第10話 精霊
そして、次の日の朝―
私は一人でホールへ向かった。
静かな扉を開けると、そこにはアイリオン先生とお父様がいた。
(……お父様もいるんだ)
少し驚きながら、私は二人へぺこりと頭を下げる。
「おはようごじゃいます」
「フリー、おはよう♡」
お父様はいつも通りだった。
一方で、アイリオン先生は静かに頷く。
「おはようございます。ちゃんと起きられましたね」
「時間があまりありません。早速始めましょう」
先生が前へ出る。
すると後ろで、お父様が懐かしそうに呟いた。
「久々だな。アイが他社に結界魔法をかけるのは」
「……千年ぶりか?」
私は思わず瞬きをする。
(お父様、先生の結界見たことあるんだ……?)
そんなことを考えていると、先生が低く言った。
「静かにしてくれ。集中したい」
「はいはい」
お父様は苦笑しながら口を閉じた。
その瞬間――
足元に、淡く光る魔法陣が広がる。
思わず息を呑んだ。
複雑な紋様が幾重にも重なり、ゆっくりと回転している。
さらに、頭上にも別の魔法陣が現れた。
上下から光が私を挟み込む。
先生は静かに詠唱を紡いでいた。
聞き取れないほど小さいのに、不思議と空気が震えるのが分かる。
やがて、上下の魔法陣がゆっくりと重なり合い――
私の身体を通り抜けた。
その瞬間。
ぱあっと光が弾ける。
けれど眩しさはなく、柔らかかった。
まるで薄いベールに包み込まれるような感覚。
そう感じた次の瞬間、光は静かに消えていった。
「はい、終わりです」
「……終わりですか?」
あまりにも一瞬で終わってしまい、私は呆気に取られる。
「よし! 終わったな! 朝食行くぞー!」
さっきまで静かに見守っていたとは思えない切り替えの早さだ。
「お前の結界は、何度見ても分からんな」
お父様は感心したように笑う。
「ありがとう。フリージアのためにやってくれて」
先生は小さく息を吐いた。
「……別に礼を言われることでない」
「では、失礼する」
先生が片手を前へ出す。
すると小さな魔法陣が浮かび、その光に包まれるようにして、先生の姿はふっと消えた。
私は思わず目をぱちぱちさせる。
そのままお父様にひょいっと抱き上げられ、鼻歌まじりでホールを出た。
廊下へ出ると、先で待っていたダリアンがこちらへ気づく。
お父様へ一礼してから、私へ笑いかけた。
「お疲れ様です、お嬢様。意外と早く終わりましたね」
するとお父様が感心したように笑う。
「普通、結界を刻むだけでも30分はかかるからな」
「あいつのは異次元だよなー」
私は抱っこされたまま、お父様を見上げた。
「お父しゃま、アイリオン先生はパパより強いのでしゅか?」
すると、お父様は少し考えるように唸る。
「んー……」
「アイは私より魔法はすごい」
さらっと断言した。
その言葉に、後ろを歩いていたダリアンまで「えぇ……」と感心した声を漏らす。
国一番と言われる王様が、他人をそこまで認めるのは珍しいのだろう。
でも次の瞬間、お父様はにやっと笑う。
「けど、私より強くはないな」
自信満々だった。
その言い方があまりにも堂々としていて、私は思わず笑ってしまう。
(なんか面白い)
お父様と先生。
仲がいいのか、張り合ってるのか、よく分からない。
私は抱っこされたまま首を傾げた。
「お父しゃまは、アイリオン先生と仲良し?」
すると、お父様はすぐに笑った。
「仲良いぞ!」
「戦友みたいなものだな」
(戦友……)
そこで、ふと思い出す。
(そういえば、旅をしてたって……)
「シルヴァンお兄しゃまが言ってた!」
「お父しゃまたち、昔旅をしてたんでしょ?」
「あー、懐かしいな」
お父様は少し目を細めた。
「仲間9人でいや、10人だったかで旅をしてたんだ」
そして、どこか誇らしそうに笑う。
「知ってるか? “一つの秘宝”っていう物語」
「……!」
「実は、あれは私たちの旅の話なんだぞ」
「……えっ!?」
思わず目を見開く。
「それ、フリーのだいしゅきな本!」
その瞬間。
お父様の目がぱあっと輝いた。
「そうか!? フリーはあれが好きか!?」
めちゃくちゃ嬉しそうだ。
「好き! いっぱい読んだの!」
「そうかそうか!」
お父様は完全にデレデレだった。
抱っこしている私をそのままぎゅーっと抱きしめる。
「やっぱりフリーは見る目があるな!」
記憶が戻る前の私が、何度も読んでいた物語だ。
まさか、あれがお父様たちの本当の冒険だったなんて。
私はわくわくしながら思う。
……今度、改めて読み返してみよう。
そのまま私たちは、朝食の席へ向かった。
食事を初めてお母様がふと微笑む。
「フリー、今日のおやつは一緒に食べましょうか」
その瞬間。
お父様とお兄様たちの耳がぴくっと動いた気がした。
(絶対聞いてる)
私はちらっとみんなを見る。
すると案の定、“自分も行きたい”という顔をしていた。
私は恐る恐る、お母様を見上げる。
「お父しゃまたちも一緒に――」
けれど最後まで言う前に、お母様がにっこり微笑んだ。
「みんなには、やらなきゃいけないことがたくさんあるの」
その笑顔のまま、お母様の視線がお父様たちへ向く。
……鋭い。
誰一人、逆らわなかった。
お父様はいつも通り公務。
お兄様たちは、数日後に再開する学校の準備があるらしい。
しかもアスターお兄様は、まだ宿題が終わっていないそうだ。
「うっ……」
小さく呻く声が聞こえた。
私は少しだけ申し訳なくなりながらも、笑顔で頷いた。
「はい! お母しゃまと食べましゅ!」
その瞬間、お母様の周囲だけぱあっと花が咲いたみたいに空気が明るくなる。
対して――
お父様たちの方からは、どんより沈んだ空気を感じた。
ものすごく分かりやすい。
シルヴィンお兄様なんて、「いいなぁ……」と小さく呟いている。
でも誰も逆らわない。
……お母様が一番強いのかもしれない。
そして午後も過ぎ、おやつの時間になった。
私はルンルン気分で、大好きな庭園へ向かう。
お母様と二人で過ごすのは久しぶりだった。
お母様は王妃として忙しく、城にいないことも多い。
庭園へ着くと、先にお母様が待っていた。
私はとことこと駆け寄り、その隣へちょこんと座る。
「お母しゃまと一緒にしゅごせるの、うれしいです」
すると、お母様は優しく目を細めた。
「いつも一緒にいてあげられなくて、ごめんなさいね」
その声は少し寂しそうだった。
「本当は、ずっと一緒にいたいのよ」
「幼い時期なんて、あっという間だから……一分たりとも見逃したくないくらい」
そう言って、お母様はふうっと小さくため息をつく。
「最近は魔物も増えてきているし、各国との連絡も多くて忙しいの」
「こんなに可愛いフリーちゃんと過ごせないなら、いっそ王妃を辞めようかしら」
(……嘘に聞こえないのが怖い)
それにしても。
お母様は本当に、本当に美しい。
揺れるスカイブルーの髪。
光を受けて輝くエメラルドグリーンの瞳。
まるで宝石そのものみたいで、時々“幻なんじゃないか”と思ってしまうほどだった。
私は紅茶へ手を伸ばす。
でも――
「アチッ」
まだ熱かった。
ふーふーしていると、お母様がくすりと笑う。
次の瞬間。
ふわり、と優しい風が吹いた。
一瞬で紅茶が飲みやすい温度になる。
(便利……)
そう思った、その時だった。
ふわっ。
視界の端で、小さな妖精みたいなものが飛んだ気がした。
淡い緑色の光。
羽みたいなものが、きらきら揺れている。
「あっ」
思わず顔を上げる。
でも、もう見えない。
「どうかしたの?」
(妖精……?)
(いや、もしかして……精霊?)
ふと、以前見たステータスを思い出す。
(そういえば、“精霊契約”って項目があったな)
私はお母様を見上げた。
「お母しゃま……せいれいって、いるの?」
「精霊を知ってるの?」
「今ね、なんか見えた気がしたの」
するとお母様は、ふわりと笑った。
「あらあら。フリーちゃん、すごいわね」
「今のは、私の精霊ちゃんよ」
(えっ!?)
(本物いたの!?)
しかも。
(お母様、精霊契約してるの!?)
驚いている私へ、お母様は紅茶を飲みながら説明してくれる。
「この国には、どこにでも精霊がいるのよ」
「風にも、お花にも、いろんな場所にいるわ」
「でも、ほとんどの人は見ることができないの」
私は目をぱちぱちさせた。
ファンタジーだ。
めちゃくちゃファンタジーだ。
「私の知り合いのドワーフで、鉱石の精霊と契約していた人はいたけれど……それ以外はあまり聞かないわね」
「私は風の精霊ちゃんと契約したの」
「けいやく?」
「そう。仲良くなることよ」
お母様は優しく笑った。
「でも簡単じゃないの」
「精霊は、“信じる心”とか、“誰かを助けたい気持ち”をすごく大切にするから」
「だから契約できる人は少ないわ」
私は身を乗り出した。
「お母しゃまは、どうしてできたの?」
「んー……なんでかしら」
お母様は少し懐かしそうに空を見上げる。
「昔から、ときどき風の精霊ちゃんが見えていたの」
「それで、旅の途中に鬼神の国へ行った時――その子に助けてもらったのよ」
お母様はどこか懐かしそうに目を細めた。
「鬼神の国には、“風で動く発電機”みたいなものがあったの」
「でも、その頃は何ヶ月も風が吹かなくなっていてね」
私はこくこく頷きながら話を聞く。
「サネカゲっていう鬼神族のお友達がいるんだけど、その子に“国を助けてくれ”って頼まれたのよ」
「風魔法ならどうにかできるだろうって」
「でも、風魔法で一時的に動かすことはできても、国全体を支えるほどの風を出し続けるのは難しかったの」
「しかも、私たちが国を離れたら、また止まってしまうでしょう?」
お母様は小さく息を吐く。
「あの時は、本当に悩んだわ」
「だから、駄目元で精霊ちゃんにお願いしてみたの」
優しい声だった。
「――力を貸してって」
私は思わず身を乗り出す。
「そしたらね、目の前に現れてくれたの」
「そして教えてくれたのよ」
「“誰かが神木を傷つけた”って」
空気が少し静かになる。
「その神木を助けない限り、風は戻らないって言われたわ」
「だから私は、エルに頼んで一緒に来てもらったの」
(お父様だ)
なんだか少し不思議な感じがする。
「神木はね、小さい木だったの」
「でも、とても強い力を感じたわ」
「それに、明らかに誰かが切った跡が残っていたの」
お母様の声が少しだけ沈む。
「だから私とエルで、その木に魔力を流したの」
「すると――」
ふわり、とお母様が微笑んだ。
「切られた場所から、小さな新芽が出てきたのよ」
「……!」
思わず目を見開く。
「本当に綺麗だったわ」
「今でも忘れられないくらい」
お母様は嬉しそうに続ける。
「その瞬間、風の精霊ちゃんが姿を見せてくれてね」
『ありがとう。あなたの力になろう』
「そう言って、契約してくれたの」
私は「おぉ……」と小さく感動の声を漏らした。
でも次の瞬間、お母様はくすっと笑う。
「ちなみに、その時エルには精霊ちゃんが見えてなかったのよ」
「だから私、一人で喋ってるみたいになっちゃって」
「エルが“ついに壊れたか?”って、すごく焦ってたわ」
「そう、思い出したわ」
お母様がくすくす笑う。
「“ついに壊れたか”ですって。“ついに”よ?」
「それを聞いて頭にきちゃって、そのあと喧嘩したのよー」
楽しそうに話す姿に、私もつられて笑ってしまった。
(……お父様らしい)
でも、そんな昔話を聞けたのが嬉しくて、なんだかお菓子までいつもより美味しく感じる。
私は焼き菓子をもう一口食べた。
ふわふわで、甘くて、美味しい。
……ん?
そこで、ふと違和感に気づく。
(待って)
(なんで焼き菓子だけ、こんなに美味しいの?)
普段のご飯は、素材の味が中心だ。
塩味がほとんどで、味付けもかなり薄い。
もちろん美味しくないわけじゃない。
でも前世の記憶と比べると、料理文化はまだ発展途中って感じがする。
なのに。
お菓子だけ妙に完成度が高い。
私は首を傾げながら、お母様を見上げた。
「お母しゃま」
「どうしたの?」
「なんで、おかしはこんなにおいしいの?」
「それ、美味しいわよねー」
お母様も焼き菓子を見ながら嬉しそうに笑う。
「その焼き菓子はね、ヒューマ族のセブンが教えてくれたのよ」
「セブン?」
「昔、一緒に旅してた仲間の一人」
私は思わずぴくっと反応する。
また旅仲間だ。
「セブンはいろんなお菓子を作ってくれたんだけど……」
お母様は少し困ったように笑った。
「覚えられたのが、それだけだったのよね」
「だって、あの子の料理、工程が多すぎるのよ」
「混ぜて、冷やして、寝かせて、また混ぜて……」
「途中からみんな“もういいから食べさせて”ってなってたわ」
私はちょっと笑ってしまった。
(分かる気がする)
するとお母様が、ふと思い出したように呟く。
「そういえば、お菓子に使う調味料やお料理用の調味料も、エルが公務でヒューマ族の国へ行くたび大量に買ってくるのよ」
「でも、誰も使い方が分からなくて……結局、食糧庫で眠っているのよね」
(えぇ〜!?)
(あるの!? 調味料とか!)
なんだかすごく勿体ない。
……というか。
(ヒューマ族って、もしかして前世の人類に近い存在なんじゃ?)
料理。
技術。
知識。
今の話を聞く限り、かなりそれっぽい気がする。
「お母しゃま」
「なあに?」
「その……鬼神しゃんとか、ドワーフしゃんとか、ヒューマしゃんのかたには会えないのですか?」
お母様は少し驚いたように瞬きをした。
「ふふっ。興味が出てきたのね」
「んー……会えるけど、会えない……かしら」
お母様は少し困ったように微笑んだ。
「最近はね、それぞれの国で“他国とあまり関わらなくてもいいんじゃないか”っていう意見が出てきているの」
「だから昔みたいに、自由に行き来することが少なくなってきてるのよ」
私は「ふむふむ」と頷きながら話を聞く。
すると、お母様はふっと優しく笑った。
「でも、フリーちゃんが五歳になった時のお披露目会には、各国を招待する予定だから――」
「その時には会えるわよ」
「ほんと!?」
ぱあっと顔が明るくなる。
……いや、待て。
(お披露目会!?)
(何それ!?)
私は勢いよくお母様を見上げた。
「お母しゃま! おひろめかいって?」
「あら、そうよね。まだ説明していなかったわね」
お母様は優雅に紅茶を口へ運ぶ。
「フリーちゃんが5歳になったら、“この子がフリージアですよ”って、各国へ正式に紹介するのよ」
私はぱちぱち瞬きをした。
「みんな、フリーちゃんが生まれたことや性別は知っているわ」
「でも、どんな容姿なのかまでは知らないの」
「特に王族の子は、周囲へちゃんと顔を見せる必要があるのよ」
(なるほど……)
前世でいう“社交界デビュー”みたいな感じだろうか。
急にスケールが大きくなった気がした。
鬼神族。
ドワーフ。
ヒューマ族。
今まで本の中だけだった存在が、急に現実味を帯びてくる。
しかも、五歳になったら実際に会うことになるらしい。
(……楽しみぃ〜)
そんなことを考えているうちに、お母様とのおやつの時間もあっという間に終わってしまった。
私は部屋へ戻りながら、今日聞いたことや今までの出来事を、頭の中でゆっくり整理する。
魔力の安定化。
体力強化。
精霊との契約。
ヒューマ族の調味料。
そして、五歳のお披露目会。
情報量が多すぎる。
私は小さく息を吐いた。
でも、今一番頭に残っているのは――
(ご飯)
ヒューマ族の調味料。
食糧庫で眠っているらしい未知の味。
それを聞いてしまったせいで、もう気になって仕方ない。
(美味しいご飯、食べたい!)
焼くだけじゃない。
塩味だけでもない。
前世みたいな料理が、もしかしたら作れるかもしれない。
そう思った瞬間、わくわくしてきた。
(……近いうち、うまいこと調理場に行けないかな)
私はそんなことを考えながら、自分の部屋へ戻っていった。




