顔まで似てるなんて最悪です」
「でも、しょっくりだよ?」
二回目は少し控えめに言ってみる。
するとダリアンが慌てて割って入った。
「フリージア様、兄たちの話は気にしないでください!」
そのまま背中を押される。
「お席つきましょーね!」
私はその勢いのまま、庭園の席へ連れて行かれた。
庭園には、すでにおやつの準備が並び始めていた。
白い丸テーブルの上には、クリームたっぷりの焼き菓子が並べられている。
ふわっと甘い香りが漂った瞬間――
「わぁ……!」
疲れていたはずなのに、一気に元気が戻った。
「元気戻ったか」
アスターお兄様が呆れたように笑う。
「甘いものはとくべつでしゅ!」
胸を張って言うと、周りからくすくす笑いが漏れた。
席につくと、ランが私の前に焼き菓子置いてくれる。
「……おいしそう」
思わずじっと見つめていると、隣からロータスお兄様が小さく笑った。
「食べていいよ」
「いただきましゅ!」
ぱくっと一口食べた瞬間、フワッと甘さが広がった。
思わず目を見開いた。
「おいひぃ……!」
さっきまでの疲れが全部飛んでいきそうだった。
そんな私を見て、お兄様たちが楽しそうに笑っている。
その時だった。
ふいに、隣から静かな声が落ちてくる。
「……随分と頬張っているな」
顔を上げると、少し離れた場所にアイリオン先生が立っていた。
いつの間にいたんだろう。
私は口いっぱいに詰めたまま、ぱちぱち瞬きをする。
するとアスターお兄様が即座に反応した。
「先生も食う?」
「いらん」
即答だった。
けれど、なぜか帰る気配はない。
私はもぐもぐしながら先生を見上げる。
(……もしかして、ちょっと気になって来た?)
そんなことを考えていると、先生の視線がふっと私へ落ちた。
「フリージア、クリーム」
「はひ?」
「口の横についてる」
「へ?」
周囲が一斉に吹き出した。
(か、かわいい〜……)
そんな声が聞こえてきそうなくらい、みんなが緩んだ顔をしている。
先生だけは無言のまま、そっと口元を拭ってくれた。
私は焼き菓子を口に入れたまま先生を見上げる。
「しぇんしぇ、どぉうしたの?」
「食べながら喋るな」
即座に返される。
でも先生はそのまま、静かに続けた。
「少し伝言だ」
空気が、少しだけ変わる。
「エル……お前の父と話して決まった」
先生の視線がまっすぐ私へ向けられた。
「今後、お前に私の結界魔法をかける」
「……けっかい?」
「明日の朝。フリージア一人でホールへ来なさい」
さっきまでの甘い空気が、少しだけ静まり返った。
「……けっかい?」
私は首を傾げた。
するとロータスお兄様たちの表情が、少しだけ真面目になる。
アイリオン先生は淡々と続けた。
「お前はまだ魔力制御が未熟だ」
「今日みたいに感情で漏れれば、周囲へ影響が出る可能性がある」
「それに、襲われた時の防御にもなる」
私はぱちぱちと瞬きをした。
(つまり……暴走防止と護身用?)
先生は私の反応を見ながら、さらに説明を続ける。
「結界の中なら、万が一暴走しても外へ漏れない」
「外部からの干渉も遮断できる」
「今のお前には必要な訓練だ」
そう言われると、少しだけ今日の訓練を思い出す。
確かに、勝手に魔力が飛び出した。
「……わかったでしゅ」
素直に頷くと、先生は小さく息を吐いた。
「朝は眠いから嫌だとか言うと思っていた」
「……」
私はむっと頬を膨らませる。
「フリーはちゃんとできましゅ!」
すると、周囲からまた笑いが漏れた。
「先生、フリーって意外と真面目なんですよ」
シルヴァンお兄様が楽しそうに言う。
「意外とはなんでしゅか!」
むっとして言い返すと、今度はアスターお兄様が笑った。
「だって、普段はみんなに甘やかされてるからなー」
「アスターお兄しゃま!」
「ははっ、怒った怒った」
「もうっ!」
お兄様たちのせいで、また周りから笑い声が上がる。
騒がしくなる空気の中で、アイリオン先生だけは静かにこちらを見ていた。
そのオッドアイが、ほんの少し細められる。
まだ何かを考えるみたいに。
でも次の瞬間には、いつもの無表情へ戻っていた。
「では、私は戻る」
そう言って先生は踵を返した。
静かな足音が、庭園の石畳に遠ざかっていく。
(……結界魔法)
(なんか、かっこいい〜……)
秘密の力みたいで、ちょっとわくわくする。
「絶対フリー、変な想像してるだろ」
アスターお兄様がじとっとした目を向けてくる。
「してないでしゅ!」
「今ちょっと“秘密の力〜”とか思ってた顔だった」
「!?」
なぜ分かった。
思わず固まると、お兄様たちが吹き出した。
「フリージアは顔に出やすいね」
ロータスお兄様がくすくす笑いながら、私の頭を撫でる。
するとリリィお姉様も、どこか嬉しそうに目を細めた。
「フリーは、なんだか前より明るくなったわね」
「え?」
「前よりずっと素直で、分かりやすくなったわ」
優しい声だった。
私はきょとんと瞬きをする。
前のフリージア。
……きっと、今よりもっと大人しくて、感情を表に出さなかったんだろう。
そう考えると、少しだけ不思議な気持ちになる。
でも。
「……そぉう?」
首を傾げる私を見て、みんながまた笑った。
むぅ、と頬を膨らませながら焼き菓子をもぐもぐ食べていると、ふいに横から小さな声が聞こえた。
「でも、結界魔法って本当にすごいんですよ」
ダリアンが少し興奮した様子で身を乗り出す。
「アイリオン先生の結界は、国でも破れる人がほとんどいないって言われてます!」
「そんなに?」
「はい!」
するとネリオスが苦笑した。
「“ほとんど”じゃない。“いない”だ」
「え?」
「アイリオン殿の結界を正面から破った者は、今まで確認されていません」
さらっと言われた言葉に、私はぱちぱち瞬きをする。
(……やっぱりすごい人なんだ)
ぼんやりそんなことを考えていると、不意にランが静かに口を開いた。
「ですが、フリージア様」
「?」
「明日は“お一人”で向かわれるのですよね」
その言葉に、周囲が少し静かになった。
……そういえば、そうだ。
いつもみたいに、みんな一緒じゃない。
私は焼き菓子を持ったまま、小さく首を傾げる。
「……ひとり?」
なぜか、その言葉だけ少し胸に引っかかった。
すると、ロータスお兄様が静かに教えてくれる。
「アイリオン先生の結界魔法は特別なんだよ」
「結界魔法自体は他にも使える人はいる。でも、先生の結界は別格なんだ」
私はぱちぱち瞬きをした。
「城全体に張られている結界も、先生が作ったものらしいよ」
「しかも、誰もその術式を見たことがないんだって」
(ほぉー…)
なんだか、すごいらしい。
でも正直、まだ実感はわかなかった。
私は「へぇ〜」くらいの気持ちで焼き菓子をもぐもぐ食べる。
そんな私を見て、お兄様たちもそれ以上は何も言わなかった。
やがておやつの時間が終わり、それぞれが本来の予定へ戻ろうとした、その時だった。
遠くの城の方から、誰かが叫びながら走ってくる。
「……リー!」
「フ……リ……!」
風に声がかき消されて、最初はよく聞こえない。
けれど、どんどん近づいてきて――
「フリー!」
「フリージア!!」
「……お父様?」
そこにいたのは、ものすごい勢いで走ってくるお父様だった。
「フリージア! 今日の魔術はどうだった!? できたか!? 疲れただろ!?」
でも次の瞬間、お父様の視線がシルヴァンお兄様へ向いた。
「違う! それよりシルヴァン!!」
「ひっ」
シルヴァンお兄様が小さく肩を震わせる。
「お前、魔術訓練の後に私の手伝いをすると言っただろう!」
「あ」
「それに、お茶会をするなら私も呼べ!!」
庭園に、しーん……と沈黙が落ちた。
重たい沈黙が庭園に落ちる。
……気まずい。
私は慌てて口を開いた。
「おとーしゃま、お仕事終わったの?」
場の空気を変えようと尋ねる。
すると、お父様は一瞬でこちらへ振り返った。
「ん? お、おわったよ!」
笑顔。
……だけど、ちょっと引きつっている。
(絶対終わってない)
誰もがそう思った空気だった。
でも私は気づかないふりをして、にこっと笑う。
「じゃあ、フリーと一緒にお茶しましょう!」
その瞬間。
背後から低い声が飛んできた。
「で〜ん〜か〜?」
お父様が凍る。
ダリアンがぽつりと呟いた。
「あっ、オヤジ」
振り返ると、ものすごく怖い顔をしたリンドールが立っていた。
次の瞬間。
今度はお父様が小さくなる。
「で、殿下!」
にこりともせず口を開いた。
「まだ書類整理が終わっておりません」
「サインだけでもしていただかないと困ります」
「……」
お父様がさっと視線を逸らす。
しかし逃げ道はなかった。
がしっ。
腕を掴まれる。
「いや、まだ話が――」
「仕事です」
……と思った次の瞬間。
「シルヴァンも来い!」
今度はリンドールの鋭い声が飛ぶ。
「げっ」
シルヴァンお兄様の顔が引きつった。
「お前も手伝いを放置していただろう」
「……はい」
完全に怒られている。
シルヴァンお兄様はしょんぼり肩を落としたまま、護衛と一緒に早足で追いかけていった。
その背中を見送りながら、私はぽつりと呟く。
「……たいへんそう」
するとアスターお兄様が苦笑する。
「父上もシルヴァンも、あとでめちゃくちゃ怒られるな」
「リンドール、怒ると長いのよねぇ……」
リリィお姉様まで遠い目をしていた。
その場に残された全員が、静かにその背中を見送る。
……誰も何も言わない。
でも、空気だけで分かった。
この場にいる全員が、“リンドールを怒らせると怖い”ことを知っている。
護衛たちなんて、さっきまでの騒がしさが嘘みたいに静かだ。
ダリアンまで、すっと目を逸らしていた。
私は思わず小声で呟く。
「……りんどーる、こわい?」
すると全員が同時に頷いた。
……その後は、みんなそれぞれ本来の予定へ戻っていった。




