第8話 訓練
それから、少し日々が過ぎて――
ついに、アイリオン先生の初めての授業の日がやってきた。
ワクワクが止まらない。
自分が魔法を使えるなんて、今でも不思議でしょうがなかった。
ルンルン気分のまま魔術ホールへ向かうと、そこにはまだ誰もいなかった。
どうやら一番乗りらしい。
広く真っ白なホールは静かで、なんだか無性に声を出したくなる。
「おーい」
声が高い天井へ吸い込まれ、少し遅れてこだまして返ってきた。
「おーーい」
もう一度やると、ダリアンとランが後ろでくすくす笑っている。
ちょうどその頃、お兄様たちもホールへ入ってきた。
けれど私は気にせず、もう一度こだまを楽しもうとして――
その瞬間。
目の前の床に、淡く光る魔法陣が浮かび上がった。
複雑な紋様が幾重にも重なり、静かに光を放つ。
次の瞬間、アイリオン先生たちの姿が現れた。
驚くより先に、胸が高鳴る。
(すごい……!)
「フリージア、おはよう」
最初に声をかけてくれたのは、ポピエル先生だった。
「おはようございましゅ!」
私は先生全員に向けるように、少し大きな声で挨拶をする。
アイリオン先生以外は、優しく微笑み返してくれた。
その中で、アイリオン先生だけが静かな表情のまま、一歩前へ出る。
「フリージア。私が君の担当になった」
低く落ち着いた声。
すると、隣にいたアスターお兄様が目を丸くした。
「先生、今まで誰も個別で見たことないのに、フリーすげーな!」
正式な担当になったのはお爺様が言っていたから知っていた。
私はウキウキのテンションで
「アイリオンしぇんせい、今日は何をやるんでか?」
「ロータスお兄しゃまみたいお水でしゅか?」
先生は冷静に
「今日は魔法はやらない」
「……え?」
期待していた言葉と違いすぎて、私はその場でぴたりと固まった。
口をぽかんと開けたまま、しばらく瞬きすらできない。
そんな私を見下ろしながら、先生は淡々と続ける。
「魔力を感じる授業をする」
(まりょくを……かんじる……?)
頭の中で、キラキラした火とか水とかが音を立てて消えていった。
先生が静かに口を開いた。
「まず、目を閉じろ」
私は渋々ながら、言われた通り目を閉じる。
「呼吸を整えろ。焦らなくていい」
「次に、自分の身体の中を流れているものを探せ」
身体の中を、流れているもの。
そう言われて意識を向けると、私は少し首を傾げた。
……それなら、何となく分かる。
目覚めた時からずっと感じている、あの不思議な感覚。
先生は続ける。
「普通は、そこへ辿り着くまで時間がかかる。身体の中に水が流れているようなものを想像しろ。それを中心へ集めるイメージだ」
けれど――
私はすでに、その“流れ”を見つけていた。
身体の奥を巡る感覚に意識を向け、その魔力を中心へ集める。
すると次の瞬間。
ふわり、と身体の周りが淡く光り始めた。
「――……」
先生はまだ説明の途中だったらしい。
不意を突かれたように、言葉がぴたりと止まる。
その場の空気が、一瞬で静まり返った。
アイリオン先生だけじゃない。
周りで見ていたお兄様たちまで、揃って動きを止めている。
まるで、誰もこんなに早くできるとは思っていなかったみたいに。
先生は一瞬だけ目を見開いたあと、すぐにいつもの無表情へ戻った。
「……そ、それでいい」
わずかに間を置いてから、淡々と続ける。
「それができれば、魔法は使える」
その言葉を聞いた途端、安心したせいか、身体を包んでいた淡い光がふっと消えてしまった。
「あっ」
思わず声が漏れる。
「集中しろ」
先生の低い声が静かに響いた。
「まずは、その魔力を安定させることが大事だ」
落ち着いた声なのに、不思議とすっと頭に入ってくる。
「自分で制御できるようになれば、魔法は自由に扱えるようになる」
先生の言葉を聞きながら、私はもう一度そっと目を閉じた。
周囲では、お兄様たちの詠唱が静かに響いている。
その声を遠くに聞きながら、私は意識を身体の奥へ沈めた。
流れる魔力を集める。
ばらけないように。
ゆっくり、静かに。
それが安定するよう、必死に集中する。静かに集中していると、不意にすぐ近くで先生の声が響いた。
「安定できたら、その漏れ出ている魔力も中へ隠すイメージをしろ」
今度は外側にも意識を向ける。
漏れ出している魔力を、お腹の奥へ戻していくようにイメージした。
すると、身体の周りに浮かんでいた光が、ゆっくりとゆっくりと薄れていくのが分かる。
そして最後には、何事もなかったみたいに完全に消えていた。
――たった一度、教わっただけ。
それだけで出来てしまったことが、どれほど異常なのか。
この時の私は、まだ何も分かっていなかった。
そっと目を開けると、お兄様たちが揃ってこちらを見ている。
アスターお兄様なんて、完全に口が開いていた。
「……え、終わり?」
ぽつりと漏れた声に、ロータスお兄様も困ったように笑う。
「いや、普通もっと時間かかるからね?」
「へ?」
私はきょとんと瞬きを繰り返した。
(あ゛ぁーーー!また、やっちまった……!)
(そうだ、普通は最初は安定させるだけでも大変って……学校も七歳からだっけ……)
(でももうやっちゃったし、今さら戻せないし……まあいいか!)
そんなふうに頭の中で騒いでいる間も、アイリオン先生だけは静かなまま、私を見下ろしていた。
けれど、その視線はさっきまでと少し違った。
何かを確かめるみたいな目。
「フリージア」
「はい!」
名前を呼ばれ、私はぴしっと背筋を伸ばす。
先生は数秒だけ黙ったあと、小さく息を吐いた。
「……予想以上だ」
「えへへ」
褒められたと思い、思わず笑う。
だが次の瞬間。
「だが、制御を誤れば危険でもある」
先生の声が少しだけ低くなった。
「力が強い者ほど、制御を覚えなければならない」
さっきまでとは違う空気に、私は自然と笑顔を引っ込める。
すると先生は、私の前へ片膝をついた。
視線の高さが合う。
綺麗なオッドアイが、真っ直ぐこちらを見た。
「フリージア。これから最初に覚えるのは、“魔法を使うこと”じゃない」
静かな声が響く。
「――暴走させない方法だ」
「ぼうしょう……?」
「そうだ」
アイリオン先生は静かに続けた。
「特に怒りの感情は、魔力を暴走させやすい」
一瞬、言葉が途切れる。
「……恋情なども含めてな」
わずかに間を置き、余計な説明を切り捨てるように言い直した。
「強い感情は、魔力を乱す」
その視線が、少しだけ厳しくなる。
「そして一度乱れた魔力は、制御が効かなくなる」
先生はホールの空間を見渡した。
「暴走した魔法は、周囲へ無差別に広がる」
淡々とした声なのに、その内容は重い。
「魔力の強い者ほど、被害は大きくなる」
視線が、私に向けられる。
「……特にフリージア。君は魔力が強い」
胸が、少し跳ねる。
「だから今は、“使うこと”ではなく、“止めること”を覚える」
少しだけ間を置いて、先生は続けた。
「暴走を抑える訓練は、幼いうちにやるのが最も安全だ」
そのまっすぐな目が、訓練の重大さを理解した。
「次はそれをやる」
先生は静かに言う。
「まず、お前の嫌いなことは何だ」
私は少し考えた。
この世界に来てから嫌なことといえば……
「おやつ時間がなくなること」
「……ぷっ」
先生が珍しく、小さく吹き出した。
「では、それで進めよう」
意味はよく分からなかったが、訓練は再開された。
先ほどと同じように、魔力をお腹の中心へ集めるイメージを続ける。
そのときだった。
「フリージア。今日はおやつは無しだ」
横から、先生の声が落ちてくる。
「訓練がうまくいっていないから、罰だ」
「……っ」
胸の奥が、むっと熱くなる。
お腹の中から、ふつふつと怒りが湧き上がってくる。
その瞬間――魔力がぐにゃりと歪んだ。
今にも飛び出しそうな形になる。
「……暴走だ」
先生の声と同時に、指先がわずかに動く。
次の瞬間、飛び出しかけていた私の魔力が、まるで最初から何もなかったみたいに掻き消えた。
「いいか。その乱れを制御しろ。もう一度やるぞ」
私はもう一度、深く息を吐いた。
集中する。
そこへ、また先生の声が落ちてくる。
「フリージア。今のは嘘だ。おやつはある」
「……え?」
一瞬、安心して力が抜けた。
その瞬間――魔力がふわりと膨らむ。
風船が膨れるみたいに、限界まで。
「それも暴走だ」
先生が淡々と言う。
「喜びも魔力を乱す」
「少し漏れているぞ」
言われて自分の身体を見ると、淡い光がにじみ出ていた。
(……これも、抑えるの?)
怒りも、喜びも。
全部まとめて、ひとつの中に収めるように意識する。
ゆっくりと、魔力を落ち着かせていく。
やがて光は静かに収まり、私は肩で息をした。
小さい身体ではここまでが限界らしい。
とても疲れた。
「今日はここまでだ」
先生の声は、少しだけ柔らかかった。
「よくやった」
私は端の方に座り込みながら、お兄様たちの魔術を見上げる。
(あんな風になるのは、何年後なんだろう)
少し遠い世界のように思えたけれど、不思議と焦りはなかった。
短い時間だったけど――今日は楽しかった。
お兄様達の訓練が終わる頃には、私はすっかりくたくたになっていた。
端で見ていただけなのに、魔力の訓練だけで体力をごっそり持っていかれた気分だ。
ホールを出ようとロータスお兄様に抱っこされても、私はぐでーっと力を抜いたまま。
「……つかれたぁ」
正直に答えると、ロータスお兄様が小さく笑った。
「でも頑張ってたね」
「うん……」
後ろではアスターお兄様が興奮したまま話している。
「いやでも、最初で魔力感じるの早すぎだろ!? 俺もっと時間かかったぞ!」
「普通はあそこまで安定する前に何度も失敗するからね」
シルヴァンお兄様まで苦笑していた。
私は曖昧に笑う。
(やっぱり、ちょっとやりすぎた……?)
そんなことを考えていると、不意に後ろから静かな声がした。
「フリージア」
振り返ると、アイリオン先生がこちらを見ていた。
「あと少しだけ時間をもらう」
「……?」
先生はそのままホールの隅へ視線を向ける。
そこには、小さな台のようなものが置かれていた。
透明な水晶が中央にはめ込まれている。
「魔力量を測定する」
その言葉に、お兄様たちの空気が少し変わった。
「え、今日やるんですか?」
ロータスお兄様が目を丸くする。
先生は短く頷いた。
「念のためだ」
……念のため?
私は首を傾げながらも、ロータスお兄様に下ろしてもらい、水晶の前へ立った。
「手を置け」
言われた通り、私は小さな手をそっと水晶へ乗せた。
ひんやり冷たい。
次の瞬間、水晶の内側に淡い光が灯る。
足元にぶわり、と魔法陣が浮かび上がり、台座全体が低く唸るように震え始めた。
水晶の中で光がぐるぐると渦を巻き、どんどん強くなっていく。
ぱき――……
小さな音が響いた。
「……まさか」
アイリオン先生が、ぽつりと呟く。
その声に、周囲の空気が一気に張り詰めた。
慌てたようにリリィが前へ出る。
「せ、先生! 壊れただけでは!? 最近誰も使っていませんでしたし、不調とか……!」
けれど。
……たぶん、違う。
私は、自分の魔力量が普通じゃないことを知っている。
先生はしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「……いや。恐らく、これでは測れない」
低い声が、静かなホールに落ちる。
「この子の魔力は、測定器の許容量を超えている」
「そんな……」
ポピエル先生が目を見開いた。
「ですが、この測定器はアイリオン先生の魔力でも測定できましたよね……!?」
その言葉に、空気がさらに静まる。
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
やがてアイリオン先生が小さく息を吐く。
「……今日はもう終わりだ」
その声を合図に、私たちはホールをあとにした。
帰り道。
お兄様たちは、珍しく静かだった。
重たい沈黙に耐えきれなくなったのか、最初に口を開いたのはダリアンだった。
「す、すごかったです!」
勢いよくこちらを見る。
「フリージア様は普通じゃありません! 天才です!」
「将来が楽しみですね」
ランも静かに頷いた。
少しだけ空気が和らぐ。
すると、ロータスお兄様が優しく笑った。
「本当にそうだね」
私の頭をそっと撫でる。
「僕たちの妹は、すごい子だ」
「でも、まだまだお子ちゃまだよな!」
アスターお兄様がけらけら笑う。
「すぐ疲れてへばってたし!」
「うっ……」
反論できない。
するとシルヴァンお兄様も柔らかく笑った。
「僕よりすごい魔術師になるかもね」
「当たり前じゃない」
リリィお姉様が胸を張る。
「フリーは私に似てるんだから! きっと私みたいに清らかで美しい魔術師になるわ!」
「いや、リリィに似たら落ち着きなくてキーキーうるさくなるだろ」
アスターお兄様が即座に突っ込んだ。
「それは勘弁だぜ」
「はぁ!? 何ですってぇ!?」
さっきまでの重たい空気が嘘みたいに騒がしくなる。
そんな中、ロータスお兄様が小さく笑った。
「フリーがどんな魔術師になるのか、楽しみだね」
その声は、とても優しかった。
「僕たちが、ちゃんと見守るから」
「フリージアは、何も気にしなくていい。楽しくやりなさい」
……それにしても、疲れた。
甘いものが食べたい。
とても食べたい。
「お兄しゃま! おやちゅにしましょ!」
私は勢いよく手を上げた。
「甘いものが食べたいでしゅ!」
するとロータスお兄様が、少し困ったように笑う。
「この後、剣術の予定が……」
そこまで言って、ふっと表情を緩めた。
「……いや。一緒に食べようか」
「庭園で、みーんなと食べたいでしゅ!」
その瞬間だった。
周囲にいた護衛たちが、一斉に顔を上げる。
「いえ、この後は執務が――」
「発表会の打ち合わせが――」
「剣術訓練が――」
「殿下、お呼び出しが――」
けれど、お兄様たちは護衛たちの声に被せるように、ほぼ同時に言った。
「みんなでおやつにしよう!」
「みんなで食べよう!」
「今日はおやつ優先!」
半ば強引に予定が変更されていく。
護衛たちは揃って頭を抱えていた。
(……なんか、ごめんなさい)
少しだけ申し訳なくなる。
でも、それ以上に嬉しかった。
みんな、こんなにも私を大事にしてくれる。
その優しさが、くすぐったくて。
心地よくて。
私は、もっと一緒にいたいと思ってしまうのだった。




