第57話 訓練
それでも森の奥へ目を向けると、空気がどこか重い。
あのさらに先には――誰も近づこうとしない封印の森が広がっている。
私は無意識にその奥を見つめてしまった。
お父様が倒れたのも、この森のさらに先だった。
胸の奥が、少しだけざわついた。
私たちは隊ごとに間隔を空けて並んだ。
アカネ先生が一歩前へ出る。
「これから呼び寄せの魔法を使います。」
「各グループ、いつでも動けるよう準備してください。」
先生は静かに杖を構え、詠唱を始めた。
澄んだ魔力が森の中へと広がっていく。
やがて詠唱が終わる。
その瞬間――。
ガサッ。
森の奥から草木をかき分ける音が響いた。
続いて。
ドシン……ドシン……。
重い足音がこちらへ近づいてくる。
生徒たちの表情が一気に引き締まる。
「来るぞ……。」
誰かが小さく呟いた。
私はそっと魔力を練り、目の前の森を見つめる。
木々の隙間から、大きな影がゆっくりと姿を現し始めた。
最前列のグループへ、一体目のブルッティが突進してきた。
「来る!」
一人の生徒がすぐに光魔法を放つ。
眩い光がブルッティの目の前で弾けた。
「ギャアッ!」
ブルッティは一瞬ひるみ、その場で動きを止める。
「今だ!」
間髪入れずに後ろの生徒が火魔法を放つ。
燃え上がる炎がブルッティを包み込み、その勢いを大きく削いだ。
「よし! そのまま押せ!」
仲間同士で声を掛け合いながら、連携よく攻撃を続けていく。
アカネ先生も満足そうに頷いた。
「いい連携です。」
その頃には、別の方向から現れたブルッティが次のグループへ向かっていた。
「次はこっちだ!」
生徒たちは慌てることなく構え、それぞれの役割につく。
課外訓練とはいえ、もう誰も初等部の頃のような初心者ではなかった。
第三騎士団も、生徒たちの連携を穏やかな表情で見守っていた。
「いい動きだ。」
「初等部の頃とは比べものにならないな。」
隊士たちが頷き合う。
私たちのグループにもブルッティが近づいてくる。
「来るよ!」
サスケが前へ出て構えた、その瞬間だった。
――ギィィィィッ!!
鋭い鳴き声が森の上空から響く。
「!?」
次の瞬間、私の横を黒い影が駆け抜けた。
ブルッティではない。
訓練用に呼び寄せた魔獣でもない。
翼を大きく広げた魔獣――イーグリだった。
あまりにも速い。
その鋭い金色の瞳は、一直線に私だけを捉えていた。
『私を狙ってる……!』
そう悟った時には、もう遅かった。
「フリー! 危ない!」
後方からアスターお兄様の叫び声が響く。
同時に、すぐ横からレイの声。
「フリー!」
私は咄嗟に身を引こうとした。
――間に合わない。
そう判断した私は両腕を前へ出し、防御の構えを取る。
しかし。
イーグリは鋭い爪で私の身体を掴むと、そのまま大きく翼を羽ばたかせた。
「きゃあっ!」
足が地面から離れる。
風が一気に頬を打ち、景色がみるみる遠ざかっていく。
イーグリに捕らえられたまま、私は空へと引き上げられる。
眼下では、生徒たちがざわめき、先生たちの指示が飛び交っていた。
「フリー!」
アスターお兄様の声が響く。
見下ろすと、お兄様は火魔法で足場を作り、風魔法で一気に加速しながら、私を追いかけてきていた。
その速さは、さすが第三騎士団隊長だった。
『お兄様……!』
さらに、その後ろからもう一つの影が飛び出す。
レイだった。
水魔法で足場を生み出しながら、迷うことなくイーグリを追ってくる。
「レイ……。」
そして、それだけではなかった。
「フリーを返せー!」
サスケが叫びながら駆け出す。
「待ちなさい!」
カグラも冷静に周囲へ指示を出しながら後を追う。
「くそっ!」
セレスは風魔法で身体を軽くし、誰よりも速く森の中を駆け抜けていく。
「フリーちゃん……!」
ナギも治癒役でありながら必死についてきていた。
みんなが、私を助けようとしてくれている。
イーグリはしばらく空を飛ぶと、急に高度を下げた。
「えっ……?」
次の瞬間。
私はその鋭い爪から放り投げられた。
「きゃあっ!」
ドサッ!
地面を何度か転がり、ようやく止まる。
「いたたた……。」
私は身体を起こし、服についた土を払った。
『もう!』
『投げることないじゃん!』
思わず心の中で文句を言う。
幸い大きなケガはない。
私は周囲を見回した。
そこは見覚えのない、薄暗い森の入口だった。
空気が重い。
肌にまとわりつくような嫌な気配が漂っている。
『ここ……。』
胸がざわつく。
――封印の森。
私は無意識に息をのんだ。
そして、イーグリを見上げる。
イーグリは私を見下ろすと、鳴き声を一つ上げ、そのまま森の奥へ飛び去っていった。
「……なんで?」
私は小さく呟く。
「どうして私を狙ったの……?」
答える者は誰もいない。
ただ、森の奥から冷たい風が吹き抜けるだけだった。
私は立ち上がり、辺りを見回した。
「アスターお兄様……。」
「レイ……。」
返事はない。
木々が生い茂り、空もほとんど見えない。
『みんな、どこかな……。』
『私のこと、見失っちゃったのかな。』
胸が少しだけ不安になる。
その時だった。
――……
どこからか、小さな声が聞こえた気がした。
「……え?」
私は思わず振り返る。
そこには、岩肌にぽっかりと口を開けた洞窟があった。
洞窟の奥は真っ暗で、何も見えない。
なのに――。
『ここ……。』
それでも胸の奥がざわつく。
ロータスお兄様が話していた場所。
お父様が一人で駆け出していった場所。
そして倒れて見つかった場所。
『まさか……。』
私はごくりと唾を飲み込む。
「ここがお父様の……。」
洞窟の奥から、ひんやりとした風が流れてくる。
まるで――。
「おいで。」
そう呼ばれているような気がした。
私は恐る恐る、一歩だけ洞窟へ近づいた。




