第59話 戦い傷跡
私たちのもとへ駆け寄る。
「フリー!」
レイはもう立っているのも限界だった。
私を守るように支えていた腕が、ゆっくりと力を失っていく。
アスターお兄様は私をそっとレイから抱き上げた。
「よく頑張った。」
その直後だった。
張りつめていた糸が切れたように、レイの膝が崩れる。
「……っ。」
そのままアスターお兄様の肩にもたれかかるように倒れ込んだ。
アスターお兄様は二人を見比べ、小さく息をつく。
「二人とも……無茶しやがって。」
その声は怒っているようで、どこか安心したようにも聞こえた。
次に目を覚ました時――。
私は柔らかなベッドの上にいた。
「……ここは?」
ゆっくりと瞼を開ける。
見慣れた天井。
鼻をくすぐる薬草の香り。
どうやら王城の自室らしい。
身体を起こそうとすると、誰かがぎゅっと私の手を握っていた。
「フリー……!」
お母様だった。
目には涙が浮かび、私の手を両手で包み込むように握っている。
周りを見渡すと、お父様をはじめ、ロータスお兄様、アスターお兄様、リリィお姉様、シルヴィンお兄様。
家族全員が部屋に集まっていた。
「みんな……。」
私は状況を把握しようと、ゆっくり身体を起こす。
「痛っ……。」
まだ身体のあちこちが痛む。
その時、意識を失う直前の記憶が蘇った。
ヴォルガロス。
レイ。
そして――。
遠くから聞こえたセレスたちの必死な声。
あの後、第三騎士団はすぐに現場を制圧し、生徒たちの安全を最優先に行動したと聞いた。
課外訓練はその場で中止となり、先生たちは生徒全員を学園へ避難させた。
幸い、他の生徒に大きなけが人はいなかったらしい。
そう聞いて、私は胸をなで下ろした。
私は辺りを見回し、はっとした。
「……レイは?」
その言葉に、お母様たちは静かに隣の部屋へ視線を向ける。
私は慌ててベッドを降りようとした。
「フリー、まだ安静に――」
「お願い……!」
私は無理やりベッドから身体を起こした。
「フリー、まだ動くな」
「無茶するなって」
お兄様たちに止められたけれど、それでもじっとしていられない。
ティグにもたれかかるようにしながら、ゆっくりレイのいる部屋へ向かった。
「頑固だな。みなが止めておるのに」
「ふふ、そんなの分かってるでしょ」
少しでも空気を和ませたくて、私はわざと嫌味っぽく聞いた。
「それより、私の危機は感じ取れなかったの?」
「…………いや、感じ取った。すまん」
「え?」
「急いで向かった。着いたのは、ほぼアスターと同時だった」
「えっ! 来てくれたの!?」
思わずティグを見る。
「だって、ここからすご〜く距離あるじゃん!」
「誰だと思っておる。我は、」
「ネフィルガだぞ!」
「ネフィルガだぞ!」
声が重なった。
一瞬きょとんとして、それから思わず笑ってしまう。
「ふふ……来てくれてありがとう。それだけでも、なんか安心する」
「それに、レイを運んだのはオレだぞ」
「え?」
「アスターがお前を絶対に離しそうになかったからな」
私はゆっくりアスターお兄様を見る。
そして、小さな声で呟いた。
「……確かに、お兄様なら私のこと離さないわ」
「あー、気持ち悪いほどにお前ら兄弟はフリーのことを溺愛してるな」
「ふふっ」
そして、小さな声で呟いた。
「……確かに、お兄様なら私のこと離さないわ」
「あー、気持ち悪いほどにお前ら兄弟はフリーのことを溺愛してるな」
「ふふっ」
ちょっと面白くなってしまった。
前を歩くアスターお兄様に声をかける。
「アスターお兄様、ティグが来てくれたんでしょ?」
「ああ。いきなり現れたから最初は焦ったけどな。フリーが渡した腕輪をしてたから、すぐ分かった」
「レイを運んでくれたのも助かった。結界まで張ってくれたし」
お兄様は少しだけティグを見る。
「正直、あのときはこいつがいて助かったよ」
「久しぶりに、自分以外のやつに任せても大丈夫だって思えたよ」
ティグが得意そうに鼻を鳴らした。
そんな話をしているうちに、レイのいる部屋へ着いた。
扉を開けると、そこには静かに眠るレイの姿があった。
規則正しく上下する胸を見て、少しだけ安心する。
『よかった……ちゃんと眠れてる』
その傍らには、椅子に腰掛けたアイリオン先生がいた。
先生はレイの手を静かに握り、目を閉じている。
いつも冷静な先生とは違う。
その表情には、隠しきれない心配と安堵が浮かんでいた。
私たちに気付いた先生は、ゆっくりと立ち上がる。
「フリージア……目が覚めたんだな。」
「先生……レイは?」
先生は小さく頷いた。
「命に別状はない。」
その一言に、張りつめていた力が抜ける。
「ただ……。」
先生は眠るレイへ目を向けた。
「お前を庇った時、吹き飛ばされて折れた木の枝が腹部に刺さっていた。」
「……え。」
私は言葉を失う。
「幸い内臓までは達していなかった。治癒魔法も間に合った。」
「だから、命に危険はない。」
「今は体力を回復させるために眠っているだけだ。」
私はベッドの横へ歩み寄る。
眠るレイの顔は少し青白く、それでも穏やかだった。
私は震える手で、そっとレイの手に触れた。
「……ごめんね。」
小さく呟いたその声は、誰にも届かないほど弱々しかった。
私はレイの手を見つめたまま、小さく呟いた。
「……私のせいだ。」
その言葉に、アイリオン先生は静かに首を横へ振る。
「違う。」
先生は真っ直ぐ私を見つめた。
「フリージアは何も悪くない。」
「レイが負ったこの傷も、あいつ自身が考え、自分の意思で選んだ行動だ。」
「お前を守りたいと思ったからこそ、飛び込んだ。」
「だから、自分を責める必要はない。」
先生はレイの寝顔を見つめ、少しだけ優しく微笑んだ。
「……それに。」
「あそこまで、よく二人で耐えた。」
「相手はAランク魔獣だ。」
「本来なら学生が相手にするような存在ではない。」
「二人とも、本当によく頑張った。」
その言葉に、張りつめていた胸が少しだけ軽くなる。
すると横で、アスターお兄様が拳を強く握り締めた。
「……俺がいながら、こんなことになってすまん。」
悔しそうに俯く。
「兄としても、第三騎士団隊長としても……本当に情けない。」
そんなアスターお兄様に、ロータスお兄様が深いため息をついた。
「本当ですよ。」
「命が助かったとはいえ、大切なフリージアを危険な目に遭わせるなんて。」
「やっぱりお前は、どこか抜けているな。」
「ちが……他の生徒の避難があったんだ……」
「だから、結局オレのせいだ……」
呆れたように言いながらも、その声には責めるというより弟を案じる気持ちが込められていた。
そして、小さく目を伏せる。
「……私が行けばよかった。」
その一言には、魔法省の長としてではなく、一人の兄としての後悔が滲んでいた。
重苦しい空気が流れる中、お父様がゆっくりと口を開いた。
「……いや。」
「私が行けばよかった。」
その一言に、部屋の空気が静まり返る。
お父様は悔しそうに拳を握り締めていた。
「私が動けていれば、フリーを危険な目に遭わせることはなかった。」
すると、お母様がすぐにお父様を見た。
「あなた。」
その声は穏やかだったが、どこか鋭さを帯びていた。
「あなたは心臓に爆弾を抱えているような状態なのよ。」
「そんな身体で行けるはずないじゃない。」
お父様は何も言い返せない。
お母様は続けた。
「もしあなたまで無理をしていたら、フリーちゃんはもっと苦しんでいたわ。」
「きっと、自分を責めていた。」
そして、お父様の手をそっと握る。
「だから、もう『自分が行けばよかった』なんて言わないで。」
「あなたも、この子も、みんな無事でいてくれることが一番大切なの。」
お父様は静かに目を閉じ、小さく頷いた。
「……ああ。」
その返事には、父としての悔しさと、家族を守れなかった無力感が滲んでいた。
重たい空気が流れる中、私はぽつりと呟いた。
「……あの魔獣ね。」
みんなの視線が私へ向く。
私はゆっくりと口を開いた。
「喋ったの……。」
一瞬、部屋が静まり返る。
「……。」
誰も言葉を発しない。
お母様も、ロータスお兄様も、アスターお兄様も、リリィお姉様も、シルヴィンお兄様も。
アイリオン先生でさえ目を見開いていた。
私は続ける。
「私を見て……『あの方がお会いしたい者だ』って」
「『連れて行く』って言ってた」
そして、一番引っかかった言葉を口にする。
「……『お前の身体が欲しい』って」
再び沈黙が流れた。
誰も、それを冗談だとは思っていない。
私の震える声が、それが事実なのだと物語っていた。
アイリオン先生が静かに口を開く。
「それでは……その魔獣は、Sランク以上ということになります」
「えっ……」
私は息を呑む。
「……でも、私……戦った」
アスターが口を挟んだ。
「お前、あの時……不思議な魔法を出しただろ」
「俺は、それでお前の存在を感じ取れた」
「魔力量は凄まじかった。でも……フリーと同じ波動の魔力だった」
ロータスお兄様が眉をひそめる。
「不思議な魔法とは?」
アスターは少し考えてから答えた。
「なんていうか……七色だった」
「全属性が混じったような……そんな感じだった」
アイリオン先生の表情が、初めて険しく変わった。
「……七色の魔力、ですか」
その言葉に、部屋にいた全員の視線が私へ集まる。
私は思わず自分の手を見る。
「私……そんな魔法、使った覚え……」
アスターが首を横に振った。
「いや、無意識だったんだと思う。あの時のお前は、魔法を放ったっていうより……魔力そのものが溢れ出した感じだった」
アイリオン先生は静かに目を閉じる。
「全属性の混合……それは通常あり得ません」
「あり得ない?」
ロータスお兄様が聞き返す。
「ええ。人間には生まれ持った属性の適性があります。複数属性を扱える者は存在しますが……全ての属性が同時に共鳴するなど、伝承の中でも数えるほどです」
部屋の空気が重くなる。
私は小さく呟いた。
「……だから、あの魔獣は私を……」
「欲しがった可能性があります」
アイリオン先生の言葉に、背筋が冷える。
「魔獣が欲するもの。それは単なる身体ではないでしょう」
先生は真っ直ぐ私を見る。
「その中に宿る魔力……」
アスターが悔しそうに拳を握る。
「だからあいつ、戦う気がなかったのかもしれない」
「……え?」
「本気で殺すなら、あの魔力量ならもっと早く終わっていた」
私はあの時の魔獣の目を思い出す。
怖かった。
でも……確かに、殺気とは違うものを感じていた。
「まるで……何かを確認していたみたいだった」
私たちの話を黙って聞いていたティグが、そこで口を開いた。
「それ、魔獣というより魔人が取り憑いていたんじゃないか?」
「取り憑く?」
「ああ。千年ほど前にも、魔人に取り憑かれた魔獣と戦ったことがある」
「そんなことできるの?」
「できるやつはいる。それに、どれだけ強い魔獣でも、人間みたいに流暢に喋るやつはまずおらん」
「……でも、ティグは喋ってるじゃん」
「フリージアとだけだ」
「え?」
「契約しているから、お前には言葉として伝わっている。ほかの者には、わしの声は唸り声にしか聞こえんだろう?」
「……そうだね」
そこで私は、周りのみんなを見た。
『これ、言ったらまた驚くだろうな……』
少し迷ったけれど、黙っているわけにもいかない。
「ティグがね……」
今聞いたことを、そのままみんなに伝えた。
案の定、全員が驚いた。
「魔人が……魔獣に取り憑く?」
「千年前にもそんなことが……」
でも、あの魔獣が不自然なほど流暢に言葉を話していたことを考えると、みんなも少しずつ納得していく。
あれが本当に魔獣自身の言葉ではなかったのなら――。
『やっぱり、あのとき戦ってたのはただの魔獣じゃなかったんだ……』
ロータスお兄様が、真剣な表情で私を見る。
「フリージア。これからは、1人で出歩くな」
いつもの優しい声ではなく、強い意志が込められていた。
ロータスお兄様が、真剣な表情で私を見る。
その時、レイがゆっくりと目を覚ました。
「……フリージア……け、がは……」
私は驚いて振り返った。
その瞬間まで、腰の痛みを忘れていたことに気づく。
「いっ。だ、大丈夫! 私は何ともないよ」
「レイのおかげ。ありがとう」
私は優しく笑顔で答えた。
レイは安心したのか、ほっとした表情を浮かべると、そのまま再び眠りについた。
お母様は静かに言った。
「今日はもう休みなさい。この話は、また後日にしましょう」
その日の夜――。
お父様たちは会議を開いていた。




